第143話 博士は錬金仕掛けの夢をみるか
俺は、博士に向かって今にも斬りかからんばかりのディミータの前に割り込み、彼女の両肩に手を置いた。
「落ち着いて、ディミータさん。ここは博士の話を聞こう」
怒りに燃えるディミータの瞳を覗き込んで、諭す様にして言い聞かせた。
「どけよ、カース! 私は――――」
「知らなくちゃいけないんだろ。妹さんの為にも」
ウチの愛猫を撫でるようにしてディミータの肩を摩ると、すとん、と彼女の肩が落ちた。何か言いたげな顔をしたディミータを手で制すると、彼女は「分かった」と呟き、背を向けて項垂れた。
「キミら、いつの間にそんなに仲良くなったんだい?」
俺たちを眺めていたアイザック博士が意外そうな顔をして訊いてきた。それは皮肉や冗談の類では無く、純粋な興味なのだろう。
「博士、あなたは長老会議の一員ですか?」
博士の質問には答えず、俺は質問でもって返事をした。この手の学者タイプには、考える時間を与えないに限る。これこそ婆ちゃん譲りの対人スキルだ。
「博士は俺に用があるんですよね。なら、まずは俺の質問にも答えて下さい」
すると、博士は一瞬だけ考えるような素振りを見せたが、直ぐに「良いだろう」と答えた。
「私は長老会議側の人間ではあるが、メンバーでは無いよ。実に残念だけど」
「長老会議ってのは何者で、何が目的の組織なんですか?」
「悪いけど、それには答えられないな。と、言うか、私は長老会議について語れるほどの情報を持ち得ていない」
「……博士は長老会議の指示を受けて行動しているんじゃないんですか?」
「そうだよ。君に関わるアクションの全ては長老会議の意向さ。でも私は、彼らに会った事も無ければ声を聞いた事すら無い」
「どういう事ですか?」
「まんまの意味だよ。私は長老会議の事を殆ど知らないんだ」
「知りもしないのに長老会議に従っているんですか。『錬金仕掛けの騎士団』の司令ともあろうアイザック博士が?」
軽く挑発を絡めてみたが、博士はニヤリと返してきた。色付きレンズに阻まれて、博士の感情は読み取れない。
「じゃあ、カース君。逆に訊くけど、君はどうして学院都市に税金を納めているんだい?」
「そりゃあ、期日内に税金納めないと営業許可の取り消し喰らうし、最悪、店を差し押さえられてしまいます」
……予想はしていたが、反撃を仕掛けてきやがった。やっぱり一筋縄ではいかないな。
「ふむ。それだけかな?」
「納めた税金で消防隊とか風紀委員会が活動しているんだし……って、それが長老会議と何か関係でもあるんですか?」
「私が何を言いたいのか理解出来ないかね? キミが納税というシステムに対し、何の疑問も抱かず無自覚に従っているように、我々魔導塔の教授会も長老会議というシステムに従っているんだよ。まあ、私は意識的に従っているんだけどね」
「長老会議から、何か見返りでもあるんですか」
「そうだね。キミらが税金を納めると行政サービスを享受できるように、我々も長老会議に従っていれば素敵なご褒美がいただけるんだ」
「ご褒美、ですか?」
……ご褒美だって? 金か? 権力か? それとも女? バカな。この博士がそんな世俗的なモノを欲しがるとも思えない。
俺の質問にアイザック博士は身を屈め、顔を近づけて小声で囁いてきた。
「知識さ。アイディアとも言うかな」
「アイディア? アイディアって、ただそれだけですか?」
「おやおや、カース君。それが研究者にとって、どんな財宝よりも価値がある物だとは理解出来ないかね」
何を言いたいのか掴み切れずにいると、アイザック博士は姿勢を戻し、大げさに肩を竦めてみせた。
「まあ、仕方ない。門外漢のキミにも分かりやすく説明しよう。私が研究に行き詰って暫くするとね、長老会議から指令が届くんだ。それをこなすと研究に関わるアイディアが下りてくる」
