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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第六章 竜鱗の盾

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第100話 もう人間でいたくないあなたに

 ***

 

 ふん縛った男どもをエントランスの太い柱に(くく)り付け、パブロフに見張りを頼むと、彼は「了解した」とでも言わんばかりに一声吠え、震え上がる男たちの前に悠々と寝そべった。

 セハトは広場に残って、生き残った猫の手当てをするという。今は一人にしてやるのが正解だろう。


「おーい! こっちは片付いたぞ」


 エントランスの扉を開けてアッシュに呼びかけたが返事が無い。俺はシンナバルを連れて屋敷の中に踏み込んだ。

 とうの昔に放棄された建物らしく室内は静かに朽ちていたが、吹き抜けの天井に設けられた明かり窓からは日が射しこみ、歩くたびに埃がキラキラと舞った。陰気な森の印象に反して、屋敷の中に暗い雰囲気は感じなかった。

 屋敷の地図は頭の中に入っている。それほど大きくも無い二階建てのこの屋敷は、おそらく金持ちの別荘かなんかだろう。しかし猫臭い。


「みゃー」

 

 猫である事がすっかり板に付いてしまったシンナバルが一声鳴くと、どこからか二匹の猫が寄ってきた。

 ここは本当に猫屋敷なんだなぁ、と妙に感心していると、コツコツと床を鳴らす足音が近づいてきた。すっ、と身を低くした二匹の猫は、警戒するように逃げ去っていく。

 靴音が聞こえた方へ目を向けると、抜き身の長剣を携えたアッシュが浮かない顔をして立っていた。


「申し訳ありません。見失ってしまいました」

「そうか。その辺は盗賊の面目躍如ってトコだな。部屋は調べたのか?」

「全ての部屋を見て回ったのですが、詳しく調べてはいません。その間に逃げられてしまいそうで」

「あのヒゲのオッサンは、俺たちから隠れる為じゃなくて、円盤とパブロフから逃れるために屋敷に逃げ込んだんだ。窓と出入り口さえ押さえてりゃ必ず捕まえられるさ」

「空いている窓はありませんでしたから、まだ屋敷のどこかに潜んでいるという事ですね」

「パブロフ連れてくるか。あいつなら一発で嗅ぎ当てるだろう」


 その時、顔を突き合わせて話し合う俺たちの前をシンナバルが通り過ぎ、ととと、っと階段を上っていった。四つん這いにしては異様に速い。

 階段の上からこちらを振り返った赤毛の猫少年、シンナバルは「にゃー」と声高に鳴いた。


「ついて来い、って言ってんのかな?」

「どうやら、そのようですね」


 アッシュと連れ立ってギシギシ軋む階段を上りきると、真っ直ぐな廊下には扉が左右に三対、並んでいた。アッシュが開けたのだろう、全ての扉は開け放たれていた。


「こりゃ確かに一部屋ずつ調べてたら、その隙に逃げられちまうな」

「ええ、ですので扉を開けて中を一目だけ確認して……おや? 彼は何を?」


 廊下の突き当たりに目をやると、シンナバルは鋼鉄の腕で壁をガンガン叩いている。なにやってんだ? あいつ?

 

「あの辺りは調べたか?」

「いえ、あそこには小さな戸棚しかありませんでした。猫ならともかく、あんなところに人が潜むなんて……いや、まさか」


 俺たちの目の前で、執拗に壁を叩き続けるシンナバル。そのうちガンガンと叩く音は、バキボキと木材の砕ける音に変わっていった。半ば想像通りだが、例のヒゲ面男が戸棚から廊下に転がり出てきた。

 驚いたシンナバルが飛び跳ねる勢いでこちらに逃げてくる。


「てめぇら! 動くなよ! 下手な真似したらコイツの首を捻じ切るぞ!」


 ヒゲ面男は鷲掴みにした黒い子猫を、誇示するようにして突きつけてきた。


「あー、お前さん……人として、さすがにそれはー、どうかと思うよ」

「うっ、うるせぇっ! けっ、剣を床に置け! さっさとしろ!」

 

 ヒゲ面男は顔を真っ赤にして喚き散らす。アッシュは「卑怯な」と呻き、ゆっくりと床に剣を置いた。俺もそれに(なら)って隣りに剣を置いた時に「隙を作る」と小声でアッシュに囁いた。

 

「ようし、床に膝を突け! 良いって言うまで立ち上がるなよ」


 なるほどね。このオッサン、盗賊団の幹部だっただけあって場馴れしてんな。だが、上ずった声からは焦りが感じられる。ちょいと揺さぶるか。


「ちょちょ、ちょっと、お前さんっ!」

「あ? 何だっ?」

「オシッコ! 子猫がオシッコ漏らしてますよっ! ええっ? そんな! ウ、ウンチまでっ!?」


 なにっ!? と、慌てふためいたヒゲ面男が子猫を取り落とす。その隙を見逃さず、爆発的な速度で突進したアッシュが「竜鱗の盾・レプリカ」でヒゲ面男を弾き飛ばした!


