第134話 ドラゴンバスター
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説明の付かない、だけど熱い決意を胸に仕舞い込んで仲間の元へと向かうと、パーティメンバーは戦闘準備の真っ最中だった。
「どうですか? 来ましたか?」
いつになく緊迫した面持ちのアッシュに、俺は首を横に振ってみせた。
「気配はする。足音も聞こえるけど、姿はまだ見えない」
移動速度は遅いのかも、と付け加えると、アッシュは大きく頷いた。
「そもそもワイバーンの一種でもある紅翼竜は、歩く事よりも飛ぶことに特化したドラゴンです。飛行能力はあらゆる生物の中でも際立っていますが、その長い胴体が故に地を歩くのを苦手としています。それに加えて……」
ドラゴンに関する薀蓄に相槌を打ちながら、俺は天井を目で探った。なるほど、セハトが言っていた通り、天井が低い。いや、これは低いというか、奥に向かうほどに傾斜しているのだろうか。
「この通路の曲がり角を生かし、カーディナル・ファングを迎撃しましょう」
戦闘プランを聞きながら、俺はアリスの姿を探した。彼女は背に括りつけた銀の槍を外している最中だったが、俺の視線に気が付くと、はにかんだような笑みを返してきた。まるで用意していたかのような微笑みに、俺も慌てて笑顔を作ってはみたものの、それはかなり引き攣っていたと思う。
「シンナバル、聞いていますか?」
唐突に声を掛けられて、肩がビクッと跳ねあがった。「は、はいっ!」
「緊張しているのは分かりますが、必要以上に力むのは良く無い。とにかく紅翼竜には火炎系の攻撃は効きにくい。それを念頭に入れてサポートして下さい」
「はいっ、分かりました!」
闘いを前に緊張していると勘違いしたのだろう。アッシュは俺の肩に手を置いて、白い歯を見せた。
……危なかった。女の子の笑顔に気を取られていた、なんてバレたら脳天に拳骨くらいでは済まないところだ。
「それでセハト。この先はどうなっているのか、分かりますか?」
俺に背を向けたアッシュは、地図を広げて真剣な顔で覗き込んでいる地図士に声を掛けた。
マッピングに関しては、いつでも自信満々なセハトは、「この先の七ブロックが白紙なんだ」と、不安気な声でそう答えた。
「後退しながら闘えるだけのスペースか、もしくは最悪の場合、撤退する場所はありますか?」
アッシュの問いに、セハトは地図から顔を上げて「ごめん」と悔しそうな顔で答えた。
「みんなを誘導しておいてなんだけど、この先はせいぜい小部屋があるだけの行き止まりかも知れない……」
セハトは、今にも泣き出しそうに「ごめんなさい、ボクが……」と消え入るような声で言い、顔をくしゃくしゃにして頭を下げた。
「……倒してしまえば良いのだろう。何を悩む?」
目を瞑ったまま壁に背を預けていたシロウが、食堂でメニューを決めるのと全く変わらない口調で呟く。
その場にいた全員が、一斉に黒衣のサムライの方を向いた。
「そうだ……その通りです!」
沈んだ空気を打ち破るようにパン! と手を叩いてアッシュが大声を上げた。
「我々の背後がどうなっているかなんて、敵を倒してからゆっくり調べましょう!」
奮い立つようなアッシュの檄に、全員が笑顔で答えた。
「勝ちましょう。皆に神のご加護を」
「うん! ドラゴン倒せば地図が埋まるっ!」
「……抗い、生き延びてこそ道は見つかる」
兜を被り直していたアリスが、俺の方を向いた。
目深に被った兜のせいで彼女は今、どんな顔をしているのかは窺い知れない。
「シンナバル、見ててね」
羽兜から覗く黄金の髪。華奢な身体を重厚な鎧の奥に隠し、銀の長槍を床に突き立てた勇ましい姿を、俺は神聖なものを見る様な気持ちで眺めた。
「あんなの私がドーン! って、やっつけちゃうんだから」
アッシュみたいな気の利いた一言を返してあげたかったのに、上手い台詞が頭に浮かばなくて、俺は馬鹿みたいに頷くことしか出来なかった。
「だから、地上に戻ったら――――」
続きは聞けなかった。通路の向こうから重たい物を引き摺るような音と、巨獣の荒々しい息遣いが聞こえてきたからだ。
「来るぞ!! 戦闘準備!!」
いつでも余裕のある態度を崩さないアッシュが表情を一変させ、長剣を抜き放った。それが合図だったように、通路の角からドラゴンの真紅の鼻先が覗いた。
瞬間、俺の目前から黒い影としか形容出来ない残像を残してシロウの姿が掻き消えた。そう認識した直後、激しい打撃音が通路に響いた!
