第128話 イグニッション
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「点火!!」
俺は右手の中に、炎の塊をイメージした。すると、間を置かずして鋼鉄の拳が火に包まれた。
標的は眼前の死霊戦士、およそ十体。俺はリーダーの指示を仰ぐより先に、鎧を着た骸骨どもの前に飛び出した。
「喰らい――――」
拳に宿った火は瞬く間に成長し、腕全体に燃え移る。
「やがれっ!!」
闇夜を照らす篝火のように燃え上がった炎が自分の身体を焼く前に、俺は大きく腕を左右に薙ぎ払った。
爆炎、としか形容出来ない炎を伴った爆発が、完全装備の骨格標本どもを粉々に吹き飛ばす。
地下訓練施設を揺るがす様な爆発音と、清々しいまでの浄化の炎が消えた頃には、もう俺たちのパーティメンバー以外、動く者は見当たらなかった。
「へへっ、燃えたろ……って、痛いっ!」
炎の一撃でアンデッド・ウォーリアの一団を撃破した快感に浸っていると、突然、脳天に重たい衝撃を受けて、俺は短い悲鳴を上げた。
「シンナバル。何回言ったら分かるんですか」
俺の脳天に強烈な一撃をくれたアッシュが、ガントレットを嵌めた拳骨を退けながら怖い声で言った。
「す、すんません。でも……」
「駄目です。集団戦というのは、ちょっとした命令違反が重大な事故を招く」
前衛リーダーたるアッシュのいう事はもっともだけど、味方に被害を出さずに完全勝利ってのは、ちょっとは評価してくれても良いと思う。師匠だったら褒めてくれるタイミングなのに。
「だいたい君は後衛なのに、どうして最前線に出たがるのですか?」
「え? だって、チャンスだと思ったから……」
「それは戦士や闘士、前衛職の考え方だ。魔術師や神聖術師は、まず敵勢力の内容を把握してから行動に移る、それが定石では?」
「……今後、気を付けます」
「ああ、済まない。叱っている訳じゃなくて、矢面に立つのを恐れない魔術師なんて珍しいな、と思ったんです」
「はあ……良く言われます」
確かに俺は、魔術科の教官や同級生からも変わり種、と思われている節がある。それに、魔術科の講義を受けている時よりも「錬金術の騎士団」の訓練で格闘技の教習を受ける方が楽しいし、魔術科の教官に「炎の扱いはピカイチ」と褒められるよりも、ネイト隊長に「格闘のセンスがある」と言われた事の方が正直嬉しい。
「とにかく、ここは一歩間違えればパーティが全滅しかねない地下六階です。新しい戦術を試したいのなら、もっと上の階でやりましょう。萎縮する必要は無いが、リサデルさんが決めたルールは守りましょう」
アッシュはそれだけ言うと俺の肩を叩き、爽やかな笑みを残して、パーティリーダーのリサデルさんの所へ歩いて行った。
俺はその後ろ姿に向かって頭を下げた。そして、アンデッド・ウォーリアの残存物を調べているセハトと、腕を組んでそれを眺めているシロウさんの元へ向かおうとすると、鎧兜に身を固めたアリス先輩が駆け寄ってきた。
「シンナバル君、怒られちゃったね」
「いえ、怒られていた訳じゃないですよ。アドバイスを貰っていました」
「ふぅん、やっぱり君は性格が良いね。私だったらケンカしちゃうな」
ランタンの灯りの元、真面目な顔で地図を眺めているリサデルさんと、彼女に向かって一生懸命話しかけているアッシュを横目で見ながら、「私、あの人、ちょっと苦手」と言い、アリスはちろり、と舌を出した。
「そうなんですか? アッシュみたいな男性って、無条件に女性に好かれそうですが」
「そうね。彼って、総合戦闘科の女子の中でも人気あるけど、必ずしも全員が全員、タイプって訳じゃないわ。まあ、寮長とはお似合いだと思うけど」
「え? あの二人、お付き合いしているんですか?」
「うふっ。時間の問題じゃないかしら? ほら、見て」
アリスの目線を追うと、そこでは頭をくっつけ合うようにして地図に見入るアッシュとリサデルの姿が目に入った。身振り手振りを交えて何やら熱弁しているアッシュに、リサデルは笑顔を浮かべながら返事を返している。
「アッシュの猛攻撃に、リサデル城、陥落寸前。そんな風に見えない?」
「……そうですか? 俺には何だかよく分かりませんが勉強になります。じゃあ、シロウさんって、どうですか?」
「ああ、あの新しく入った人」
今度はアリスの大きな瞳が、床にしゃがみ込むセハトと、その傍らに佇むシロウに向けられる。
セハトはアンデッド・ウォーリアの残骸を掻き回しながら、時折振り返ってはシロウに話しかけていた。
「彼、謎めいたミステリアスな雰囲気は素敵だけど、何考えてるか分からないし目が怖い。目が死んでる」
「目? ですか。厳しいですね……」
「ねえ、シンナバルくぅん。私の好みって聞いてくれないの?」
ずい、っと近づいて来たアリスの眼差しに、俺は何故だか殺気に似た何かを感じ、思わず一歩後ずさった。
「あ、いえ。それは結構です」
「あのねえ、私の好みのタイプってねぇ」
別に聞いてないッスって、と口にしつつ後退すると、背中に冷たく硬い感触を感じた。まずい、いつの間にか壁際まで追い詰められている!?
