第151話 超金属『レジスタシールド』
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事情も勝手も知ったるモディアに先導されて向かった先は、『地下』への入り口に程近い『魔導総合実験場』だった。
この半地下に設けられた、ちょっとした球技場ほどの広さのある実験場は、通常の耐魔術結界では遮断し切れない高位魔術や、広範囲に破壊的な影響を及ぼす錬金アイテムなどの性能実験を行う施設だ。
「あのう、失礼しまぁす……」
緊張からか、モディアは語尾を震わせながら『魔術科及び錬金術科合同研究・実験会場』と貼紙された扉に手を掛けた。そして、恐る恐る扉を押し開いたモディアは、「うはあっ」と妙な声を上げ、その場に立ち止まってしまった。
「おい、何してんだよ? 早く中に入れ、って」
カラス除けのカカシみたいに棒立ちになったモディアの背を押すと、彼は「え? あ、うん」と背中で返事して、二、三歩つんのめりながら、ようやく部屋の中へと踏み込んだ。
「どした? ぼんやりして」
「僕ぁ、実験場に来るの初めてで……シンナバルは?」
「俺? 俺は姉さんの手伝いで何回か来た事がある」
「へえ、そうなんだ……」
モディアは消え入るような声で言い、高い天井を見上げたまま再びカカシと化した。
釣られて青く発光する天井に目をやると、そこにはゆっくりと明滅する魔法陣、すなわち魔術結界が天井一面に展開していた。いや、天井だけでは無い。巨大な魔法陣はまるでシダ植物のように壁を覆い、そして足元の床に至るまで隙間なく張り巡らされていた。
「すっ、凄い景色だね」
「ああ、確かに迫力あるよな」
確かに普段、お目に掛るような景色じゃないけど、あいにく感受性ってのを持ち合わせていない俺には、一回見たことのあるモンを目にしたところで特にこれと言った感想は無い。きっとアッシュなんかは「なんと幻想的な……まるで貴女の瞳のような……」なんて、リサデルに語りかけたりすんだろうけど。
「ははあ。これは単純に平面的な魔術結界を全方位に張ったのではなくて、立体的に展開した魔法陣を内側に折り畳んだと言う訳か……なるほどなるほど」
モディアのヤツ、なんか俺には分からない難しい事を言い出しやがった。付き合わされるのも面倒なので「それで、その超金属ってのはどこなんだ?」と、訊いてみた。
「ふうむ。部屋の四隅を起点に定め、複数の術者でもって同時に結界起動するんだな。それでシームレスな立体魔法陣が構築されるって訳か。いや待てよ、だとすると」
「なあ。俺の話、聞いてた?」
「あれ、シンナバル? いつからそこに居たの? びっくりしたなあ」
「……びっくりしたのはこっちだよ」
立体魔法陣に心奪われているモディアを放っといて辺りを見渡してみると、見慣れた魔術科の制服姿と、白衣みたいなケープを羽織った錬金術科の生徒、それに教官や院生たちも合わせて十人くらいが一か所に集まって相談でもしているのだろうか、何やら話し込んでいるのが目に入った。
「あそこじゃないか? ほら、行こうぜ」
ケツを叩いて急かしてみたが、モディアは相変わらず上の空でブツブツ言っている。こりゃもうダメだと諦めて、実験場の隅っこに集まっている集団に向かって歩き出すことにした。すると、その中から俺の姿に気が付いた数人が、こちらに走り寄って来た。
「ややや、これはシンナバル氏。生きて還ったとは喜ばしい」
「久しぶりだね。怪我してたの? それとも病気してた?」
「酷い下痢で入院してたんだよね。お腹は大丈夫かい?」
口々に軽口をぶつけてきた三人は、一緒に昼メシを喰う程度の付き合いだけど、クラスでは最年少な上に魔術師らしからぬ俺を同等に扱ってくれる気持ちの良いヤツらだ。
「三人一遍に話し掛けてくんなって。退院はまだだけど、学院祭の見物に来たんだ」
