赤い絶望、白い希望
買い物、当然中止。
電話越しにお母さんから凶報中の凶報を聞いた私は、ダッシュで病院に行こうとして、それより早い方法を思い出した。八雲に頼みこんでテレポートを使ってもらい、病院の裏路地にワープ。
後で聞いた話なんだけど、その『テレポート』はどこにでもできるわけじゃなく、事前に設定した場所にしか行けないんだとか。けど、八雲が緊急用に……って設定してくれてたおかげでワープ出来た。
が、そこに礼を言う余裕もなかった私は、着くやいなやマナーも何も関係なしに、全力疾走で病院の廊下を駆け抜けた。
そして、視界の隅を『この先集中治療室』というプレートがかすめた次の瞬間、
……目の前を、息も絶え絶えな青葉を乗せた病人輸送用の台車(名前忘れた)が通り過ぎた。
ドラマなんかだと、『青葉! 青葉!』なんて叫びながら駆け寄ったりするんだろうけど……私にはそんな余裕もなかった。パニックだったのもあるけど……それ以上に、青葉の姿がショッキングだったから。
元々赤かった顔色が、冗談も誇張も抜きにトマトみたいな赤色になってて、しかも首までだったはずのその色は、手首あたりまで広がってきていた。昼間にはなかった人工呼吸器が装着され、1本だった点滴が3本に増えている。
と、
完全に私は言葉を失い、呆然とする私の目の前で……青葉の目が開いて、私の方を見た。
そこで私はさらに驚いた。青葉の……黒目の部分が、黒ではなく毒々しい黄色に代わっていたのだ。これじゃあまるで……猫か何かじゃない!?
目を見開いた私の驚愕に構わず、青葉は看護婦さんに手で合図して、呼吸器をはずしてもらって、
「姉……ちゃん……? あぁ……来たんだ……?」
聞こえた青葉の声に……私の体の硬直が解けた。
すぐさま私は青葉の台車に駆け寄り、赤くなった手をとった。あ、熱い……!?
「く、来るに決まってんでしょ!? あんた何よこれ!? どうしたの!?」
「さー……? 知ってたら、先生たちも……こんなパニックに……なんねんじゃね?」
息も絶え絶え、目の焦点はあってない。そういう場所に立ち会ったことなんかない私でも、いまの青葉は瀕死だとわかった。
それでも軽口を叩いて私を安心させようとする青葉に、私は泣きそうになってしまった。こいつ……いつもいつもこんな感じなんだから……! 見てて逆につらいわよ!
「何……泣きそう……に、なってんだよ……ばーか……。まるで……俺が死ぬ……みたいじゃんか……」
「青葉! お願い……! 嫌……私……!」
「大丈夫だっ……て……。言ったろ? 姉ちゃ……の……フルコース……食べに……」
「そうよ! ドライカレー、生姜焼き、オムライス、ビーフシチュー! 何でも作ってあげる! だから青葉! あんた……」
「顔……怖いって……」
黄色く変色した目で、懸命に笑う青葉の声が、次第に小さくなってきているのがわかった。ああ……いつもと同じだ……笑い顔だけは……。
「大丈夫……ちゃんと……戻……ら……。あ、でもさ……」
「…………!?」
「念のため……聞い……あのさ、死んだじいちゃんとばあちゃんに……何か……伝えることとか……ある……?」
「縁起でもないこと言うんじゃないアホ! さっさと直してフルコース食べに来い!」
「はは……了か……い……」
と、ここで限界と判断した看護師さんが、再び人工呼吸器を装着し、青葉を運び始める。
私はそのまま、青葉を乗せた台車が集中治療室の分厚い扉をくぐるのを見ていた。
☆☆☆
落ち着いてから母に話を聞いたところ、容体が急変したのは1時間ほど前かららしい。
風邪にしては治りが遅く、謎の症状も見られることに不安を抱いていた母の目の前で、青葉は突然震えだし、呼吸困難を訴え、顔の赤色が急激に拡大した。その後さらに、呼吸不全や血圧変動、不整脈や関節痛などの症状が滅茶苦茶に現れ始め、今に至るとのこと。
現在は人工呼吸器と強心剤、さらに鎮痛剤と緊急用麻酔を投与することである程度症状を緩和させているらしいが……状況は聞くまでもなく最悪らしい。
