第142話 アーティファイス・マニューバ
だが、ディミータの悲壮な覚悟を聞いても、今の俺には頷く余裕すら無かった。
第三王女? 一族の野望? 俺はリサデルの何を見て、何を知った気になっていたのだろう。
俺が愛した彼女の全ては、澄んだ泉みたいな綺麗な上辺だけだったのか?
俺は彼女を愛したつもりで、何ひとつとして理解していなかったんじゃないか。
でも……それでも俺はリサデルを、彼女の歌を、彼女の瞳を、彼女の――――
「カース、貴方はリサデルを恨むかしら?」
俺の髪を撫で続けるディミータの声が、虚しさに打ち拉がれた心に響く。
恨む? 俺がリサデルを? ビーフィンを殺した罪の重さに耐えかねて、彼女の前から逃げ出したこの俺に、そんな資格があるはずが無い。
「恨んでなんかいないさ。俺、リサデルからは人を好きになる気持ちとか、譲れない想いとか……えーっと、なんか上手く言えないけど、大切なものを死ぬほどたくさん貰ったんだ」
複雑な気持ちを誤魔化すために「ホント、なーんでも知ってんよな。ディミータさんは」と、無理矢理に戯けてみせると、ディミータは俺の髪を撫でる手を止めて、普段のナイフみたいな鋭さからは想像出来ない柔和な笑みを見せた。
「あんた、シンナバルに毛が生えた程度だと思っていたけど、なかなかどうして悪くないわ」
「あんな下の毛も生え揃ってないクソガキと同じレベルに見ないでくれ」
軽口を叩くディミータの気遣いが、今は嬉しかった。
「しっかし、ディミータさんの口からリサデルの名前が出るとは思わなかった」
「第三王女について調べている時に、ちょっとね。それに彼女、ルルティアの保護者みたいな立場だったのよ」
「そうか……それであの時、一緒にいたのか」
無意識に右腕のバングルに目がいった。俺の身体に巻きついた金の鎖の冷たさと、路地を走り去るリサデルの後姿を思い出す。
「少なくとも、何か仕組んでいるのはリサデルでは無い、と思って良いのかな」
「そうね。きっと『女王計画』そのものも、どっかの誰かの企みの一面に過ぎない」
「全てのシナリオを書いて、糸を引いているのは誰なんだろう。やっぱりその、長老会議なのかな?」
「そう考えるのが自然よね。でもね、どんなに調べてもまともな情報が出てこないのよ。規模も所在も構成員も」
「存在するのは確かなんだよな……」
まだ婆ちゃんが元気だった頃、婆ちゃん経由で長老会議からの依頼をこなしたことが何度かある。しかし、あの権力者嫌いの婆ちゃんに言うこと聞かすくらいだから、長老会議ってのは相当に実力のある組織なのだろう。
「そうね。私も長老会議からの指令書を見た事があるわ。でも、魔導院の運営そのものは魔導塔の教授会が担っているから、長老会議の存在意義すら良く分からない」
「それこそ大陸制覇でも狙っているんじゃないのか? その『女王計画』とやらで」
「それはどうかしら。だって、大陸制覇を狙うなら魔導院の戦力と戦略錬金兵器だけでも十分可能よ。そうしないのは長老会議にそのつもりが無いのか、それとも狙いは別にあるのか」
「なんか、雲を掴むような話だな」
存在自体もはっきりしない組織の、その目的すら掴めない企て。なんか、考えること自体が無駄な気もしてきた。
「どんな連中なんだろうな、長老会議って。その名の通りに老人の集まりか?」
俺は肩を竦めて笑ってみたが、ディミータは乗って来ないどころか尖った顎に手を添えて、考え込むような素振りをみせた。
「何か思い当たる節でも?」
「私、仕事で色んな組織に潜入したことがあるから分かるんだけど……」
前置きをしたディミータの、長い尻尾が頼りなく揺れている。