俺がそう言うと、三人は一呼吸置いてから再び三者三様に質問を浴びせてきた。面倒くせっ、と思いながら一人一人に応対していると、俺を囲む輪の中に錬金術科の生徒までもが混ざり始めた。
「君は確かルルティア女史の弟さん……あれ、妹さんだったけ?」
「ルルティアさんはお元気でいらっしゃる? 魔導塔の生活には馴染まれただろうか」
「今回開発した『レジスタシールド』なんだけど、ルルティアさんがこれを見たら……」
都合、六人による同時口撃に曝されて、やっぱり訓練所に直行すれば良かった、なんて軽く後悔していると、「おーい、お前らー」と背の高い男性が大声で呼びかけてきた。あのノッポの教官は、魔術科の担任のヘイフォード教官か。
「まだ撤収作業の途中だろうがー! さっさと片付けてレポート提出!」
うーい、と返事をしてヘイフォード教官の元へと駆け出したクラスメイトたちに向かって「もう片付け!?」と声を掛けると、一人が足を止めて振り返り「結局、誰も超金属の破壊に成功しなかったからね」と答え、実験の後片付けに加わる為に走って行った。
「ちょっと待って下さい!」
何とか破壊実験にチャレンジさせて貰おうと教官の前に駆けこむと、背の高いヘイフォード教官は俺の顔を見下ろすようにして怪訝な表情を浮かべた。
「なんだ、シンナバルじゃないか。もう具合は良いのか? あまり良い顔色とは言い難いな」
「病院から一時外出の許可を貰ったんです。あの、その、ええっと」
単位をくれ! とも言い出せず、「お、俺……実験の話を聞いたらジッとしてられなくて」と適当な事を口走ると、教官は無精ヒゲに覆われた口元を綻ばせて、俺の頭の天辺をガシガシと掻き回した。
「そうかそうか。お前の口からそんな殊勝な言葉が飛び出るとはなあ」
えへへ、と精一杯の愛想笑いを返すと、ヘイフォード教官は俺の頭から手を放して「ほら、あれだ」と、錬金術科の生徒が忙しなく作業をしている辺りを指差した。
「へ? あれ、ですか?」
ぐしゃぐしゃにされた髪を手櫛で整えながら教官の指先の延長に目を凝らすと、ノートくらいの大きさの長方形の物体が、ふわふわと浮遊しているのが見えた。
「何か……思ってたのと違うんですけど」
もっとデカくて分厚い、アッシュの担いでるタワーシールドみたいなのを想像していたのに、薄板みたいな灰色の超金属とやらは、ちょっと小突いただけですぐに凹んじまうんじゃないかと思うくらいにペラペラだ。
俺が率直な感想を伝えると、教官は「うん、そうだな」と頷いた。
「だがな、シンナバル。あの金属は今日これまで、どれだけ攻撃魔術が直撃しようが、剣で斬ろうが槍で突こうが、傷ひとつ付かなかったんだ」
「いったい何で出来ているんですか?」
「さあな。魔術科は古文書の解読に協力しただけで、あの『レジスタシールド』を錬成したのは錬金術科だ。それだけに魔術科としては、この結果は悔しくもある」
「じゃあ俺、やります! やらせて下さい!」
やる気満々に答える俺に、ヘイフォード教官は苦笑いで返してきた。
「その心意気は買いたいところだが、お前は病み上がりだろう。どうせ、楽に単位が貰える、なんてどこかで聞いてきたんじゃあないか?」
図星を衝かれた俺は「う、それは……」と呻いた後は、返す言葉が無くなってしまった。
「ははは。分かりやすい奴だな、お前は。まあ、それでも一応ここまで来たんだ。片付けを手伝っていけば……」
ヘイフォード教官がそう言い掛けたとき、「暫し、暫し待たれよ!」と時代がかった大音声が実験場に響き渡った。思わず声のした方を振り返ると、そこには普通の生徒なら年に数回も着ることのない式典用マントに身を包んだ集団が佇んでいた。
「うわ……面倒な奴らが来ちゃったな」
