第133話 消えることのない、炎
「うぉおおお!」
頭の中に炎のイメージを完成させるよりも先に、鋼鉄の指先に火花が散る。心臓の鼓動に同調するかの様に「錬金仕掛けの腕」が激しく明滅し、赤熱を始めた。
俺は湧きあがってきた怒りにも似た激情に任せて、右手に生じた火球を天井に掲げ、放った。
闇雲に撃ち出した炎の塊は、「ドォン!」と短い爆発音と共に空中で四散した。俄かに明るくなった先に見えたのは、天井に空いた大きな穴と、そこに滞空するドラゴンだった。
「あれは……翼蛇竜!?」
暗がりに慣れた目に、後ろ足しか無い長細い胴体をうねらせ、不釣り合いな大きな翼を羽ばたかせた翼竜の姿が飛び込んできた。だが、濃緑色のワイバーンとは違い、天井を覆う様に羽を広げた翼竜は目にも鮮やかな赤い鱗を身にまとっていた。
「二発目――――っ!」
追撃を喰らわせてやろうと、より激しく燃え上がる炎のイメージを固めた瞬間、目に見えない猛烈な圧力が、頭の上から圧し掛かってきた。
「うわぁあ!!」
自分が上げたのか、それとも誰かが上げた悲鳴だったかも判断出来ない。立っていることすらままならないほどの暴風に翻弄されて、身体が宙に浮き上がる。叩きつけられた先が床なのか壁なのかも分からないままに全身を強打して、俺はそのまま床に倒れ込んだ。
「シンナバル!!」
悲鳴にも似た声で、俺の名を叫んだアリスが駆け寄ってきた。「大丈夫!?」
「痛っつつつ……俺は大丈夫です。み、皆は!?」
ぶつけた頭を抑えつつ半身を起こし、素早く広間を見渡した。重たい鎧を着こんだアリスとアッシュは吹き荒れる暴風に耐えて持ちこたえたようだが、軽装のリサデルとシロウは、俺と同じように吹き飛ばされ、ようやく床から立ち上がろうとしているところだった。
「セハト!?」
姿の見えないセハトの事が心配になり、その姿を目で探したが、小さな身体は広間のどこにも見当たらない。俺は焦る気持ちを抑えられずに「セハト! どこだ!」と、大声で地図士の名を呼んで辺りを見渡した。すると、離れた先に煌々と輝くランタンの光を見つけた。
「みんな、こっちこっちー! 早くー!!」
いつの間に回収したのか、錬金ランタンを振り回してセハトが大声で叫んでいた。
広間と通路を隔てるアーチの先で喚き散らすセハトの姿を確認して、ほっとしたのも束の間、再び背中を突き飛ばす様な風圧に押されて石壁に叩きつけられた。今度は顔面からもろに壁に激突し、目の前に火花が散った。
立ち止まってはいけないと分かってはいるが、激痛と衝撃に身体が言うことを聞かず、足元がフラつく。
「痛うぅ。セハト、みんな、どっちだ?」
鼻を強打して涙が止まらなくなり、目を開けていられない。視界を殺され、気ばかりが焦る。その時、混乱して立ち竦みかけた俺の身体を、何者かが軽々と抱き上げて、そのままの勢いで駆け出すのを感じた。
ガシャン、ガシャンとリズミカルに鳴る金属鎧の立てる音と、俺の身体を抱え上げる力強さにアッシュが助けてくれたものと思い込んでいたが、鼻孔をくすぐる薔薇の香りと、顔にかかってくるサラサラとした髪の感触に、俺は思わず声を上げた。
「あ、アリス先輩!?」
「大丈夫。私が守るから安心して」
未だに痛みで目が開けられないが、体勢的に姫だっこされているのは確実だ。いくら先輩とは言え、女性に抱っこされている気恥ずかしさに、俺は思わず叫び出していた。
「ちょっ、先輩! もう大丈夫ですから、降ろして下さい!!」
「るっさいっ! 舌ぁ噛むから黙ってろお!」
「えっ!? あっ、はいっ」
「歯ぁ食いしばって、しっかり掴まれい!」
「すっ、すいませんっ」
ドスの効いた迫力ある声に負けてアリスの身体にしがみ付くと、彼女はより強く抱き返してきた。
これは恥ずかしいような……でも心地が良いような。この懐かしいような感触は、どこかで……。
「良かった。無事でしたか」
右隣からアッシュの声が聞こえた。どうやら直ぐ近くを並走している様だ。
