第122話 本当の強さの意味を僕に教えて
蜘蛛の子を散らすように逃げ出した野次馬の群れを振りかえる事も無く、『錬金仕掛けの騎士団』の隊長が悠然とした歩調で近づいてきた。
……あいつ、どうしてこのタイミングで、この場所に現れた?
「ネイトの奴、何しに出て来やがった……」
俺にとって余りにも都合の良い「出来事」に困惑し、つい独り言が漏れた。
「ネイト? では、あの女性が……」
まだ膝を突いたままのアッシュが低い声で言った。「知ってるのか?」と訊ねると、アッシュは手首を押さえたまま立ち上がり、俺の目線よりも随分と高い位置で頷く。いつの間にか、その手を埋め尽くしていた鱗は殆ど消え失せていた。その間、シロウは木刀を腰帯に差し直し、無言のままに佇んでいた。
「学院の生徒たちの中でも、以前から噂になっていました」
「噂? どんな?」
「魔導院直属の粛清部隊の存在です。例えば、地下訓練施設を禁止薬物の取引に使っていた生徒が始末された、とか、不正を行った教官が地上に戻って来なかった、とか」
「……そうか」
ここ半年くらいだろうか。一介の街の武器屋さんに過ぎない俺の耳にも、『錬金仕掛けの騎士団』の名は入るようになっていた。
アイザック博士は魔導院の汚点を秘密裏に処理する特殊清掃部を特務機関にまで引き上げたが、秘密組織であるはず掃除屋を、なぜ今ごろになって表に出した?
「そして、その粛清部隊を率いるのが『鋼鉄の腕のネイト』。魔導院最強の闘士と噂されていますが、女性だったとは思いも寄りませんでした」
「そんな事まで噂になってんのかよ」
それじゃあ秘密の組織を秘匿するつもりが無いどころか、宣伝して回ってるようなモンじゃねえか。だが今は、博士の思惑、真相を探っている場合では無い。秘密部隊の隊長が何をしに来たのかを確認しなくては。
俺はネイトが到着するのを待たずに、こちらから迎えに走った。そんな俺の耳に、「魔導院最強……」と呟いたシロウの独り言が耳に残った。
「よう、真夜中のお散歩かい? ネイト」
俺が駆け寄ると、ネイトは袖の無い外套の前を開けて片手を挙げて挨拶した。その腕は、先日に武器屋に来たときと同様の細い腕だ。だが、俺の目はその戦闘用には見えない『錬金仕掛けの腕』よりも、彼女が外套の下に身に着けている薄い衣服の方が気になった。
「真夜中のお散歩だよ。カース」
ネイトは開いた外套の前をモジモジと合わせながら言った。「な、なんだ、その……ジロジロ見るな、もう」
彼女が外套の中に着込んでいたのはレオタードと思しき衣服だったが、武器屋としての見立てでは、それはどうも金属で出来ているように見えた。メタルレオタードだと? どうやって着るんだ?
「いや、それって寒くないのかな? と思って」
「要らぬ心配だ。寒さなど動けば直ぐに忘れる」
にっこりと笑ったネイトを、元気の良い小学生みたいだな、と思いながらも「お前、こんな夜中に運動でもしに来たのか?」と訊いてみた。
「暖かいベッドで朝まで寝ていたかったのだがな。出撃要請に応じた」
「出撃要請だと? やはりアイザック博士の差し金か?」
「博士は関係無い。ウチのワガママ姫からお願いさ」
「ワガママ姫? ルルティアの事か?」
口に手を当てて笑うネイト。
優秀とはいえ研究者に過ぎないはずのルルティアが、どうして特務機関の隊長を動かせるのか不審に思ったが、そんな事は後廻しだ。
「お前、出撃と言ったな。何と戦うつもりだ?」
「北の橋にいる眼帯のサムライを、死なない程度にブチ殺せ。それが私の姫の願いだ」
「何だと? どうしてルルティアが?」
「知らんよ。だが、私とタメ張るくらいに強いと聞かされてしまっては、気持ち良く寝てはいられないからな」
困惑する俺に向かい、先ほどの笑顔とは全く別種の笑みを浮かべたネイトは、「持ってろ」と身に纏った外套を脱いで差し出してきた。店員としての本能からか、俺は渡された外套を反射的に受け取ってしまいながらも、魔陽灯に照らされた見事なプロポーションに思わず生唾を飲みこんだ。それは肌も露わな女性の肢体を鑑賞する疾しい気持ちでは無く、美しい野生動物を見た時の感動に近い。だがその動物の正体は、非常に危険な黒い猛獣だ。
しなやかに歩みを進めるネイトの姿に見惚れていると、入れ違いになるように痛みに顔を歪ませたアッシュが俺の所まで来た。
「手首、大丈夫か?」
そう訊くと、アッシュは苦笑いで答えた。
「後で神聖術で治療します。ですが、折角の盾が壊れてしまいました」
「そんくらいで済んだのは、あの盾のお陰と思えば良いよ」
「……真っ向勝負で敗れました。またも人間族に敗れるとは」
「お前さあ、竜人族であることにプライド持つのは良いけど、あんまりそこに拘ると成長しねえぞ」
俺の小言めいた忠告に、アッシュは返事を返さなかった。
彼ら竜人族は、あらゆる種族の中で最も「ステータス数値」の合計値が高い。それは、「生まれつきに優れている」と言う事に他ならない。そんな竜人族は、弱者に寛容で正義感や義侠心に溢れる者が多い。ただそれだけに、誇りも矜持も並々ならぬ物を持っていて、しばしば狭量だったり依怙地だったりして面倒くさい。この竜人族の青年からも、エリート意識に近い物を感じる事がある。
