第159話 自分の居場所なんて、自分では決められやしないんだ
「それでは第一候補をAルート、第二候補をBルートと呼ぶのはどうですか?」
「そうしましょう。では、セハト。それらのルートを辿った場合の所要時間を出してくれるかしら」
「りょーか-い! 一回の戦闘にかかる時間は五分くらいで考えて良いかな?」
「……敵の数によるだろう。我らの陣容は多勢との混戦に向かぬ」
セハトが合流してからというもの、ミーティングも捗った。
変わらずリサデルの提案をアッシュが補足していたが、要所でシロウの鋭い指摘が入り、セハトが絶妙に茶化す。アリスは殆ど口を利かなかったが、その顔に僅かでも笑顔が戻ったのが何よりも嬉しい。
気分良く背もたれに寄りかかって天井を見上げていると、賑やかな話し声が耳に入ってきた。そのまんまの姿勢で首を傾けると、隣のテーブルで客同士が乾杯しているのが見えた。そらみみ亭には、俺たちのテーブル以外も席は埋まりつつあるようだ。
フロアに響く楽しげな笑い声と騒がしい怒鳴り声。
漂う酒の臭いとタバコの煙に満ちた油っぽい空気。
学院の食堂とは違って、喧しくって品の無い『そらみみ亭』の雰囲気はあんまり好きじゃなかったけど、いまは何だか居心地が良い。
俺は椅子に深く腰掛けながら、仲間たちが話し合うのを黙って見守った。
「しかし、どちらのルートを使うにせよ、『守護者』の存在が気になりますね」
ジョッキ片手に地図を目で追うアッシュが言うと、山盛りのマッシュポテトを頬張りながらセハトが返事した。
「ふぉれでも昇降機むをっ、むぐぁわないで地下五階まで行くのむぁっふっ」
「ちょっと。口に物を入れたまま返事をしないの」
リサデルに窘められて、セハトは口いっぱいに含んだポテトを飲み物で流し込んだ。トントンと胸元を叩くのもお約束。
「昇降機を使わないと、時間的にも体力的にも負担が大きいよ」
錬金昇降機は一度に三組のパーティ、つまり二十人近くを一遍に地下一階から地下五階まで運ぶことのできる、とても便利な乗り物だ。だけど、昇降機を利用するには毎回必ず、ある『試練』を突破しなければならない。
「ルームガーダーとして、何が現れるかによりますね」
アッシュは地図に赤鉛筆でグルリと円を描いた。そこは昇降機の設置された部屋だ。それを見てセハトがうんうん頷いた。
「えーっと、前には何が出たんだっけ?」
「前回の出撃時には、『煉瓦の兵士』がニ十体も出ました」
「アレは大変だったね。倒しても倒してもキリ無いし。でも、『煉瓦竜』の時もキツかったー!」
「……君は物陰に隠れていただけでは?」
昇降機が設置された部屋を護っているのは、錬金術科が開発した錬金人形だ。地下訓練施設を造成した際に大量に余った錬金煉瓦を用いて造られた『煉瓦の守護者』には、生半可な攻撃は通用しない。なんせ耐水・耐熱・耐衝撃・耐魔術の錬金煉瓦で出来ているんだから間違い無い。
「何であんなモンを配置したんですかね」
俺は熱々の鉄板の上でジュージューいってる激辛チョリソにフォークを突き立てながら、誰と無く訊いてみた。
「準備の整っていないパーティが、安易な気持ちで地下五階に突入するのを防ぐ為だって、ルルティアが言っていたわ」
スープにパンを浸しながら、リサデルは目線だけを送ってきた。俺は、ちょっとの驚きをもって訊き返した。
「姉さんが、ですか?」
「そう。以前は通行証さえ持っていれば自由に昇降機を使えたのだけど、準備も気持ちも疎かなまま地下五階に侵入して壊滅するパーティが続出したの」
「ああ、それって聞いた事あります。そん時はまだ、地下五階なんてとてもじゃないけどムリだったんで気にしてませんでしたけど」
「事態を憂慮した魔導院が錬金術科に依頼して、手間も掛からず手入れも要らない『煉瓦の守護者』を造らせたの。その開発責任者がルルティアなのよ」
「ははあ、それであんなデザインなんだ。すっごく姉さんらしいですね」
『煉瓦の守護者』はいつも同じ姿では無く、対戦するパーティの実力に合わせた能力と外見でもって現れる。ある時は合成獣、ある時は地獄の番犬、またある時は竜族と言った具合で、冒険小説や騎士物語が大スキなルルティア姉さん好みのセレクトだ。
「何にせよ」
アッシュは、ぐいっ、とジョッキを呷ってから「被害を最小に抑えて撃破したいですね」と言って、俺とリサデルの話に割り込んできた。
