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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第八章 天の高み 地の深み
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第135話 プロミネンス

「いっ、嫌ぁあああ!!」


 燃え上がる炎の壁を前に呆然と立ち尽くす俺の脇を、絶叫を上げてリサデルが走り抜ける。


「リサデルさん、駄目です! 行ってはいけない!!」


 半狂乱になるリサデルを、追い付いたアッシュが背後から抱き留める。俺はそんな二人の遣り取りをぼんやりと眺めるしかなかった。

 あの中にアリスとセハトが……炎の中に目を凝らしてみたが、二人の姿は見当たらない。


「放して! 放しなさい!!」


 もがき暴れるリサデルを、アッシュは苦しげな顔で羽交い絞めにした。


「落ち着いて下さい!!」

「アリス様! こんな、こんなところで!」


 半狂乱になるリサデルを、アッシュが怒鳴りつけて宥めようとしているようだったが、俺の耳は猛り狂う炎が立てる音ばかりを拾っていた。

 

 ――――護ると誓った女性(ひと)が燃えている。


「また、僕は……」


 頭の中に、自分のものでは無い『誰かの想い』が(よぎ)る。

 ……ぼく? 俺はいま、『僕』と言ったのか?


()うっ――――」


 目の奥に鈍い痛みが走り、眩暈に襲われて思わず壁に手を突いた。

 膝に力が入らず座り込みそうになったが、炎から目を逸らす訳にはいかない。ぐらぐらと揺れる視界の中で、炎の壁が揺らいだように感じた。


「そんな……」


 未だに衰えない火勢の中に、細長いシルエットが浮かぶ。それは鎌首を擡げた大蛇のように見えた。


「手応えはあったはずなのに……」


 絶望感に囚われかけたその時、信じられない光景が目に飛び込んできた。


 ――――キィン


 澄んだ音を立てて、炎の壁が真ん中から二つに割れた。まるで空間そのものが両断されたかのように。

 どうにも定まらない焦点で二つに分かれた炎の間に目を凝らすと、揺らぐ炎の中から黒い塊が転がり出てきた。


「アリス? アリス様!?」


 歓喜に満ちたリサデルの声に我に返る。

 俺は目を疑った。黒い塊に見えたのは身を丸めたシロウと、彼に抱えられたアリスだった。


「……ふふっ、あやつは『何でも斬れる』と申しておったが、本当に斬れるものだな」

 

 シロウは腰に差した真剣の鞘を握り、そのまま床に膝を突いた。見れば黒い装束はブスブスと燻る煙を上げ、火傷を負った背中が垣間見えた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 傷ついたシロウの姿を見て、動揺したアッシュが上ずった声を上げた。その隙に拘束を振り解いたリサデルは、床に仰向けにされたアリスの元へと駆け寄った。


「アリス様、お気を確かに!」


 リサデルは、青白い顔をして死んだように動かないアリスの口元に顔を寄せ、ほっとしたように安堵の表情を浮かべた。


「……気を失っているだけだ」


 木刀を杖の代わりに立ち上がろうとするシロウの姿を見て、リサデルは「ごめんなさい、私……」と、悲痛な声を上げてシロウに駆け寄った。


「シロウさん。セハトは?」


 姿の見えないセハトの安否を尋ねると、シロウは「すまぬ。見当たらなかった」と答え、苦しげに荒い息を吐いた。


「来るぞ!!」


 通路に向かってアッシュが叫ぶ。構えた盾の延長線上に、カーディナル・ファングがその全身を現した。

 狂ったように翼を開閉させて床をのたうつ紅翼竜は、大蛇というよりも巨大なミミズを連想させた。壁や天井に身体をぶつけるその姿には、高い知性を持つといわれる竜族の威厳は微塵も感じられない。


「凄まじい生命力ですね。さすがは紅翼竜」

「あれで、まだ生きているのっていうのか!?」


 最大級の攻撃魔術『神雷』で吹き飛ばしたはずの頭部は殆ど千切れかけ、熟れ過ぎた果実のようにぶら下がっていた。

 そして、思っていたよりも深く竜の首を貫いていたのだろう。未だに突き刺さったままのアリスの槍の辺り、下顎を完全に失った巨体が動く度に、ボタボタと血肉が零れ落ちた。


「血が……燃える?」


 床に零れ落ちた途端、赤黒い血液は純度の高いランプ油のように燃え上がった。

 ドラゴンは頭部を失いかけながらも、無秩序に暴れ回りながらも可燃性の燃料をまき散らし迫ってきている。セハトが言っていたように、この奥が行き止まりだとしたら……俺たち全員、火に巻かれて全滅するしかない。


 ……俺とアッシュで撃退するか? それとも隙を突いて突破するしかないか?

