第154話 記憶のかけら
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「あったあった。女子控室、っと」
昏倒した刺青のお兄さんから制服の上着を拝借し、そいつを羽織って極力目立たないようして、ようやく目的地に辿りついた。
『***女子控室・必ずノックすること***』と、貼紙された扉の前に立ち、カモフラージュにしていたジャケットを脱ぎ捨てる。それから注意書きに従って扉をノックすると、中からは「はーい、どーぞ」と、若い女性の返事が聞こえた。
失礼します、と断り、ちょっと緊張しつつ扉を開けると、まず部屋の半分を横断する大きな暗幕が目に入った。そして、普段は教室だと思われる部屋の中では、ピシッとしたスーツに身を固めた男たちが談笑していた。
「おや、君は?」
俺の存在に気付いて振り向いた人たちの中から、オールバックにした髪を一束に縛ったキリリとした印象の男性が、こちらに向かって歩み出た。
「ここに何の用かね?」
「えっと俺、騎士科のアリス、って人の応援に来たんですけど……」
気取った調子の男性の声に違和感を感じながらも答えると、「ああ、君があの!」と、突然、返事のオクターブが上がった。
「あのう、『あの』って何ですか? さっきも綿飴売ってた人に『あの』って言われたんですけど」
「だって、君が『あの』シンナバル君でしょう? 『あの』アリスが自慢するくらいだから、どんな男の子かと想像してたら、これは想像以上だわ」
「想像以上? すいません、意味が分からないのですが」
「想像以上に期待出来る、っ、て意味よ」
興奮気味に語るお兄さん(お姉さん?)の急に跳ね上がったテンションに戸惑っていると、暗幕の向こうからアリスがひょっこりと顔を覗かせた。
「わあ、シンナバル! 来てくれたのね!」
暗幕を割ってウサギの様に飛び出してきたアリスは、男装したお姉さんと同じく、後ろ髪をきつく縛り、男性的なシルエットのスーツを身に着けていた。
普段、レースやフリルがあしらわれた少女趣味的な服装を好むアリスからすると、何とも意外な格好だな、とも思ったが、コレはコレで……悪く無い。
「絶対に来てくれるって、私、信じてた!」
「ちょっと色々あって遅くなって、って、っててて!」
いきなり飛びついてきたアリスを受け止めきれず、危うく引っ繰り返りそうになる。その薄い身体つきからは想像の付かないパワフルな抱擁から逃れようと必死になって踠いていると、オールバックのお姉さんのワザとらしい咳払いが聞こえた。
「こらこらこら、二人とも。学内での不純交遊は禁止よ」
「……はぁーい」
オールバックのお姉さんに言われ、アリスは渋々と俺の身体を解放した。
俺は圧迫されてジンジンする腕を摩りながら、アリスに訊いてみた。
「アリス先輩。その格好って、やっぱり逆ミス・ミスターコンテストに出る、って事ですよね」
「そうよ。カッコ良いでしょ!」
喉元まで締めたネクタイを改めてキッチリ締め直し、アリスはグッと胸を張って鋭い視線を向けてきた。
「問おう。貴方が私のマス……」
「アリス。ふざけてないで、もう時間が無いんだから早く準備なさい」
男装のお姉さんに注意され、アリスは唇を尖らせる。
「むむう。いま、一番カッコ良いトコ見せたげようとしてたのに……」
恨みがましくブツブツ言ってるアリスに向かって、「じゃあ俺、先に行ってますね」と声を掛けた。
「ところでコンテスト会場って何処に……」
あるんですか? と、言い掛けて言葉を飲みこんだ。周囲を取り巻く異様な気配に気が付いたからだ。
笑顔を張りつかせたままのアリスと男装の女性を前にして、俺は一歩後退した。だが、いつの間にか背後に立っていた黒スーツに退路を阻まれてしまっていた。
「何処に行こうというのかね?」
「ど、何処、ってコンテスト会場……」
囲まれている!? そう気づいた時には、スーツ姿のお姉さん方に完全包囲されていた。
膝を落としてジリジリと迫る包囲の輪に、全く隙は見当たらない。このまま一斉に飛び掛かられたら、抵抗どころか逃走すら出来ないだろう。
「何の、つもり……ですか」
見えない壁が押し寄せてくるような圧迫感に、途切れ途切れにしか言葉が出ない。このプレッシャー……こいつら全員、マスターレベルの騎士か!?
