第114話 激闘の果てに
「何でだよ! 何でミサキさんが死ななくちゃなんねぇんだよ!」
抉れた腿の痛みも忘れて立ち上がりかけたが、血を流し過ぎた身体は言うこと聞かず、俺はもんどり打って地面を舐めた。
そんな無様な俺の目の前でミサキはすとん、と膝を突き、そのままゆっくりと前のめりに倒れる。
今まで散々痛い目にも遭ってきたし、辛い経験もしてきたつもりだ。だけど俺は、こんなに悲しい光景を見た事は無い。
「女ながらに見事な死に様。だが、困ったな。大魚を釣るには生餌が良かったのだが」
俺にはもう、ヤツを睨み付ける気力も残っていなかった。
「詮方無い。当主を誘き寄せる役目は貴様に担ってもらおうか」
―――――結局俺は何にも守れなかった。
煮えたぎるような怒りと、どろりとした絶望だけが、血を失いかけている俺の中に残った。
――――ああ、呪いってのはこうやって出来上がるんだな。
足の痛みが薄くなり、意識が遠のいていく。自然と瞼が落ちてきた。
畜生……何だってこんな時にテメェの汚ねえツラが浮かぶんだよ、ビーフィン。こんな時くらいはリサデルの顔を思い浮かべろって、俺。
「お前ら。この大陸モンをそこらの木に逆さ吊りにしておけ」
憎い敵の声だけが耳に残る。
ミサキさん、あんた凄ぇ女だよ。好きな男の為に命捨てちまったんだもんな。俺にはそんな勇気、無いよ。男のくせにカッコ悪いよな。
「おうい、聞こえておらぬのか!」
うっせぇな! 聞こえてんよ! と、心の中で言い返した時、どこからか迫り来る異様な気配に全身が総毛立った。
これは殺気か!? 何者かの攻撃的な意思を本能的に察した直後、重たい物がバタバタと倒れる音が聞こえて、俺は薄目を開けた。
見慣れたサンダル。細くて生っ白い足首。ちょっと猫背気味の背中。黒く長いポニーテール。
「……シロちゃん、なのか?」
辛うじて頭を持ち上げると、そこには逃げたはずのシロウが木刀片手に、何の気無しな風情で立っていた。
「未咲を逃がすつもりだったのですが、まんまと閉じ込められてしまいました。遅くなってすいません」
「遅せぇよ、遅すぎだよ……ミサキさんは、もう……」
シロウは返事をする代わりに、真ん中でへし折られた矢を投げて寄越した。
「未咲は気を失っているだけです。安心して下さい。今はクロちゃんの怪我の方が心配……」
シロウが言い終わるか終わらないかのうちに、俺の頭の上を圧力を伴った突風が通り過ぎる!
剣圧か!? 気づいた時にはシロウの姿は消えていた。
「ほう、俺の一撃を避けるとはな。さすがは腐っても御陵流」
噂に聞く以上の剛剣。簓染之介が振るう大刀は、もはや両手持ちの大剣と呼んでも差し支えない。
「逃げずに良くぞ出てきたな、御陵真刀流。死ぬ覚悟で来たか?」
「斬って良いのは斬られる覚悟のある者のみ。僕は貴方を斬る。その覚悟で来た」
シロウはいつもの木刀を構えたまま、じりじりと距離を取った。その動きは、俺とミサキを戦場から遠ざけるつもりなのだと理解した。
俺はもう、それこそ死ぬ気で立ち上がり、折り重なるように倒れている男たちの中から気を失ったミサキを引っ張り出して、どうにかこうにか肩に担ぐ。
いくらミサキが小柄とはいえ、傷を負った今の俺にはかなりの重荷だ。一歩進みたびに腿を襲う激痛に耐えて、ミサキの身体を引き摺るようにして歩いた。
「ミサキさん、見てやってくれ。あの野郎、やっと本気出したぜ。あんたが頑張ったからだよ」
ぐったりと力を失ったミサキを声を掛けたが、返事は返って来なかった。
大樹の根本にミサキを横たえ、俺はその太い幹に寄りかかり一息吐いた。そのまま座り込みそうになるのを何とか堪え、地面に突き立てた長剣を杖代わりにして柄にしがみ付いた。
「くっそ……眠くなってきた」
瞼が重い。それに夏だってのに何でこんなに寒いんだ。俺は震える手で何度も目を擦った。
でも、俺はまだ倒れる訳にはいかない。シロちゃん。お前の覚悟っての、この俺が見届けてやるからな。
霞む目を二人のサムライの戦いに向ける。
そこでは荒れ狂うような激しい剣撃を辛うじて避け続けるシロウの姿が目に入った。
「小僧! 逃げてばかりでは俺は倒せんぞ」
力任せにも見える太刀筋は、無軌道に見えて的確にシロウを追い詰めつつある。寸での所で切っ先を躱すシロウの身体には、瞬く間に生傷が増えていく。致命傷には至らずとも、あれでは体力が削られるだけだ。
いよいよシロウを塀際まで追い詰めた簓は、大刀を腰に溜める「鋤の構え」に似た構えを取った。
まずいな……あのまま横薙ぎにされたら、シロウには跳ぶ以外に逃げ場は無い。だが、跳んでしまえば今度は二の太刀を防ぐ方法が無い。
「どぅおりぃやあぁ!」
獣の雄叫びのような声を上げ、簓は水平斬りに大刀を振り抜いた。
轟音を上げ、塀が崩れる。まさか、塀ごと叩っ斬ったのか!?
