第10話 大好きだよ さようなら
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そして俺と彼女は喧噪収まらぬ酒場を後にした。
「連れて行きたい場所があるんだ」
俺の言葉に、彼女はコックリと頷いた。
彼女は基本的に俺の意見を尊重してくれる。それは決して意思が弱いとか、何でも言いなりになる、って意味じゃない。俺が間違った事を言ったり、調子に乗って悪ノリしたりすると本気で叱ってくれるんだ。
見た目の良い女の子なんて、それこそ吊しのロングソードばりに沢山いる。だけど、彼女ほど素敵な女の子はそうはいないだろう。俺だけのレア物、俺だけのロングソード+2だ。
俺と彼女は喧騒覚めやらぬ盛り場を抜け、高級商業区域へと足を向けた。彼女のドレスと俺の一張羅を買った店もこの辺りだった。
そう言えば、彼女は洋服関係の仕事に就きたかったらしい。「やれば良かったじゃないか?」って訊ねてみたら、珍しく機嫌を悪くしたな。どうして彼女は学院に入ったんだろう。
背の低い彼女は当然歩幅も小さく、俺に合わせると小走りになってしまう。歩く速度を合わせるには、手を繋ぐのが自然だ。そう思って手を伸ばすと、彼女の方から指を絡めてきた。今夜の彼女は、ちょっと大胆?
石畳の上に、俺のレザーソールと彼女のハイヒールの立てる靴音が響く。
同じリズム。
一緒に歩く道。
共に見る景色。
それが、何よりも嬉しかった。
「着いたよ」
高級ブティックのショーウィンドウに気を取られていた彼女に声をかける。すると彼女は、俺が指差した方に首を巡らせて動きを止めた。
「ここって……? なっ、なに考えてるの?」
目の前に聳え立つは、魔導学院都市が誇る最高級ホテル。
豪華な内外装に高級な設備を備え、一流ホテルマンを揃えた五つ星ホテルには、お忍びで王侯貴族も泊まりに来るってウワサだ。学院都市で一番のホテルなら、大陸一のホテルである事は間違いない。
唖然呆然とする彼女の手を引き、磨き抜かれた大理石で作られたエントランスをくぐる。外壁のレリーフひとつをとっても、名のある職工の手による物なのだろう。見事な細工が施されている。
あのう、誤解の無い様に言っておきますがね、この時点で……なんだ、その、若い二人は「愛の共同作業」については終了済だったんだな。無垢で清楚で大人しい女の子を、無理矢理に高級連れ込み宿に連れて来たんじゃあないですよ。
なに? 早く続きを聞かせろ? まったくエロいなあ、お前らは。
腰が引けてる彼女をそれこそ引き摺るようにして、木製の巨大なカウンターの前に立つ。すると、すでに深夜も近いというのにビシッとした制服を着こんだ従業員たちが、同じタイミング、同じ角度、同じ笑顔で「ようこそいらっしゃいませ」とお辞儀をした。
「あのう……すいません」
俺が声を掛けると、白髪をオールバックに撫でつけたフロントクラークが、丁寧な態度ながらも俺たち二人を値踏みする様に眺めている。
どうも彼は、俺の持ってるズダ袋が気になっているようだ。これはハズシだよ、ハズシ。流行なんだよ。
「部屋を取りたいのですが」
「どちらのお部屋を御希望でございますか?」
「ロイヤルスイートは空いていますか?」
俺がそう訊くと、返事の代わりに咳払いが返ってきた。
彼女は眉間にシワを寄せ、泣きそうな顔して俺の顔を見ている。小刻みに首を横に振っているのは、どういう意味だろう?