「そこで良いアイディアがあるのですが、聞いていただけますか?」
「ええ、もちろんです。ぜひ聞かせて下さい」
「……」
話し相手を横取りされてしまい、所在無くなって赤黒いチョリソにかぶりつくと、スプーン片手にポテサラの山と格闘しているセハトと目が合った。すうっ、と細めた上目遣いと皿ごと抱え込むその姿勢を「言っとっけど、一口も分けてやんないからね」って意思表示と受け取ったが、俺はそもそも甘くてネットリした食べ物が苦手である。
「お前、さっきっからそればっか喰ってっけど、それってそんなに美味いのか?」
「うぶぅ、すんぐもぐおいぐいおう」
「……お前、リサデルさんに怒られたばっかだろ」
セハトは「ごっくん」と音が聞こえるほどの勢いで口の中の物を飲み込み、それからアリスの方を向いた。その動きに釣られて視線を向けると、アリスは物憂げな表情でテーブルの上に置かれたランプの炎を眺めていた。
「ねえ、シンナバル」
スプーンを手の中で器用に回しながらセハトが声を掛けてきた。
俺は左に持ったフォークでセハトの真似をしながら「なに?」と返事したが、そもそも利き手では無い左手では、どうも上手くいかない。
「アリス……元気無いね」
「うん、よっぽど馬車が苦手だったのかもな」
「え。アリスって馬車に酔う人だったの?」
スプーンを玩ぶ手を止め、セハトは心底申し訳なさそうに表情を強張らせた。
「ううぅ、悪いコトしちゃった……」
セハトは空気を読めないようでいて、とても周りに気を使う、誰よりも心根の優しいヤツだって俺は知っている。だからこそ「でも、乗り心地良かったよ」とフォローしておいた。
「ほら、先輩って狭いトコとか暗いトコ、駄目な人じゃんか。だから馬車酔いとかじゃないと思う」
「うん……」
「でもさ、良くあんな馬車、用意したよな。あれって魔導院の偉い人が乗るヤツだろ?」
「あれは長老会議が用意してくれたんだ。『いま、二人とも旅行に行ってる』って説明したら、馬車出してくれるって言うから」
「お前、長老会議に会ったのか?」
セハトは首を横に振った。
「男の人だったけど、『自分は長老会議の使いだ』って言ってた」
「そっか。でも、また何で俺たちなんだろうな」
「……? どういう意味?」
「いや、何で俺たちが地下七階の調査を命じられたんだろう、って」
きょとん、とした顔をして、セハトは首を傾げた。
「だからさ、別に俺たちじゃなくても良いじゃないか。例えば、院生の凄い人たちで調査隊を組むとか」
確かにシロウやアッシュの実力は、院生どころか教官にも匹敵するだろう。だけど、俺やアリスは『学院の生徒』の域を出ていない。それこそ『錬金仕掛けの騎士団』の人員でパーティを組めば、調査なんて簡単に終わるんじゃないか?
セハトは難しい顔をして、鋭い視線を向けてきた。
「……シンナバル」
「なっ、なんだよ?」
「いつからそんなに頭が回る様になったの」
「うっ、うっさいな! 俺だってなあ、これでも魔術科では一二を争う術者なんだぞ!!」
「うわあ。そういうのって自分で言っちゃうと凄く恥ずかしいね」
セハトとテーブル越しに掴み合っていると、「それでは皆さん、作戦の説明を始めます」とリサデルが立ち上がり、追ってアッシュが地図を掲げた。
鷲掴みにしたセハトの頭から手を放し、リサデルの方へと椅子ごと身体を向けた。セハトといえば、ボサボサ頭で何事も無かった顔をして手帳を捲っていた。
「まず、全員の意思を統一しておきたいのですが……」
全員がリサデルと地図を注視すると、空気が張りつめるのを感じた。
作戦の内容は『可能な限り戦闘を避け、場合によっては逃走を第一選択にする』。
端的にいえば地下七階まで出来るだけ体力を消耗しない、って事だと理解した。
「ルートの最終確認は昇降機の中でします。まずはルームガーダーを倒す事に集中しましょう」
そう言ってリサデルが椅子に座ると、自然と緊張が緩んで再び食事とお喋りが始まった。
リサデルとアッシュは他に詰めたい事案でもあるのか、地図の上で額をくっつけ合うようにして話し込んでいる。シロウは相変わらず無言でグラスを傾け、セハトはよっぽどポテサラが気に入ったのか、忙しなくスプーンを口に運んでいた。
「先輩、これ美味しいですよ!」