今まで見たこともない奇病ということで、病院中の先生の知識を動員して、さらにはプライドを捨てて医学事典なんかを開いてくれたりもしたんだけど、病名は結局わからず、間に合わせの処置で命をつないでいる状態。事実上のお手上げ……だそうだ。
「……多分……今日明日が峠だって……先生が……」
そういって顔を伏せる母の声は……震えていた。信じたくないんだろう。でも、お者がそう言ってるから、他の説がどうにも考えられなくて……そんな感じかな。
私だって、『そんなことない、必ず治る!』って、胸を張って言いたい。でも……心のどこかで、専門知識も何も持ってない無力な自分が、それに歯止めをかける。
青葉の死という最悪の結末が、あまりにもリアリティを持って目の前に立ちふさがっている。それを目の前に何もできない自分が悔しくて仕方ない。
けど……どうしようも……ない……。
椅子に座る気にもなれず、どのくらいかもわからない間を待合室で立ち尽くしていた私は、もうこれ以上この純白に包まれた空間にいるのが嫌になり、重い足取りで病院の外へ出た。
母さんも、遅れてきた父さんも、誰もそれを止めたり、気にかけたりしなかった。……する余裕はなかった。
☆☆☆
外に出ると、律儀にも八雲は入り口で待ってくれていた。
気づけば外は暗くなっている。7時は確実に回っただろう。となると……2時間近くもここで? ……悪いわね、なんか。
私に気付いた八雲は、すっと私の前に出た。
「……目、赤いですよ」
「知ってる」
さんざん泣いたもの。トイレで。
そのせいか、吹き付ける風が目の淵にひりひり痛い。ま、いいけどさ。その方がむしろ、痛みで気がまぎれるし。
と、八雲はここで、私の心を呼んだかのようなタイミングで聞いてきてくれた。
「……どこか行きます?」
「………………」
私は少し考えて、
「……屋上」
了解、とだけ言って、八雲は私の手をとる。
もう慣れてしまったあの浮遊感。その一瞬後、私は眼下に青林の街並みを見下ろす、高校の屋上に立っていた。
……やっぱりここ、いいなあ……。夜風が気持ちいいし、いつもいる場所だから、心境に関係なくなじむ。頭冷やすのにちょうどいいわ。
……ここでどれだけ過ごして、どれだけ寝て、どれだけ泣いたとしても、私の心は青葉の死という現実を受け止めることはできないだろうけど……。それならそれで、今だけは逃避してよっと。
どうせ……後でさんざん、狂うほど泣くんだろうし。
病名からしてわからない。医者さえもさじを投げた。今日明日が峠……積み重なった事実が、私のわずかな希望すらも奪っていく。いや……最早そんなものあるのかも疑わしい。
色々考えて、でも結局同じところに行きついて、どこにも行けない。そんな脳内フローチャートを繰り返し、やがて私は……考えるのをやめた。それだけでつらいから。
ああ……何かこれ楽だな……しばらくこのまま、何も考えないで現実逃避してボーっとしてよっと。
帰り? 心配ないわよ、八雲なら待っててくれる。私を置いて帰るような真似しないわ。ほら、今も私の目の端っこにコイツの白学ランが、病院の内装の色と同じ色の白学ランが映って……
………………と、
ここで私は……ふと、あることを思いついた。
いつの間にか座り込んでいる私の傍らに、黙って立って付き添っていてくれてるこの男、八雲琥珀……。
その正体は、超常現象顔負けの科学技術を操る未来人……だ。ワープといい、透明になる迷彩装置といい、飛行能力といい……それらの科学技術はどれもケタ違いだ。
……だったら……『医学』技術はどうだろう……?
ひょっとしてこいつなら……反則級の常識破りを普通にこなせるこいつなら、ひょっとして……青葉を助けてくれるんじゃ……?
横を向くと、気まずさゆえか私からは目をそらしている八雲の、全身の姿が目に入る。そして、そのまとっている白学ランが……さっきまで、青葉の顔色を余計に目立たせていたがために嫌いだった純白が、今は何より頼もしく見えた。
「……ねえ、八雲……?」
「はい?」
「その……頼みがあるんだけど……?」