第153話 逃げろ! シンナバル!
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だだっ広くて何も置かれていない連絡廊下には、俺の吐く荒い息しか聞こえない。ロビーに差し掛かった辺りで背後を振り返り、誰も追ってくる気配が無いのを確認して、ようやく走る速度を緩めた。
「よし、追って来ないな」
一つも迷わず訓練所に向かって逃げたのには、アリスの応援に行くのとは別にもう一つワケがある。
超難関といわれる試験の数々を突破してきた魔導院生え抜きの魔導教官に対して、総合戦闘訓練所に所属する戦闘教官は、その殆どが中途採用の元傭兵や元冒険者だ。人並み外れた戦闘技術や経験があり、それを他人に教授出来る指導力があれば、割と簡単に採用される。もちろん報酬などの待遇面では大きな差があるらしいけど、それでも世間一般には『魔導院の教官』として一括りにされるのが面白く無い「エリート教官」たちと、現場・実力主義の「叩き上げ教官」たちが肩を並べて仲良くやれるはずもない。
ってなワケで俺は、ヘイフォード教官がわざわざ訓練所まで追っては来ないと踏んだんだ。
「うん、さすがにもう大丈夫だろ」
まだ本調子とは言えない身体にダッシュは堪える。俺は呼吸を整えながら辺りを見渡して、やっと一息吐いた。
いつものこの時間ならば、『地下』に向かう生徒たちの待ち合わせ場所としてゴッタ返しているロビーだけど、今は受付に立っている係員以外に人の姿は見当たらない。そりゃあ折角の学院祭の真っ最中に、敢えて『地下』に潜ろうなんてヤツがいるとも思えないけど。
歩きながら乱れた髪を整え、訓練所の学院祭ってどんなんだろう、と想像してみた。
普通の学校に通った覚えが無い、と言うか記憶が無い俺にとって、学校の中でやるお祭りってのは、初めての経験だ。一応、学院都市のお祭りだったら『錬金仕掛けの騎士団』のメンバーで連れ立って遊びにいった事はある。いちいち怪しい盛り場に連れて行こうとする、生まれも育ちも学院都市なディミータ副長の祭り案内は楽しかったし、普段の威厳に溢れる姿からは想像出来ない、無邪気な子供みたいに燥ぐネイト隊長には驚いた。
ついつい思い出し笑いが漏れる。
「へへっ、あん時は楽しかったな」
いつかアリスと二人で……なんて考えた自分にビックリして、せっかく整えた髪を掻き回して頭を抱えてしまった。
俺は盛りのついた犬猫か? アリスの、女の子の事ばっかり考えている自分は、どっかおかしいんじゃないか? こんなんじゃあ、ヒマさえあれば女の子の話ばっかしてる男子連中と同じじゃないか!?
ちょっとばかり落ち込んで足元ばっか見て歩いていると、俄かに騒がしさを覚えて、ふと顔を上げた。いつの間にか総合訓練所の入り口に辿り着いていたらしい。
「んだこりゃ……」
廊下の端から端まで立ち並ぶ屋台には、エプロン姿の生徒たちが大声で客寄せして、香ばしい煙を上げる焼いた肉やら、どうみてもアルコールにしか見えない飲み物を売っている。
近くには行き交う生徒たちの賑やかな声。遠くからはギターや管楽器の入り混じった雑然とした音色。入口に立っただけで、見えない「活気」という壁に押し返されそうだ。
魔導学院のそれとは比較にならない、エネルギー溢れる総合戦闘科の生徒の姿に圧倒されていると、「あ、珍しい。その制服、魔術科の子だね」と、すぐ傍の屋台で綿飴を作っている女子生徒に声を掛けられた。肩まで大胆に捲った袖口から伸びる健康的過ぎる腕が、彼女が総合戦闘科の生徒であることを雄弁に証明していた。
「珍しい? 魔術科の制服がですか?」
そう訊き返すと、彼女は器用な手付きで綿飴を作りながら「うーん。学院の方からこっちに入ってくる人って、あんまりいないよ」と言って、物珍しそうに俺の顔を覗き込んできた。
「私は何とも思わないけど、なんか男子って縄張り意識みたいの強いじゃない? 『てめぇ、ナニ科だよ?』とか言っちゃったりして」
「えぇ? そんなモンですか?」
「学院の方でも見ないでしょ? 戦士科とか騎士科の生徒が廊下歩いてるのって」
「言われてみれば……そうかも」
対立しているのは教官陣だけじゃなかったのか? てっきりパーティなんて組んでいるから、学院も訓練所も、生徒同士は仲が良いと思ってた。これは認識を改めなくちゃいけないかも。
「魔術科の生徒は入っちゃダメ、って事でしょうか?」
「んー、そんな事は無いと思うけど。君、ひとりで何しに来たの?」
「俺、パーティメンバーの応援に来たんです。あのう、騎士科のアリス、っていう……」
「ああ、アリスの! じゃあ、君があの例の噂のシンナバル君かぁ!」
でっかい声に肩が竦む。
彼女は綿飴を手に、持ち場から出てきて俺の前に立った。
「あのってなんですか? 例の? 噂の?」
「いやー、確かに可愛い顔してるね、君。女の子に間違われたりしない?」
ずばりコンプレックスを刺激され、ムッとしながら「んな事ないです」と、意識して低い声で答えた。それでも未だに声変わりしてない俺の声は、目指す渋いバリトンボイスには程遠い。
「むふー、怒った顔もカワイイわあ。これはアリスが夢中になるのも分かる」
「む、夢中?」