 

 しかし、攻撃の要であるシロウとアリスを欠いた俺たちのパーティでは、そのどちらも難しいだろう。

 俺は、リーダーであるリサデルに指示を仰ごうと声を掛けようとした。だが、彼女は怪我人の治療に気を取られ、迫る危険には気が及んでいない様子だ。


「シンナバル。僕が時間を稼ぎます」


 カーディナル・ファングに向かい、長剣を抜き放ったアッシュが振り向かずに言った。俺は、鎧に身を固めた後ろ姿に、「アッシュは!?」と声を掛けた。


「まだセハトが戻って来ない」


 そう言って首だけ傾けて振り返ったアッシュは、突き刺さるような鋭い視線を俺に向けてきた。


「皆を連れて後退し、体勢を立て直して下さい」

「でも……」

「僕は重装騎士(アーマーナイト)ですよ。これ以上の見せ場は無いでしょう」

「一人じゃ無茶だよ」


 躊躇(ちゅうちょ)する俺に、アッシュは笑顔で答えた。


「シンナバル。リサデルさんの治癒神聖術を信じるんだ」


 そう言い残して、アッシュは駆け出して行った。

 俺は奥歯が鳴るほどに噛みしめて、床に倒れたままのアリスの身体を抱え上げた。


「リサデルさん!」


 声を掛けると、シロウの背に手を当てて治癒術を行使していたリサデルが、はっと顔を上げた。


「直ぐに退避しましょう!」

「で、でも……」

「アッシュが時間を稼いでいます。奥で二人を治療して立て直しましょう!!」


 大声を張り上げて気合いの代わりにしてみたが、鎧兜を装備したアリスの全身は想像以上に重くて、抱きかかえる事が出来なかった。鋼鉄の右腕がいつになく重く感じる。


「くそぅ……いまやらなきゃ」


 ぐったりとしたアリスの両脇に手を差し入れ、引き摺りながらずるずると後退する。さっき、俺を抱えて軽やかに駆けた彼女とは大違いだ。


「ちくしょう……いまやらなきゃ」


 アッシュの雄叫びが聞こえてくる。早く戻ってサポートしないとアッシュがやられてしまう。

 吹き出る汗が額を伝い、目に入った。


「このままじゃ……みんなが」


 頭痛は収まらないどころか、酷くなる一方だ。


「みんなが死んじまう」


 通路の先がオレンジ色に染まった。あれはカーディナル・ドレイクの吐いた炎の息だろうか。

 焦れば焦るほど足がもつれ手が滑り、危うくアリスの身体を投げ出しそうになる。


 情けない。チビで非力な自分が。

 不甲斐ない。役に立たない自分が。

 許せない。女の子ひとり守れない自分が。


「師匠……俺、どうしたら良いですか」


 無力感に涙が溢れてくる。そんな自分に嫌気が差す。悪循環に叫び出しそうになったその時、背中にひんやりとした風を感じた。

 思ってもいなかった冷気に振り返り、涙で霞む目を瞬かせてみると、そこに更なる地下へと続く階段が視界に入った。


「リサデルさん、階段がある!」


 シロウに肩を貸して、ゆっくりと追ってきたリサデルに声を掛けてから階段に目をやる。見れば階段には人が擦れ違うので精一杯の幅しかない。ここに逃げ込めばカーディナル・ファングをやり過ごせるかも知れない。

 俺は壁際にアリスを横たえて階段を覗き込んだ。その先は暗くて何も見えず、湿った風が吹き上げてくる。いきなり崩れたりしないか確認しようと壁に触れると、ボコボコとした凹凸のある手触りを感じた。

 どうにも不審に思い、指先に意識を集中させて小さな魔術の火を灯す。


「なんだ……これ?」


 目の前に広がる異様な光景に、思った事がそのまま口を()いて出た。


「溶けたのか? 煉瓦が?」


 壁面は一様に捻れて歪み、階段は辛うじて形を留めていたが、何よりも異常なのは天井だ。まるで氷柱のような尖った石が、階段の奥の奥までびっしりと垂れ下がっていた。

 煉瓦を溶解させるほどの超高温が自然に発生するとは思えない。しかも、天井から下がる針の山は階段の奥に行くほど長く垂れ下がっている。と、いうことは……。

 奇妙な、だけど何かが引っ掛る光景に意識を奪われていると、弱々しく咳き込む声が聞こえた。


「先輩、気が付きましたか」


 急いでアリスの元に戻り、震える手を俺に向かって伸ばす彼女の身体を抱き起こした。


「……シンナバル」


 焦点の定まらない瞳。強烈な意志の強さを感じさせるエメラルドの瞳には、今はもう力の無い光しか宿っていなかった。


「あの、俺……」


 言いたいことは沢山あるのに言葉が見つからない。なのに、涙だけが。


「お願い、泣かないで」


 アリスの頬の上を、ぼろぼろと零れた涙が伝う。


 ――――泣かないで

 

 アリスの涙声と、そこに居る筈の無い『誰か』の声が被る。

 猛烈な刺激が目の奥を刺す。俺は堪らずにアリスの肩を掻き抱いた。


「私、君を護るって決めたのに」


 ――――あなたを護ると決めたのに


 意識を失いそうなくらいの激痛が、頭の中を暴れ回る。だけど俺は、この声を聞き逃す訳にはいかない。


「ごめんね。私を許して」


 微笑みながら涙を流すアリスの顔を見た瞬間、頭蓋の中で何かが割れたような、「ぱきり」と軽い音が確かに響いた。


 ――――ごめんね。姉さんを許して


 微笑みながら、涙を流しながら炎の海に沈んでいく美しい女性。


 いつまでも触れていたかった、僕と同じ色の髪。

 いつでも優しく見つめてくれた、僕と同じ色の瞳。

 それは全てを等しく染め上げる、紅い炎と同じ色。


 ――――その炎で全てを終わらせて


 尽きること無き永遠の紅。その炎の名は『紅炎(プロミネンス)

 其を灯す燭台こそは――――英雄遺物『辰砂の杖(シンナバル)

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