第132話 ロスト・コデックス
「……では、どうして砦は地中に沈んだの?」
背後に立つ、リサデルの発する異様な気配に背筋が凍る。
俺は助けを求めるような気持ちで、隣のアリスを横目で見た。昔話には興味の無さそうな彼女は、カールした金髪の毛束を手に、枝毛を探すのに夢中な様子だった。
「その狂王の砦が湖に浮かぶ島に築城されていたとしたら、おかしな話よね」
もっともな疑問だけど、どうしてリサデルは砦なんかに拘るのだろう? 彼女が単なる歴史好きの女性だったとしても、その熱の入り様は普段の控えめで穏やかな印象からは掛け離れている。
「これは『六英雄物語』にもあるんだけど、『狂王軍との最終決戦は、辺りの景色が一変するほどの激しい闘いであった』、って記述があるよね」
それでもセハトは、普段と違うリサデルの様子なんて気にも留めていないように返答をした。
「そもそも地形学や陸水学的な知見からも、この辺りに湖が形成されるのは不自然なんだ。学院都市の近辺には大きな断層も無いし火山も無い。それに土の性質から考査しても……」
地図の話になると、やる気スイッチが入っちまうセハトの悪い癖が出た。俺はリサデルの呪縛から逃れるためにも、「ちょっと待って」と話の腰を折った。
「じゃあさ、その最終決戦が原因で湖が出来た、って事?」
適当に思いついた事を言っただけだが、セハトは驚愕の表情を浮かべ、よろけるように後ずさった。
「し、シンナバルがまともなこと言ってる!?」
「お前……あんまり馬鹿にすんなよ」
「へへっ、ごめんね。これはあくまでボクの想像だけど、すっごい魔術とか使ったんじゃないかな? 第七位魔術の『核撃』みたいな?」
セハトは両手をいっぱいに広げて「どかーん!」と言い、ついでに小さく飛び跳ねた。
「第七位魔術……」
あまりにも強烈な破壊力の為、崩落の危険を孕む地下訓練施設内では行使を禁じられている『第七位魔術・核撃』。そんな建物一つを丸ごと吹っ飛ばすほどの大魔術ならば、地面に大穴を穿つことも容易いだろう。でも、圧倒的な威力を誇る『核撃』を使ったのだとしても、湖が出来上がるほどの大穴が地面に空くとは思えない。
……いや、もしかしたら『魔法』だろうか?
最近の魔術科の研究では、五百年前の戦乱の時代には、第七位魔術を超える強大な『魔法』の存在が確認されている。
◇◆◇
一軍をまとめて凍りつかせるほどの冷気を発生させる『絶対零度』
有象無象の区別なく、魂ですら分解消去する『完全消失』
天空から燃え盛る隕石を召喚する『隕石雨』
そして、大魔法使いにして六英雄「赤き魔女」の得意とした、膨大な熱量であらゆる物質を一瞬にして気化させる『紅炎』
◇◆◇
「魔術」を超える「魔法」。それらは世界を滅ぼしかねない禁忌と認定され、その全ては大陸の何処かに封印された。今では失われた魔法、すなわち『遺失魔法』という名目で、研究・分析される為だけの存在と成り果てている。
「プロミネンスか……」
自分の中に流れる「赤き魔女」の血を意識して、右手を握りしめてみた。そんな俺の意識を汲み取ってか、鋼鉄の腕が熱を帯びてくる。
……ダメダメ。落ち着け、俺。いつも師匠に言われてるだろ。平常心、平常心。
「何をぶつぶつ言ってるの?」
アリスが不思議そうな顔をして、俺の顔を覗き込んできた。
セハトの御高説は相変わらず続いていたが、俺はこの先輩が史学を苦手としている事を良く知っている。
「あー、分かったぁ!」
「分かった、って何がですか?」
「シンナバル君が考えていること」
……俺が考えている事だって? まさか、リサデルの監視の事か!?
動揺してつい目が泳いでしまう俺に向かい、アリスは吐息がかかるほど距離まで顔を近づけてきた。その翠玉のような瞳の吸引力に、目を逸らせなくなってしまう。
「お、俺は別に何も……」
「うふっ、当ててあげよっか?」
「いや、別に間に合ってまして……」
「キミが考えていること。それは……」
「そ、それは?」
「それはぁ、わ・た・し・の・こ・とおぅっ!?」
ガンッ! と大きな音と共に「痛い!」と短い悲鳴を上げて、アリスは兜を被った頭を押さえてしゃがみ込んだ。
俺は、彼女の保護者のように付いて回るリサデルが、アリスの頭に雷でも落としたのかと思ったのだが、そうでは無かった。リサデルは熱心な様子で、セハトの熱弁の続きを聞き入っていた。
「なんだ、これ?」
左の掌を上に向けると、何か小さな物がポツポツと手に触れるのを感じた。ふと天井を見上げると細かい砂が目に入り、思わず袖で顔を覆った。
「全員警戒! 隅に散れ!」
アッシュの指示が飛び、俺は頭を押さえて唸っているアリスの腕を引き、抱えるようにして広間の隅に走った。そうしている間にも、雹のように降り注ぐ小石に混じり、煉瓦の塊が天井から落ちてきた!!
「な、何だこれ!? まさか崩落!?」
「こんな所で生き埋めは嫌ぁ!!」
「みんな落ち着いて! ボクの計算では、ここはそんな簡単に崩落しないから!」
ただでさえ薄暗い地下が砂煙に包まれ、ランタンの光が届かなくなる。
俺はもう必死で、降り注いでくる石の塊からアリスの身体を護った。普段は煩わしいと思う鋼鉄の腕だが、今日ばかりは頼もしい。
もうもうと広がる砂の煙に視界が塞がれて、アリス以外のパーティメンバーの姿が見えなくなる。落石の立てる轟音で、アッシュが何か叫んでいるのは聞こえても、指示の内容までは聞き取れない。
堪らず俺は、アリスに覆い被さるようにしてしゃがみ込んだ。
「くそっ! どうしたら……」
このままここに居て大丈夫か? 壁伝いに移動した方が良いんじゃないか? ……落ち着け、俺。師匠だったらどう考える?
「何か、いる?」
鋼鉄の腕で落ちてくる煉瓦の欠片を払い除けながらも、天井にあたる方向から何か大きな生き物の気配を感じ取った。
危険を感じて即座に立ち上がろうとすると、アリスは親を求める子供の様に、俺の左腕にしがみついてきた。
「先輩、天井に何かがいます! 臨戦態勢を!」
俺はアリスを引き立てようと立ち上がりかけた時、初めて彼女が震えている事に気が付いた。
「せ、先輩? どうしたんですか?」
どんなに恐ろしい姿をした怪物が相手でも、怯むことなく笑みさえ浮かべて突撃するアリスが、目に涙を浮かべて震えている。
「どこか痛めましたか!? 落ち着いて下さい!」
「わ、私、暗いの駄目……怖い、怖いよ」
小刻みに震えるアリスの姿に、何故か心臓を鷲掴みにされたような痛みを胸に覚えた。
立ち込める砂煙を吸い込んだせいか? 喉がひりつく。
目に入った砂のせいか? 視界の端が赤く染まる。
俺はアリスを抱きかかえながら立ち上がった。そして、自分でも何が何だか分からない感情が腹の底から湧いてきて、思わず叫び出していた。
「点火!!」
そこに居るのが何だか知らないが、俺の炎で焼き尽してやる。
そして俺はこの女性を、俺の炎で守りきるんだ。