第101話 夢のつづき その瞳に映るもの
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狭い部屋は嫌い。
暗い場所は怖い。
ああ、ここは横転した馬車の中だ。
――――また、あの夢を見ている。
どうして私の無意識は、私が死ぬ夢を何度も見せたがるのでしょうか。
そんなにも私の無意識は、私を幾度も殺したがっているのでしょうか。
「私が御守り致します」
松明の灯りが届かない薄闇の向こうから女性の、侍女の声が聞こえた。
「それが私の務めです」
どこかに転がっているであろう魔陽灯の仄かな灯りの中、侍女の瞳が真っ直ぐに私を捉えていた。私と侍女は互いを抱きあい震えあっていた。
潜めた男たちの声と慌ただしい軍靴の音が聞こえる。馬車の外は俄かに騒がしくなってきた。
――――何度も見て同じ夢をみて、見飽きたお芝居のように一言一句を覚えてしまった。次の台詞はこう。団長、報告です。
「団長、報告です」
横転した車内を松明で照らし、震えあがる私たちを見下ろしていた髭面の騎士が「何事だ」と、私から目を逸らさずに答えた。
「斥候から所属不明の部隊が接近中との報告が入りました」
「魔導院か?」
「いえ風紀委員会にしては装備が一定ではありません」
「だろうな。魔導院は武装中立を保つより他がない。では、夜盗の類か?」
「申し訳ありません。そこまでは確認が取れていません。ただ……」
「ただ、何だ?」
「鎧から兜、盾に至るまで青く塗られた装備で身を固めているようです」
「青、か。間違いはないか?」
「確度の高い情報です」
「……このタイミングで急襲とはな。撤退だ」
「は?」
「聞こえなかったのか。総員、撤退戦の準備。急げ」
「だ、団長!? 我ら山王聖堂騎士団が刃も交えずに撤退など!」
「青備えは海王都の傭兵団、海星傭兵騎士団だ」
「シ、シーザスターズ!? あ、相手にとって不足はありません」
「当作戦は可能な限り流血を避けなくてはならない。我らの使命は、何者かに誘拐された第三王女の救出。だが、我々は王女を連れ去った馬車には追いつけなかった。意味は分かるな」
「はっ、全ては女王陛下の御為に」
「では行け」
馬車の外が一度に騒がしくなったが、すぐに何も聞こえなくなる。
騎士団長の握った松明の燃え爆ぜる音だけが夜闇を支配していた。
「苦痛無く送って差し上げるのが女王陛下の願いで御座いましたが、その余裕も無くなりました。だが、これも山王都の安寧の為。赦されよ」
物心付く前から私を見守っていてくれた、立派なお髭の優しい騎士団長。その彼が、私に目掛けて燃え盛る松明を投げ込んだ。
あっ! と声を上げる間も無く、私の寝間着に松明の炎が燃え移る。
「王女様! 王女様!」
侍女は金切声を上げて私の寝間着に引きちぎり、カーテンに燃え移った炎を叩いて消そうと、車内を狂ったように暴れ回った。私は生きたまま燃やされる恐怖と激しい苦痛に、身を捩って泣き叫ぶほか無かった。
瞬く間に炎はソファにまで燃え移り、苦い煙が狭い車内を満たし始める。
「助けて、御姉様! どうか、どうかお助け下さい!」
――――私を殺す命令を出した姉王を、最後の最後まで信じていた。
私はなんて愚かな少女だったのだろう。
私の目を潰したのは、炎だったのか煙だったのか、もう何も見えない。
私の喉を潰したのは、炎だったのか煙だったのか。もう何も喋れない。
私の心を潰したのは、炎だったのか煙だったのか。もう何も感じない。
でも、
私の命を奪ったのが、炎だったのだけは確かだった。
――――私は死んだ。炎に巻かれて死んだ。火刑に処された咎人のように。
「……じょ……さま」
私を呼ぶ声が聞こえる。
私は眠っていたのでも、意識を失っていたのでも無い。私は死んでいた。ついさっきまで。
でも、どうした事だろう。今はたっぷりと睡眠を取った朝のように清々しい気分。爪の先から髪の一本一本に至るまで生気が溢れているみたい。
東の空が白み始めていたが、馬車に燻る炎の方がまだ明るい。
「……うじょ……さま……」
私を呼ぶ侍女はどこ? 薄暗い森には焼け崩れた馬車以外は何も目に入らない。馬どころか御者さえもいなくなっていた。
「……よかった」
私の足元で炭のように真っ黒な木材が何か喋っている。
早朝の森の寒さに身体が震えた。肩に掛けていたショールで身を包もうと両肩を探ると、苦いような臭いのする黒い布が地面に落ちた。ようやく私は、自分が殆ど裸でいる事に気が付いた。
ちょっと! なあに、これ!? こんなはしたない格好をしていたら御姉様に笑われてしまう。御姉様は朝食の前に剣の稽古をされるから、早く着替えをして朝のご挨拶をしなければ。
途端に笑いが込み上げてきた。何でこんなに可笑しいのだろう。笑いが、涙が止まらない。
私の足首に細い棒きれが絡み付いた。これは何かしら? どうして焼け焦げた木材が動いているの?
