第160話 存在の耐えられない寒さ
俺の問いにリサデルは眉を寄せ、首を横に振った。
「それは……昇降機の中でお話します」
「今は言えない、って事ですか」
「ごめんなさい。そう受け取ってはいただけませんか?」
「それって先輩の様子が変なのと、何か関係があるんですよね」
「ごめんなさい。ここではお話し出来ない内容なのです」
それでも喰い下がろうとすると、向かいに座るアッシュが「それくらいにしたまえ」と声を荒げた。
「誰にでも言い難い事はある」
「でも、俺はアリス先輩が心配で……」
「聞き分けたまえ。リサデルさんは昇降機で話す、と言っているんだ」
「だって、何かおかしいじゃないですか」
「シンナバル。『でも、だって』は、大の男が口にするものでは無い」
「……っ」
「君は常々、早く大人になりたい、と言っていただろう」
それを言われてしまうと俺に返す言葉は無い。この場は引き下がるしかなかった。
「早ければ明日にでも出撃します。皆さん、くれぐれも睡眠を良く取って体調を整えておいて下さい」
リサデルの締めの言葉でミーティングはお開きになり、全員がばらばらと席を立った。
納得のいかない気持ちで立ち上がると、つんつんとシャツの裾を引っ張られるのを感じて後ろを振り返った。
「アッシュも意地悪で言ってんじゃないからね」
真正面からセハトと目が合った。『子供くらいの身長しかない』と言われるホビレイル族と、俺は大して背丈が変わらない。
「分かってるよ。俺だって子供じゃないんだ」
そうは言ってみたものの、きっとムクれた子供みたいな顔してんだろうな、俺。
『そらみみ亭』から表に出ると、街灯りに照らされた盛り場は「これからが本番!」って空気に満ちていた。今にも雪が降りそうな寒空だっていうのに往来を行き交う人の波は途切れず、季節感を失った露出の激しいお姉さんたちが甘い声で盛んに客引きをしている。
俺はアリスと話をしたくて仕方なかったが、リサデルと寄り添うように歩く彼女に、どうしても声を掛けられない。結局、アッシュの赤い外套とシロウの黒い外套の後ろを歩き、セハトとどうでも良い話をしながら魔導院の門を潜った。
すでに消灯時間も間近だというのに、未だに学院の敷地内は魔陽灯の光でぼんやりと明るい。
「俺、ちょっと用があるんでここで」
先を行く仲間たちの背中に声を掛けて立ち止まると、驚いた顔をしてセハトが振り返った。
「え? こんな時間に?」
「調整だよ。寒くなると痛むんだ」
反応の悪い右腕を上げてニギニギして見せると、セハトは納得顔で頷き返した。その隣で心配気な顔をしたアリスを見て、ほんのちょっと救われた気になった。
「んじゃ、おやすみなさい」
皆が学生寮へと向かうのを背に、俺は魔導塔へ足を向けた。
昼間は多くの生徒が行き交う連絡通路も、今は閑散としている。
俺は魔陽灯の明かりで、まるで光の柱のように輝く魔導塔を見上げながら、ここ一週間で起きた事を思い出していた。
学院祭でのモディアたちとの友情。
猫の森でのアリスと過ごした日々。
そして、日を追うごとに蘇る過去の記憶。
鏡を覗くたびに鮮明になる姉さんの顔。
炎を見るたびに湧き上がる、燻るような狂暴な感情。
「もしかして俺の本体ってさ……シンナバルってのは、お前だったりして」
話す相手がいなくなった寂しさに、ついセハトに話しかけるような気持ちで『錬金仕掛けの腕』に問いかけてみた。
思わず身体が震えたのは、凍てつくような冬の寒さのせいだけでは無い。
*
セハトの言う「こんな時間」にも関わらず魔導塔のエントランス内には人の姿があり、幅の広い受付カウンターの中では数十名の職員が忙しなく作業をしていた。
「清掃局のディミータ副長に取り次いで欲しいのですが」
調整を受ける前に副長に報告を入れておこうと思い、受付に座っている眼鏡のお姉さんに声を掛けた。すると彼女は書類から顔を上げ、俺の右腕に視線を向けた。
「少々お待ち下さい」
『錬金仕掛けの腕』にはアルキャミスツの部隊章が刻まれている。それでもって、そこらのガキみたいな外見の俺が何者なのか、この女性には伝わったのだろう。眼鏡の奥の感情の籠らない目が、書類の上を走る。
「……ディミータ様は昨夜から戻られておりませんが」
「そうですか。どこに行ったか分かりますか?」
「申し訳ございません。私どもでは分かりかねます」
「そうですか……」
急な仕事でも入ったのだろうか。副長自らが出張るほどの案件……北方紛争絡みか?