「ふふっ、シンナバル……貴方がイケナイのよ」
暗い目をしたアリスが、含み笑いをしながら俺の顔をすうっ、と指差した。
「俺が? 俺がいったい何をしたって言うんですか!?」
そう言い返すと、アリスの隣で後ろ暗い笑みを浮かべているオールバックの女性が口を開いた。
「呪うなら、そんな綺麗な顔に貴様を産んだ、己の母を呪うがいい」
「言ってる意味が分からん!!」
「君にはこれから我々の計画の一端を担ってもらう」
「け、計画?」
「逆ミスコンに出場して、優勝してこい」
「はい?」
意図が掴めずに困惑していると、アリスが屈むような姿勢になって俺の顔を覗き込んできた。
「私、一回でいいから女の子の格好してるシンナバルを見てみたかったの」
「え?」
「だからチャンスだと思って」
「そっ、そんな! 俺の意思は!?」
「だって、『応援にきて』って私、手紙に書いたよね」
「応援って……そういう意味の応援!?」
もう手を伸ばしただけで触れる位置にまで、包囲網は狭まってきていた。
再びオールバックのお姉さんが「手荒な真似はしたくない」と言い、威圧的に迫ってきた。
「さあ、暗幕の向こうで好きな衣装を選ぶと良い」
「ちょっと待って下さいよ!」
「流行りの服は嫌いですか? 色々揃えてあるから、気に入るのがあると思うよ?」
「そう言うんじゃなくてですね、もし俺が優勝したとして、騎士科に何の得があるんですか!」
「君は何も分かっていないな。逆ミス・ミスターコンテストは男女の総合得票数で優勝を争われる。例年、我が騎士科は女子の活躍により圧倒的な得票数で優勝しているのだ」
「……はあ」
「逆に男子の部である逆ミスコンは、毎回低調で票が割れるから無視していても構わなかったのだが、今年はサムライ科から強力な候補が現れた」
俺を取り囲む女性陣から、「あれは反則」とか「東洋人はズルい」と声が上がった。
もしかして……俺のピンチを救ってくれた謎の美女か? 「それってシロウさん?」と、アリスに聞くと、彼女はコックリ頷いた。
「なにやってんすか……あの人」
「シンナバル、分かってないわね。あの人ってああ見えて、他人の頼みごとにイヤ、って言えないタイプなのよ」
「ああ、何か分かる……」
『地下』での自己犠牲的な行動や、セハトの無茶な要求を、むしろ喜んで受け入れているようなシロウの姿を思い浮かべた。
「だからって俺が出ても、騎士科の票にはならないですよね」
「それは別に良いの。目的は票を割ることだし、私は君の可愛いトコ見たいだけだから」
「そんなムチャクチャな」
「大丈夫。すっごく可愛くしてあげるから」
それが合図だったように逞しいお姉さん方に取り押さえられ、暗幕の向こうに引き摺り込まれる。
「両足押さえて。あたし、服脱がすから」
「髪どうする? サイドアップ? ハーフアップ?」
「うわぁ、肌スベスベ。ちょっと変な気持ちになってきたぁ」
瀕死の獲物に群がるハゲタカの如き女性陣を相手に、為す術も無く揉みくちゃにされる。
「や、やめて! 助けて!」
「大丈夫。痛くしない」
この場合、死にかけた獲物とは俺の事だ。
脱がされたり着せられたり穿かされたり、もう何が何だか分からない。とにかく嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
「足、ちっさい! ミュール似合う!」
「ウエスト細ぇなあ。普段ナニ喰ってんだ」
「ノースリーブのドレスが着せ易いね。髪に合わせて赤? いや、黒が映えるかな?」
引っ張られたり押されたり塗られたり付けられたり……吹き荒れる暴風にひたすら耐えていると、アリスの「よし、完成!」の号令と共に、お姉さんたちは離れていった。
「お、終わったのか……?」
よろけつつも立ち上がった俺にハゲタカども、もとい女性陣の視線が一斉に向けられる。
突き刺さるような好奇の視線が何とも居たたまれない。どうしたら良いのか分からず、半笑いで突っ立っていると、誰ともなくどよめきが漏れ始め、それは次第に歓声へと繋がった。
「すっごいキレイ!」
「うそ……信じらんない」
「男の子だったよね、さっきまで」
