第144話 琺瑯質の瞳の乙女たち
「お帰りなさいませ。ご主人さま」
俺の疑念を他所にメイド少女たちは頭を寄せ合うようにして首を傾げ、同じ顔をして微笑んだ。しかも、俺に向かって。
「ごっ、ご主人さま? 誰が?」
自分の顔とアイザック博士を交互に指差してみたが、博士は「私じゃないよ」と、困惑気味に肩を竦めてみせた。
「もしかしてだけど、俺がご主人さま……なのか?」
思わず助けを求めるような気持ちになってディミータに訊いてみた。
「良かったじゃない、カース。長年の夢が叶って」
「ちょっ、ディミータさん! あんた、なに言ってんの!?」
男なら誰もがニヤけてしまうであろう愛らしい容姿をしたメイド服の二人組は、赤毛と茶色の毛髪以外はまるで双子のように良く似ている。さりげに彼女たちの全身を観察してみたが、これと言って呪物らしき物を身に付けているようには見えなかった。
「博士とディミータ様は、どうぞこちらへ。お茶の準備が整っております」
茶髪のメイドが差し伸ばした手の先には、エフェメラ堂のそれとは比較にならない程の巨大な本棚が点在していた。その合間に出来た空間に洒落たティーテーブルと、その天板の上にはこれまた小洒落たティーセットが用意されている。
「あのう、俺は?」
声を掛けてもらえず、どうしたものかと立ち尽くした俺の肩を、アイザック博士がぽんぽん叩いた。
「それじゃあ、私はディミータ君と向こうでお茶してるから」
「え、あの?」
「キミは、あっちじゃないのかね?」
博士が指差した方を見ると、赤毛のメイドが「ご主人さまは、こちらへ」と、天使の微笑を浮かべて言った。その微笑みに思わず心を奪われかけた俺がいたが、少女の整いすぎた顔立ちが記憶の片隅を刺激する。
「彼女たちがルルティア君の最新作、『琺瑯質の瞳の乙女たち』・シリーズだよ」
記憶に刺さった棘を探る俺に、博士は教え子を紹介するかのような気軽さで言った。思いも寄らなかったその台詞に、緩んだ顔も心も引き締まった。
「この子たちが人形だって? まさか……」
「ああ、もはや人間と区別が付かないよね。実に素晴らしい完成度だ」
微笑みを湛えたままに佇む少女二人は、確かに前にウチにいた人型錬金掃除機と良く似た雰囲気をまとっている。だが、余りにも自然な立ち振る舞いは、とてもじゃないが錬金人形には見えない。
「彼女たちは、平時には実に有能な家政婦として働くが、ひとたび戦闘にもなればマスターレベルの闘士を凌駕するほどの格闘能力を発揮するんだ」
しれっと、とんでもない事を口走った博士に釣られて、俺は赤毛と茶髪のメイドを交互に見比べた。
「なんせオリンピアン・シリーズは、ネイトの戦闘データを元に調整されているからね」
「なんだって錬金人形にそんな能力を……」
「さあね。キミが直接訊きなよ、ルルティア君に。ああ、そうだ。ルルティア君と言えば、忘れないウチにさっきの話に戻るけど錬金妖精はね」
アイザック博士は色付き眼鏡のブリッジを、中指で押し上げた。
「オリンピアン・シリーズの中枢回路に組み込まれているんだ」
博士の何気ないその仕草は、奇妙なくらいにルルティアと良く似ていた。
*
側頭の両端に結ばれた、いわゆるツインテールに結われた赤毛が、少女の歩みに合わせて揺れている。俺はそれを眺めつつ少女の後ろに付いた。聞きたいことは山ほどある。だが、この少女が人形だと聞かされた以上、俺の方から話しかけるのは、どうにも気が引けた。
静々と歩く人形の後ろに付いて歩きながら、ルルティアの研究室を見渡してみた。
「……広いな」
感想がそのまま口を衝いて出るほど、広い。このブチ抜きのワンフロアが、丸ごとルルティアの研究室なのだろうか?
