第150話 俺にだって友だちくらいは
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魔導院病院と魔導学院とは、病理研究棟と薬学科研究室との間に架けられた連絡橋でもって繋がっているのだけど、その橋を行き来するには、学院の生徒と言えども学生証やら何やらかんやらの書類が必要だ。薬学科の生徒であるルルモニから、そう聞いた事がある。だが、んなモンいちいち用意するくらいなら、普通に表から回るほうが手っ取り早い。そう思って、多くの人々が行き交うエントランスを抜けて病院の外へと踏み出してはみたものの、肌を切裂くような冷たい風に全身を弄られ、さっそく後悔する羽目になった。
「くぅう、これは思ってた以上にキツイ」
あまりの寒さに身を縮めながら制服の襟元を掻き合わせてみたが、防寒用には作られていない薄手な制服では何の効果も得られない。
「このうえ風邪なんて引いた日には、また何て言われるか……」
真っ先に頭に思い浮かんだのは、アリスの顔では無くて眉を顰めたリサデルの顔だった。彼女は女子寮の寮長という立場からか、体調の管理には人一倍うるさい。学院の女の子たちからは『お母さん』と陰で渾名されているのを耳にした事がある。だけど、俺にとっては『リサデル母さん』というよりは『リサデル姉さん』なんだよなぁ。
「痛つつ……くそっ、またか」
眼球を裏から突き刺してくるような痛みに、反射的に目頭と鼻の付け根を強く抑えた。
『姉さん』という単語を思い浮かべただけで、目の奥に痛みが走る。俺は何か違う事を考える為にも、さっさと学院に向かう事にした。
「いま、一時くらい、かな」
日没までには戻る、と看護師さんと約束した。空を見上げて太陽の位置を確認したが、冬の日没は早い。魔術科には特に用も無いと思い、騎士科に籍を置くアリスがいるであろう、『総合戦闘訓練所』へ直行する事に決めた。だが、周囲にそそり立つ病棟やら図書館のような背の高い建物に巻かれた北風が容赦なく吹き下してきて、すぐさま心が折れそうになる。
「さむっ……『氷雪の嵐』並みだ」
氷系の最大魔術を思い浮かべつつ、「緊急退避……緊急退避……」と唱えながら学院の正門を潜った。
何日か振りの学院だが、普段より院生の姿が多いくらいで特に変わった点もない。ザワザワと賑やかではあるが、大騒ぎをするようなアホもいないし、バカ笑いも聞こえない。皆、真面目くさった顔を突き合わせては、時折クスクスと笑い合っている。俺はそんな白けた連中を横目に『地下』の入口へと向かった。
一応、学院と訓練所は『地下』へ向かうためのロビーを通じて繋がっているのだけど、外を歩けば五分で足りるのに、ロビーを経由するとその倍は優に掛かる。自分で認めるくらいに面倒臭がりな俺にとっては、すっごい損した気分だ。
「ちょっと、君。少し良いかい?」
モザイクタイルを敷き詰めた底冷えする廊下を足早に歩いていると、院生の制服を着た青年に声を掛けられた。俺は聞こえない振りをして遣り過ごそうと目論見たが、「そこの赤毛の君だよ」と再び呼び止められてしまった。
「道を尋ねたいのだが」
俺は悪いと思いながらも「すいません、急いでいるので」と言い放って、逃げるようにして青年の前から歩み去った。そして、極力目立たないように廊下の端っこを歩きながら、制服のフードを目深に被ることにした。俺の赤毛は遠目にも目立つ。髪を下している今なら尚更だろう。同級生に見つかってアレコレ説明するのも面倒だし、ましてや教官なんかに捕まった日には! ちょっと単位が危うい俺は、強制的に学院祭の手伝いに駆り出されるに違い無い。
「はぁ、やだやだ」
つついい愚痴めいた独り言が漏れる。『学院祭』なんて言っても、学院都市のお祭りとは全然違う。実際は年に一度の定例発表会みたいなもんで、魔術科は確か、錬金術科との合同研究で何か作ってたみたいだな。神聖術科は生徒全員による聖譚祈祷の混声合唱だ、ってリサデルが言ってたし、薬学科は新薬の発表会だとルルモニから聞いた。正直なところ、興味が無い。それに対して訓練所の総合戦闘科の学院祭は、やれ剣術だの武術だのの力比べみたいな競技会に、大喰いだの早食いだのの馬鹿げたコンテストだと聞く。ああ、そうだ。逆ミス・ミスターコンテストもやるんだっけか。まったく……超面白そうじゃないか!
「あれぇ? そこにいるの、シンナバルじゃないかい?」
突然、俺の名を呼んだ男の声に、勝手に肩が跳ね上がった。恐る恐る声のした方に振り向くと、ヒョロリと痩せた身体にモジャモジャ頭を乗せた若者が、俺に向かって嬉しそうに手を振っていた。
「わあ、やっぱりシンナバルだ! どうしたの!? フードなんか被っちゃって!?」
男性にしては高い声を上げて駆け寄って来た年長の同級生、モディアに向かって俺は、「しぃーっ」と人差し指を立てて口元に当てた。
「……デカい声出すなよ。目立つだろ」
そう窘めたのにも関わらずにモディアは、「ねえシンナバル、いつ退院したんだい? 身体の具合はもう良いの? やっぱり顔色が悪いね?」と、大声かつ矢継早に捲し立ててきた。
「退院はまだ先で身体の具合はイマイチで顔色は余計なお世話だっての。あのさあ、大きな声出さないでくれる?」
「ねえ、その髪は一体どうしたの? いつもの三つ編みじゃないんだね? でも君、髪下してると女の子みたいだね? うんうん、かなり良い線いってるよ!」
俺は怒りを込めて、同級生の薄っぺらい腹部にボディブロウを叩き込んだ。モディアは「ぐはうっ」と苦鳴を上げ、身体を折り曲げて悶絶した。
「黙れモジャ。それ以上、口ぃ滑らしたらテメェのモジャモジャ残らず引っこ抜いて、その減らねぇ口ん中にモジャモジャをギュウギュウ詰め込んだるぞ」
「ごっ、ごめんごめん。でも君、化粧とかしないでそんな感じなんだ? 睫毛バサバサだね? 女の子たちから羨ましがられないかい?」
もう一発ぶん殴ってやろうと拳を振り上げると、モディアは一歩飛び退いて、慌てた様子で両手を振った。
「わわわっ、ごめんよ。久々に会えたから興奮しちゃったんだ。怒った? 僕の事、嫌いになった?」
モディアはすっかり意気消沈して、すがるような目を向けてきた。俺はそんな情けない姿に、何と無くセハトの相棒の姿を思い浮かべた。
「怒っちゃいるけど、お前の事は嫌いじゃないよ。じゃあ俺、急ぐからまたな」
モディアはお喋りで空気が読めないけど、悪いヤツでは無い。だけど、こんだけデカい声でベラベラやられては、目立っちまって仕方が無い。
「ちょ、ちょっと待ってよシンナバル。美味しい話があるんだよ。聞いてみない? 聞いてみたくない? 聞きたいよね? よし、聞こうじゃないかい?」
「あのさあ、俺、そういうのには乗らない事にしてんだよ。大概、ロクな話じゃないし」
これは師匠の受け売りだが、そう言って再び歩き始めた俺に、モディアは子供のように纏わりついて話を続ける。
「ちょっと待ってって。本当にこれ、美味しい話なんだよ。単位が一つ、簡単に貰えちゃうんだ。君も単位、危ないだろ? まあ、僕の方が危ないんだけども」
「……詳しく」
ちょっと興味を惹かれて歩調を緩めると、モディアは待ってました、と言わんばかりに隣に並びかけ、説明し始めた。
「君、魔術科の出し物の内容、知ってるかい?」
「魔術科と錬金術科の合同研究、って話しか知らない」
「だよねえ。僕と君だけだもんね。研究に参加させて貰えなかったの」
「お前と一緒にすんなって。俺は『地下』に潜るのが優先で、講義に出る余裕が無いんだ」
魔術科の単位は、実技系と座学系に分けて取得する事になっている。座学が苦手、と言うか座って勉強するのが嫌いな俺は、『地下』に潜りまくっては戦闘用魔術の腕を磨き、留年しない程度に単位を維持している。ただそれも、お釣りが無くなってきているのは確かだ。
「はははっ、僕とは真逆だよね。僕は『地下』なんて怖くて怖くて。とてもじゃないけど潜れないよ」
モディアはド田舎貧乏農家の出身ながら、『知恵』のステータス数値の高さに目を付けられ、スカウトを受けて魔導学院にやってきたそうだ。
「魔術の講義は好きだけど、実技となると、ちょっとね」
将来は田舎に戻って、身に着けた魔術知識を農業に活かしたいと考えている。以前、そう熱く語ったモディアの志に感心したのだが、彼は第二位魔術までしかマスターしていない。モディアは典型的な研究者タイプの魔術師なんだ。
「んで? 単位が貰える、って話は?」
「うん。今回の学院祭の合同研究はね、魔術科と錬金術科の共同チームが古文書を元に再現に成功した超金属を、どんな手段を用いても良いから破壊せよ、って検証実験なんだ」
「ふーん。それは、ちょっと面白そうだな。どんな手段を用いても、ってのが良いな」
「うん。でもね、今朝から総合戦闘科の人たちも含めて、腕に覚えのある人たちが挑戦しているんだけど、掠り傷ひとつ付かないんだ」
「それはまた、どんな金属だ?」
「平たい板状の金属で、単独浮遊する性質をもち、常に縦方向にゆっくりと回転している」
「なんだ、それ?」
俺は、空飛ぶ鉄板がクルクルと回転して迫ってくる、そんなシュールな画を思い浮かべた。
「伝承では、二百五十六回ほど打撃を与えれば破壊出来る、と伝えられているんだけど、どうやらデマだったみたいだね」
「試したヤツがいるのかよ」
「本当は六万五千五百三十六回らしいんだ」
「ぜってー嘘だろ、それ。どうやって六万回以上もブン殴るんだよ?」
「ははは、あくまで伝承だからね。でも、六英雄の筆頭『銀髪の剣士』だけが、破壊に成功したと伝えられているんだよ」
「そんなに古い話なのか。で、それがどう単位に繋がるんだ?」
「それがね、超金属の破壊に挑戦するだけで実技系の単位が貰えるんだ。それにね、レポートも書いて提出すれば座学系の単位も貰える、って話。ね、美味しい話じゃないかい?」
「ふーん。参加するだけで良い、ってのは、確かに美味しいかもな」
そう言いつつ、『錬金仕掛けの腕』に施された炎の紋章に目をやった。地下七階に挑む前には、ちょうど良い腕試しかも。病み上がりの俺の魔力がどこまで回復しているかを、『地下』に潜ること無くテストするには良い機会か。
「それで、モディアはもうチャレンジしたの? その、超金属破壊」
俺の質問に、モディアはモジャった頭を横に振った。
「いや……なんか、実技はちょっと自信が無いから」
自信無さ気に目を伏せるモディアの姿を見ていたら、ふとクラスメイトの連中の顔が浮かんだ。大した実力も無い癖に、他人を小馬鹿にしてくるあの嫌味なヤツら。
「自分から笑われに行くのも何か、ね」
そう、座学ではトップレベルの成績を取るのに実技がからっきしなモディアと、座学は壊滅的成績な上に氷系魔術が一つも使えない俺の二人は、魔術科の落ちこぼれツートップだ。
「うしっ! 分かった!」
俺は鋼鉄の腕を握りしめ、モディアに向かって突きつけた。
「俺がその超金属とやらを焼き尽してやる。そんで、お前がそれ見て超カッコいいレポート書け」
「シンナバル……」
モディアは気の弱い犬みたいな顔をして、俺の顔を見た。
「ほれ」
顎をしゃくって促すと、モディアはおずおずと握り拳を持ち上げて、俺の鋼鉄の拳にぶつけてきた。
「よし、行こうぜ。単位貰いに」
俺がそう言って笑ってみせると、ようやくモディアは泣き笑いみたいな顔を見せてくれた。