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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第八章 天の高み 地の深み
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第147話 愛したのは彼女の幻だったんだ

 



 研究室の勝手を知ってか、リサデルは迷う素振りを少しも見せずに走り去っていく。


「リサデル! 待ってくれ!」


 本棚と本棚の間を縫うように走るリサデルとの距離はなかなか縮まらない。彼女の後姿を見失わないようにするどころか、掃除中のメイドたちと激突しないように走るのだけで精一杯だ。


「話をしたいんだ! 頼む!」


 このままリサデルに逃げられてしまったら、もう二度と彼女と話す機会は失われてしまうかもしれない。そうしたら、ルルティアが作ってくれた折角の機会(チャンス)がふいになってしまう。


 ……チャンス? いったい何のチャンスなんだ? 


 俺はリサデルと会って、何の話をすりゃ良いんだ? だが今は、婆ちゃんを頼る気にはなれない。自分で考えて、自分で決めるしかない。

 色んな意味で迷いながら本棚の迷路を駆け抜けたが、いくつめかの角を曲がった途端にリサデルの姿を見失ってしまった。


「――――っ! どっちだ!?」


 立ち止まって辺りを見渡すと、目前に(そび)える本棚の向こうに男女の言い争う声が聞こえてきた。回り込んでいる余裕は無い。エフェメラに知れたらブチ殺されるな、と思いながら本棚に足を掛けてよじ登った。

 

「ふざけないで下さい! 私は急いでいるんです!」

「ふざけてなんていませんよ、お嬢さん。ご覧の通り、こちらも困っているんです」


 背の高い本棚を登り切ると、昇降機の前で押し問答している男女の姿が見えた。あれは……リサデルと、何故かアイザック博士だ。

 飛び降りるには少々勇気が必要な高さに躊躇(ちゅうちょ)していると、俺の姿に気が付いたディミータがぴょんぴょんと飛び跳ねながら両手を振り回していた。その姿に張りつめていた糸が緩んで、ようやく落ち着いて本棚から飛び降りることができた。


「どしたの、それ? ルルティアにやられた?」


 昇降機に向かう俺に、ディミータが妙な顔をして駆け寄ってきた。俺が「はい?」と訊き返すと、ディミータは小首を傾げてから「まァ、そんなコトどうでもいいか」と言った。


「急いで。ドクが気ィ効かせてリサデル止めてるから」

「博士が? リサデルを? 何でまた?」

「若い二人に嫌がらせだってさ。いいから、ほれほれ」


 ディミータに尻を叩かれ、未だに二人が言い争いを繰り広げている昇降機の前に滑り込んだ。すると、俺の顔を見たリサデルは眉を(しか)めて溜め息を吐き、アイザック博士は昇降機の扉に張りつくような姿勢で俺に手を振ってきた。見ればスライド式の扉にジャケットが巻き込まれてしまっているようだ。


「やあ、カース君。どうしたの? その顔?」


 俺が声を掛けるより先に、博士の方から妙な事を訊いてきた。アイザック博士といい、ディミータといい、一体なんだろう?


「はい? 俺の顔が何か?」

「いやあ、別に何も。今日も男前だね、って思ってね」

「今日も、って、さっき会ったばかりじゃないですか」

「ははは、そうだったね。ま、そんな事は些事だよ、些事。さて」


 博士は、よいしょっ、と昇降機の扉に挟まれていた上着の裾を引き抜いて、ひらひらさせて見せつけてきた。


「いやぁ良かった、抜けた抜けた。ああ、これは失礼した」


 (うやうや)しい仕草でアイザック博士が昇降機のボタンを押すと、閉じかけていたスライド式の扉が再び開いた。


「さあさあ、お待たせしました。どうぞお乗り下さい」


 胸に手を当てて腰を折るアイザック博士を見て、リサデルが、ふいっと背を向けた。


「私、乗りません。ルルティアのところに戻ります」


 そのままツカツカと歩み去ろうとするリサデルの前にディミータが割り込んだ。小柄なリサデルと長身のディミータでは大人と子供ほどの身長差がある。


「……何か用ですか。ディミータさん」

「んもぅ、素直じゃないわねリサデルちゃん」


 毅然とした表情でディミータを見上げるリサデル。

 面白げな表情でリサデルを見下ろすディミータ。


「どいて下さい。私、行きます」

「あら。仮にも元カレが追って来てくれたのに、そんな態度はないんじゃなぁい?」


 体格に勝るディミータが、リサデルの身体を突き飛ばした。バランスを崩してよろけたリサデルが、怒りの表情でディミータを睨み付けた。


「ちょっと! 何をするんですか!」

「はははーい、リサデル様ごあんなーい」

「ひゃあっ! 止めて、止めて下さい!」


 ディミータの執拗かつ強烈な張り手でもって、リサデルは抵抗を許されずに昇降機の中に押し込まれてしまった。


「ほら、君も乗りたまえよ」


 アイザック博士は、口元だけをニヤつかせながら俺の背中を押してきた。


「博士……あの、どうかルルティアを宜しくお願いします」

「ふふん、言われるまでも無い。ああそうだ、色男なキミに一つ教えを授けておこうかな」

「教え、ですか?」

「ああ、大事な事だから心して聞きたまえよ」


 昇降機の籠に乗り込んだ俺に向かって、博士は表情を歪ませた。


「優柔不断な男はね、そうやって周りの女性を不幸にするんだよ」


 博士が言い終わるのと同じタイミングで、昇降機の扉が閉まった。






 昇降機は僅かな作動音を響かせながら下降を続けていた。

 確か、昇りはゆっくりだ、みたいことを博士は言っていたな。だとすると下りは早いのだろうか。だけど、焦る必要なんて無い。俺がリサデルに伝えたいことは、それほど多くは無いんだ。