「……ご……ぶじ……よか……た……」
ちょっと、そんなところに寝転がっては駄目。私が幼い頃に「床で寝ちゃいけませんよ」って、あなたが叱ってくれたのでしょう。
「……まどう……ん……まってます」
一人で行かなくちゃいけないの? 私は一人でお城から出たことも無いのというのに。
「……つぎは……いもうとが……まもる」
絹糸のようだった艶やかな髪も、滑らかな陶器のようだった白い肌も見る影も無かった。
暖炉の中の燃えさしみたいな姿に成り果ててしまった侍女は、残る力を振り絞るようにして私の足にしがみ付いた。
私はしゃがみ込んで可哀そうな侍女を胸に抱いてあげることにした。
「……ああ……なんてあたたかい……私は、我が一族は……王女様の御為に」
私は侍女の瞼を閉じてあげた。彼女はもう、その美しい瞳で私を見つめてはくれない。
――――私はこれからどうしたら良いの?
東の空に朝日が昇ってきた。あまりの眩しさに耐えかねて、私は陽光に背を向けた。
そして、私は見た。西の空を貫くかのような巨大な塔を。
見上げるばかりの巨大な塔に目を奪われていると、「コンコン、コンコン」と、遠くの空から不思議な音が降りてきた。
――――なに?
コンコン、コンコココン。
――――なに? この音?
コンココ、ココココ、コンコンコン!
――――あぁ、扉をノックする音だ。
「はーい、いま開けまーす」
はっきりと言ったはずなのに、扉の向こうには届かなかったのか、ノックの音は続く。
「開けるって言ってるでしょ!」
直前まで見ていた夢の中の光景が、まだ頭から抜けきらない。私はふら付く足取りでなんとかドアまで辿り着き、縋りつくような格好でドアノブに手を掛けた。
ドアを開けると、そこには薬学師のルルモニが真剣な顔をして立っていた。
「チョーシはドーダ?」
「うーん……嫌な夢みてた」
「はいるぞ」
私がうんとも、頷きもしていないのにルルモニは部屋に押し入ってきた。
「おい、キャミソールでねてたのか」
「最近、暑いし。どうせ汗かくし」
「だが、かえってツゴーがよい。さあ、手をあげろ」
ルルモニは不敵に嗤い、私に向かって細長い棒のような物を突き付けた。
「なっ、なに? 何のつもり?」
「いいからだまってワキをだせ! はやくしろ!」
「自分でやるからいいよ。ほら、それ貸して」
その小さな手から体温計を奪いると「あっ! かえせ! ルルモニんだぞ!」と、ルルモニが飛びついてきた!
「検温くらい自分で出来るよ」
「いいや、だめだ。おまえ、毛布でこすってるだろ。ルルモニしってんだぞ」
「あはっ、バレてた?」
「ルルモニはなあ、ずっと、しんぱいしてたんだぞう!」
「あはは、ごめんって、うはっ! ちょ、やめっ! ごめん! くすぐるの反則っ!」
私はこの数日、体温計の先っちょを毛布に擦りつけて体温を誤魔化し、高熱を出して寝込んでいるのを装っていたのだ。
「やめやめやめ、ちょっとやめー! ホントにやめー!」
「……貴女たち。はしゃぎ過ぎ」
押さえた低い声に、ピタリと動きを止めた私とルルモニが、首だけでドアの方を振り返る。そこには腕を組み、私たちを半目でじっとりと睨みつける寮長の姿が……。
「あわ、あわわ。リョオチョオ、おはよーさん」
「おはようモニちゃん。朝の検診、お疲れさま」
「お、おう。いまから検温をな……」
「いいからセハトの所に行ってあげて。あの子が朝食を食べないなんて、相当具合が悪い証拠よ」
「お、おう。で、でも、いちおう喉をみるくらいは……」
「この子は仮病なの。だから、これからお説教をするの」
「ううっ、オセッキョウ……」
んじゃ! と手を挙げ、とばっちりを避けるように、ルルモニは小走りで部屋から出て行ってしまった。
「まったく、扉も閉めないで……」
寮長はブツブツ言いながらドアを閉め、鍵まで掛けた。そして、私の姿を見るなり、「何ですか、その恰好は。はしたない」と、またもやブツブツ言いだした。
「女子寮だからって気を抜きすぎです。怒りますよ!」
「……もう怒ってるし」
「何か言いましたか」
「はっ、はいっ! いいえっ! 何でもありません! です!」
「もう……鏡台の前に座りなさい。髪を梳かしてあげるから」
良かったぁ。目の前に迫った危機、小言の嵐は過ぎ去ったみたい。でも、まだ油断は出来ない。寮長は「お説教をする」って言っていた。
……何だろう。仮病のことかな? それとも史学の成績が悪かったことかな?
とりあえず言われた通りに鏡台の前に座り、自分の顔と向かい合った。目の下がクマで黒っぽいのに、白目は充血、目の周りは腫れぼったい。これは酷い。
「髪、伸びたね。そろそろ切らないと」
私の髪に櫛を漉き入れながら、寮長は独り言のように呟いた。
「学院都市に腕の良い髪結いさんがいてね、エルっていう子なんだけど、貴女と同い年くらいでね」
彼女からこんなに話かけてくるなんて珍しい。いっつも怒ってばっかりなのに。
「偉いよね。自分の腕でお金を稼いで」
鏡の向こうでは、私の髪が延々と漉き込まれいく。滑らかに動く寮長の手こそ髪結いのようだ。
「ほら、エルちゃんから編み込みまで習ったのよ」
すいっ、すいっ、と私の髪が結い上げられていく。
「……ねえ、リサデル。どうしたの?」
私は思い切って彼女の名を呼んだ。寮内では彼女をリサデルと呼ばないのが二人の約束だ。
「次から地下に行くときには、私も共に参ります」
「リサデル? 何を言っているの?」
「腕の立つ人員を揃えておきました」
「わっ、私は大丈夫です! そ、それに、あなたの役目は……」
後ろを振り返ろうとしたが、リサデルの両手に側頭を挟みこまれ、無理やり鏡に向き直された。
「次はメイク。下地を作ります。目を瞑って」
言われるがままに目を閉じると、ひんやり冷たい物が両目に当てられた。化粧水を染み込ませたコットンだ。気持ち良い。
「わ、私は今のままで大丈夫。もう、地下五階にも行ったし、パーティのみんなとも上手くやれているし」
「あの者たちでは力不足です。そもそも女の子だけでパーティを組むなど」
「そんなの私の勝手でしょう。何でいきなり、そんな……」
「長老会議が揺さぶりをかけてきました」
私は思わず立ち上がってしまった。ハラハラとコットンが床に落ちる。
「このところ、北方が騒がしいのです。近く大軍が始まるかと」
「そんなの勝手にやらせておけば良い。私には関係無い」
「関係無くは御座いません。アイリスレイア様」
「その名で私を呼ぶな! 私はアリス! 騎士科の生徒のアリスだ!!」
「申し訳ありません。アリス様」
深々と頭を下げるリサデルに返す言葉が見つからない。私は自室をうろうろと歩き回ってから、武具を収めてある戸棚の扉を開けた。
「リサデル、私だって遊んでいる訳ではないぞ」
戸棚から取り出した銀色の槍は、私が手にした途端に黄金の輝きを放ち始める。
「英雄遺物『女神の聖槍』、すでに私の意のままだ」
槍の柄を強く握り込むと、聖槍に刻まれた複雑な紋様が輝きを増した。
「見ろ。『力ある古代の文字』は私を認めたのだ。この私に何の不足がある!」
「王が握るに相応しいのは槍では御座いません」
リサデルは黄金の輝きから目を逸らさずに言った。
「真の王に相応しいのは王者の剣。地下に眠る王権の証を手にし、偽王を玉座から引きずり降ろすのです」
「私は別に、今のままで……いい」
「なりません。何の為に長老会議が我らを山王都から匿っているのかお忘れか。王女様に価値が無くなれば全てが敵に回ります」
「私は王になんてなりたくない! そんなの、なりたい者が成れば良いじゃない!」
「では、その槍で私をお突き下さい。姉も王女様の為に身を捧げました。私だけがおめおめと生き永らえる訳には参りません」
リサデルは私の足元に跪いた。その姿は、足元に転がった焼け焦げた木材を思い起こさせる。
「やめて! やめなさい、リサデル!」」
「どうかお導きを。どうか私の生に意味を下さい」
私は堪らなくなって、床に平伏したリサデルの身体を引き起こす。すると、リサデルは私の肩を掴み返してきた。私たちは抱き合うような格好になる。
私の肩を掴むリサデルの、その細い腕からは想像もつかない程の強い力に思わずたじろいだ。
「どうして……どうして貴女たちは、そんなにしてまで……」
「それが、青き瞳の一族の使命だからです。私の全ては王女様の御為に」
その青い瞳は深すぎる海の底の色と同じ。
私を見つめる昏い瞳には、私の姿しか映っていなかった。
やっと物語が進みました。第三王女の登場です、って、かなり昔から登場はしていました。メッセージをくれた方々、良い推理です!
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/10852348.html
↑第三王女の画像
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/10565716.html
↑実は眼鏡騎士
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/9542682.html
↑メイド服なヒロイン
以上の画像も投稿しておきました。合わせてお楽しみ下さい。