第107話 行ってきました東の果てに
だが、隣りに座るシロウの刀を横目でどれほど観察しても、俺の浅薄な知識では刀の価値すらも測れなかった。
どうする? 貸して見せて触らせて、とでも頼むか? いや、呪物の発動条件が「刀に触れた相手を殺す」とか「刀身を見た者を斬る」とかだった場合、最悪この場でシロウに斬り殺されかねない。
以前、猫の森で破壊した「猫になっちまう鏡」を思い出した。あの鏡は「鏡面を覗き込むこと」が呪いの発動条件だった。言い換えれば、鏡面を覗かなければ害は無かった訳だ。
「お待たせいたしました。火が通った順にお運びします」
鈴を転がしたようなマリィさんの声に我に返る。
ピクルスをツマミに飲んでいた俺たちの前に、見慣れない鳥肉料理が並べられた。串を通した鶏肉を炙っただけのシンプルな料理だが、鶏肉の上から掛けられた茶色っぽいタレからは、嗅ぎなれないが食欲を刺激する甘辛い匂いが立ち昇っている。
「うわっ、これは美味しいですね!」
俺の気も知らないで、さっそく串焼きを頬張ったアッシュが感嘆の声を上げた。
「この甘じょっぱいタレ、不思議な味ですね。初めて口にしました」
「それは醤油という調味料で作る」
「ショーユ? ちょっと詳しく聞かせて下さい」
「主に大豆が原料だ」
「大豆ですか? あの大豆からこんな風味豊かな調味料が出来るのですか?」
「一晩水に漬けた大豆を絞り……」
アッシュの呑気な疑問に馬鹿丁寧に答えるシロウ。竜人族の天然青年と東洋の生真面目サムライの組み合わせは、意外に相性が良いのかも知れない。
盛り上がっているような、盛り上がっていないような二人を横目に、俺も串焼きにかぶりついてみた。なるほど、淡泊でいて肉汁たっぷりの鶏肉に、しつこいくらいに甘辛いタレが良く絡む。
「こんなに美味しい調味料なのに、どうしてこの辺りでは目にしないのでしょう?」
アッシュの素朴な疑問には、俺が答えた。「そりゃヤマトと学院都市じゃあ、距離がありすぎる」
「どれくらい掛るのですか?」
「こっからド真っ直ぐ東に歩いて一ヶ月ちょいでベンドオアという港町に着く。そっから船で一週間くらいだからヤマトまでは都合、一月半くらいか。馬でも陸路は半月はかかるから、やっぱり一ヶ月以上の旅路だな」
「シロウさんは、ヤマトから学院都市まで真っ直ぐ来られたのですか?」
そう問いかけたアッシュに、タンブラーを傾けていたシロウが身体ごと向き直る。死角となる左隣りに座るアッシュとは会話がし難いのだろう。
「いや、暫くは山王都に滞在していた」
「例の武者修行ですか?」
「あまり成果は無かったが」
タンブラーを一気に呷り、口元を拭ったシロウが自嘲するような笑みを浮かべた。
……またあの表情だ。俺の知るシロウは、こんな卑屈な笑い方をするような男では無かった。
それに包帯に覆われた左目には一体何があったのだろう。タンブラーや串焼きを扱う姿や立ち振る舞いから不自由を思わせ無いとなると、昨日や今日に痛めた訳では無さそうだ。
「マスターも武者修行でヤマトの国に行かれていたのですか?」
「そのマスターってのは俺の事か? いつも通りに武器屋って呼べよ。気持ち悪い」
アッシュの口調が普段より軽い。酔いが顔に出ないタイプのようだが、確実に酔っ払ってやがる。
「俺の場合は武者修行というより、武器屋としての勉強だよ。ヤマトってトコは独自の武器や戦術が発達していて面白いんだ」
「そこでお二人は出会われたのですね」
「うーん、出会ったというか成り行きというか。そうだなぁ、一年くらい掛けて二人でヤマトのあちこちを回ったな」
「その時の話、何か聞かせて下さいよ」
目を輝かせるアッシュ。武勇伝をせがむ子供みたいな顔しやがって……。
「そうだなぁ。『八岐大蛇』という、頭が八つもある邪竜を二人で退治した話なんてどうだ?」
「頭が八つも!? 伝説に聞く『九頭竜』みたいですね!」
「ああ、二首蛇を四匹ほど倒した時の話か」
「……シロウ、オチから先に話すな」
オレンジ色の液体を一口含み、仕切り直し。
「頭が狒々、両手足が虎、尾が毒蛇という恐るべき怪物、『鵺』と死闘を繰り広げた話をしようか」
「狒々に虎に蛇!? 正に東洋の合成獣ですね!」
「正体は寺に住み着いた古狸だったな」
「……そうだったねえ」
こいつ、クソ真面目なトコだけは変わって無い。
「他にも『一つ目入道』なんておどろおどろしい名前の妖怪退治を依頼されたら、大陸から流れ着いた気の毒な『単眼巨人』だった、なんて話もあったりしてね」
もう、面倒臭いからオチだけ話すことにした。
「お二人が出会った時の話も教えて下さい」
「初めて会った時の話? 特に面白くもドラマチックでも無いよ」
「あの……恥ずかしながら僕は、今まで友らしい友が出来た事が無いので、参考に教えていただけませんか」
「お前、シンナバルとかセハトは友だちじゃないのか?」
「彼らを友だちと呼んで良いのでしょうか?」
シンナバルとセハトのアホ面を思い浮かべてから、アッシュの顔をまじまじと眺めてみた。
「……その話は保留にする。じゃあ、俺がヤマトの国に渡った時の話をしよっかね」
「その前に」
語りだそうとした俺をアッシュとシロウが同時に制し、タンブラーを高く掲げた。
「おかわりを下さい」
この二人、やはり気が合うようだ。
*
もう五、六年も前になるか。山王都からずっと南の山岳地帯にあるドワーフの郷に住み込みで鍛冶仕事の手伝いをしてたんだ。なに? 武器屋に鍛冶の知識まで必要かって? まぁ、普通の武器屋には過ぎた知識かも知れないけど、俺には「武器屋中の武器屋」になるって目標があったからね。
そこで俺は、鍛冶の師匠ともいえるドワーフの爺さんから「ヤマト」という東の果ての海に浮かぶ群島国家について教えて貰ったんだ。
大陸とは異なる文化や風習に、俺は大いに魅せられた。そんな中でも特に興味を持ったのは、即撃即殺防御無視な軽装戦士「サムライ」と、そいつらの振るう恐るべき切れ味を誇る「刀」という武器だ。
だが、それだけじゃない。槍や弓どころか鎧兜などの防具に至るまで、ヤマトの武具ってのは大陸のそれとは考え方からしてまるで違う。
先の先、対の先、後の先、とにかく先制攻撃に重きを置いた装備と戦術はアッシュ、お前みたいな重装騎士たちとは真逆な世界観かもな。
そこで猛烈にヤマトの国に行ってサムライに会ってみたくなっちゃった俺は、定期船の出ているベンドオアの港からヤマトに向かった訳だ。そのころはまだ俺の婆ちゃんも元気だったし、気軽で気楽な旅路だったよ。ただ、船酔いだけは勘弁して欲しかったけどね。
南風と海流に乗って順調に進んだ船旅は、初めて経験する事ばかりでなかなかに楽しかった。荒っぽいが気の良い船員たちと、悪夢のような船酔いにやっとこさ慣れた頃に陸地が見えて、ちょっと寂しい思いをしたくらいだ。
でも、久々に踏んだ大地の感触は今でも忘れられない。地に足が付いている安心感、いや、安定感っていうのかな? それは大陸だろうが異国の地だろうが同じだね。
ただ一つ誤算だったのは、気が逸るあまりに降りる港を間違えた。
俺の乗ってた定期船はヤマト最大の交易港「ホウライ」行きだったんだけど、いち早くヤマトの地が踏みたい上に、とにかく水が飲みたかった俺は、補給に寄った寂れた漁港で下船しちまったんだな。
お前らみたいな大酒飲みは気にしないかも知れないけど、船上では真水ってのは貴重なんだよ。保存の効く酒とは違って真水ってのは長持ちしない。船員たちからは「酒なら幾らでも飲んで良いよ」って言われてたけど飲料水を制限された俺は、早く陸に上がって冷たい水をガブ飲みしたかったワケだ。
水と新鮮な食い物に飢えてた俺は、さっそく定食屋らしき店に目星を付けて、ヒラヒラした目隠しみたいな布の下を潜った。確か「のれん」って言うんだよね、あの布って。
何? そこが定食屋だと良く分かりましたね、って? ああ、その辺は何となく雰囲気と匂いで察した。それに、ヤマトは使ってる文字こそ独特だけど、言葉に関しては大陸の共通語とそんなに変わんないからね。ちょっとした言い回しとかイントネーションが独特なくらいだよ。山王都の訛りがキツくなった感じかな。
テーブルに着くなり俺は、水ばっかり二杯も一気飲みしてから、メニューの読み方も分から無いなりに焼き魚定食を頼んでみた。初めて見る食材と食器に興奮しつつも悪戦苦闘だ。でも、船の上では魚の塩漬けとか羊肉の塩漬けとか野菜の塩漬けとか、俺が塩漬けになっちまいそうな食べ物ばっかりだったから、食い慣れないヤマトの料理も絶品に感じたよ。
ようやく人心地付いて異国情緒溢れる店内を眺めていると、二、三人いた先客が物珍しそうに俺を見ていた。ニッコリ笑いかけると、先客たちは軽く頭を下げて会釈を返してくれた。
だが、その時だ。ガラの悪そうな若者たちが店内に入って来るなり、先客たちは慌てたように勘定を済ませて出て行ってしまった。
「テメェ、大陸モンだな」
「は? 大陸……モン?」
浮かれ気分で店内を見渡していた俺を、若者たちが取り囲む。意味が分からないまま、しげしげと若者たちの姿を観察してみた。
人数は五人。それぞれが長く伸ばした髪を頭の天辺高くに結び上げ、派手派手しい見慣れない衣装に身を包んでいる。そして、腰には刀!!
