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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第八章 天の高み 地の深み
157/206

第157話 俺と彼女の七日間

「先輩、大丈夫ですから」


 アリスを宥めようと思ったが、左腕を掴まれていては彼女の頭を撫でる事すらも叶わない。自由なはずの俺の右腕は苛立つくらいに……悲しいくらいに役に立たない。

 それでも俺は冷たい鉄の腕を操作して、出来るだけ優しくアリスを抱き寄せてみた。


「俺がここにいます」


 機械音を唸らせて、『錬金仕掛けの腕』は俺の要望に応えてくれた。ただ、俺より背が高いアリスを抱き寄せたところで、逆に俺がアリスの胸に抱かれているような格好になるのが悔しい。

 だけど彼女は、胸の高さで見上げる俺に、泣き笑いのような微笑みを返してくれた。





 その日は屋敷の外に出るのは止めて、裏の泉での魚釣りも明日の楽しみに取っておくことにした。

 そうなると、やらなくちゃならない事といえば夕食と風呂の準備くらいだ。アリスが料理をしている間に風呂焚きでもしてこようかと申し出たが、アリスは「傍にいてくれないとヤダ」の一点張りで、結局のところ調理アシスタントをすることになった。


「うん。干し肉の質が良いから、良い出汁が取れるわ。これに刻んだピクルスを混ぜて、と」

「わわわっ! このピクルス、しょっぱ!!」

「やだ、つまみ食いしたの? まだ塩抜きしてないよ、それ」

「み、水っ!」

「ちょっと! それ、お酢だよ!!」


 ズボラな俺は邪魔にしかならなかったようだが、アリスは驚くほど手際良く料理を作り、持参したパンやハムを綺麗に皿に盛り付けてテーブルに並べた。

 彼女の料理の腕は病室で飲んだ薬膳スープで実証済だが、ここでもまたもや驚かされることになった。

 

「これ美味しい! 干し肉でこんなシチューが作れるなんて!」

「うふふ、干し肉が良かったからだよ。セハトに感謝しなくちゃね」

「干し肉なんて、齧るくらいしか食べようが無いと思ってた。侮り難し、干した肉!」

「山王都の料理は乾燥させた食材を使うレシピが多いの。あそこは山がちで道が険しいから、新鮮な食材が手に入り難くて」

「そっか。先輩、山王都の出身でしたね」

「……料理はリサデルに教わったの。彼女も山王都の出だから」


 何故だかアリスは口籠った。

 不思議に思ってワイングラス越しに彼女の顔を見つめると、アリスは誤魔化すようにグラスを手に取り、ワインに口を付けた。


「そ、そうだ! シンナバルはどこの出身……」


 言い掛けて、アリスは俯いてしまった。「あの、ごめんなさい……私」


「いえ、別に……そうそう! 山王都といえばセハトの奴が言ってたんですけどね。これが傑作なんですよ!」

「なになに? 知りたーい!」


 アリスとの美味しい食事と楽しい会話。それだけで俺は十分に幸せだ。

 彼女が何を隠していようが関係無い。それに、隠し事をしているのは俺だって同じじゃないか。

 『リサデルの監視』という密命を帯びている事をアリスには知らせてはいないし、そもそも彼女は『錬金仕掛けの騎士団(アルキャミスツ)」の存在を知る由も無い。噂くらい耳にしたことはあっても、せいぜい錬金術科の企画くらいにしか思っていないだろう。


 ……だいたい、それが何だってんだ。俺がアリスを好きだという事実には、ほんの少しの嘘も無い。


 アリスにどんな隠し事があったとしても、俺は絶対に揺るがない自信がある。

 だけど彼女は、俺が失くした、あの火焔地獄のような記憶を受け入れてくれるだろうか。


 どうしたって俺は、それが苦しいくらいに怖い。



 *



「暗くなってきましたね」


 着々と改築の進む屋敷だが、さすがに魔陽灯は設置されていなかった。部屋ひとつを明るくするくらいの魔陽灯は、学院都市で働く人のおよそ給料一ヶ月分とも言われるくらいに高価なので無理もない。


「魔陽ランタン、持って来たんで点けましょうか?」


 師匠の真似して持ち歩くようにしているズダ袋の口を開いてランタン仕様の魔陽灯を取り出そうとすると、大判の毛布に包まり、暖炉に当たって髪を乾かしていたアリスがこちらを向いた。それと同じタイミングで暖炉の前に温まっていた白、黒、灰色の猫も俺の方を向く。