「アイディア……答えでは無く?」
「不思議と正解はくれないんだけど、そこが心憎いところでね。答えに辿りついた時の快感を損なわない程度に、絶妙にはぐらかしたアイディアなのさ。この間なんか推理小説が届いてね。試しに読んでみたんだけど、そうしたら犯人が仕掛けたトリックで閃いたんだ。研究上の疑問が解消された上に犯人まで判っちゃって、もうスッキリだ」
「……クイズのヒントみたいなものですか?」
「そう解釈していただくのも強ち間違いでは無い。少々低俗に過ぎるが」
博士は天井に埋め込まれた魔陽灯を見上げながら、疎らに無精ヒゲの生えた顎をポリポリと掻いた。
「それこそ何年前になるか……魔陽石の精錬法に悩んでいた時の頃だったな。長老会議から『とある女子中学生を保護せよ』との指令を受けた。なんだい、そりゃ? とも思ったのだが、保護したその子が超ド級の天才少女だったんだなあ」
「……ルルティアの事ですか」
「その通りだ。その少女こそが魔導院の誇る至高の宝珠、『生ける賢者の石』ことルルティア女史だよ。彼女のお陰で錬金術は、それこそ百年分は先へと飛躍したんじゃないのかなあ」
「それじゃあ、ルルティアが魔導院に入ったのも……」
初めて会った頃の、まだ幼さを残したルルティアの顔を思い出す。彼女との出会いすらも長老会議に仕組まれていた、という事なのか。
人の運命すら玩ぶような正体不明の組織に、恐怖を感じるよりも先に怒りの感情が湧いてきた。
「キミがどう思おうが知った事ではないが、かの『錬金術の宝石』を私の元に遣わしてくれた事実、それが私が半ば盲目的に長老会議に従う理由さ」
「ルルティアに何をさせようとしているんですか。博士の、長老会議の目的は何ですか?」
俺の質問に対して、アイザック博士は「やれやれ」と溜め息で答えた。まるで、出来の悪い生徒の的外れな答弁を聞いて、落胆した教師のような態度だ。
「カース君、私の話を聞いていたかね? 私は、長老会議の実体を殆ど知らない、と答えたぞ」
「博士と長老会議の目的は違う、と?」
「そもそも私には、これといった目的なんて特に無い」
「目的が無い? じゃあ、『錬金術の騎士団』なんて組織したのは……」
「ああ、アルキャミスツはディミータの為に作ったんだよ」
「なっ――――」
今度こそ俺は絶句して、思わず背後のディミータを振り返った。彼女は、ただ昏い目をして籠の隅に身を預けていた。
「重症を負ったディミータに、実験体として身体を提供してもらう代わりに、行方知れずとなった妹さんの捜索部隊を組織したのさ。それがアルキャミスツだ。不本意ながら、その目的は未だに達成出来てはいないが」
「そんな……」
「おっとっと。まさか『そんなこと』とか言うつもりじゃないよね、カース君? 温厚な紳士で通るこの私でも、さすがにそれは許さないよ」
博士は徐に眼鏡に手をやり、外した。初めて見るアイザック博士の異貌に、俺は息を飲んだ。
目の周りを走る醜い手術痕に、左右の大きさが異なる瞳。形こそ違うが、それはディミータの金色の瞳と全く同じ色を帯びていた。
「とびっきりに美しい女性がね、あんまりにも無残な姿で私の研究室に運ばれて来たんだ。私は心の底から彼女に同情して、助けてやりたい思ったよ。そして、私にはそれが出来たんだ。錬金術という奇跡でね。キミの身の回りにもいるだろう? 錬金術によって救われた人々が」
俺の脳裏にネイトの、ルルモニの、シンナバルの顔が浮かんだ。あいつらが失くしてしまった大切な物、それを補ったのが錬金術だ。それだけは疑う余地は無い。
「それが、博士の目的なんですか?」
「まあ、極論から言えばイエス、だね。私にとって錬金術の発達こそが目的であり、それは手段と同義である。そして錬金術を次なる未知の領域にまで押し上げてくれるルルティア君の存在、彼女こそが私の宝だ。だが、その宝はいま、損なわれつつあるのだがね」
