第146話 きみのくれた温もりを このてのひらにずっと
若木のように嫋やかな手足とか細い身体。
ツインテールに結った艶々とした長い髪。
血の気の薄い、透き通るような白い肌。
陶器人形のように整った小さな顔。
そして、光の無い琺瑯質の瞳。
少女は、触れたら壊れてしまいそうな儚さと、濃厚な呪いの気配を全身に纏わりつかせていた。
「……君も人形なのか?」
俺の言葉に驚いたように肩を窄め、当惑した顔で立ち尽くしていたのは、全身に未熟さを残した「あの頃のルルティア」に間違いない。だが、その身を取り巻く呪いはなんだ? その華奢な身体のどこに呪物を隠し持っている?
「どう? 貴方の為に作ったのよ。気に入ってくれた?」
「お前……この子は何だ? 一体何なんだ!?」
「気に入るはずよね。だって、貴方と初めて会った頃の私を再現したんだもの。そっくりでしょう?」
するすると衣ずれの音をさせてルルティアが立ち上がった。
絶句する俺の前でルルティアは少女人形の傍らに立ち、己の姿に似せた人形の頭を掻き抱いた。
「私がリサデルに勝つには、これしか思いつかなかったの。ねえ、この子を貴方のエレクトラみたいに可愛がってあげて」
「どうしたんだよ、ルルティア!? お前、こんな馬鹿な真似をするような女じゃないだろ!!」
「ここまで完成度を上げるのには苦労したのよ。大キライだった昔の自分を、細部に至るまで思い出すのは本当に嫌な作業だったわ」
艶やかな大輪の華のような美女と、綻びを見せない固い蕾のような少女。抱き合う美しい女たちの倒錯的な妖しさに、俺は得体の知れない恐怖を感じた。
「この子にもエレクトラみたいに素敵な名前を付けてあげて。ずっと傍に置いてあげて」
「な、なに言ってんだよ」
「この子は年も取らないし、貴方のどんな要望にも応えるように作ってあるわ。貴方が私にしてくれなかった事、いっぱいしてあげて。たくさん愛してあげて」
「ルルティア……お前、狂ってるよ」
俺の言葉にルルティアは妖艶な笑みを浮かべた。それに釣られたかのように、少女人形もまた、ぎこちない微笑を向けてきた。同じ顔をして笑う彼女たちから漂う、死呪の気配に全身が総毛立つ。
「狂っている? そうね、狂っているのかもね。でもね、この子は私の愛の結晶よ。いま、貴方が手にしている、その『呪いの結晶』と同じようにね」
いま、俺が、手にして? 俺は言われて右手を見た。そこには、いつの間に取り出したのか「鋼玉石の剣」が握られていた。彼女たちにはどう見えているのだろう、鋼玉石の剣に巣食う漆黒の蛇は、すでに俺の肘まで巻き付いていた。
「呪いの結晶だと? お前、コランダムについて何か知っているんだな」
「ええ。貴方の事は全て調べたって、さっき言ったでしょう? オリンピアン・シリーズには、『それ』と同じ物が搭載されているわ」
「ルルティア、何を言っているんだ? お前が何を言っているのか、俺にはさっぱり分からない。頼む、俺にも分かる様に言ってくれ」
「……おばあ様から何も聞かされていなかったのね」
ルルティアは少女から離れ、俺の身体にそっと寄り添ってきた。俺の頬に回された手は、彼女の暖かな胸とは違い、ぞっとするほどに冷たかった。
「お、俺の婆ちゃんの何を知っているんだ」
「知らなかったの? それとも自分から目を閉じたの? 自分から耳を塞いだの?」
「なっ、何を言ってるんだよ? い、い、意味分かんねえよ。お前が何を言っているのか、俺には分かんねえよ!!」
「全てがこうなるように仕組んだ人が誰なのか、まだ分からないつもりでいるの?」
「嘘だ……そんな、そんなの、ううっ、嘘だ!!」
積み上げてきた大切な物が、がらがらと音を立てて崩れていくような感覚。膝が落ちそうになった俺の身体をルルティアが抱き支えてくれた。
「言ったじゃない。貴方と私は似た者同士って。私たちは親から見放されて、一人ぼっちで泣いてる子供と同じなのよ」