半年くらい前から、山王都のスパイが学院内に入り込んでいる。そのせいでここ最近の『錬金仕掛けの騎士団』の仕事は、入学希望者に紛れて学院に潜り込んだスパイ狩りだ。
ところが『地下』に逃げ込んだスパイを駆除しているうちに、生徒たちの間に「魔導院には粛清部隊があるんじゃないか」なんて噂が囁かれるようになった。まあ、俺にはどうでも良い話だけど。
「仕事中にすんませんでした」
お姉さんに礼を言ってから、当直の技術者に調整してもらってサッサと帰ろ、なんて考えていると、男性職員がやってきて彼女の耳元で何かを呟いた。それを聞きつつ何度か頷いたお姉さんは「シンナバル様。伝言が御座います」と、俺を呼び止めてきた。
「伝言? 俺に? 誰からですか?」
「魔導塔錬金術科本部第七研究所所長からです」
「え? なっ、なに所長?」
「錬科七研のルルティア所長からの伝言をお預かりしております」
「ああ、姉さんからですか。びっくりした」
「お伝えします。『今すぐ直通昇降機で私の研究所までくるように』との事です」
「姉さんが? こんな時間に?」
「申し訳ございません。私どもでは分かりかねます」
お姉さんがくいっ、と眼鏡を直したのと同じタイミングで、昇降機の方から短いチャイムが聞こえた。
姉さんの研究室へと昇っていく昇降機に揺られながら、『地下』への深みへと向かう昇降機に思いを巡らせた。
地下七階には何があるんだろう。
リサデルとアリスは何を隠しているのだろう。
『ヴァン』と姉さんは、地下七階で何をしていたのだろう。
どう考えても仕組まれている。
『長老会議』は俺たちを地下七階に向かわせて、何をさせようとしているのだろう。
――――チィン
到着のチャイムに顔を上げる。昇降機の扉がスライドするのを見届けていると、扉の向こうには錬金仕掛けの少女、『琺瑯質の瞳の乙女たち』の一人が礼儀正しく腰を折って待っていた。
「あれ? 君は……」
顔を上げた少女を見て、思わず声を上げてしまった。
アッシュブルーの髪と瞳。
細っこい手足に小さな頭。
そして、俺とあんまり変わらない背丈。
「お待ちしておりました。シンナバル様」
「良かった。完成していたんだね」
「はい。先日、無事にロールアウトいたしました。シンナバル様には大変ご心配をお掛けしました」
申し訳なさそうに肩を小さくした少女は、ルルティア姉さんが自分自身をモデルに心血を注いで作り上げた錬金人形、『魔導院最高の錬金術師』の最高傑作だ。
ピーキー過ぎるその性能に調整が上手くいかなくて、今まで完成が遅れていたんだ。
「どう? いい名前、付けてもらった?」
「はい。マスターは私を『白鳥の歌』と呼ばれます」
「最終作品……?」
はい、と嬉しそうに微笑んだ少女は、その名の持つ意味を知っているのだろうか。
不安に駆られた俺の気持ちを知る由も無く、少女人形は「マスターは第一ラボでお待ちです」と、背を向けて歩き出した。