「損なわれつつある? どういう意味ですか?」
「そこでキミに見て貰いたい物があるんだよね」
そう言って博士は眼鏡を在るべき場所に戻してから懐に手を入れ、そこからガラスの小瓶を取り出した。
「これ、なんだと思う?」
博士は小瓶の首を摘まみ、俺の顔の前で振ってみせた。俺は小瓶と博士の顔を見比べてみたが、その小瓶が何で、博士が何を考えていて、いったい俺から何を聞き出したいのか、これっぽっちも読み取れない。
会話の主導権を握るつもりが、完全に掌握されていた事にやっと気が付いた。やはり、知恵比べで勝てるような相手では無かったか。
「砂、ですか? いや、俺には粉にしか見えませんが」
コルクで栓がされた小瓶の底には、橙色の顆粒が溜まっていた。ただそれだけだ。
「今から栓を抜くけど、あんまりビックリしないでくれたまえよ」
アイザック博士はそう言って、コルク栓に手を掛けた。ディミータはオレンジの粉の正体を知っているのか、昇降機の壁に寄りかかりながら博士の手元を眺めていた。
「ほら、出てきて御挨拶なさい」
ポン、と軽い音と共に栓が抜かれた。すると、瓶の底に溜まっていた粉が気化するように立ち昇る。
俺は反射的に口元を覆った。それは、オレンジ色の気体を吸い込まないようにするためでは無く、どうした事か軽い吐き気を感じたからだ。
「これが現在の研究対象だ」
ゆらゆらと漂っていた気体が中空の一点に集まりだすと、吐き気に加えて眩暈まで覚えた。
……なんだ? 昇降機に酔ったのか、俺?
「どうだい、面白いだろう? 私の可愛い、錬金の妖精さんだ」
咳払いをして拳を口元に当てる俺の前で、朧な気体が人の形を取った。向こうが透けて見える掌サイズのそれは、確かに妖精とも取れる姿だ。
だが俺には、頭の上で羽の生えた妖精が飛び回るファンタジーな出来事よりも、腰の鞘に納めたコランダムが微かに震えたことが気になった。
「こう見えてもね、『錬金妖精』には僅かながら知性が備わっている」
狭い籠の中を自由自在に飛ぶ妖精に、博士は「戻りなさい」と声を掛けた。すると、再びオレンジ色の気体に戻った錬金妖精はすんなりと瓶の中に戻り、その全てが納まったのを見届けてアイザック博士はコルク栓を念入りに閉めた。
「この『錬金妖精』の研究に没頭し始めてから、ルルティア君の病状は日増しに悪化してきているんだ」
「博士……それはどうやって作ったんですか。一体、何で出来ているんですか」
博士に尋ねるのと同じくして錬金昇降機がガタッと揺れ、乗ってきたときと同様に短いチャイムが聞こえた。
俺は、ゆっくりとスライド式の扉が開いていくのを眺めながら、いつの間にやら目眩と吐き気が治まっていた事に気が付いた。
「何で出来ているかって? それはキミも良く知る物だよ」
完全に扉が開き切ると、勝手知ったるアイザック博士が先んじて扉の外へと踏み出した。その後ろに付いて籠から出ると、待ち構えていたかのように扉の両脇に立っていたメイド姿の二人の少女が、一糸乱れぬ動きで深々と腰を折ってお辞儀をした。
「あら、また新しい子ね」
元気の無かったディミータが、心なしか嬉しそうな声を上げた。彼女は妹を失ったせいか、可愛らしい女の子に目が無い。
だが俺は、良く訓練されている少女たちの姿に感心するよりも、またもコランダムが反応した事に気を取られた。
「お待ちしておりました」
鈴の鳴るような挨拶の声すらも、左右から全く同時に聞こえた。
……三等、いや、四等級か。どちらが? いや、両方だな。
この少女たちは、間違いなくその小柄な身体のどこかに呪物を帯びている。
博士の過去に関しては「君たち! 宿屋に感謝なさい!」の「アイザック博士の憂鬱」に詳しいです。
http://ncode.syosetu.com/n4968bk/
と、自前で宣伝してみる。