第117話 少女と言う名の暴虐
「トランプか……カードゲームは、もう何年もやってないな」
二の腕を覆った手袋を見つめながら、ネイトは呟くように言った。
「そう? じゃあ、今度やろうぜ」
「私に出来るだろうか?」
鋼鉄の腕では難しいかも知れないが、ルルティアが作ってくれたという、その新しい腕ならば、カードゲームも十分楽しめそうだと俺は思った。
「出来るさ。なんせルルティアが作ったんだろ? その腕」
「ああ、そうだな」
子供のように無邪気な笑みを浮かべるネイトの姿にクラリとくる。俺は正直、クール系美女のこういった仕草に弱い。
俺はわざとネイトの顔から視線を外し、ぶっきらぼうを装った。
「で、ウチに何の用? 買い物か?」
「えっ? ああ、あのな……」
ネイトは一転、しどろもどろになり、モジモジし始めた。エルフ族の特徴とも言える長い耳の先がピコピコ上下している。これはエルフが動揺しているときの特徴だが、こいつは何を動揺してるんだ?
「あああ、あのあの、こここ、これっ、ゆっ、ゆう、ゆうえ、えんち……」
聞き取りにくい台詞と共に差し出された紙片を受け取り、しげしげ眺めてみる。
「ああ。これって最近リニューアルした遊園地か。何でも錬金仕掛けの乗り物が売りの」
「にっ、にまい、も、も、も、もらって、い、い、い、いっそのこと、ふっ、ふた、ふたりで……」
「なに? ふたりで何?」
一通りは話せるくらいエルフ語を勉強したつもりだが、これは俺の知らない特殊な方言だろうか?
みるみる内に汗だくになっていくネイト隊長を前に、どうしてやったら良いのかサッパリ分からず立ち尽くすしかない。
その時だ。ブチ破るような勢いで店のドアが開いた。その音に黒猫とダークエルフが同じタイミングで飛び上がる。
「師匠っ! 助けて下さい! って、アレ? そこにいるの、隊長ですか?」
ネイトのそれと良く似た赤毛の少年が店に駆けこんで来るや否や、呼ばれた当の本人は、ぴゅう、と突風の如き勢いで、シンナバルの脇を抜けて店から出て行ってしまった。
「あいつ、いったい何しに来たんだ……」
俺は遊園地のチケットを手にしたまま、猛然と走り去るネイトの後ろ姿を見送るしかなかった。
なんだぁ、ありゃ? と思いつつも気を取り直し、魔導院の制服を着た少年に向き直る。
「んで、お前はどうしたんだ? そんなに慌てて」
上司の走り去った先を振り返っていたシンナバルに声を掛けると、少年は何度か目を瞬いた。
「今の、『錬金術の騎士団』の隊長ですよね? 凄い勢いで走って行きましたが……」
「俺だって何が何だが良く分からないんだ。で、その子は?」
シンナバルの後ろから店に入ってきたのは、ちょっとそこらじゃ目にしないベッピンなお嬢さんだ。武器に例えたら最上級の装飾が施された白銀のレイピアか。それは、武器屋で扱うモンじゃない、美術館にでも飾っておくべき美術工芸品だ。
「シンナバルさんよぅ。お前、隅に置けねえなぁ」
しかも若いお二人さんは、手に手を握り合ってのご来店だ。軽くムカつくね。
「おいおい、ウチはなあ、デートに立ち寄るような浮ついた場所じゃあないぞ。子供は遊園地にでも行け」
先ほどのネイトみたいに汗ダクダクなシンナバル少年と、可憐という言葉が人の形を取ったような少女は、あろうことか俺の目の前でイチャイチャイチャイチャと指を絡め合っている。これはあれだ、いわゆる『恋人つなぎ』ってヤツだ。
「なあに、この失礼なオジサン。ねえ、シンナバル君。この人があなたのお師匠様なの?」
「ア、アリス先輩。師匠にあんまり失礼なこと言わないで下さい!」
「なんだ、この失礼な小娘は。おい、シンナバル。この小娘、お前の彼女かなんかか?」
「し、師匠。やめて下さい。アリス先輩はそんなんじゃないです!」
上目使いに睨みつけてくる少女を、大人の余裕で見下す俺。だが、この少女、どっかで会った覚えがある。ふんわりと輝く金色の髪。新雪のように白い肌。そして、敵意溢るる翠の瞳は……はて、どこで?
「ふっ、二人とも落ち着いて下さいよう」
睨み合う俺たちに挟まれたシンナバルが情けない声を上げる。
「そもそもお前ら、学校どうした? 白昼堂々、学校サボって制服デートとは何事だ」
シンナバルはいつものオーバーサイズな魔術師科の制服。少女と言えば、ギリギリ限界までスカートの丈を短くした総合戦闘科の制服だ。まったく近頃の学院の女生徒はけしからん。いかがわしい嘆かわしい太腿が眩しい。
「ねえ、シンナバルくぅん。いつまでもこんな狭苦しい所にいないで、デートの続きを楽しみましょ」
「なあっ!? いつ、どこで、誰と誰がデートしてるんですか!?」
「んもう、照れてる顔も可愛いんだからっ!」
呆れる俺の目の前で、アリス先輩と呼ばれた少女がシンナバルの頬を突く。
……何なんだ、コイツら。帰ってくんないかな。
「大体ですね、アリス先輩が変な指輪見つけてくるからいけないんですよ!」
「だって、何があっても恋人同士を二度と離れなくしてくれる『恋人の指輪』なんて言われたら、買うしかないじゃない」
「誰と誰が恋人なんですか!」
「わ・た・し・と・あ・な・た」
「ししょー!! この人、呪われてるんです! 主に頭ン中がっ!」
何と無く分かってきたぞ。多分、この女の子が妙な呪物に当てられて、シンナバルに絡み付いてる、そんなトコか。
「シンナバル。お前、『呪物破壊』出来ただろ? やっちまえよ、遠慮なく」
俺はもう、心底どうでも良くなってきて愛猫を抱え上げた。たるーん、と脱力したエレクトラは抵抗する事も無く、俺の懐にやんわり収まった。
「出来たらとっくにやってます! でもこの人、『辰砂の杖』を発動しようとすると猛反撃を仕掛けてくるんです!」
「ねえ、さっきから何の話をしているの?」
「いえ、先輩。こっちの話です」
「だめ。シンナバル君は私とだけ喋るの」
冴えない下級生の首に腕を回す美人な先輩。羨ましい学生生活じゃねえか、まったく。
付き合うのもアホらしい気持ちになってきて、抱えたエレクトラの下顎をくすぐってやると、彼女はゴロゴロと喉を鳴らして気持ち良さそうに目を細めた。今日も絶好調に可愛いな、お前。
「師匠、お願いします。助けて下さい」
「見ろ。俺はいま、エレクトラを可愛がるので忙しいんだ。さっさと学院に帰って神聖術科で解呪してもらえよ」
「こ、こんな状態を他の生徒に見られたら、いったい何て噂されるか……」
「いいじゃん。こんな美人と噂になんなら」
「あら、おじ様。良いこと仰る」
「まぁな」
俺が拳を突きだすと、少女アリスは繋いでいない方の手で拳を握り、コツンと合わせてきた。やっぱ良いよね、総合戦闘科ってのは。
「なんで二人して意気投合してるんですか……」
シンナバルはこの世の終わりのような顔をして、恨めしそうに俺を見た。
ふははっ、なんか爽快な気分だ。なんて冗談は置いといて、いじめるのもこれ位にしてやるか。今の接触で呪いの内容は大方把握したしな。
◆◇◆
『第三等級呪物・片恋の指輪』
その呪いの効果は「想い人の手を握ると、相手の手が離れなくなる」
かけられた呪いの内容は「一方的な愛情が深く強いほど、呪いの効果が強くなり、より手が離れなくなる」
◇◆◇
少女の左の薬指に光るピンクハートの指輪。それが呪物だな。大して害の無さそうな呪いだが、二人の間に温度差があればあるほど呪いの効果は強くなるようだ。
俺はエレクトラを床に放し、二人の様子を観察した。
「考えてもみて下さいよ、先輩。このまま手が離れなかったら、どうやって生活するつもりなんですか!?」
「ずっと二人で生活するに決まってるじゃない。私、子供は三人、犬は二匹が良いな」
「そういう『生活』じゃなくて……もう、何て言ったら良いんだ……」
相も変わらずベタベタする二人、正確には一方的にシンナバルの頬を突いては撫で回すアリスを前に、腰の鞘から『鋼玉石の剣』を、そうっ、と取り出す。どれほどの威力か知らないが、猛反撃とやらを喰らうのは勘弁被りたい。
後ろ手に隠し持った鋼玉石の剣を出力を控えて発動させる。そして、さりげなく少女の背後に回り、シンナバルの手と固く繋ぎ合う左手に狙いを付けた。一つだけ気になるのは、これだけドップリ呪いに飲まれていては、呪物を粉砕した際にそれなりの反動が彼女を襲うだろう。