「ぐぅあぁああ~~!!」


 吹っ飛ばされた男は転倒することすら許されず、盾と一体化したようなアッシュに押し込まれるまま壁に叩きつけられる。

 一度、盾で撥ね上げて、受身を取れなくしてから再度のシールドラッシュ。相当、戦い慣れているな――だが、俺はこの、上品とは言い難い戦い方を見た覚えがある。あれは確か……。

 頭の中に過ぎった違和感。そんな俺の疑念を知る由もなく、アッシュは気を失ったヒゲ面男の襟首を掴み上げ、満面の笑みを浮かべた。


「素晴らしい機転、大した策士ですね。武器屋のご主人にしておくには惜しい」

「んな大袈裟な。人ってのは余裕が無くなると、意外にこの手に引っかかるモンだよ」


 俺の返答がよっぽど気に入ったのか、アッシュは声を上げて笑った。

 みーみー鳴いてる子猫に頬を寄せるシンナバルを眺めながら「ところでさ、でっかい鏡を見なかったか?」と、気を失っている男を念入りに縛り上げるアッシュに尋ねた。


「でっかい鏡……あぁ、確かにありました。奥の部屋です」


 ピクリともしないヒゲ面男の足首までも縛り上げたアッシュは「こちらです」と、廊下の奥の部屋に向かった。


「シンナバル、行くぞ」


 俺の足元に顔を擦り付けるシンナバルに声を掛けると、少年は「みゅー」と甘えた鳴き声を上げて付いてきた。これは進行性の呪いか? どんどん猫化が進んでいるような気がする。

 アッシュが案内した部屋は二階の一番奥まった部屋だった。開けっ放しの扉から俺たちが中に入ると、たたたっ、と数匹の猫が足元をすり抜けていった。またもや猫か。

 他の部屋と同様に、この部屋も廃屋らしい荒れ方をしていたが、備え付けの調度品の雰囲気からして、ここは屋敷の主人の寝室だったと思われる。カーテンすら失った窓からは木々に埋もれた小さな泉が見えた。

 良い部屋だ、そう思えば思うほど、部屋に漂う悲しみが壁紙にすら染み込んでいるようにも感じられた。


「鏡とは、あれの事ではないでしょうか?」


 アッシュが指差した先には、猫を(かたど)ったレリーフに飾られた大きな姿見があった。ご丁寧に猫脚まで備えている。


「これに間違いないな。おっと、覗き込むなよ。下手すりゃ猫が一匹増えかねない」


 そう警告するとアッシュが慌てるように鏡から背を向けた。俺も鏡の正面に回らないようにして姿見に触れた。

 

 ――第三等級呪物「変化の姿見」ってトコか。それほど大した呪いじゃないな。


「これで、やっとこさ元に戻してやれるな」


 いつの間に連れてきたのか、さっきの黒い子猫とじゃれ合うシンナバルを眺めながら、短剣用の鞘から「鋼玉石の剣(コランダム)」を取り出した。


「それは何ですか?」


 俺の手に握られた結晶の塊を見て、アッシュが不思議そうな顔で尋ねてきた。そりゃそうだろう。事情を知らない者から見れば、英雄遺物も只の石ころだ。


「俺はコイツで呪いを砕くんだ。これまでも、これからも」


 目の前の鏡を砕くことに全神経を集中した。その呪いが何だか知らんが、粉々にしてやる。

 