「飛び入りで済まないな。次は私が相手をさせてもらおう」
俺たち二人の注視する先、黒衣のサムライの前に立つダークエルフ。
俺よりも僅かに背が高いネイトと、俺よりも僅かに背が低いシロウが静かに向かい合う。
……どういう事だ? どうしてルルティアは、この時間、この場所でシロウと俺たちが闘り合うことを知った? シンナバルが報告でもしたのか? 違うな。アッシュ以外には俺の計画は誰にも伝えていない。
「隻眼のサムライ……六英雄みたいじゃないか」
「主はまるで黒妖精の女騎士のようだな」
「ふふっ、ダークエルフの女将軍の事を言っているのか?」
「ああ、『六英雄物語』はヤマトの国にもある」
「そうか。君とは、ゆっくり語り合いたいものだな」
薄く笑い合う二人。手を伸ばせば、互いの身体に触れることの出来る距離。それはシロウの刀も、ネイトの腕も問題なく届く間合いでもある。
村雨の柄に手を置いていたシロウが、長く息を吐いた。それは、何年分の溜息を一つに纏めたような深い溜息だった。それから彼は、とても満たされたような表情でネイトを見つめたが、その瞳には微塵の生気も感じられなかった。
「やっと遭えたな、黒妖精。そなたこそ拙者の求めていた者だ」
「嫌な目をしているな、サムライ。私を斃す気概は残っているか?」
変な時間に変な場所で久々に会った知人同士、互いの近況を報告し合うような二人の間に濃密な空気が漂い始めた。それは、闘争の気配。死の気配。そして――――呪いの気配。
「御陵の太刀筋。見事見切って見せよ」
「その目、死にたがりか。君の願い、この私が叶えてやろう」
どちらが先に動いたか、俺の目では追えなかった。ただ、シロウが呪刀『村雨』を抜いた瞬間、後頭部を殴られたかのような痛みが走り、鋼玉石の剣が大きく震えた。
キィイン
澄んだ音が月夜に木霊する。それは金属製の打楽器の奏でる響きにも似ていた。
無数の刃が銀色に煌めき、得物を持たないネイトを襲う。
美しい響きを伴う銀の残光を、ネイトはその場から一歩も動かず、嫋やかな女性の腕で弾いてみせた。鋼鉄の腕では無い、手袋に包まれた細い腕で。
互いが後ろに跳ぶ。一跳びでかなりの間合いが離れた。俺の方に跳んだネイトの鍛え上げた背中が、真紅の髪が目の前にきた。
「ネイト、頼む。シロちゃんを殺さないでくれ」
「さあな。手加減が出来る相手では無さそうだ」
リズミカルにステップを踏み、軽く振り返ったネイトの口の端が、妙な角度で吊り上っていた。こいつ、完全に戦闘に酔っちまっている。
「その腕……仕込みか」
村雨を八双に構えたシロウが、油断のない歩様で間を詰めてきた。一度に距離を詰めるのが特徴の御陵流にしては慎重な歩行術に感じる。
「慣らす気分で出てきたが、少々甘くみたか」
肩を回し、何度も拳を作っては開くネイト。その仕草は、新しい両腕の感触を試しているようにも見える。
「次はこちらから――――」
橋板が砕けるような踏込でネイトが飛んだ! いや、実際にネイトのいた場所の木材が、音を立てて砕け散った。
「征くぞ!!」
シロウの零距離攻撃とは違う、だが、神速ともいえるネイトの戦闘速度は瞬間移動にも等しい。
連続で打ち込まれる嵐のような乱打に、シロウは防戦で精一杯のようだ。そもそも攻撃に特化した職種であるサムライは防御が薄い。拳での乱打の仕舞に強烈な回し蹴りを放ったネイトに向けて、返しの一撃を放ったシロウだったが、その力の無い横薙ぎを、黒い妖精は華麗な後方宙返りでいとも簡単に回避した。
「……もう少しやれると思ったが、ルルティアの情報も当てにならん」
飛び出したときとは打って変わり、音も無く着地をしたネイトは、軽快なステップを踏みながら呼吸を整えた。余力十分に見えるネイトを前に、大きく肩で息をするシロウの口の端からは、一筋の血が流れていた。口の中を切ったのか、それとも内臓にダメージを負ったのだろうか。
……マズイな。このままでは『村雨』の呪いが発動してしまう。その前に俺が何とかしなくては。
「黒妖精よ、一つ教えてくれまいか」
「……闘いの最中に詰まらぬ事を言う。だが、良いだろう」
そう言ってネイトは、拳を構えたままステップを刻み続ける。
「そなたは何故に、そこまでの強さを得た? 何故に、それほどの高みに至った?」
踊るようなステップを止め、ネイトは『錬金仕掛けの腕』を下げた。ほんの短い間だけ小首を傾げていたダークエルフは、足元に揺蕩う湖水とは対照的に滔々と語り始めた。
「守るために。愛する全てを護るために。これまでに私は幾百の敵をこの腕で打ち倒し、幾千の敵をこの腕で打ち砕いてきた。たとえ幾万幾億の敵が立ちはだかろうとも、私はこの腕で全ての敵を撃破しよう」
独白めいたネイトの言葉に、シロウは驚いたような、しかし満足げな笑顔を浮かべた。今さっきまで冥く濁っていたその瞳は、あの頃の輝きを取り戻したかのように見えた。