「ロイヤルスウィート、と仰いましたか?」
殊更に「ロ・イ・ヤ・ル」と強調して、飛びっ切り上品にフロントクラークは聞き返してきた。ここのロイヤルスイートは、言うなればこの世で一等高い一泊だ。小僧と小娘が相手では、訝しがるのも当然だろう。
「これで足りますか?」
俺はこの日の為に用意していた切り札を、胸ポケットから取り出した。
翼の生えたドラゴンが己の尾を咥えて回るデザインが施された、コインと呼ぶには大振りな硬貨。それは大陸で最も価値のある貨幣、一〇〇〇〇G金貨だ。
フロントクラークが息を飲むのが分かった。ついでに彼女の喉まで鳴った。
「すっ、すぐに……ご案内致しましょう」
額に浮いた汗をハンカチで抑えながら、フロントクラークは従業員らしく頭を下げた。
*
昇降機は最上階のロイヤルスイートに向かっていた。
「昇降機って初めて乗るの」
俺だってそうだ。これにも錬金科の技術が応用されているらしい。錬金昇降機は大変に高価で、この世に数台しか無いそうだ。昇降機内の壁面に張られた案内板に誇らしげに書いてあった。
ロイヤルスイート直通の昇降機は、思っていたよりもずっと静かに昇って行く。途中に停まる階が無いから当然なのだが。
「ねえ。私、半分出すからね」
そんな情けない顔をするな。俺は、お前の喜ぶ顔がみたいだけだ。俺は何も答えずに彼女を抱きしめた。力を入れすぎたせいか、彼女はモゾモゾ身を捩ってモゴモゴ何か言っていたが、観念したのか俺の背に腕を回した。
チーン
時間切れの合図みたいに昇降機のドアが開いた。そして、俺と彼女は揃って馬鹿みたいに目と口を全開にした。強く固く抱き合ったまま。
まさか……まさかこれほどとは。
ワンフロアぶち抜きとは言え、まさか、ここまで広いとは。
天井が高いとは言え、まさか三階相当が吹き抜けとは。
まさか室内に川が流れ、まさか小さい滝まであるとは。
まさか室内に果樹が生え、まさか花が咲き乱れているとは。
ここは室内か? 今は何時だ? 数えきれない程の魔陽灯が室内を明るく照らし、まるで天気の良い日中に手入れの行き届いた庭園にピクニックに来たみたいだ。
俺はまだ第二位魔術「幻覚の魔術」から抜け出せない様な気分だったが、いち早く正気に返った彼女は、嬉しそうに花に触れ、果樹の香りを嗅ぎ、幼い女の子がお姫様ごっこをするようにステップを踏んで、クルクルと回った。ドレスが翻り、長い髪が舞う。
嬉しそうに踊る彼女の姿を見た瞬間、息が詰まるような想いが、俺の胸に湧きあがってきた。
ああ、そうか。そうだったんだ。どうして彼女に一目惚れしたのか、どうしてそこまで彼女に惹かれたのか、いま分かった。
彼女は、俺が子供の頃に大好きだった絵本、「聖なる騎士と魔法の竜」のヒロイン、攫われたリーザ姫にそっくりだったんだ。怖がりで泣き虫なのに、聖騎士と共にドラゴンに立ち向かうリーザ姫。
挿絵のリーザ姫に憧れて、何枚も何枚もリーザ姫の絵を真似て描いたんだ。こんなに似てるのに、どうして今まで忘れていたのだろう。
「どうして泣いてるの?」
リーザ姫が俺に聞いた。俺にはリーザ姫が言ったように聞こえた。
「あんまりにも綺麗で。本当のお姫様みたいだよ」
「本当のお姫様は、私より、もっともっと綺麗よ」
彼女はドレスの裾を摘まんで、上品にお辞儀をした。俺はそんな彼女の手を取り、一度も踊ったことなどないくせに、社交ダンスの真似事をしてみた。
「姫、私と踊っていただけませんか?」
俺が芝居かかった口調で言うと、彼女はゆっくりと揺れるようにリズムを取り、俺をリードしてくれた。だが、俺は彼女の足を踏まないようにする事で精一杯だ。ついつい壁に備え付けられたスイッチを背中で押してしまう。すると、室内の灯りが一変に消えた。
思わず溜息が漏れる。明るさに目が慣れて気が付かなかったが天井は大きなガラス製だった。ロイヤルスイートは最上階だから夜空が見える。手を伸ばしたら触れるんじゃないかと思えるくらいに満天の星々。
空に向かって手を伸ばしてみた。星なんて掴めるはずかない。俺は、持て余した手で彼女を抱き寄せようとして手を止めた。
「どうして泣いてんだ?」
「あんまり綺麗で。あんまり嬉しくて」
俺は彼女の折れそうな細い体を抱きしめた。
絶対に離したくない。俺のリーザ姫。
絶対に離さない。
――――離さないはずだったんだ。
すうすうと彼女が寝息をたてている。白桃みたいな頬をツンツンしてみた。フニャフニャ言ったが目を覚ます気配は無さそうだ。
俺は色々な意味で疲れていた。だが、こういった「行為」の後は、妙に心地よい疲労感だ。デカくてフカフカのベッドの誘惑に負けそうになったが、寝るワケにはいかなかった。
着て来た一張羅では無く、ズダ袋の中の慣れ親しんだ服に着替えた。やっぱりコッチのがシックリくるな。
畳みもしないで一張羅をズダ袋に突っ込む。短刀を包んだ布が目に入ったが見なかった振りをした。
もう一度、もう一度だけ、幸せそうに眠る彼女の顔を見たくなってベッドに戻った。
もっと早くに思い出していたらなあ。
お前、リーザ姫にそっくりなんだぞ。
読んだ事あるか?「聖なる騎士と魔法の竜」
読んだ事が無かったら、婆ちゃんの店に置いてあるから、今度、一緒に行こうよ。婆ちゃんにも紹介したいしさ。
「俺の未来の嫁さんです」って言っても良いかな。
婆ちゃん、泣いて喜ぶと思うよ。
本当はさぁ、ここでお前にプロポーズする為に金貯めてたんだよね。
こんなに早く来る事になるとは思ってもみなかった。
それこそ「聖なる騎士と魔法の竜」のラストシーンみたいに、薔薇を一輪差し出してキメるつもりだったんだよ。
大好きだよ。
俺は、幸せそうに眠る彼女の頬に、そうっとキスをした。
ここで、お別れだ。
さようなら。俺のリーザ姫。
お前ら、もう分かってんだろ。
呪われたのは俺だ。