広大とも言えるフロアには仕切りらしい仕切りも無く、その代わりに背の高い本棚がパーテーションの役目を担っていた。ただし、その配置は凡人には想像も付かないような法則で成り立っているのか、先日にネイトと遊びに行った遊園地の立体迷路にでも迷い込んだ気分になった。
「申し訳ございません。御足労をお掛けします」
「ああ、いや。そんなつもりで言ったんじゃないんだ」
心底申し訳ない気持ちでいっぱいの表情で振り返ったメイドに向けて、俺は全力で両手を振り「君が悪いんじゃないよ」アピールをした。
「お気遣い、ありがとうございます」
肩を小さくして微笑む少女の姿に、ぞくっとする程の小聡明さを感じたが、正直こういうのは嫌いじゃない。
つい照れくさくなって頬を掻いていると、背後から「失礼いたしまぁす」と声を掛けられた。振りかえると、これまた良い感じの金髪ポニテな美少女メイドが、前が見えなくなるくらいに重ね上げた本を抱え込むようにして運んでいるところだった。
「ああ、ごめん」
道を譲るために脇に避けると、ポニテ娘は「よいしょ、よいしょ」と俺の前を通り過ぎ、そして何も無い場所で躓いて盛大にコケた。痛たた……と呟いた少女は、白い太腿が露わになるくらいにまで捲れ上がったスカートに気付いて慌てて裾を直した。
「はううぅ……失礼しましたあっ!」
ポニテメイドは散らばった本を掻き集めて、一礼してから逃げるように走り去った。
……自分の気持ちに正直になろう。ディミータのツッコミも強ち的外れでは無い。俺はこういうの嫌いじゃない。
「御目汚しを。後できつく叱っておきます」
赤毛のメイドが、謝罪の言葉と共に深々と腰を折った。
「いや、良いんだよ。あんだけ荷物を抱えてたら誰だってスッ転ぶさ」
「いいえ、御主人さま。あの子はそういう風に作られているのです」
「そういう風に作られている?」
「はい。そして私も、失敗した妹たちを叱るように設定されています」
設定だって……? 何を考えているんだ、ルルティアの奴。
「ところでさ……その『御主人さま』は止めてくれないかな。ちょっと恥ずかしい」
「そうは参りません、御主人さま。それはマスターの命令なのです」
「マスター? マスターってのは、ルルティアの事か?」
「はい。私たちを作ってくれたルルティア様の命令です。そして、その腕輪を身に着けている御方が、私たちの御主人さまなのです」
「これが……」
もう、身体に馴染みすぎて重みすら感じなくなってしまったバングルを目線の高さに掲げてみたが、銀の輝きとターコイズの青は、あの頃から何ひとつとして変わらずにそこに在った。
――――これは遠隔操作機器。魔陽灯に使われている魔陽石を中継点に利用して命令が出せるの
ルルティアの余りにも軽いその身体を抱えた上げた感触は、まだこの腕が覚えている。
あの頃にはこの錬金人形たちを、「琺瑯質の瞳の乙女たち」を作り上げるつもりだったのか。いったい何の為に?
――――まだ教えない。でも、貴方もきっと気に入ってくれる
記憶の底を漁っていると、「マスターは、あそこで御待ちです」と、メイドは行先に手を伸ばした。すっと伸ばした少女の指先に目をやると、そこにはそっくり外から運び込んできたかのような、木材で組まれた小屋が建っていた。
「建物の中に建物かよ。ホント、何を考えてんのか分からんヤツだな」
俺のボヤきに赤毛のメイドは答えなかった。聞こえなかったのか、それとも関係の無い話には反応しないように「設定」されているのだろうか。
再び静かに歩き始めた人形の後を、俺は黙って付いていった。その間にも本棚の狭間に出来た通路の先に、箒を片手に掃除に勤しんだり、背伸びして本棚を整理している少女たちを見かけた。
一心不乱に床を磨いている子がいると思えば、おしゃべりに夢中で手が止まっている少女たちもいる。あの全員が錬金人形なのか? 俺の目にはルックス重視で選りすぐったメイド天国にしか見えない。だが――――
鋼玉石の剣は、目に入った全ての少女人形に反応を示した。あの女の子たちの全員が全員、揃って呪物を身に着けているとでもいうのか。
「御足労いただき、ありがとうございました」
鋼玉石の剣に気を取られている間に、俺たち二人はメイド図書館のような周りの景色に全く馴染んでいない小屋の前に到着した。
「近くで見ると、案外デカいね」
建物の中に建物、という奇妙な状況に置かれているせいか、それとも俺自身が大きな本棚に囲まれていたせいか、いま目の前にしているその小屋は遠目で見るよりもかなり立派な建物だった。多分、俺の店のワンフロアと同じくらいの面積はあるんじゃなかろうか?
俺が小屋の全体を眺めていると、メイドは高級ホテルのドアマンのように扉を開けて「どうぞ、お入り下さい」と、部屋の中に入るように促した。
「えっと、失礼しまーす」
ノックも無しに良いのかな、と思いながらルルティアの部屋に足を踏み入れると、背後で扉が閉まった。キュイ、と音を立てて閉まった扉に既知感を感じたのも束の間、俺は目に入った光景の全てに度肝を抜かれてしまった。
「なんだ、これ?」
学生の頃から愛読している「学院都市ウォーカー」から「月刊・武器の友」まで並んだ本棚に、愛用のマグカップが乗ったサイドテーブル。
「何でここに俺の部屋が?」
部屋の雰囲気だけじゃない、暖炉に燃える薪の匂いに至るまで、そこは完璧に俺の部屋だった。陽が差し込むベッドに腰掛け、窓の外を眺めている女だけが俺の部屋には普段は無い、唯一の例外だ。一昨日に交換したばかりのシーツの柄だって、見間違えようも無い。
どういう事なんだ? 知らない間に第七位魔術「空間転移」で俺ン家まで転送されたとでも言うのか?
「お久しぶりね。会いたかったわ」
俺がいたことに漸く気が付いたように振り向いたルルティアが、悪戯っぽく微笑かけてきた。
「……ああ、久しぶりだ」
そこだけ光が届いていないような真っ黒なワンピースを纏ったルルティアの姿は、やっぱりというか以前にも増してというか、当たり前のように美しかった。さっきまで目にしていた可愛らしいメイドたちなんて比較にもならないくらいに。