なんて、チョリソを刺したフォークを掲げてアリスに声を掛けてみたが、彼女は一言二言返してくれただけで静々とナイフとフォークを動かしていた。その上品で洗練されたテーブルマナーは、なんだか別人みたいだ。だけど、人の料理を皿ごと横取りするような、いつもの豪快な食べっぷりの方が俺は好きだ。
「空いたお皿、お下げいたします」
殆どの料理が片付くと、ウェイトレスが空いた皿を下げていった。すでにテーブルの上には各々の飲み物とセハトのポテサラしか残っていない。そんな広々としたテーブルを前に「最後に少し、良いですか?」とリサデルが口を開いた。
「皆さんに訊いておきたい事があります」
リサデルは居住まいを正して全員の顔を見渡した。さすがにセハトも空気を読んでか、大人しく椅子に収まってサラダの残りを突いていた。
「貴方たちは何の為に、ここまで戦い続けてきたのですか」
質問の真意を掴みかねてか、誰もが互いに顔を見合わせている。何の為に、か。
「質問の仕方を変えましょう。なぜ貴方たちは私とアリスのパーティに加わり、共に地下七階にまで挑まんとしているのですか」
早口に語るリサデルの頬はワインのせいだろうか、仄かに染まっていた。普段から、あまりアルコールを口にしないリサデルにしては珍しいと思う。
「記録上、『地下訓練施設・第七層』には、院生を始め教授陣すらも足を踏み入れていない事になっています。それが本当に未発見だったからなのか、それとも何らかの作為なのかは分かりませんが」
リサデルは何が言いたいんだろう? 俺はグラスの氷をガリガリやりながら、足りない頭をフル回転させてみた。
何の為って、学院の生徒は皆、モディアみたいな腰抜け……いや、争いを好まない一部の者を除いては、単位の為に地下に潜ってる。あれ? それじゃあ院生であるリサデルは、何で未だに『地下』に潜っているんだ?
俺の疑念を余所に、リサデルは変わらず早口で続ける。
「地下七階には、どのような危険が待ち受けているか分かりません。名声や鍛錬が目的だとしたら、それはもう十分に得られたのではないでしょうか」
誰も口を開かず、それぞれが考え込んでいるようだったが、アッシュは突然、手にしたジョッキをテーブルの上に叩きつけるようにして立ち上がった。
「ぼっ、僕は貴女に請われてパーティに参加しました。僕は騎士の名に懸けて、最後まで貴女をお守りします!」
「ありがとう、アッシュ。貴方のお気持ち、嬉しく思います」
「あ、あのですね、つっ、つきましては『地下』を征した暁には……」
言葉を震わせるアッシュと首を傾げて続きを聞くリサデルとの間に、「次はボクだよん」と意地悪そうな笑みを浮かべてセハトが割って入った。
「どうせここまで来たんだから、ボクは『地下』の地図を残らずキレイに埋めたいんだ」
がっくりするアッシュを余所に、にっこり笑うセハト。そんなセハトにリサデルは微笑を返した。
「あなたの描いた地図が無ければ、とてもじゃないけど地下七階には到達出来なかったわ。ありがとう、セハト」
リサデルの賛辞にセハトは嬉しそうに頭を掻いてから、「シロさんは?」と言って、その手をシロウに向けて差し伸べた。
シロウは木刀を抱えたまま、眠っているかのように静かに目を閉じていた。
「――――拙者は」
「剣の修業だよね!」
シロウの口が動いたように見えたが、覆い被すようにセハトが言い切ると、それ以上は何も言わなかった。
「で、シンナバルは?」
まるでバトンを渡す様な手つきが俺に向けられた。
「え? 次ぎ、俺?」
俺がリサデルのパーティに加わって『地下』に潜っている理由。それはディミータ副長の命令に他ならない。俺の仕事は、あくまで『リサデルの監視』だ。
「俺は……」
今一つ調子の悪い鋼鉄の右腕に目をやった。どんなに集中して指令を出しても、親指のレスポンスがワンテンポ遅い。やはり一週間もメンテナンスを受けていないと反応が鈍くなるな。お陰で左手でしか食事が出来なかった。
「その前にリサデルさんに訊きたい事があります」
俺は『錬金仕掛けの騎士団』からは離れることは出来ない。アリスの傍に居たいと思うのなら、今は『仕事』を全うするしかない。
「リサデルさんとアリス……先輩たちは、何の目的があって『地下』に潜っているのですか?」
体調不良と筆の乗りが悪くて、更新が遅くなりました。
申し訳ないです。