すぐに俺は崩れた塀の下を目で探った。あの斬撃を受けて無事でいられるとは思えない。
しかし、どれだけ探してもシロウの姿は影も形も見つからなかった。
「なにいっ!? 貴様ぁ! いつの間に!?」
驚愕に上ずる声を聞き、簓のデカい図体に視線を戻した。簓染之助が大刀を構え直す余裕も無く飛びずさったのが見えた。
俺は再び目を擦った。
絶え間無く襲う眠気のせいでは無い。大刀を振りかざす巨体の隣に、突然シロウが現れた様に見えたからだ。
振り向き様に斬りつけるも、唸りを上げる大刀は空を斬る。またもシロウは木刀を構える事も無く、簓の身体に触れるほどの位置まで距離を詰めた。
間違いない。これは以前、シロウが武芸者を追い払った時に見せた歩行術だ。
「簓染之介。貴方は僕に勝てない」
焦りと攻め疲れに肩で息をする簓に対して、シロウは勝ち誇るでもなく宣告する。
「おのれい! 大陸の妖術か!」
怒声と共に振り抜かれた殺意の刃は、またもや何もない中空を薙いだ。
「大陸? 妖術? 何の事だ」
巨躯の真後ろ、亡霊のようにシロウが立った。
「奥伝・無調拍節。残念ですが――――」
何よりも戦闘には歩行術を重視する婆ちゃんが言っていた。ヤマトには一瞬にして敵との距離を詰め、死角に潜りこむ必殺の歩行術があると。それこそが最強の「零距離攻撃」、すなわち「不可避の攻撃」になり得るとも。
「その刃、もう僕には届かない」
怒りに身体を震わせる簓の巨体が、思いも寄らない勢いで旋回した。
「なぁめるなァ! 小僧ォ!!」
腰だめに構えた大刀が恐るべき勢いでシロウを襲う。だが、シロウはその致死の斬撃を避けるどころか木刀で受け太刀した。
「シロちゃん!」
塀をも叩っ斬る剛剣を、木刀なんかで受けきれるはずが無い!
俺の叫びと同時に、鋭い金属音が宵深まる庭に響き渡る。一拍遅れて、折れた大刀の刀身が地面に突き刺さった。
凶悪な刺青模様が歪む。多分、俺も同じ顔をしているんだろうと思う。
「命までは取ろうと思っていません。怪我人を連れて帰って下さい」
……あ、甘いよシロちゃん。そういうのが通用するタイプじゃないよ、このオッサン。
予想の通り、刀身を失った柄を投げ捨て、刺青だらけの顔を真っ赤にしたオッサンが、俺とミサキのいる大樹に目掛けて突進してきた!
「うわ、こっち来た!」
まずい。いくら相手が無手だからって、長剣を支えにやっとこさ立ってる怪我人の俺には、あんな凶悪刺青巨人に対抗できるだけの体力は残っていない。どうする? 温存した投げナイフで足を狙うしかないか!?
腰のナイフに手を伸ばした時、シロウが左手をこちらに向け、溜めを作っているのが見えた。あの構えは石造りの照明を破壊したあの技か!?
ドォオン!
それは奴が倒れる音だったか、それとも奴の右肩が破壊された音だったか。
俺の耳がその音を捉えたのと同時に、傷ついた巨体が地に倒れ伏した。
「ぐうおぉお……」
手負いの獣のような苦鳴を上げ、地面をのた打つ簓染之介の右肩は爆発したかのように大きく抉れ、そこからはとめどなく鮮血が噴き出ていた。
「去れ。その出血では半刻と保たぬ」
足元のスキンヘッドに、木刀の先を押し当てながらシロウは言った。
「情けを……かける気か」
木刀を払い除け、千切れかけた右腕を支えながら簓の当主は立ち上がった。
なんてヤツだ。気を保っているだけでも驚異的な精神力だ。
「情け? 違うな」
シロウは血の付いた木刀を一振りした。その延長線に血滴が飛び散る。
「お前はこの木刀一本に敗れた。御陵の強さの生き証人として恥を晒して生きろ」
酷薄な笑みを浮かべてシロウが言った。なまじ綺麗な顔をしているだけに迫力がある。
「ぬうぅ……覚えておれ……」
屈辱に塗れ、傷ついた巨体を引き摺る様にして退散する簓染之介の姿は、人喰鬼どころか幽鬼のように見えた。
その後姿が壊れた門の向こうに消えてから、俺はようやく大きく息を吐き、へなへな地面に座り込んだ。
「だっ、大丈夫ですか!? すぐに医者を呼びますからっ!」
俺の両肩を掴み、半泣きになって喚き散らすシロウの顔には、さっきのド迫力は見当たらない。
……でもさ、シロちゃん。お前、さっき一瞬だけサムライだったぜ。
「へへっ、泣くなよ。ちょっと疲れただけだって。少しだけ……休ませてく……れ」
クロちゃん、ありがとう、と泣きながら微笑むシロウの顔に、リサデルの笑顔が重なったように思えた。
おいおいおい。何でそうなる。だから俺はそっち系じゃ無いって――――