「私、魔陽灯ってあんまり好きじゃないの」

「え? 魔陽灯に好きとか嫌いとかってあるんですか? 便利じゃないですか。油もいらないし、火事の心配も無いし」


 ちょっと意外に思って、ランタンを取り出す手を止める。

 三匹の猫は興味を失ったのか、それぞれが伸びたり丸まったり毛繕いしたり。


「暖かさを感じない光って、何か嘘っぽくない? 昔から嫌いなの。魔陽灯を点けていると、誰かに見られているような気がして」

「はあ、なんかオカルトですね」

「そんなことより、早くこっちおいでよ。髪、梳かしてあげるから」

 

 そう言われて、風呂から上がったばかりの濡れた髪をタオルで拭うと、底冷えする寒さに身体が震える。堪らず暖炉に駆け寄ると、アリスが毛布を捲り上げて手招いた。


「ほら、ここ暖かいよ」


 風呂上りだからか、それとも暖炉の熱のせいだろうか、火照ったふうなアリスの顔が何とも言えず……そっ、それにその無防備なパジャマ姿!

 俺は緊張しつつアリスの隣に座り、そわそわしながら毛布に潜り込んだ。

 

「うふっ、うふうふうふふ」

「なっ、なんすかいきなり? 気持ち悪いなぁ」

「一緒にお風呂入れば良かったのにぃ。背中、流してあげたのにぃ」

「だっ、駄目ですよ! なっ、何ていうか、そういうのってっ、まだ早いっていうか、その」

「後ろ向いて」

「え?」

「髪、梳かすから」

「は、はあ」


 完全にからかわれて、いや、これは(もてあそ)ばれているのか? まったく……つくづく自分が子供なんだと思い知らされる。

 モヤモヤと考えながら膝を抱えてアリスに背を向けると、彼女の手が髪に触れ、櫛が当てられるのを感じる。すうっ、すうっ、とリズム良く髪を梳かれる心地よさに、何だか眠くなってきた。


 好きな女の子に触られて、もんやり暖かくって、仄かに花の香りがして。ああ、これは薔薇の……


「――――シンナバル」


 名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。


「すいません。気持ち良くってウトウトしてて」

「ごめん。起こしちゃった?」

「良いんです。それで、何ですか? いま、名前呼びましたよね」

「うん……君の名前、呼びたくなっちゃった」


 返事をせずに、俺は暖炉の炎に目を移した。

 アリスはアリスで俺の過去に、その記憶に不安を抱いているのだろう。


 姉さんは俺を殺そうとしながらも、『紅炎(プロミネンス)』を俺に託した。

 右腕と一緒に燃え尽きたはずの記憶は、焼け残った俺の身体の中に蘇りつつある。


「みんな、『地下』を踏破した後はどうするのかしら」


 背中越しのアリスの声で、俺は炎から目を離して自分の膝頭を見つめる事にした。


「地下七階が最下層だって、セハトは断言してました。あいつはマッピングが目的でしたから」

「セハトと言えば、シロウって何故かあの子と仲が良いよね」

「あいつ、大陸の殆どは見て回ったのに、まだヤマトの国には行ったことが無いそうなんですよ。だから一段落したら、シロウさんの家に遊びに行くんだって」

「そう……シロウは国に帰るのね」

「奥さんと子供が待ってますから」

「えっ、あの人、子供いるの!? 奥さんがいるのは知ってたけど」

「知りませんでした? もう七歳くらいって言ってたかな?」


 しばらくシロウをネタに二人して盛り上がった。

 寡黙にして捉えどころがない癖に、心優しい剣の達人(サムライマスター)。そんな彼に、俺は幾度となく命を助けて貰ったんだ。


「アッシュはどうするのかしら」

「俺、アッシュには一方的に説教ばっか喰らって、まともに会話した事が無いんですよね」

「あははは。いっつも怒られてばっかりだもんね」

「……あ、そうだ。『地下』を制覇した暁には、あの方にこの熱い思いの丈を伝えるのだ! なんて街の酒場で叫んでました。お酒の勢いって怖いですね」

「あの方って、やっぱりリサデルよね」


 櫛を動かすリズムが乱れる。アリスは何か考え込んでいるようだ。


「アッシュとリサデルさんって、お似合いじゃあないですか。なんか、騎士物語に出てきそうな組み合わせで」

「そうねえ。でも、リサデルって、きっと他に好きな人がいるんだと思う」

「えっ! そうなんですか!?」


 意識して低い声を出そうと心掛けていたのに、喉から高い声が漏れてしまった。それくらいに突拍子も無い話だ。


「うーん、これは女の勘だけどね。なんだか最近のリサデルってば、溜息ばかり吐いてるし」

「へえぇ、あのリサデルさんが」


 清楚と真面目と母性を攪拌したを一晩寝かせて結晶にしたかのような『完璧寮長・リサデル』が好きになる男性……しかも、あのアッシュを上回るくらいの人だとすると、よっぽどの人物なんだろうな。

