第130話 日の当たらぬ、地下でのひとときを
集合の呼びかけに応えた俺とセハトは、大振りな地図帳を手にしたアッシュと、彼に寄り添うリサデルの二人の前に並んだ。それからのんびりした歩調でシロウが続き、最後にアリスが鎧を鳴らして駆けて来て、俺の隣りに立った。
アッシュは横並びに整列した俺たちの顔を見渡し、満足げな笑みを浮かべて口を開いた。
「揃いましたね。では先ず、これを見て下さい」
大袈裟な口調と仕草で地図帳を広げ、目線の高さに掲げるアッシュ。
この人、何するにもイチイチ芝居がかった事をするんだけど、それがイヤミに見えない所は、素直に凄い思う。
「皆も目にした事があると思うが、この地図帳は魔導院が正式に配布しているものです。そして――――」
そこでリサデルがタイミング良く、まるでリハーサルでもしてたかのように一枚の紙をアッシュに差し出した。それを「ありがとう」と受け取りつつ、アッシュは地図帳をリサデルに手渡した。
「こちらが先日、セハトが新たに書き起こしてくれた地図です。これを見比べてみると……」
要点だけ伝えれば良いのに、なんて面倒臭い。なんて口には出さずに黙って聞いていると、隣りで何故かニヤニヤソワソワしていたアリスが、俺の耳元に口を寄せてきた。
「ねえ、見て。あの二人」
俺の耳たぶに唇が触れる様な近距離で、アリスはコソコソと呟いた。
「良い雰囲気だと思わない?」
仄かに香る薔薇のような良い匂いは香水なのか、それとも石鹸の香りなのだろうか? 女の子特有の甘い芳香に動揺しつつも、俺は言われるままに「あの二人」の様子を観察した。
声高に探索方針を説明するアッシュと、甲斐甲斐しく資料を渡し、手にしたランタンで地図を照らすリサデル。息の合った二人の姿を見て、すぐにピンときた。
「教官とアシスタントみたいですね」
正面を向いたまま小声で言うと、アリスは、くすっと吹き出した。
その息が耳の穴に入り、俺は未体験なくすぐったさに、思わず「おわわっ!」と、変な声を上げてしまった。
「こら、そこ! 聞いてますか!」
まるで教官そのもののような叱責に、俺は「すいません」と、すぐに頭を下げたが、アリスは何事も無かったように澄まし顔で正面を向いていた。ホント、この人は優等生ぶるのが上手い。
ちゃんと話を聞いていて下さい、と釘を刺してからアッシュは咳払いをし、その隣では困ったような顔をしてリサデルが微笑んでいた。その笑みは俺に向けられたのだろうか?
「そして、ここが肝心なところです。公式の地図では未記入だった部分が、セハトのお陰で、その殆どを埋める事が出来ました」
高々と掲げられた地図に、シロウは「ほう」と短く声を上げ、アリスは「すごーい」と手を叩いた。
「本日の探索は、『地図に間違いが無いか』の確認が主な目的でしたが、セハトの地図はかなり正確にマッピングがされているようです」
パーティメンバーの前で褒められて照れ臭そうにして下を向いたセハトに、「やったね」と俺は声を掛けた。するとセハトは、「でもね」と小さな声で返してきた。
「あの地図、武器屋さんのお店で見た地図を元に製図し直したんだ」
「師匠の店で? なんで師匠の店に地下六階の地図が?」
師匠は学院の生徒だった頃、それほど深くには潜っていない、と聞いた事がある。どういう事だろう?
「じゃあ、師匠は地下六階に行った事があるってこと?」
「ううん、違うよ。武器屋さんのお婆ちゃんが遺した地図帳を見せて貰ったんだ。その中に地下訓練施設の地図があったんだよ」
へえ、そうなんだ、と意外な事実に思わず声が出た。
「と、言うことは、師匠のお婆さんは地下六階まで潜った事がある、ってこと?」
「そうだね。多分そうなんじゃないかな」
「そっかぁ。さすがは師匠のお婆さんだ!」
俺は、つい手を叩いてしまい、アッシュからジロリと睨まれた。
師匠も凄いけど、師匠のお婆さんも凄い人だったんだ。戦士だったのかな? それとも騎士? もしかしたら戦乙女だったのかも知れないな。よし、地上に戻ったら師匠に訊いてみよう。
俺は、何だか自分の事のように誇らしい気持ちになってきた。
「うーん……」
想像を膨らませる俺の前で、セハトが気まずそうな顔をして頬を掻いた。
「なに? どうかした?」
俺が訪ねると「あのね……あの地図って、まだ未完成なんだよね」と、返ってきた。
どういう事? と聞き返そうとする前に、アッシュがセハトの名を呼んだ。「前に出て説明をしてくれるか」
はーい、と返事をしておずおずと前に出たセハトは、アッシュの手前に立ち、クルリと振り返った。
「セハト、余白部分の説明を頼む」
命令にも聞こえる口調で地図を掲げたアッシュに対して、セハトはむくれた顔で「高くて届かないよ」と文句を言った。するとアッシュは慌てたように、「ああ、すいません」と言い、両手で広げた地図をセハトの背丈に合わせて下げた。
「褒めて貰ったすぐ後で申し訳ないんだけど、この地図には不備があるんだ。この部分を見てくれる?」
セハトは、その小柄な身体には不釣り合いな革手袋でもしているような手で、アッシュの掲げた地図の未記入の部分に触れた。
「みんな、どう思うかな?」
そのまましばらくの間、セハトを除く俺たちのパーティは、第二階位神聖術「妙なる静寂」をかけられたかのように、誰も一言も発しなかった。
「あのう……これを見て、誰も何にも思わない?」
ぐるりと一同の顔を見渡したセハトが、焦ったかのような顔をする。
「えーっ、と……一部分だけ、何にも描いてないなぁ、ってくらいしか分かんない、かなぁ」
誤魔化すような半笑いを浮かべ、自信なさげに答えるアリス。正直なところ、俺も同意見だ。
「ちょっ、アッシュ? 寮長さん?」
引き攣った笑顔を浮かべるアッシュと、その隣で微笑みながら首を傾げるリサデル。多分、俺と同様の心境だろう。
「うそっ! シロウさんは!?」
部屋の隅に目をやったまま、咳払いをするシロウ。釣られるように、俺も咳をしておいた。
「じゃあシンナバルは? って、どうせ分かんないよね」
「お前、それはどういう……むぐぅ」
思わず大きな声を出しかけた途端に、隣りから伸びてきた手が、柔らかく俺の口を塞いだ。
「地下で大きな声を出しちゃダメ」
コクコク頷き返すと、アリスは「良い子ね」と微笑んで、俺の口から手を退けた。
「もー、しょうがないなあ。じゃあ、マッピングに興味も知識も愛情も無い君たちに、今から説明するから聞いててね」
はーい、と返事をしたのは俺とアリスの二人だけで、あとの皆は頷くだけだった。
ちょっと短いですが、次話はややっこしいので、ここで分割します。
131話は、半分以上が書けているので、割と早くに投稿します。