「おっ、俺の、婆ちゃん、が、なっ、なにを、して、た……」
「いずれ貴方の元に長老会議の使者が現れるわ。彼が最後の仕上げを施したあとに、私も知らない真実を貴方に届けてくれる」
「少しで良いんだ。お前の知っていることを教えてくれ。ルルティア、お願いだ。お願いだよ」
「負けないで。仕組まれた運命なんかに負けないで」
暖かな胸に抱かれながら、このまま沈んでいけたらどんなに楽だろうか。
どうして俺は、ルルティアを選ばなかったのだろう。
彼女はこんなにも暖かくて、俺だけを愛してくれていたのに。
「可哀そうな人。私が……私だけが貴方を救ってあげられると思っていた。でもね、私にはもう、貴方を支えてあげられるだけの時間が無いの」
ルルティアは俺の両頬に手を添えて上向かせた。眼鏡越しの青灰色の瞳は、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「大スキよ。愛しているわ。私の……銀髪のソードマスター様」
柔らかな唇からは甘い花の香りと、鉄のような血の味がした。
どれくらいそうしていたのか分からない。頭の芯が痺れたようになってきて、これこそが俺の求めていた安らぎなんじゃないか、彼女こそが俺の抱えた罪も罰も受け入れてくれる存在なんじゃないかと、心のどこかが叫んでいた。
「もう。また扉、開けっ放しじゃない」
どこか懐かしい声が、すぐ間近に聞こえる。
「ねえ、ルルティア。中にいるの?」
夕焼けに染まる秋空。
屋上の床に伸びる長い影。
魂を揺さぶる天使の歌声。
「ルルモニから薬を預かって……き、た」
カシャン、とグラスの砕ける音に振り返ると、そこには院生の制服を着た女性が、俺たちを見て立ち竦んでいた。
「リサデル……」
その名を呟くだけで精一杯だった。それ以上の言葉は、喉が痞えたように後が続かない。
一つも身動ぎしないリサデルの口だけが、死にかけた魚みたいに動いていた。そして彼女は、ぶるっと身体を震わせたかと思うと、一言も漏らさずに背を向けて駆け出していった。あの夏の日と同じように。
「追いかけて」
顔を伏せたまま、ルルティアが言った。深く俯いた彼女の表情は、俺には読み取れなかった。
「早く追いかけて、リサデルと話をしてきて」
「ルルティア……お前……」
「私が泣いちゃう前に行ってよ。早く!!」
突き飛ばされるようにして押し出され、俺はルルティアの部屋から転がり出た。振り向いた先に見えたのはルルティアの泣き顔だったのか、それとも無表情な人形の顔だったのか、閉ざされた扉の向こうは、もう覗き見ることすら適わなかった。
「ルルティア! ルルティア!!」
扉を叩いて呼びかけてみたが返事は無い。
「畜生っ! どうしたら良いんだよ、俺は! 婆ちゃ……くそうっ、くそおぉっ!!」
心の拠り所さえ信じられなくなっちまった俺は、これから誰を頼れば良いんだ? 誰に答えを求めれば良いんだ!?
パニックになりかけた俺は、それこそ狂ったように扉を叩きまくった。
助けてくれよ、ルルティア。いつもみたいに歯切れのいい答えを、俺に救いを。
「ルルティア、聞いてくれ! 俺は――――」
――――先にお前と出会っていれば、俺は
「俺は……俺は最低のクソ野郎だ。ごめんな、お前の気持ちを散々踏みにじって」
クソみたいに卑劣な事を考えた自分が許せなくなって、思いっきり額を扉に向かって打ち付けた。切れて血が流れ出すほどに額を何度も叩きつけていると、扉の向こうから女の押し殺した嗚咽が聞こえてきた。それを耳にして、俺はようやく頭を打ち付けるのを止めた。
「……そうか、やっと分かったよ。そうすることが、お前の愛なんだな」
じゃあ、俺もそうするよ。
これで本当のさよならだ、ルルティア。
俺なんかを好きになってくれて、ありがとう。
掌に残る、彼女がくれた温もりを握り締めて俺は駆け出した。