 でも、こうして仲間たちの話をするのが、こんなに楽しいとは思わなかった。アリスと一緒だからかな?


「それで、シンナバルはどうするの?」

「俺ですかぁ。うーん、やっぱ先輩の傍にいるかな」

「嬉しい! 約束だよ!」

「はい、俺がそうしたいから、俺は先輩の傍にいます」

「……記憶を取り戻したいとか、思わない?」


 恐る恐る、といった調子のアリスの声。

 いつかは訊かれると覚悟はしていた。


「気にはなりますけど、取り戻したいとは思いません」


 きっぱりと言い切り、続けた。


「思い出せないっていうのは、俺の中では『無い』のと大して変わらないんです」

「寂しくはならないの?」

「なりません。なんていうか……感じないんです。寂しいとか、悲しいとか。そこには何も無いんです。だから、無理に思い出したいとも思いません」

「駄目だよ。そんなのって、何か違うよ」

「勘違いしないで下さい。理解して欲しいとか、同情して貰いたくってこんな事を言ってんじゃない」


 俺の髪を梳くアリスの手が止まり、息を飲む声が聞こえた。

 自分でも分かってる。こんな言い方は良くないんだ。でも、上手く説明が出来ない。


「俺の記憶には、俺自身で決着を付けたいんです。『ヴァン』って奴が何者で、俺と姉さんは『地下』で何をして、どうして姉さんが俺を殺そうとしたのか」


 息苦しくなるような静寂の中、暖炉の中で薪が弾ける音だけが耳を打つ。

 抱えた膝の頭から壁に目を移すと、一塊になった二人の影が炎の動きに合わせて揺れていた。


「先輩にお願いがあります」

「……なに?」

「また俺が暴走したら……もしも、もう俺が元には戻らないとしたら」

「それ以上は言わないで。そんな事、私がさせないから」


 ぶつかるような勢いで、アリスは俺の身体を抱きしめてきた。

 背中に感じる熱いくらいの重さと、痛いくらいに甘い抱擁に決心が折れそうになる。だけど、これだけは言っておかなくちゃいけないんだ。

 

「お願いです。その時は俺を殺して――――」


 言い掛けた途端、いきなりアリスが手を放し、毛布を撥ね退けて俺の背後に立った。


「……シンナバル」

「はい?」

「私ね、凄く欲張りなの」


 予想していなかった返答に、思わず振り向く。


「私ね、この手に掴んだ物が零れ落ちるのを見るのがイヤなの……そんなの、そんなの絶対に許せない!!」


 怒りに震えるアリスの手の中で、さっきまで俺の髪を梳いていた櫛がバキボキと音を立てて砕けていく。

 床に散った櫛の残骸と、凄まじい握力を秘めたアリスの手を恐怖に(おのの)き見比べていると、彼女は何を思ったか、まるでこれから海か川にでも飛び込むかのように、着ていたパジャマをぐいぐい脱ぎ始めた!