顔が赤くなるのが自分でも分かる。俺は途端に照れくさくなって自分の足元に目を移した。そんな俺に向かって、彼女は無遠慮な視線をぶつけてくる。
「ふふーん。これならイケるか」
「いける? どこにですか?」
意味が分からず顔を上げると、彼女はグイッと綿飴を差し出してきた。目の前に突きつけられた顔よりデカい綿飴をつい反射的に受け取ってしまい、「あ、どうも……」と頭を下げる。
「この廊下を真っ直ぐに歩いて、突き当りを左に曲がると騎士科の教室があるの。『女子控室』って貼紙が貼ってあるから直ぐに分かるわ。そこにアリスもいるから」
「あ、ありがとうございます」
「ほら、もう時間がないから早く!」
「あ、はあ」
女の子にしては逞しい両手に背中を押され、俺は綿飴片手に賑やかな廊下を歩き始めた。
雪が降るくらいの季節だというのに、大勢の生徒の熱気で少しも寒さを感じない。幸い、みんな屋台に夢中で、一人だけ違う制服が紛れ込んでいても目もくれないようだ。
俺は人混みの中、目立たないようにして綿飴を齧りつつ歩いた。すうっ、と溶けていく食感が何とも言えず楽しい。だが、それが失敗だった。大きな綿飴のせいで前が見えず、前を行く男性の背に軽くぶつかってしまった。
「あっ! すいません」
綿飴で顔を隠す様にして謝ると、はち切れそうな筋肉を制服に押し込んだモヒカン頭がゆっくり振り返った。
「んんんー? なぁんで魔術科の生徒がいるんだ?」
「あの、急いでいるんで……」
モヒカン頭の脇に空いたスペースに潜り込んで駆け抜けようとしたが、あっさりと制服のフードを掴まれてしまった。襟元が首に食い込み、咽て咳が出る。
「おい、どうしたー?」
「お、魔術科の制服? なに、女の子?」
「おっほっ、可愛いねえ」
あっという間にワイルドなお兄さんたちが集まってきやがった。
「この子がさあ、急いでるらしいから道案内してやろうと思ってね」
ちっ、違う! と声が出掛かったが、咳が止まらなくって上手く声が出せない。
「そっかー。お前、親切だなあ。じゃあ、俺たちも付き合うとするか」
赤い顔してウンウン頷き合う兄さんたちは、確実に酔っぱらっているようだ。
「んじゃっ、行きますか」
俺の身体を軽々と担ぎ上げたモヒカンの後を、冬だと言うのにシャツの前をはだけた男たちが続く。屈強な肉体のあちこちに刺青を入れたお兄さんたちは、かなり腕が立ちそうだ。これって……結構ピンチじゃない?
「おっ、降ろせ……」
咳が喉に引っ掛って擦れた声しか出ない。聞こえていないのか、聞こえていても無視しているのか、男たちは何やら卑猥な事を言ってはゲラゲラ笑い合っている。
俺を担いだモヒカンを先頭にした男臭い集団は、どう考えても人気の無い方へと向かっているように感じた。
「ささっ、到着しましたよ」
物のように放り投げられ、背中から床に落ちる。腰を強く打ってしまい、痛みに直ぐには立ち上がれない。
「痛って……なんだよ、ここ」
舞い上がった埃に、また咳が出る。
天井近くまで積み重なったガラクタの山の間から、明り取りの窓が見えた。埃っぽくって薄暗い室内は多分、普段使わないような物を仕舞っておく物置部屋だろう。
痛む腰に手をやって立ち上がろうとすると、遮る様にして男たちが立ちはだかった。
「さぁて、案内したお礼をしてもらおうかな。お嬢ちゃん」
下卑た笑いを顔に張り付かせた男たちが、一歩前に出る。俺は尻もちをついた格好で後ずさった。
「あのう、何かをお間違えだと思いますけど……俺、こう見えてもオトコなんです」
「またまたぁ。じゃあ、まずはウソツキなカワイイお口から……」
これは人生最大の危機だ。最悪、処罰されてでも魔術を使って切り抜けるしかない。そう覚悟を決めた時、大きな音を立てて扉が開け放たれた。
「んだぁ? 誰だ!?」
俺を含めた全員の視線が一点に集まる。そこには総合戦闘科の女子制服を着た、気怠げな雰囲気を纏う眼帯の美女が佇んでいた。
「な、なんだよ、お前」
「見かけない面だな」
「どこの科の女だ?」
女性は男たちを無視して、左手で長い黒髪を払った。その逆の手には一振りの木刀が。
「おい、聞いてんのかよ」
東洋人と思われる女性は、眼帯をしていない方の目を室内に彷徨わせていた。そして彼女は座り込む俺を見て、ふいに笑みを浮かべた。
俺の目がその妖しい微笑を捉えた瞬間、女性の髪が黒鳥の両翼のように広がった。
目にも止まらぬスピードで女性が男たちの間を駆け抜ける。すると、「がっ!」「ぐあっ!」と次々に悲鳴が上がり、誰一人と構える間も無く、残らず床に倒れ伏した。
「あ、ありがとう」
ピクリともしない男たちを前に座り込んだまま礼を言うと、黒髪の美女は乱れたスカートの裾を直し、俺に背を向けた。
「あの、もしかしてアンタ……」
女性は顔だけ振り返らせると、濃いめの紅を引いた唇に人差し指を添えて一言だけ呟いた。
「……黙ってろ」
ああ、憧れの渋いバリトンボイスだ。
ご報告ですが、ちょいと旅行に行ってきます。少し更新が遅れるかも知れません。
それと、ブログに「髪を下したシンナバル」と「謎の美女」の画像を投稿しておきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni