救済の障害と病魔の正体
「……結論から言うと……すいません、無理です」
「……どうして……?」
予想……しないではなかったけど、できれば帰ってこないでほしかったその答えに、私の口は自然とそう動いた。
どうやら、私は表情もまた相当に悲痛なものになっているらしく、八雲は先のセリフで意思を明確にしつつも、非常に言いにくそうにして続きを口にした。
「えっと……助けてあげたいのは山々なんですが……未来の痕跡を、なるべく過去に残してはいけないんです。未来技術の薬品とか精密機械とかはもう論外で……それに、仮にそこに目をつぶっても……そんな多種類の薬とか常備してないですし……」
「そっか……」
まあ、なんだかんだ言っても、あんたも学生だしね……。
ドラマなんかではここで、何を犠牲にしてでも食い下がるか、助けてくれない薄情さを罵倒したりするんだろう。でも……
申し訳なさそうにしつつも、私の目をまっすぐ見て言ってくれるコイツの目に、曇りとかそういうのは一切感じられない。これは多分本当のことで、コイツ自身、本当に悔しがってくれてるんだ。知り合ってまだ一週間もたっていないけど……そのくらいはわかる。
こいつは使うアイテムはすごいのに、所々でバカで間抜けだ。……でも、純粋で、正直だ。思いやりもある。だから……こういう場面での対応も、できる範囲内で精いっぱいやってくれるやつだ。
その八雲が、ここまではっきり『無理』……って言ってるからには……無理なんだろう……。……残念だな……最後の希望だったんだけど……やっぱだめか……。
悔しさをこらえ切れなかったんだと思う。私はふと目に入った、誰かが屋上にポイ捨てしたらしい空き缶を、思いっきり蹴った。空き缶は蹴りの威力に一瞬でひしゃげて、
カァン!!
快音を立てて夜空の彼方へ消えた。……やっぱり、全然気分晴れないなあ。
と、再び座り込んだ私に対して、
八雲はせめてもの協力とでもいいたいのか、携帯(?)を開いて、
「その……若葉さん」
「何……?」
「えっと……かなり規則ギリギリですけど、病名を調べるくらいなら……。症状を教えていただければ、それを手がかりにコレを使って探しますよ?」
と、申し出てくれた。
やっぱりというか、直接直してくれるわけじゃないみたいだけど……これはこれですごく魅力的な申し出だ……。ここで病名を突き止めてもらえれば、まだ治る可能性も出てくるし……たとえ無理でも、寿命を延ばせるかもしれない。
でも……なんて『もしも』の弱音は封印して、八雲に向き直る。
「……うん、お願い」
「わかりました。では、どうぞ。順を追ってお願いします」
「えっと……症状は、風邪と同じ感じに、咳とか、鼻水とか……あと、発熱。ピーク40度」
「ふむふむ」
相槌を打つたびに、結構な速さで八雲の指が動き、ホログラムのタッチパネルを叩いて携帯(?)に情報を入力していく。なんか……期待持てるかも。
っと、他には……ああ、一番特徴的なのが残ってた。
「その他に、目のかすみと、手の震え。それから、一番きついのが……」
「のが?」
「体中が真っ赤なの。腫れてるわけじゃないのに、トマトみたいに」
と、その時、
「…………え…………?」
なぜか……八雲がキーボードを打つ手が止まった。え……どうしたの? 続きは?
「顔が……赤色? 真っ赤……?」
「うん。それとね、それが悪化して、こ……」
「待ってください」
と、唐突に止められた。
何だろうと思って八雲の方を見ると……八雲はなぜか、冷や汗を流して、顎に手を当てて何やら考えていた。お気楽と言っていい性格のこいつが、今まで見せたことのない、すごく必至というか……鬼気迫るような顔で。
「その先……もしかして、目の変色、呼吸困難、不整脈、関節痛……って感じの症状では……?」
え!? な……何で知って……? まさか、病名わかったの!?
と、私がリアクションを顔に出した次の瞬間、
ギュオン
「っ!?」
擬音とともにいきなり八雲の姿が掻き消えた。何の前触れもなく、本当にいきなり。
呆然とする私がそれを認識し、ちょうど『何で? どうしたの!?』と混乱し始めたころ、再びの祇園とともに八雲が戻ってきた。
ただし……その手に、手のひら大の小さなカプセル型のケースを持って。中には何やら薬品と思しき液体が入ってるけど……何それ?