「私が好きなタイプってね、まず顔が可愛くってね……」
俺は壁を背に横スライドで逃げたが、彼女はカニ歩きで俺と同じ方向に横移動してきた。
俺よりやや背の高いアリス先輩だが、今日は何だかいつもより大きく感じる。
「髪がサラサラで、目付きが鋭くて……」
ついには部屋の角に追い詰められる。そんな俺に覆い被さるように迫るアリスの威圧感に、どうにも身が小さくなる。
「笑うと八重歯が見えて、顎が小さくて……」
だ、誰か助け……。
「名前はぁ……」
ピンク色の花びらみたいな唇が動く前に、「シンナバルー!」と、俺を呼ぶセハトの声が薄暗い部屋に響いた。
「シンナバル、これ見てー!」
「なっ、なにー? 今いくー!」
俺は、苦々しげに舌打ちするアリス先輩の脇を、すんでのところで罠からすり抜けたウサギのように駆け抜けた。
「セハト、ありがと。助かったよ」
「ん? 何が?」
「いや、何でも無い」
俺は、床を掃除するかのように丹念に観察するセハトの横に座り込み、彼女の手元に目を寄せた。
「で、何?」
「これ。これ見て」
セハトが手に持って俺に掲げてみせたのは、ベージュがかった三日月状の物体だった。それはまるで、巨大なクロワッサンのようなサイズ感だ。
「何だろね? これ」
「武器? ナイフの刃にも見えるけど、いったい何だろう?」
俺は腕利きの戦士である上に目利きの鑑定士でもある師匠に憧れて、選択科目で鑑定科の講義も受けていたが、このクロワッサンの正体は全く見当も付かない。師匠なら一発で鑑定するだろうに。
「拙者には、大きな獣の牙に見えるな」
今まで無言で腕を組み、風景の一部と化していたシロウさんが、ぼそりと声を漏らした。
「獣の牙? 牙……」
キバというキーワードが、頭のどこかに引っ掛る。牙、牙、牙……あぁ、牙か!
「分かった! これ、竜の牙だ! と、言うことは……」
俺は鑑定科の講義で聞いた「竜の牙」から作られるゴーレムの一種、「竜牙兵」の存在を思い出した。
「セハト、さっきの骸骨戦士はアンデッドじゃない。ゴーレムの類だよ」
「土人形? あんなゴーレムがいるんだ」
感心したように頷いたセハトは、鞄からメモ帳を取り出して、何事かを走り書きした。
「そうなると、やっぱり墓じゃないのかな……」
「墓? 墓って、お墓のことを言ってる?」
手を合わせてチーン、と俺が言うと、セハトは「うーん、何だろね」と頬を掻いた。
「こないだ、武器屋さんと話をしたんだ。地下訓練施設って、そもそも何だろう? って」
俺たちが探索しているこの地下六階は、何だかとても古く、とても大きな建物の中の様だ。
床の所々に転がっている光を放つ石、たぶん魔陽石の原石だと思うんだけど、その石が発するボンヤリとしたオレンジ色の光のお陰でランタンや松明がなくても、薄暗いなりに壁や床は判別出来る。でも、ここの天井が高すぎるのか、それとも床からの光はさすがに届かないのか、地下六階の天井がどれほどの高さがあるのかは、俺の視力では目測するのも無理だった。
「師匠とそんな話したんだ。いつ?」
「発情期の話をした日だよ」
俺はどきり、として、思わずアリス先輩の姿を目で探してしまった。
彼女は壁に凭れかかり、リラックスした表情で愛用の槍の手入れをしているようだった。
小さく口元が動いているところを見ると、歌を口ずさんでいるようだ。そして、その碧の瞳は花を慈しむような優しさを帯びていたが、その視線の先にあるのは無骨な銀の光を放つ長槍。
伝説の戦乙女を描いた絵画から、そのまま抜け出てきた様なアリスの姿に、俺は耳まで熱くなるのを感じた。