「上位組織が表だって動かないのは、構成員が互いを牽制しあっているか、単に実行力に乏しい場合が多いの」
「そうなると、やっぱ年寄りの集まりか? 金と権力はあるけど足腰弱い、みたいな」
何となく、慰安旅行の行先が決まらない商工会シニア部の会合を連想した。
「それか、頭は切れるけど、自分では動けない連中とかね」
「権力があって頭も切れる……例えば?」
「運動苦手そうなメガネ、とか?」
運動苦手なメガネ……ふと、俺の脳裏に清掃局局長の異相が浮かんだ。
地下に遁走したとアリスと「女神の聖槍」の捜索を命じたのも、「辰砂の杖」ごとシンナバルに錬金手術を施したのも、「竜鱗の盾」の所持者であるアッシュを学院都市に招いたのも、その全てにあの男が関わっている。
「なあ、ディミータさん。ちょっと聞きたい事が……」
俺がそう言い掛けると、チン、と短いチャイムの音が昇降機の辺りから聞こえた。
「やっと来たねぇ」
速押しするほど扉が速く開く、とでも信じているかのように昇降機のボタンを連打するディミータの手が、スライド式の扉が空いた途端に止まった。
「おお、ルルティア君の言った通りだ。お速いお着きだね、お二方」
「アイザック……博士」
オールバックに撫でつけた髪と長身痩躯の身体を包む漆黒のスーツには見覚えがなかったが、高い鷲鼻の上に乗ったゴーグルのような色付き眼鏡だけは忘れようが無い。
「やあ、久しぶりだねカース君。再びお目に掛れて歓喜の極みだ」
昇降機の籠の中で、サッと片手を胸にやりカーテンコールに答える役者のように腰を折ってお辞儀をしたアイザック博士に向かい、ディミータが猫のように跳びかかった。
「てめっ! ドクっ! このっ! ふざけんなっ!」
「ちょっ! いたっ! こらっ! 止めたまえっ!」
昇降機の籠の中で揉みあう「錬金仕掛けの騎士団」の司令と副長の姿に面食らっていると、「カース君、早く乗らないと扉しまっちゃうぐおぅ」と、首を締め上げられている最中のアイザック博士が唸り声を上げた。
「……博士。どうしてここに?」
籠の中に乗り込むと、背後で扉がゆっくりとスライドして、閉まった。
「どうしてって、私は上でルルティア君と話をしていたんだよ。そしたら彼女、そろそろ君らが来る頃だって言うから、わざわざ迎えに降りて来たのに痛いよディミータ君」
見た事の無い複雑な関節技をディミータに仕掛けられながら、アイザック博士は答えた。
「俺たちが来るタイミングが、なぜ分かったんですか?」
「ルルティア君はねえ、魔陽灯を通じて学院都市のどこでも任意で見れちゃうんだよ。あの眼鏡でね。凄いよねって痛ててて」
当たり前のように話すアイザック博士の言葉に、ぞくりとする寒気を感じた。
天井を見上げると、そこに埋め込まれた魔陽灯のオレンジ色の光が、縺れあうディミータとアイザック博士を照らしていた。この光景すらもルルティアは研究室から覗いている、ってことか。
「ディミータっ、落ち着いて聞きなさいっ! 大体、副長である君が部下を統括出来ていないから、こういう事態を招くのだよ!」
「そんなんはねえ、私のガラじゃなんだよっ! あったま来るなぁ!」
「じゃあ、ネイトに泣きついて戻ってきて貰いなさいよ」
忌々しげに舌打ちをして、博士の身体から離れたディミータがそっぽを向く。博士は「やれやれ」と呟きながら髪を後ろに撫で付け、曲がったネクタイを神経質な手つきで直した。
「御見苦しいところをお見せしたね。元気にしてたかい? カース君」
「博士に聞きたいことがあります」
「久々だというのに挨拶無しとは切ないなぁ。まあ、焦る事は無いよ。この昇降機、運搬兼用で昇りはゆっくりだからさ」