取り巻きを引き連れ、こちらに向かって悠然とした歩みを進める声の主、自称・魔術科のプリンシパルことライカール・バランシンの姿が目に入り、心の底からうんざりした。
貴族の子息らしくマントを翻し先頭を歩くライカールは、未だにボンヤリと立ち尽くしているモディアなど眼中にも無い様に直進し、後を付いて来た取り巻きたちと共にヘイフォード教官とその隣に立つ俺の前にずらり整列した。
「教官殿。このライカール、遅ればせながら検証実験に参加させて頂きたく馳せ参じました」
相変わらず芝居じみたヤツ。べーっと舌を出してみせると、ライカールは俺を一瞥して、ふん、と鼻を鳴らした。ヘイフォード教官は、そんな俺たちを横目に肩を竦めた。
「今さら何だ、ライカール。お前の事だから、真っ先に来ると思っていたんだがな」
「いえ、我が優秀な同輩たちならば、必ず超金属とやらを破壊すると信じておりまして……私の出る幕では無いと思い、今まで控えておりました」
顎に生えた無精ヒゲを擦るヘイフォード教官に、ライカールは神妙な顔をして答える。俺は、人の頭の上で話し合う二人の間に「ちょっと待てよ。俺が先に話していたんだぞ」と割り込んだ。
「ああ、そこにいるのはシンナバルか。あんまり小さくて目に入らなかった」
「んだと……テメェ」
「入院していたと聞いていたが、性転換手術でも受けたのかい? 女子小学生が見学に来たのかと思ったよ」
ウェーブのかかった前髪を摘みながらライカールが嗤うと、取り巻きたちが一斉に馬鹿笑いを始めた。
俺は奥歯を噛みしめながら、急速に発熱し始めた右腕を抑えた。
――――コイツら全員、焼き払ってやろうか!?
恥辱と悔しさに、不穏な考えがムクムクと頭を擡げかけたとき、ふいに誰かの手が肩に置かれた。
「シンナバル、ここでキレても良い事ないよ」
モディアの穏やかな声と存外にガッシリした手の重みに、黒い感情が薄くなっていくのを感じる。俺はジワジワと燻るような怒りを抑え、「分かってるよ」と小声で返した。
「ごめんね。こんな事になるんだったら君を誘わなければ良かった」
未だに笑い続けるライカールの取り巻きたちの視線から守るように、モディアは覆い被さる様にして俺の肩を抱いた。
「それくらいにしておけ、小僧ども」
一部始終を眺めていたヘイフォード教官が押さえた声で警告すると、馬鹿笑いが止んだ。
規律に違反しない限りは、生徒同士の諍いには積極的に干渉しないのが教官たちの常だが、もしも俺がブチ切れて攻撃魔術を人に向けて放ったりした場合には、魔導院法違反によって即、この場で始末されるだろう。
「どうでも良いが、『レジスタシールド』の破壊に挑戦するなら五分だけ待ってやる。やるならさっさと始めろ」
散れ散れ、とヘイフォード教官が手を払うと、院生も含めクラスメイトたちが壁際に退避した。これでお膳立ては整った、と言う訳だ。しかし、腕を捲り準備をする俺の前に、ライカールの取り巻きたちが邪魔をするように立ちふさがった。
クソ、バカ、どけ! といくら罵ろうが、取り巻き連中は聞こえない振りでもしているのか、ライカールを囃し立てた。
「ライカールさん! 得意の雷撃、頼んます!」
「ちゃっちゃとやっちまって下さいよ!」
ライカールは口々に喚く取り巻きに脱いだマントを放り投げて、浮遊する金属板に向かい合った。
カスみたいな実力しか持ち合わせていない取り巻きどもとは違い、何代も続く貴族にして魔術師であるバランシン一族の御曹司、ライカールの実力は本物だ。座学でも優秀な成績を収め、第七位魔術までも身に付けつつあるライカール・バランシンは、名実共に魔術科のナンバーワンだ。
「シンナバル……思い知るが良い!」
吐き捨てるように言ったライカールの右腕に雷電が宿る。あれは……第六位魔術『神雷』か。悔しいが俺の作る雷撃よりも大きく、輝きも力強い。
「私と貴様の魔力の差をな!!」