「あれは何? あの赤いドラゴンは?」
左から聞こえてきた荒い息遣いと声はリサデルのものだ。「ワイバーンとは違うの?」
「あれは翼蛇竜の上位種、紅翼竜です」
竜人族だからだろうか、妙にドラゴンに詳しいアッシュが即答した。
「その翼が巻き起こす暴風と、竜種の中でも高威力な火炎ブレスが武器の、最高位とも並べ称されるドラゴンです」
得意気なアッシュの口調は、博識を誇っているのだろうか。それとも亜人としてよりも、ドラゴンに近いと言われる竜人族としてのプライドなのだろうか。時々分からなくなる。
「古来から財宝を守るドラゴンとして数々の逸話に登場し、盾の紋章の図案としても人気があります。ただ……」
「ただ、何ですか?」
「紅翼竜は、別名『夕空の王』とも呼ばれる大空に生きるドラゴンなのですが、それが何故こんな地下深くに……」
そこからは、アッシュとリサデルは口を開かなかった。
ようやく目が開けられるようになった俺は、アリスに抱きかかえられたままパーティメンバーの無事を確認した。先頭を走るセハトにシロウが続き、その後ろに俺を含む四人が続いていた。
「セハト! この先は!?」
アッシュが声を掛けると、先を走るセハトは振り向かずに返事をした。
「三ブロック先、角を曲がったところから天井が低くなる! そうすればドラゴンは飛べない!」
「よし! では、そこで迎撃するぞ!」
走りながらのアッシュの指示に、誰彼ともなく「応!」とか「了解!」と応える声が聞こえた。
「あのう、先輩……そろそろ」
同年代に比べて軽量級とは言え、俺を抱えた上に鎧を着こんで走るアリスが心配になり、声を掛けた。すると、彼女は痛いほどに力を込めて、俺の身体を抱え直した。
「私は大丈夫だから、君は黙ってて」
はっ、はっ、と規則正しく息を吐きながら、アリスは涼しい顔をして正面を向いていた。
さっきまで暗闇に怯えて不安気に揺れていた瞳は、力強く前を見据えていた。
「でも、次の戦闘は命懸けですよ」
「あら、私はいつだって命懸けよ」
冗談で言っているのか、それとも本気なのか、俺には良く分からない。
だけど、俺が彼女のそんなところに魅かれている事実は、もう認めるしかないだろう。
「ほら、もう角まで来たちゃった」
首を巡らすと、俺とアリスを除くパーティの面々はすでに角を曲がり、姿が見えなくなっていた。
「残念だけど、ここまでね」
彼女はそう言って、角を曲がる直前に立ち止まった。それから、ふうっと大きく息を吐き、甘えたような声で「ねえ」と俺を呼んだ。
「はい、なんですか?」
姫だっこされたまま、俺はアリスの顔を見上げた。キャスティングが間違っているようなシチュエーションだけど、気にしているヒマは無い。何せ背後からは凶悪なドラゴンが迫っているのだ。
「私を守って、シンナバル」
真っ直ぐな瞳で、彼女は言った。
「そうしたら、私があなたを護ってあげる」
俺は迷うことも、飾ることも無く答えた。
「護ります。俺はアリス先輩を、貴女を護ります」
俺の炎で彼女を護る。そう心に誓ったばかりだから。
「ありがとう」
彼女はそうっ、と俺の額にキスをして、俺の身体を降ろしてから角の向こうへ駆けて行った。
俺は背後から迫りくる殺気と、地面を震わすカーディナル・ファングの足音を全身に感じながら、額に手に触れて、そこに残った優しい気配を確かめた。
――――護る為の、炎。
俺は、経験したことが無い「熱さ」が、心の奥底に宿るのを感じていた。
今までは敵を焼き、燃やし尽くすことでしか、その存在を確かめられなかった俺の炎。
だけど、新たに手にしたこの炎は、闇を払い、暗闇を照らし、凍えた身体を暖める炎。
師匠は「散々迷って結論を出した」とアドバイスをくれたけど、俺にはこの炎の正体が何なのか、まだ良く分からない。
だけど、この痛いような、この苦しいような熱さだけは、きっと確かなものなんだ。
胸に宿ったこの熱を
心に宿ったこの炎を
俺は誰にも消させやしない。