アイザック博士は襟を正しながら、昇降機の壁に寄り掛かった。彼の身長はディミータの頭一つ分以上は高い。そんな博士が俺を見下ろしながら「で、店はどうだい? 儲かってる?」と、馴染みの弁当屋の親父と同じ台詞を吐いた。
「はあ。まあ、それなりに」
その真意を掴み兼ね、返答に悩んでいると「そろそろ移転を考えたら?」と、博士はおかしな事を言いだした。
「婆ちゃ……祖母の残してくれた店を引き払うつもりはありません」
「ふむ。君さあ、海王都に親戚がいるじゃない。しばらくはそっちに身を寄せなさいよ」
「なっ? なんでそんな事を知って……」
「ここ一か月以内に学院都市は戦場になる。君のお婆さんの遺した大事なモノを持って避難した方が良い。大丈夫だよ、市街戦はそんなに長くは続かないから」
俄かには信じられない話に言葉が出ない。自分でも口がパクパクしているのが分かるほどだ。
「おや? 駄目じゃないかディミータ。ちゃんとカース君に伝えて無かったでしょ?」
「そんなヒマは無かったし」
ぶっきらぼうに答えたディミータは、パンツのポケットに手を突っ込んで不貞腐れた。
「どういう事なんですか? ここが、学院都市が戦場になる? そんな馬鹿な話が」
あるんだよねー、とアイザック博士が言い掛けたのをディミータが遮る様にして言った。「海王都と山王都の連合軍が、北部紛争を隠れ蓑にして集結している」
「そんな!? 新聞には和平に向けて共同研究チームが……採掘調査って……」
男の哄笑が籠の中に響き渡った。突然笑い出したアイザック博士の姿に驚いて目をやると、彼は痩躯を折り曲げて、さも傑作だ、と言わんばかりに手を叩いて爆笑していた。
「ふははははっ! 面白いな、キミは。それだけ明晰な頭脳を持ちながら、今どき新聞なんて信じているのかい?」
「くっ……」
「信じるのなら神様にしておく事をオススメするよ。ああ、久々に笑った笑った」
悔しいが、零細小売店の店主である俺と、魔導院の重鎮であり「錬金仕掛けの騎士団」の司令でもあるアイザック博士とでは、手に入る情報の質も量も違いすぎる。ここはプライドを捨ててでも情報を得た方が良策だ。
「博士、どういう事ですか? いったい何が起きようとしているんですか?」
「ディミータ君。ごらんなさいよ、この謙虚な姿勢を。見習いたまへ」
水を向けられたディミータだったが、彼女は何も答えずにポケットに手を入れたまま、小部屋ほどの広さしかない籠の隅に身を預けていた。
「双子の女王様はね、遂に『女王計画』に気が付いちゃったんだよ」
「――――っ!? どうして、どうしてドクがそれを!?」
余りに慌てたせいか、ディミータはポケットの中で握り込んでいたスローイングナイフを取り出してしまっていた。博士はそんなディミータを見て、大袈裟に悲しそうな顔を作った。
「そんな物騒な物は仕舞いなさいな。私を殺したところで何にもならないし、私はキミに隠し事なんてしないよ」
「ドク……あんた……」
「安心したまえよ。さっきまで、その事についてルルティア君と相談していたんだから。我が『錬金仕掛けの騎士団』と、ルルティア君の『琺瑯質の瞳の乙女たち』で、女王の即席連合軍なんて十分に撃退可能さ」
「あんた、いつからそれを知っていたのよ!?」
ナイフを握り、全身を震わせるディミータ。俺は、これほどまでに激高するディミータの姿を見た事は無い。しかし、アイザック博士はそんな彼女を前にしても飄々とした態度を崩しはしなかった。
「あまり長老会議を見くびるなよ、ディミータ君。彼らには何でもお見通しだ。きっと、ここで起きている事でさえもね」
ややこしくてスイマセン。