正視出来ないほどの輝きに目を細めると、明らかにライカールが俺を睨み付けているのが分かった。
別にお前なんかと張り合うつもりは無いよ、と常々口にしているのだけど、俺がアリスのパーティに加入した頃から、妙にライカールからの当たりが強くなった。どうやらライカールは以前、アリスに交際を申し出て、敢え無く撃沈したらしい。だけど、どんな事情があるにしても、俺に当たるのは見当違いじゃないだろうか。
「撃て! 我が雷よ!」
魔術発動の宣言と同時にライカールの腕から放たれた青白い雷が『超金属』を撃ち、一瞬遅れて空間を引き裂くような轟音が実験場全体を揺るがし、耐魔術障壁が光を増した。
「うおぉ! さっすがライカールさん!」
「一撃で仕留めるなんて、カッコいい!」
取り巻きからライカールを誉めそやす声が湧き上ったのも束の間、「あれ? どういうこと?」と歓声はすぐに落胆の声に変わった。
青白い雷の名残を残した金属板は、やや縦回転を速めたくらいで何事も無かったかのように空中を揺蕩っている。それを見て軽く舌打ちしたライカールは、再び魔術発動の準備動作に入った。
「……早い」
半ば無意識に漏れた俺の感想にモディアが頷いた。
俺の得意とする火炎系魔術は、『燃え盛る炎』を想像しやすい為、連続で発動するのに向いている。だが、雷撃系魔術は『一瞬にして落ちてくる雷』のイメージが強く、続けて発動するには強靭な精神力が必要だ。
「放て! 『神雷』!!」
先ほどと少しも変わらない威力の雷が『超金属』を襲う。爆発にも似た閃光に顔を伏せながらも、取り巻きたちの声援が始まる前に魔術を完成させ、完璧に発動させたライカールのスピードに正直驚いた。
「これでどうだ!?」
額の汗を制服の袖で拭ったライカールが残光の先を睨み付ける。しかし、またしても『超金属』は健在だった。単体攻撃では最高威力を誇る『神雷』でもってしても、薄っぺらい灰色の金属の回転を速めるだけの効果しかないのだろうか。
さすがに呆然とする取り巻きたちを掻き分けて、「よし、次は俺の番だ」と前に出たものの、三度目の発動準備に入ったライカールの姿に思わず足が止まってしまった。
「おい、これってヤバイんじゃないか……」
「いや、ライカールさんに限って下手打つなんて……」
すでに応援どころでは無く、動揺してどよめくだけの取り巻きたちの頭を片っ端から殴りつけたい気持ちになりながら、ライカールの動きを目で追った。
「まだだ! たかがこれしき――――」
遠目にもライカールの表情が歪むのが見て取れる。震える右腕に三度宿った雷撃は、弱まるどころか先の二発よりも強烈な輝きを放っていた。第六位魔術を三連続で発動するつもりか!?
「ぐおぉおお! 貫けえっ!!」
今まで俺が見た中でも最大級の『神雷』が金属板を貫いた! 凄まじい閃光と衝撃に俺は思わず耳を押さえ、頭を抱えた。はっ、と我に返ると、教官と院生以外は全員床に膝を突いていた。取り巻きたちに至っては腰を抜かしたように座り込んでいた。
「どけよ、口ばっかの腰抜けが」
文字通りの腰抜け野郎どもを蹴り飛ばしながら、膝を突いて肩で息をしているライカールに歩み寄った。
「くっ……笑いにきたのか」
俺を見上げるライカールが悔しそうに呻いた。俺はそんなライカールを見下ろしながら鼻で笑ってやった。
「ああ、笑えるな。三連発の『神雷』なんて見せられたら笑うしかない」
「……何が言いたい? 君が何を言っているのか、意味が分からない」
怪訝な顔をするライカールに向けて、俺は鋼鉄の腕を差し出した。
「お前の事は嫌いだけど、凄いと思った。ただそんだけ」
ライカールは顔を逸らし、これ見よがしに舌打ちをしてから俺の手を掴んで立ち上がった。そして彼はこちらを見る事も無く「次は君の番だ」と言い放ち、背を向けた。