第121話 秘剣「絶刀・龍牙」
そんな俺の意思と同調するかの様に、背後から大きな歓声が上がった。
「とっとと始めろよ! いつまで待たせんだ!」
「早くやれー! ぶち殺せー!」
「金髪に銅貨四枚、いや五枚!」
「俺は黒いのに銀貨一枚だ!」
予想はしていたが、野次馬どころか賭け事が始まりやがった。俺は後ろを振り返り、風紀委員会の門衛の様子を窺った。
制服姿の衛兵たちは、これから始まるショーを前に沸き立つ群衆に混じって観戦を決め込んでいるようだったが、シロウが現れた時よりも心無しか観客が増えているように感じる。
「……ったく、暇人どもが」
思わず舌打ちが漏れた。あんまり騒ぎが大きくなって風紀委員会に解散でもさせられたら元も子もない。それに最悪、アッシュないしシロウが連行でもされちまった日には後が面倒だ。仕方ない。もうひと押しいっとくか。
「アッシュ! 初手だ、初手に気を付けろ! シロちゃん速ぇぞ!」
返事の代わりに半歩前に出たアッシュは、突きだした盾をやや内向き構え、エストックもどきを盾の裏に隠す様に持った。
シロウの突きをインサイドに往なして、無防備な背か脇を突くつもりか。
……良いねぇ。アッシュの奴、見た目こそ正統派だが、実戦に則したその闘リ方は傭兵仕込みだ。
「おい! いつまで睨み合ってんだ!」
「お見合いを見に来たんじゃねえぞお」
やいのやいのと無責任なヤジを飛ばす観客を前に、じわりと間合いを詰めるアッシュ。それに対し、シロウは月見でもしているかのように茫洋と突っ立ったままだ。
「最初に言っておく」
一陣の強い風が吹いたが、シロウの声は通る。その静かな圧力にヤジが止んだ。
「殺す気で来なければ、拙者には勝てぬぞ」
「挑発のつもりですか? だったら今一つですよ。煽るのが上手い人が、僕の後ろにいましてね」
そりゃ、俺の事か? そう思いつつ、鋼玉石の剣を後ろ手に隠し持った。
「……挑発?」
知らない単語を聞いた時のような顔をするシロウ。向き合う二人の間を、薄闇のような沈黙が支配した。
願っても無いくらいに場の流れは上々だ。後は二人が激突したタイミングで飛び出すだけだ。
握りしめた結晶の塊からは、脈動のような振動が伝わる。
踏みしめた橋板からは、呻き声にも似た軋みが聞こえた。
焦るなよ、俺。
「ああ、そういう意味か」
先に沈黙を破ったのは、沈黙を作りだしたシロウ本人だった。
「挑発という行為をした事が無くてな。悪いが気が付かなかった」
「だったら何だと言うのですか」
「殺気が薄い。そう申して居るのだ」
相対する騎士とサムライ。
辺りの空気が密度を増す。闘争の空気を察してか、観客からは僅かなザワつきしか漏れなくなった。
シロウは肩に木刀を担ぎながら、空いた方の手で腰に差した刀の柄頭に触れた。何かを確認するかのように。
「もしかして、僕が賞金を狙っているとでもお考えですか?」
微かに震える語尾に怒りの感情を覚えたが、俺の角度からではアッシュの後姿しか見えない。そして、その戦闘姿勢には僅かな淀みも無い。
臨戦態勢を整えるアッシュに対し、シロウは相変わらずの様子で無造作に間合いを詰める。
「違うのか? まあ、どちらにしても些事に過ぎぬ。どうした? 殺るのか? 殺らぬのか?」
「……随分と甘く見られましたね」
何なんだよ、この展開……俺の描いた画が変わっちまいそうじゃねえか。
「僕の方が強い。それを今、証明してやる」
「その程度の覚悟か。来い、魔導院」
橋板に穴が空くほどの踏込で、アッシュが先に仕掛けた!
両手持ちの刺突剣ほどでは無いにせよ、かなりの重量があると思われる細身の剣での攻撃がシロウを襲う。顔面、胸郭、下腹と正中線を正確に狙う三連撃、左右どちらに逃げても避けるのが難しい連続攻撃を、シロウは宙に浮くようなバックステップで躱した。
「それで精一杯か? もっと殺意を練れ。そうで無ければ――――」
シロウは木刀を両手で握り、改めて担ぎ直した。
「斬るに値わず」
篝火の中で、薪が弾ける音が響く。
それが合図だったように、音も無くシロウが前に跳ぶ。
――――零距離攻撃!!
宵闇に溶け込むように消えたように見えた黒衣が、一瞬の内にアッシュの前方に出現した!
短く激しい金属音。残響を残したまま、ぶつかり合ったビー玉のように違う方向に弾け跳ぶ二人。
短いステップで踏みとどまったのはアッシュ、大きく後方に跳んだのはシロウの方だった。
「ほう、盾で防ぎ切ったのは貴様が初めてだ」
「受け流し仕切れなかったのは久しぶりです」
シロウは木刀を手で、アッシュは盾を目で確認しながら、互いに不敵な笑みを浮かべ合った。
「まだ木刀で闘り合うつもりですか? いい加減、抜いたら如何です?」
「なれば見せろ。貴様の覚悟を」
次はシロウが仕掛けた! 今度は零距離攻撃では無く、俺でも目視出来る動き。だが――――
「は、速えぇ……」
背後のから聞こえた野次馬の一言。まったく同感だ。
凄まじい速さで繰り出されるシロウの連撃は、もはや残像しか目に映らない。だが、アッシュはその尽くを盾と剣で弾いてみせた。
シロウが一連の攻撃の束の間、息を吐き切ったその瞬間を狙ってアッシュが斬り払う。だが、斬撃には向かない刺突剣の一撃は、黒い外套の裾を掠めただけに終わる。
距離を取るように後方に跳んだシロウを追って、アッシュが前進する。俺がその後ろを距離を保ちつつ詰めると、観客までが釣られるようにして前線を押し出した。
「参ったな……」
これで今日、何度目の舌打ちだろう?