「サムライ? あんたたち、もしかしてサムライか!?」
感激のあまりに思わず立ち上がった俺に、若者たちは面食らったようだ。だが、気を取り直した若者の中で、最も背が高い男が詰め寄ってきた。
「オイコラテメェ、誰の許しがあってココでメシ喰ってんだ? この大陸モンが」
大陸モン……ああ、もしかして大陸の者って意味か。
誰の許し……あっ、もしかして会員制なのか? この定食屋は。
どうやらこの若者たちは俺の行動に怒っているらしい。ここはひとつ、アレを試してみよう。
「すまない。誰かの許しを得ないと食事が出来ない店とは知らなかった。この通りだ」
俺は姿勢を正して浅く腰を折った。これは「お辞儀」という謝罪の気持ちを表すヤマトの儀礼だと船員たちに教わった。
しかし、俺の気持ちが伝わらなかったのか、若者たちは腹を抱えて爆笑し始めた。
何が何だか分からなくて当惑する俺の襟ぐりを、先ほどの背の高い男が捻るように掴んだ。とは言っても、その身長は俺の首元までしか無い。大陸の人間に比べて、ヤマトの人々は総じて身長が低めだ。
「オゥコラ、舐めてんのかワレェ!?」
男が凄んで睨みつけてきたが、言ってる意味の半分も分からない。だが、男の背後に控えた若者の一人が刀に手を掛けるのが見えた。
……まずい! サムライってのは先制攻撃の達人と聞く。
ここは殺られる前に倒すしかない!
咄嗟に俺の襟を掴んだ男の手首を握り、内に巻き込むように反転して体勢を入れ替える。すると、男はたたらを踏んで襟から手を放した。それを見計らって無防備になった男の身体を若者たちに向かって思いっきりに蹴り出す。不意を衝かれたか、「ぎゃっ!」とか「うわぁ!」と短い悲鳴を上げる若者たち。
狭い店内では小回りの利く武器が有利だ。俺は腰に左右に差したアタックナイフを両方一度に抜き放ち逆手に構えた。刀を抜かれてからでは遅い。さあ、どいつから倒す?
刀を半ばまで抜きかけた若者に当たりを付け、間合いを詰めた。だが、当の若者は乙女のような悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
思いがけないサムライの行動に意表を突かれた俺は、追いかけるのも忘れて逃げ去る若者たちの背を見送るしかなかった。
あれ? サムライってのは、敵に背を向けるのは恥だとか聞いていましたけど……。
「あのー、すいませんね。お騒がせして」
釈然としないまま、俺はカウンターの裏にしゃがみこんで震えていた店主に声を掛け、その手に銅貨を三枚握らせた。すると、怯えて腰を抜かしかけていた初老の店主は、手の中の銅貨を見て目を白黒させた。
「こ、こんなにいただいて、良いんですかい?」
「いや、店を荒らしてしまって申し訳ない。割れた皿の代金に足りるかな」
ヤマトの国も流通貨幣は大陸と同じだ。だが、物価は十分の一以下とも聞く。銅貨三枚でこの騒ぎを容認して貰えるのなら安いもんだ。
「あいつらの悪さには、私らもほとほと困っているんですよ」
すっかり気を良くした店主は、茶を淹れてくれた上に丁寧に菓子まで付けてくれた。
「さっきの若者たち、あれはサムライじゃないんですか?」
「いいや、お客さん。あんなのサムライじゃないですよ。チンピラですよ、ゴロツキですよ」
「でも、刀差してたよ」
「刀差してりゃ犬でも猿でもサムライですかい、お客さん。馬鹿ァ言っちゃいけないよ」
何だろう。この歯切れの良さに、このテンション。大陸には無い感じで新鮮だ。
「あいつら、簓道場の門弟なんですよ」
「チャチャラ?」
「簓ですよ、さ・さ・ら。お客さん、ふざけてんですか?」
「あ、いや、すいません」
ふざけているつもりは無いんだけど……あれ? チャララ、だっけ?
「簓染之介という男が率いる柄の悪い剣術道場ですよ」
「チョメノスケ?」
「お客さん、染之介。そ・め・の・す・け」
「はい。努力します」
「この辺りじゃあ、昔っから道場って言やぁ御陵道場で決まりだってぇのに、そこの跡取りが出奔しちまってからは、すっかり駄目だね」
「ミチャチャ? ミチャラギ? シュ、シュッポン?」
店主が眉を寄せて俺の顔を睨む。
まずはヤマト言葉に慣れないと駄目だな、こりゃ。