「ななななななな、なに脱いでんすか!」

「うるさい! 黙って見てろ!!」


 照れも恥じらいもなく、アリスは着ているもの全てをさっさと脱ぎ捨てて、怯える俺の前に立ちはだかった。

 俺はもう、どうしたら良いのか分かんなくなって頭から毛布を被ったが、その毛布すらも容赦無く剥ぎ取られてしまう。


「あわわわわわ」


 アリスの真っ白な裸体が目に入り、慌てて膝を抱えて顔を伏せた。


「シーンーナーバールー!」

「はっ、はい」

「目を逸らすな! 私を見ろ!」

「そっ、それだけはできませんっ、みれませんっ、すみませんっ」

「お前、男だろ! 裸の女が目の前にいるんだぞ!」


 一切の抵抗を許さない物凄い力で引き起こされ、木製の櫛を簡単に砕く握力で肩を掴まれた。


「私に恥をかかすのか!!」


 見たくない、と言ったら嘘になる。俺はそろそろと顔を上げて、真正面からアリスと向かいあった。

 暖炉の炎に照らされたアリスの裸体は意外なくらいに引き締まっていて、まるで美術館に飾られた崇高な裸婦像を思い起こさせた。

 緊張と興奮に心臓が痛いくらいに高鳴る。だが、女性の裸を前にしたドキドキ感なんかよりも、彼女の全身に走るミミズ腫れのような傷跡に目を見張った。


「せ、先輩、それって……」

「……驚いた?」


 そこでやっと羞恥心を思い出したようにアリスはモジモジし始めたが、思い直したように顔を上げ、強い視線を向けてきた。


「ここ、見て」


 アリスはそう言って、鳩尾(みぞおち)の辺りを指差した。石膏のように真っ白な腹部には、均等に並んだ三つの傷跡があった。


「この傷はね、蜥蜴人(リザードマン)三叉槍(トライデント)が背中まで突き抜けたの。脊髄と内臓をグルグルに掻き回される激痛って、他に比べようがないわ。死んだ方がマシってくらいに」

「な、内臓を……脊髄……」

「これ見て。ここはね、殺人蟷螂(キラーマンティス)の鎌でね、肩から肺まで一気に切り裂かれたの。自分の血が肺に流れ込んで溺れるなんて、斬死と溺死と失血死の恐怖を、全部まとめて味わえるね」

「し、神聖術は……?」

「当然、神聖術で手当てしていなかったら即死してるわ。その点、リサデルは優秀な術者よ。でもね、神聖術は傷を『無かったこと』にはしてくれないの。知っているでしょ?」


 肌理(きめ)の細かい肌の上には、目立たないながらも無数の傷跡が浮いてみえた。

 そうだった。あくまで神聖術は「怪我の回復を早める」だけで、怪我そのものが無かったことになる訳では無いんだ。


「昔はリサデルを恨んだわ。どうして死なせてくれないんだろう。どうしてこんなに苦しい思いをしなくちゃならないんだろうって。毎晩、寮のベッドで泣いてたの」


 あまりにも壮絶な告白に、俺はただの一言も返せなかった。


「どうにかして死んでやろうと一人で『地下』に突入したり、自殺の真似事もしてみたわ。でもね、リサデルの神聖術は本当の本当に一流よ。それは保障しちゃう。私は死ぬ自由すら奪われたの。だから私は――――!」


 動揺する俺の目の前に、アリスは拳を突き出した。


「来い! 女神の聖槍(トリプティカ)!!」


 眩い黄金の煌めきが、暖炉の光に慣れた目を刺す。目を細めると、アリスの右手には金色に輝く槍が握られていた。

 一糸まとわぬ輝くような裸体に一筋の槍を携えた、宗教画から抜け出てきたようなその姿に、俺は伝説の六英雄『金色の戦乙女(アスティルティト)』を見た。


「私は力を手に入れた! 私は誰にも左右されない! 誰にも邪魔をさせない! 欲しい物は全て手に入れてやる!」


 アリスは宣言するように叫んでから、ふっと身体の力を抜いた。すると、空中に四散するように黄金の槍は消え去った。

 彼女は掌に残った光の残滓を玩びながら、俺の方を向いた。


「シンナバル、君は私の物なの。君の過去も、記憶も、全部まとめて私の物。『殺してくれ』なんて、私の前で二度と言わないで」


 そう言ってアリスは猫のように、ぴょんと飛びついてきた。


「うわあっ!」


 何とか受け止めようとしたものの、想像もしていなかった柔らかさに動揺して、そのまま引っ繰り返ってしまった。その勢いと音に驚いてか、猫たちは飛び上がる様にして逃げていった。


「うふふっ、これで邪魔者はいなくなった……ん、この場合、邪魔猫?」


 俺の身体の上に覆い被さってほくそ笑むアリス。

 どこを見ても彼女のステキな部位が目に入ってしまい、どうにも居た堪れなくなってそっぽを向くしかない。だけど、これだけは言っておかなければ。


「……先輩」

「なに? 観念したの?」

「あの、何て言って良いか分からないんですけど、ごめんなさい」

「どうしたの、シンナバル?」

「俺、自分の事しか考えて無かった気がします。自分の記憶に勝手に振り回されて……先輩の気持ちも、先輩の過去も知ろうともしないで」


 アリスは腕立てみたいな格好で俺の顔を眺めていたが、そっぽを向いたままの俺の頬に顔を寄せて、優しくキスをしてくれた。


「これから一緒に思い出を作リましょう。切れない絆を編みましょう。私たちならそれが出来るわ。大好きよ、シンナバル」


 *


 つい先日まで女の子とキスした事も無かった俺は、男と女が愛し合うって行為ってのも、クラスメイトの男友だちからの曖昧な情報でしか知らなくって、なんでそんなコトをするのか意味も分からなかったけど、いま、何となく分かった。