手を叩き、涙ぐんで喜んでいるお姉さんたちの姿に驚きつつ、いま、アリスがどんな顔で俺を見ているのかが非常に気になった。
男装した女性陣の中を目で探るとアリスと目が合う。すると彼女は小さな顎に手を置き、小難しい顔をして近づいてきた。
「や、やっぱり変……ですよね?」
「んーん。そんな事ないよ」
「じゃあ、なんでそんな微妙な顔してんですか?」
「なんか意外性どころか違和感も無くて、それはそれで驚いてるの」
「褒めてるんですか、それ?」
アリスに苦笑いを返し、壁に架けられてあった姿見で自分の姿を確認することにした。
華奢なサンダルを履いた細い脚。腰の位置で大きく広がった黒いドレス。編み込まれ、華やかに結われた髪。肩には大判のショールが掛けられ、それが上手いこと鋼鉄の腕を覆い隠していた。
「ははっ……本格的だ。こりゃ」
鏡の中では女装した俺が、困ったような照れてるような複雑な顔して笑っていた。こんなん師匠やセハトに見られた日には、また何て言われる事か……でも、年に一度のお祭りだし、ここは一つアリスの為にも頑張ってみよっかな。
ちょっとその気になって、鏡に向かってソレっぽいポーズを取ってみると、お姉さんたちから「かわいい!」と、黄色い声が上がる。調子に乗って、女の子がやるように顔の近くで小さく手を振ると、一際大きな声援が上がった。だが、その中に俺の名を呼ぶ声が混ざっている気がして、きょろきょろと首を巡らせて声の主を探した。
――――ン……ヴァン……姉さんを……
「どうしたの?」
はっ、として傍らに目をやると、アリスが心配そうな顔をして俺の左手を握っていた。
「あ、先輩……?」
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「僕の名前、呼びました?」
「え? 呼んでないけど……ねえシンナバル。いま、僕、って言った?」
……シンナバル? それは僕の家に代々伝わる、家宝の名前じゃないか。
そうだ。僕の『辰砂の杖』と姉さんの『紅炎』さえあれば、必ずあの呪物を――――
「ちょっと、シンナバル。大丈夫?」
「ごめんなさい先輩。なんか頭が……痛くて」
再び、あの目玉を突き刺すような頭痛が蘇ってきた。
痛みに顔を顰めつつ、なおも俺の名を呼び続ける声を探す。すると、鏡の方から強い視線を感じて、自然に鏡面へと顔を向けた。
悲しみに濡れた瞳が、哀れむように俺を見つめている。
寂しげに微笑む口元が、僕の名前を呼び続けている。
「姉さん……」
姉さんの目元を飾る小さな涙黒子の上に透明な筋が流れたのを見て、胸が締め付けられるように痛くなる。
「姉さん。僕はここにいるよ」
どうしても姉さんに触れたくなって手をいっぱいに伸ばすと、姉さんも僕に向かって手を差し伸べてくれた。
「シンナバル! ねえ、どうしたの!?」
知らない女の子が左手を引っ張って邪魔をしてきたので、思い切り腕を振り払ってやると短い悲鳴が聞こえた。
僕は静かになったことに満足して、改めて姉さんに手を伸ばした。
「姉さん、家に帰ろう。また二人だけで、ずっと本を読んで静かに暮らそう」
そう言って笑ってみせると、やっと姉さんも笑ってくれた。
伸ばした指先が姉さんの手に触れる寸前に、またさっきの女の子が訳の分からない事を喚きながら足にしがみ付いてきた。
「お願い、正気に戻って!」
もう、面倒臭いから斬り殺しちゃおっかな、と思ったけど、僕が人を殺すと姉さんは凄い顔して怒るし、何故か泣く。仕方無いから思いっきり蹴り上げてやると、女の子は今度こそ大人しくなった。
「おい、何をしている!!」
周囲がザワつき始め、殺気立った一団が辺りを取り囲んだ。
何だ、こいつら? そうか、また姉さんを狙ってどっかの軍隊が来たんだな。ざっ、と見て二十人か。この程度の囲みなんて余裕で斬り破ってやるけど、今は姉さんが一緒だもんな。
「姉さん、逃げよう!」
包囲が完成する前に逃げ出そうと姉さんの手を掴んだその時、右手に耐えがたい熱を感じた。
びっくりして振りかえると、姉さんの指先から放たれた紅蓮の炎が、僕の手に燃え移った。
「これは紅炎!? 姉さん、どうして!?」