ちょ……何なの? いきなり消えたり、戻ってきたり……どこ行ってきたの? と、聞こうとしたが、
「や……八雲……?」
戻ってきた八雲の、質問することも躊躇われるような真剣な顔を前に……聞けなかった。
いつものんきなこいつが今まとっている、ただならぬ雰囲気。それらに私が気を取られていると、八雲は唐突に私の手をとり、何も言わずに見たこともない腕輪をそこにはめた。
そしてこれまた唐突に、その腕を握って、
ギュオン
再度の空間転移。ただし……今度は私も一緒だ。
そして、私と八雲が舞い降りたのは……
(えっ……ここ……集中治療室じゃ……!?)
真っ白な内装に、何だかよくわからない機材の数々。せわしなく動き回る看護師さん達。
そして何より……目の前のベッドに横たわる、全身真っ赤の青葉。すでに赤色は指先にまで広がっていた。
ど、どうしてここに? ていうか……何で来れたの? ワープって登録した場所以外にはできないんじゃ……
いや、それ以前に! こんな場所に、しかも医者とか看護師が大勢いる中にいきなりワープなんかして現れたらパニックに……あれ、ならない?
「その腕輪をつけていると、簡易型のステルス迷彩が起動して、あなたの姿が見えなくなります。長くはもちませんが、十分でしょう。そこ、動かないでくださいね」
と、言いながら八雲は、看護師さん達を上手くよけて(やっぱり見えてないんだ)青葉が寝ているベッドに近寄っていく。そして、青葉のベッドの傍らに立つと、八雲は眉をひそめて、一言、
「…………やっぱり……」
「え?」
私が『何が?』と聞くより前に、八雲は持っているカプセルの片方の先端を押す。すると、カプセルのもう片方の先端から、細くて短い針が出た。
八雲はおもむろに針を下にしてカプセルを逆手に持ち、針を青葉の腕に向けて……ってちょっと? な、何する気? ま、まさか……
その『まさか』だということは……すぐに分かった。
八雲は何の迷いもなく、カプセルから突き出た針を青葉の腕に刺し……中の液体を注入した。
すると、私が何か言うより先に……異変が起きた。
青葉の体から……目を覆いたくなるほどの惨状だった赤い色が、すっ……と消えたのだ。それも……ほんの数秒のうちに。
(……え…………!?)
まさか……今の……薬? 八雲あんた、ひょっとして青葉を助けて……
『せ、先生! き、急に脈搏が安定しました! 体の赤みも引いてます!』
『何ぃ!? どういうことだ、何か注射したのか!?』
『わ、わかりません、本当に突然……呼吸も正常に……』
「………………」
確かめるまでもなかった。今の……やっぱり薬だったんだ……青葉の病気の。
素人目にもわかる。さっきまでの滝のような汗がスッと引き、呼吸もスムーズになった。痙攣もぴたっと止まってるし、心地よさそうな寝息も聞こえる。何より……あれだけ見苦しかった赤い色が、もうどこにも見られない。
八雲……。あんた本当に……本当に青葉を……!
よかった……青葉、助かったんだ……!
しかし、安堵の涙よりも先に、私の心にふと疑問が浮かんだ。
でも……何で? あんたさっき、規則でダメだって言ってたじゃない……? 『この時代に未来の痕跡は残せない』って。青葉を助けてくれたことにはそりゃもう感謝するけど……大丈夫なの? 規則破って。
すると、八雲は少し間をおいて応えてくれた。
「そりゃ、普通はやばいですよ、こんなことしたら。でも……」
……? でも?
「今回は特例です。未来の薬を使ってもいい……いや、使わなければいけない事例でした」
「? どういうこと?」
話が見えない……っていうか、言いたいことが分からないんだけど……?
さっきから変わらずシリアスモードの八雲は、カプセル注射器をもとの形に戻すと、ひとまず青葉のそばを離れて私のところに戻ってきた。姿が見えないとはいえ……一応触れるんだから、そこにいたら邪魔になるしね。
そして……私の疑問に対して答えるべく、口を開いた。
「今の投薬は……痕跡を残すためではなく痕跡を『消す』ための処置です。だから……この場合は規則に引っかかりません。まあ……」
そこで一度切って、
「超非常事態ゆえの緊急措置……ってのも理由ですけど」
非常事態って……? 青葉が生死の境をさまよったこと、じゃなさそうだけど……? 言い方悪いけど、そんなくらいで特例出しそうにないし。
てか、その前に言ってたあれ、どういう意味? 『痕跡を消すための処置』って……何で薬使って青葉を治すことが痕跡を消すことになる……
…………え?
青葉を……青葉の病気を、『治す』……?
それが『未来の痕跡を消す』ことになるってことは……ま、まさか……
私の脳裏によぎったあまりにも突飛な、笑いたくなるほどに吹っ飛んだ最悪の予想は……
次の瞬間、八雲によって肯定され、現実となった。
「ええ……。今、僕が治療した青葉君の病気は…………この時代にはまだ存在するはずのない、はるか未来の病気なんです」