「あの……久しぶりだな。リサデル」


 久々に間近に見るリサデルの姿を、出来る限り目に焼き付けておこうと思った。

 背丈はあんまり変わっていないな。髪型も髪の長さも変わっていない。俺の好みを覚えてくれていた、なんて考えた俺は馬鹿なんだろうか。


「そうね。こうして昇降機に一緒に乗るのも久しぶりね」

「ああ、そうだよな。二人で泊まりに行ったとき以来だよな」


 良かった。背を向けたままだが、話してくれない、って雰囲気でも無さそうだ。


「帰りは一人で乗りましたけど」

「うっ。あの、あれは……」


 前言撤回だ。機嫌が悪い時の声のトーンも変わっていない。

 背を向けていたリサデルが、鋭い視線を投げかけつつ俺に向き直った。その瞳の青は、あの頃よりも深みを増したような気がするのは、俺の思い過ごしだろうか。


「どうして今頃になって会いに来たのよ」

「……色々あったんだ。悪かった、連絡もしないで」

「別に良いの。私、怒ってないから」

「そ、そうか。良かった、ホント」

「ええ、貴方は死んだと思って過ごして来たから」

「そ、そうなんだ。あはは……」


 俺を見る瞳の温度が、どんどん蒼く冷たくなっていく気がする。


「貴方は変わっていないわね」

「そ、そうか? 俺も少しは大人になって……」

「馬鹿じゃないの。何で顔じゅう血まみれにしてるのよ」

「え? あ、ウソ?」


 手鏡なんて洒落た物を持ち歩いているはずも無い。顔に人差し指を滑らせてみると、汗とは違うベタリとした感触が指先に残った。


「そっか、忘れてたな」


 額に手を当てると、傷の痛みと共に扉越しに聞こえた悲しげな嗚咽が耳に蘇ってきた。


「見せて。何をどうしたらこうなるの」


 言われるままに屈み込むと、リサデルの手が俺の額に掛った前髪に触れた。彼女は傷む額の傷を診てくれているようだが、俺の目はリサデルの右腕に釘付けになった。彼女の細っこい手首には、ターコイズを嵌め込んだ銀のバングルが飾られていた。それは見間違える事も無く、俺のバングルと同じ物だ。


「地下に潜っていた頃さ、良くこうやって治療してもらったな」


 ルルティアの事を思うと「それ、どうしたんだ」なんて訊く気にはなれず、俺は思い出話を振った。


「お前に治療してもらいたくて、結構ムチャしたんだよ。若かったな、俺。へへっ……」


 返事の代わりにリサデルは、俺の額に手を当てて祈りの歌を口にした。

 その歌声を聞いただけで胸の奥から懐かしさとも切なさとも、様々な想いが混ざり合った感情が湧き上がってきた。


「リサデル……」


 名を呼ぶ俺には答えずに最後まで歌いきったリサデルは、懐からハンカチを取り出した。そして、彼女はそれで自分の涙を拭くのではなく、血に汚れた俺の顔をそっと拭ってくれた。その優しく丁寧な手つきに俺は、淡い期待を抱いた。

 

 ――――なあ、リサデル。また昔みたいに俺と……

 やめよう。また俺は、自分がクソ野郎なんだと再認識することになる。


「ルルティアをそっとしてあげて。これ以上、あの子を苦しめないで」


 涙声で懇願するリサデルと向き合う勇気が無い。言い訳も、弁解する資格も無い。

 俺はきつく目を閉じた。そうでもしないと男のプライドを失いそうだ。


「私、もうあの頃のリサデルじゃない。貴方の愛してくれた私は、もうどこにもいないの」


 心を押し潰すようなリサデルの泣き声が、ルルティアの嗚咽と重なって聞こえた。


「私、貴方を本当に、本当の本当に愛してた。だから――――」


 懐かしくて優しい柔らかさが、俺の口を塞いだ。


 当たり前のように彼女がくれた優しさを、いつから忘れてしまっていたのだろう。

 何よりも大切にしていたはずなのに、どうして自分から手放してしまったのだろう。

 きっと、呪物を狩る日常に溺れた俺は、彼女の愛すらもどこかに置き去りにしてしまったのだろう。


「これでやっと、本当のさよならができるね」


 最悪のタイミングで扉が開く音が聞こえ、足音が遠ざかっていく。

 ゆっくりと目を開けると、そこにはもうリサデルの姿はなかった。

 会いたくて会いたくて何年も焦がれてたってのに、一緒にいれた時間は数分ぽっちか。自嘲気味に笑い、昇降機の籠から出た。

 がらん、とした魔導塔のロビーを見渡すと数人の院生らしき制服姿が目に入ったが、リサデルを追いかける気にはならなかった。


「さよなら、リサデル」


 小さく呟いてみた。そうだ、彼女は答えをくれたんだ。

 臆病な俺では口にする事が出来なかった、その答えを。


 ルルティアの研究室とは違い、外に出るのに迷うことは無かった。例の自動で開くガラス戸を抜けると、首筋にヒヤリとする物が当たった。


「……雪か」


 今年最初の雪に曇天を見上げてみる。

 降りしきる粉雪は、誰かが魔導塔から降らしているんじゃないだろうか。

 そんなことを考えながら俺は、空を見上げたまま立ち尽くした。

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