まさか、これほどハイレベルな攻防になるとは……これでは付け入る隙が無い。それに、シロウが村雨を抜いてくれない事にはどうにもならない。
「いいぞ。練れてきたな」
「言った筈です。僕の方が強いと」
シロウが腰帯に木刀を指し直し、村雨の柄を握る姿が目に入った。いよいよ真剣を抜くのか? 鋼玉石の剣を握る俺の手にも力が入る。しかし、シロウの手は再び木刀の柄に戻った。
おそらく『村雨』には彼我の力量の差を量る能力がある。呪刀が認めるだけの実力を示さないうちは、シロウは抜くつもりが無いのだろうか。それとも、あれだけの戦闘能力を発揮するアッシュが相手でも、木刀一本で勝てると踏んでるのか? だが、シロウの実力を凌駕する存在が現れたその時こそ『呪刀・村雨』の呪いが発動する。それだけは避けなくてはならない。
「どうすりゃ良いんだ……」
鋼玉石の剣を最大出力で解放すれば、鞘に収まっていようが呪刀を粉砕する事も可能だが、「鋼玉石の剣」に施された封印術式を最大解除するには時間が掛るし、その分だけ隙が大きくなる。しかも、外しちまった場合には、俺に打てる二の手は無い。
ひとり煩悶する俺の目の前で、二人の動きが止まった。互いが間合いに入ったのだろう。
「主は隠しているな。いや、『抱えている』と言うのが正しいか」
「……何を、ですか?」
「その澄ました顔の下の餓えた本性を。何が欲しい? 何を求めている?」
「馬鹿な……僕は強さ以外の何も求めてはいない!」
「なれば引き摺り出してやろう」
シロウは斜に構え、木刀の柄に手を添えたまま、しゃがむように膝を落とした。小柄な彼が姿勢を低くすると、まるで子供が蹲っているようにも見える。だが、その小さな身体の中に籠る巨大な殺気に思わず息を飲んだ。
只ならぬ気配にアッシュが半歩退いた。しかし、誇り高い青年は、失った半歩を補うように一歩を踏み出した。
――――駄目だ! その半歩は余計だ!
人の意思は、すぐには口と連動しない。
アッシュの足元から、小動物の悲鳴のような橋板の軋む音が聞こえた瞬間、シロウの姿が沈み、掻き消えた。
「避けろ!!」
それだけ言うのが精一杯だった。耳がおかしくなる様な重く鈍い破砕音に、その場にいた誰もが耳を抑え、身を竦ませた。
何が起きた? 呆然と立ち尽くす俺の頭上に、固く平べったい何かが降り注いできた。肩に乗った一枚を摘まみ、眺めてみた。なんだ、コレ? 鱗か?
「御陵流奥伝――――絶刀・龍牙」
振り切った木刀を肩に担ぎ直したシロウの前で、アッシュが刺突剣を取り落し、膝を突く。その周りに鱗状の金属片が散った。
「大した盾だ。その左腕、丸ごと貰ったと思うたが」
敗者を嘲るのでも無く、敢闘を讃えるのでも無いシロウの声に、左手首を押さえたアッシュが顔を上げた。憎しみの籠ったその視線はシロウに向かい、押さえた手首は力無く不自然な方を向いていた。
「……調子に乗るなよ、人間如きが」
アッシュは吐き捨てるように呻き、折れた手首を包んだグローブを毟り取った。
俺は慌ててアッシュに駆け寄り、覆い被さる様にして青年の肩に手を置いた。
「止めろ。ここでそんなモン出したら、この街に居られなくなるぞ」
アッシュの左手の甲に浮いた青銅色した一枚の鱗が、不気味に明滅を繰り返している。こいつ、こんな所で「竜鱗の盾」を発動しようとしやがった。
「お前、プライドってのが無いのか!? それでも騎士か!!」
「黙れ! この僕を愚弄するか!!」
「愚弄だと? 生意気なこと言ってんじゃねえよ。お前はまた油断したんだ!」
俺の言葉に、奥歯を鳴らすような悔しげな顔をしてアッシュは項垂れた。
「それで……どうするのだ?」
シロウは俺に言ったのか、それとも未だに不穏な空気を発するアッシュに問いかけたのか。
歯噛みするアッシュの左手が鱗に覆われていくのが見えた。
……もう、これ以上は駄目だ。ホント悪かったな、アッシュ。
「シロちゃん。次は俺が相手しよう」
無策にも等しいが、やるしかない。
決意を胸にシロウに対して向き直ったその時、野次馬どもから大きなどよめきが巻き起こった。
「なんだ? 女か?」
「あのマント、あの紋章は……」
「に、逃げろ! 特務機関の掃除屋だ!」
振りかえると、逃げ惑う群衆の中を掻き分けるでも無く、自然と開けた人垣の中から魔導院の外套を纏った人物が歩み出た。
篝火に煽られる、炎と同じ色の長い髪。
鋭すぎるほどの冷たい美貌。燃え上る紅玉石の瞳。
それは魔導院の誇る最強の戦力。
歪んだ錬金術が生み出した真紅の女帝。
「錬金術の騎士団!? どうしてお前が……」