「その呪いを」


 鋼玉石の剣を構成する様々な色の結晶が次々と新たな結晶を生み出し、透き通った剣身を成した。それは、さながら水晶の剣。

 俺は大きく息を吸い込み、渾身の力を込めて鏡に向かって鋼玉石の剣を振りかぶった。


「粉砕する!」


 想像もしていなかった澄みきった音を立てて、鏡面が、水晶の剣身が砕け散った。

 西日を受けた透明な欠片が、忘れ雪のように部屋の中を舞い散る。

 俺は降りしきる雪の中に遊ぶ、猫のヴィジョンを見た。



 **********


 屋敷の主は老いた女だった。

 この辺り一帯を治める豪族の妻だった老婦人は、たくさんの子供に恵まれたものの、長じた息子たちの領地を巡る争いを嫌い、森に小さな屋敷を建てて隠遁した。


 女は猫が好きだった。自由に生きる猫を愛していた。

 近隣の町村から多く産まれ過ぎた子猫を引き取り、時には病気の猫すら拾ってきては、使用人と共に世話をして、慎ましくも穏やかな日々を過ごしていた。


 それは雪の降る日だった。ちっぽけな森の権利すら欲した息子の一人が、強盗を装い屋敷を襲った。

 いくら覆面で顔を隠していようが、女には己の産み育てた子供を見間違えようも無かった。

 短刀で胸を刺し貫かれた瞬間も、女は息子を恨む気にはならなかった。

 ただ、人間に生まれた自分を呪った。


 猫はいいな。猫は土地を欲したりはしない。

 猫はいいな。猫は母親を殺したりはしない。


 窓の外には雪に遊ぶ猫の姿が見えた。

 鏡には哀れな老女の姿が映っていた。


 猫はいいな。私は猫に生まれたかった。

 私は猫に――――


 **********



 軽い頭痛と言い様のない悲しみに、深く息を吐いた。

 強い怒りや深い憎しみが呪物を生むと思い込んでいた。いや、信じ込んでいたんだ、俺は。


「あれ? 師匠?」


 シンナバルの声で我に返った。氷のようにも見える砕け散った破片が床に吸い込まれるように消えていく。俺の足元では、黒い子猫と遊んでいたシンナバルが、きょろきょろと部屋の中を見渡していた。


「ここ、どこですか? あれ? アッシュさんがいる……って、いてっ、いててっ! 何これ、全身が痛い!?」

「長時間、四つん這いだったからな。そりゃあ痛いだろ」


 首がっ! 腰がっ! 膝がっ! と床を転げ回るシンナバルに子猫が躍りかかった。子猫にとっては格好の遊び相手にしか見えていないのだろう。

 

「さて、セハトが心配だ。遊ぶのもそれくらいにして帰ろうぜ」

「あの、遊んでいる、訳では、ないん、です、けれども」


 膝を押さえ立ち上がり、うぐぐ、と唸るシンナバルに背を向けて、「ほれ、おぶってやるよ」と床に膝を突いた。


「し、師匠……?」

「何だよ? 早くしろよ。こういうのは最初が恥ずかしいだけで、歩き出したら気にならないんだぞ……お互いにな」


 はっ、はい! と言いながら、シンナバルは遠慮がちに、俺の首に腕を回してきた。


「おい、もっとしっかり掴まれよ。遠慮すんな」


 はっ、はい! と言いながら、シンナバルは遠慮がちに、俺の首に回した鋼鉄の腕に力を込めた。


「しっかり掴まり過ぎだ! くっ、首がっ! 死ぬ! 俺が死ぬ!」


 シンナバルの右腕が錬金仕掛けだった事を忘れていた。なんか昔、こんなシーンがあったような……。

 立ち上がってみると背負ったシンナバルは思った以上に軽かった。ちゃんとメシ喰ってんのか。帰ったら大盛りパエリヤでも喰わすか。

 

「あの、師匠……なんでいきなり優しいんですか? 嬉しいけど、気持ち悪いです」

「お前さあ、気持ち悪いとか言うなよ。降すぞ」

「あ、いえ、嘘です! すっごい気持ち良いです!」

「……気持ち良いとか止めろよ、気持ち悪い。あのな、お前は今回、色々と頑張ったんだ。だから遠慮すんな」

「はぁ、色々と頑張ったんですか、俺」


 どうも納得していないようなシンナバルをよっこいせ、と背負い直して、「さ、行こう」とアッシュに声を掛けた。


「なにボンヤリ突っ立ってんだ? 疲れたのか? さっきの汚い荷物忘れんなよ」

「あぁ、いえ、何でもありません」


 俺は部屋を出る前に、鏡面を失った姿見をもう一度だけ振り返った。

 

 ――――人として生まれた自分を呪うほどに、あなたは猫になりたかったのか。 

 俺には分からないな。

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