だが、その一瞬の迷いが失敗だった。俺にしては珍しいほどの状況判断ミス。
「おのれ! 刺客か!」
鋭い気合いと共に繰り出されたハイキックが俺の鼻先を掠めた! たまらず仰け反って回避する。
スカートの中の白いのがバッチリと覗けてしまったが、俺は小娘のパンツになぞ興味は無い。これっぽちもな。
「シンナバル! その子の動きを止めろ!」
「むむむ、ムリですよおっ! ぎいゃあぁ!」
ぶん回されるシンナバルが悲鳴を上げた。傍から見れば、無理やり社交ダンスに付き合わされてるド素人のように見える。
そして、俺はと言えば、連続で繰り出される殺人的な蹴りを避けるので精一杯だ。よくもまあ、片手を繋がれているような状態でこれだけの動きが出来るもんだ。だが、感心している場合じゃない。
「山王都か!? それとも海王都の手の者かっ!」
側頭、延髄、鳩尾、さらには金的。正確に急所を狙ってくるその蹴りは、少女の存外に長い足のせいで攻撃範囲が広くて長い。しかも、膝下を急速に振り切るモーションの蹴りは、軌道が読みにくいうえに重く鋭い。
鞭のように撓る蹴りを辛うじて防ぐ腕や脛にすら、耐えがたい痛みと痺れが走る。
くそうっ! このままじゃジリ貧だ。仕方ない、鋼玉石の剣の出力を上げるか? そうすれば、指輪をピンポイントで攻撃しなくとも呪物破壊が可能だ。だがその分、少女の精神に残る傷は大きく深くなる。
だが、この迷いが二度目の状況判断ミスになった。
激しい動きにたまらず膝を突いたシンナバルの背に少女が乗りかかる。
好機! よろけたアリスとの間合いを一気に詰めた瞬間、跳ねあがった少女の蹴りが俺の顎下を掠めた。ギリギリのバックスウェーで避けたものの、大胆な角度で丸見えになったスカートの中身が――――。
踵落としかっ!? そう思った時には、俺は店の床に沈んでいた。
「貴様、どこの暗殺者だ。正直に言えばすぐ楽にしてやる。言わねば今すぐに殺す」
「それじゃあ、どっちにしても同じだろ」
言い返すと、俺の頭を踏みつけるローファーの靴底から、じゃりりっ、と音がした。
……これはヤバい、本気で殺される。本能的にそう悟った時だ。
「せっ、先輩! ごめんなさいっ!」
シンナバルの悲鳴のような叫びと共に、踏み潰さんばかりの圧力から頭が解放された。機を逃さずに立ち上がり、何が起きたのかを確認する。
そこでは少々背の足りないシンナバルが、上背で勝るアリスに向かい背伸びして、まるで愛し合う恋人同士がするような熱く甘ーいキッスを交わしていた。
俺は深くふかーく息を吐いてから、鋼玉石の剣で出来るだけ小さな刃を作り、脱力した少女の無防備な薬指を突っついた。
「えい、粉砕っ」
パリン、と乾いた音を立てて崩れるピンクハート。
「んはぁんっ!」
何とも悩ましげな声を上げて、アリスは両膝を崩して床に手を突いた。シンナバルは、解放された手を信じられない物を見るような目で見つめ、喜びを全身で表現するかのようにジャンプした。
「や、やった! 手が離れたぁあ!」
自由になった左手を振り回し、歓喜の声を上げたシンナバルは「先輩、ごめんなさい!」と、もう一声叫び、彼の上司と同じ方向に猛ダッシュで逃げて行った。ホントに最低だな、アイツ。
「あー、その、なんだ。取りあえず、ごめんな」
床に手を突いたまま肩を震わせる少女に、それ以上にかける言葉が見つからない。エレクトラがそんな少女の元に近づき、小さな頭を少女の手に摺り寄せた。
「ふぅう……うぅう」
泣いているのか、可哀そうに。そう思っていた。
「うふっ、うふふふふふ」
ビクリ、と後ずさったエレクトラが全身を総毛立たせた。
ゆらりと立ち上がったアリスは、その花びらのような桃色の唇を親指で拭い、そのままぺろり、と舐めた。
「もう。シンナバルったら、可愛いんだから」
唖然とする俺を前に、少女はスカートの裾を摘まみ「お邪魔いたしました」と、上品にお辞儀をして去っていった。
……高等級では無いとはいえ「呪物破壊」の影響が全く無いのか? そんな馬鹿な。もしや、あの恋愛モンスターな態度は呪いが原因じゃなくて素だった、って事か? どちらにしても何て恐ろしい子なんだ。
参ったな、眩暈がしてきた。あーあ、もう一本ルルモニン飲んどくか。