「グゴオォオウ――――!!!」
跳ねかえってきた鞠のように飛びずさったシロウの後を追い、怒りの叫びを上げたドラゴンの首がぬうっ、と伸びてきた。それはまるで、獲物に迫る赤い大蛇のように見えた。
「アリス、追撃! 後衛、サポートを!」
アッシュの指示に応え、アリスは銀の槍を手に猛然と床を蹴った。微塵の恐れも感じさせないその後姿を、俺はしっかりと目に焼き付ける。
石壁の向こう、首から先だけをこちらに覗かせたカーディナル・ファングは、俺たちの姿を確認するや、威嚇するかのように大きく咢を開いた。
「シンナバルは火炎系以外の攻撃魔術を。セハトは攪乱して。私たちは前衛の援護に注力します」
リサデルは早口にそれだけ言うと、胸元で手を組み、澄んだ声で朗々と歌い始めた。これは水の精霊の加護を得る神聖詠唱術だ。その戦闘には似つかわしくない清らかな聖歌を耳に、俺は鋼鉄の腕に精神を集中させた。
どう考えても氷結系の魔術が有効だと思える敵だけど、俺は何故か『氷の矢』のような氷の魔術が苦手だ。ここは火炎系の次に得意とする攻撃魔術『第六位魔術・神雷』を選択した。とっておきの大玉だが、出し惜しみをしてどうにかなるような相手とは思えない。
「闇裂く迅雷……」
雷撃系攻撃魔術『神雷』は、同じく第六位魔術に分類される『猛炎の塔』や『氷雪の嵐』に比べて攻撃範囲は狭いものの、単純な破壊力だけを比較すれば『第七位魔術・核撃』に匹敵するほどの威力を誇る。如何に最上位のドラゴンと言えども、直撃すれば無傷で済むはずは無い。
「其は軍神の雷槌……」
鋼鉄の右腕に、小さな雷が纏わりついてきた。それはまるで『錬金仕掛けの腕』その物が放電しているようにも見える。
魔術の発動には神聖術のような詠唱は必要無い。だが、術者が魔術現象を発現させるにはイメージの確立が大前提だ。少しでも早く、少しでも強力な『神雷』を発動させたいのなら、頭上から雷が落ちてきたと錯覚するほどの想像力が必要だ。
見える筈の無い、天空を裂く雷霆が見えるくらいに。
聞こえる筈の無い、轟く雷鳴が聞こえるくらいに。
高めるんだ。雷撃のイメージを。
深めるんだ。極限までに集中を。
「でやぁああ――――!!」
雷撃を叩きつける部位を探る俺の目に、雄叫びを上げて果敢にドラゴンに挑むアリスの姿が映った。
その鋭い槍の一突きを、さながら蛇のような動きで避けた紅翼竜が、反撃とばかりに首を撓らせて横薙ぎにする。
――――危ない!!
一瞬、最悪の事態が頭を過った。ただそれだけで右腕に宿った放電が弱まる。
くそっ! こんなんじゃダメだ!! 今は集中するんだ。
「ここは任せろ! アリス、一度引くんだ!!」
間一髪、アリスの前に割り込んだアッシュが、大盾を使いドラゴンの首を押し返す。難を逃れたアリスは、一旦、大きく飛び退いてから、再び突撃姿勢を取った。
――――信じるんだ、仲間を。
腰を低くしたアリスの背後から、シロウが凄まじい勢いで飛び出した。人間技とは思えないその戦闘速度を活かし、紅翼竜に何度も攻撃を加える。
「いけるぞ! そのまま向こうまで押し返せ!!」
人間の胴体なんて簡単に千切り取ってしまいそうな咢の一咬みを、アッシュが完璧に遮断する。その鉄壁の防御を盾に、休む間もなくシロウの木刀がカーディナル・ファングの頭部を連撃する。
「ゴヴォオォオ!!!」
怒りの咆哮を上げたドラゴンの顎下を目掛けて、突き通さんばかりの勢いでアリスが突進する。その槍の先端がカーディナル・ファングの分厚い鱗を貫き、深々と突き刺さった!!
――――信じるんだ、彼女を。
「アリス先輩!! 槍から手を放して!!」
出せるだけの大声で叫ぶと、アリスは振り返りもしないで愛用の槍から手を放して跳び退った。
ほんの少しの戸惑いも、これっぽっちの迷いも無く。
「これで――――」
俺は落雷のイメージを、神の怒りとも例えられる最大級の攻撃魔術を完成させた。
右腕を一杯に伸ばし、掌をカーディナル・ファングに向ける。狙いは銀の槍。
「終わりだ!! 喰らえ『神雷』!!」
第六位魔術『神雷』の発動を宣言すると同時に、『錬金仕掛けの腕』から放出された幾筋もの雷撃が、竜の顎に突き刺さったままの槍に向けて収束していく。
稲妻の束の全てが槍に吸い込まれたように見えた直後、強烈な青白い雷光と、耳がおかしくなるほどの爆発音と共にドラゴンの頭が吹き飛んだ!!
薄暗い地下に慣れた目には余りにも眩しい輝きに、無意識に鋼鉄の腕を翳して光を遮った。
「や……やった!? やったよ!!」
セハトの燥いだ声が通路に響く。俺は強烈すぎる光に負けて、未だに眩んだ目でドラゴンの姿を探した。
「勝ちましたね」
晴れやかな表情で宣言したアッシュが、メンバーの無事を確認するように、全員の顔を順々に見回した。
「素晴らしい機転です。師匠に似てきたのではないですか?」
最後に俺の方へ顔を向けたアッシュが、ニヤリと笑った。その顔は、いつもの作ったような笑顔と違い、心の底からの笑顔に見えた。
「うはぁー! ドラゴン素材がいーっぱい採れるぞー!」
「モニさん、喜ぶねーっ!」
セハトとアリスが手を取り合って小躍りしている。
俺は痺れるような余韻を残す『錬金仕掛けの腕』を、何気なく左手で摩った。
「武器屋さんに高値で売り飛ばそ!」
「そのお金で新しい服、買おとっ!」
手に手を繋いでスキップしながら通路の角へと向かう二人。それを眺めて苦笑するリサデル。
そしてシロウは――――
「待て! まだ気配が!!」
前触れも無く『錬金仕掛けの腕』が、じわりと熱くなった。
「これは!?」
俺にとっては慣れ親しんだあの気配が、角の向こうに膨れ上がる。
「駄目だ!! 行くな!!」
叫ぶ俺の目の前で、
「アリス!?」
二人が爆炎に包まれた。