 これはきっと、上手く言葉に出来ない想いを

 何て言ったら良いのか分からない気持ちを

 互いに伝え合うために必要な事なんだ。


 俺の中にも彼女の中にも、一人では埋められない深くて大きな傷がある。

 だけど俺たち二人なら、それを互いに埋めあう事が出来るんだ。


 *


「シンナバル! 起きて起きて!」


 妙にテンションの高いアリスの声で目を覚ますと、背中と腰と首に鈍い痛みが走った。暖かい毛布の中でモゾモゾしてると、自分が裸で寝ていた事に気が付いた。ああ、昨日はそのまま暖炉の前で寝ちゃってたのんだな……って、昨夜に何をしてたのかを思い出すと、途轍もない恥ずかしさが込み上げてきた。


「寝ぼけてるの? 早くこっち来て!」


 暖炉の前に座り込んで頭を抱える俺に、畳み掛けるようにアリスが叫ぶ。彼女はいつから起きていたのか、着替えを済ませているどころか、バッチリと化粧まで終えていた。


「あのう、大変申し訳ないのですが、着替えを取って来てはいただけないでしょうか……」

「そんなの良いから早く!」


 仕方なく毛布を身に纏い、アリスが手招きする窓際まで引きずって歩いていくと、毛布にはもれなく三毛と茶虎がくっついてきた。


「何ですか、まったく」

「ほら、ほら! 見て見て!」

「あ、雪だ」


 二人で顔をくっつけ合うようにして覗き込んだ窓の外には、銀色の鏡のような泉に、羽毛のように舞い降りる雪が吸い込まれては消えていく幻想的な景色が広がっていた。

 俺たちはいつしか互いの手を握り合い、時が経つのも忘れて美しい景色に見入っていた。



 それから俺たちは、雪合戦をして、雪だるまを作って、釣りをしたり、猫と遊んだり、たくさん話をしたり、料理やお菓子を作ったり、笑ったり、キスしたり、愛し合ったりして、ずっと二人で一時も離れる事なく過ごした。

 俺はもう魔導院なんかに帰らないで、このままアリスと二人、この猫屋敷で暮らしたいとさえ思った。でも、リサデルから許されたのは一週間だ。

 七日間がこんなに短いだなんて、知らなかった。



 そして七日目の朝、名残惜しさを噛みしめながら帰り仕度を整えていると、前触れも無くアイツが現れた。


「やほ。来ちゃった。もしかしてお邪魔だった?」


 カーキ色の防寒着を着こんだセハトは、身体を犬のように震わせてコートに付いた雪を払った。


「セハト! わざわざ迎えに来てくれたの?」

「まあ、猫たちの様子も見ておきたかったし。エサ、ちゃんとあげてくれた?」


 玄関先に佇むセハトの背後には、彼女の背丈と変わらない巨大な犬がお座りしていた。


「白い! 大っきい! かっこいい! 初めまして、パブロフ君!」


 白いコートを着たアリスが白い巨犬の首に抱き付くと、境目がどこにあるのか分からなくなる。

 抱き付かれた側のパブロフは、まんざらでも無さそうに長い舌を垂らしてハァハァ言っていた。


「さて、急かすようで悪いんだけど、森の入り口に馬車を待たせてあるんだ」

「もうちょっとゆっくりしてから出ようと思っていたんだけど……何かあったのか?」


 表情を曇らせながら、セハトは鼻の頭を擦った。


「ボクたちのパーティにだけ『地下』への侵入許可が出たんだよ……いや、違う。そうじゃないか」

「違う? どういう意味?」


 セハトは俺とアリスの顔を交互に見て、宣告するかのように言った。


「長老会議より魔導院法第九条に於いて、地下訓練施設第七層の調査命令が出た。ボクらはイヤでも『地下七階』に挑まなくちゃっならなくなったんだ」

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