レギュラーと異常事態
ある日には、行く先々の店でなんとも苦しい言い訳をしながら、『自由研究』用の大量の食料品をあちこちで買い込み、
その次の日には、はしゃぐ八雲と一緒に特急で遠出し、雑貨屋やホームセンターで、家財道具から小物まで目に映る興味をひくものをとりあえず買い漁り、
その更に次の日は、薬局では普通の薬類を購入した後、引ったくりにあってその犯人を追いかけたところ、光線銃の乱射やら葉桜先生の飛び膝やらによって、なんやかんやで犯人に同情したくなるような結末になった。
……何この非日常……私、普通の高校生だったのに……。
その途中で、私もいろいろと買ってもらったからまあ……ギリギリ我慢してあげてるんだけどね……。
はあ……おかげでこれからしばらくの間、私の生活範囲はぐっと狭まったわ……。
そんな重い闇を背負いながら、その翌日……すなわち、私が琴子のレギュラー降板を知らされてからちょうど三日後のこと。
事件は……起きた。
いや、事件というほど派手ではなかった。でも、間違いなく……異常事態ではあった。
まあ……異常事態そのものは、その前から着々と起こっていたらしいんだけど。
☆☆☆
「レギュラー復帰した?」
朝、学校に来てみると……私の耳に最初に飛び込んできたのはそんな話だった。
復帰って……琴子が? へー、よかったじゃん。
復帰できたってことは……昨日の放課後にあった最終考査でいい結果出せた、ってことよね? ほーほー、人間やればできるもんなんだ……正直びっくりだわ。
けどまあ、親友としては嬉しい限りかな。あいつの念願が大逆転で叶ったわけだし……その話題性のおかげで、昨日の買い物のことがほとんど噂の頭に登ってきてないし。
ところが、
「それがさ……おかしいのよ」
いつもは堂々としているすみれがこそこそと、耳打ちでもするかのごとく私に話す。
「おかしいって……何が?」
「うん、その……琴子なんだけどね、なんか一昨日まで相変わらず不調だったのに、昨日の放課後急にタイムが伸びたんだって。それも……自己ベストから1秒以上も」
「え!?」
どうにか声を小さくとどめたけど……驚きのあまり変な声が漏れてしまった。いや……仕方ないじゃん、そんな話聞かされたら……。
確か……一番最近の琴子の100m走のタイムは、13秒かそこらだったはず。正直、それでよくレギュラーとれたな。猛練習したのと……あとは運もあったんだろう、とは思ってたのよ。後輩でもそこより早い奴たまに見かけるし。
だから……もしかしたら抜かれるんじゃないかな、とも思ってた。
けど、今の話は明らかにおかしい。最高に調子のいい時の琴子のタイムが13秒だとして、短縮1秒以上だと……12秒フラット……!?
「あたし、前に聞いたことあるから知ってるんだけどさ、高校女子100mのタイムって、最高がたしか11秒2だか3で、11秒7切れば全国歴代ベスト10に入るのよ。で、昨日琴子が出したタイムが……11秒5」
な……っ……一晩で1.5秒!? それに、あと0.1秒であたしと同じじゃない! そんな……いくらなんでもありえないでしょ!
「あんたの身体能力の規格外さに色々と突っ込みたいところなんだけどやめとくわ。それでさ……色々と妙な噂が立ってるのよね……」
「妙な噂……?」
まあ、いきなりそんなことになったら、噂の1つや2つ立つだろうけど……。
「うん、1つ目は……ドーピング疑惑。琴子が何か、怪しい薬使ったんじゃないかって」
「まさか!」
琴子はそんなことする奴じゃないし……そんな度胸もない。第一、口ではひねくれてるけど、陸上に対してどこまでもまっすぐなのがあいつの長所なのよ!?
「うん、私もそれは思う。まあ、こんなのどうせ陸上部のヒガミ連中が流したデマでしょ、すぐ消えるわ」
「そう……かな」
「そうそう。人の噂も75日……って言うでしょ?」
いい響きだな~……。できれば私と八雲の買い物に関する噂も早々に消えてほしいんだけど……こっちはあと2,3年は無理かも……。
で、気を取り直して……もう1つの方って?
「あ、うん。こっちは特に名前とかないんだけど……ここんとこ、この学校で不思議なことが多いみたいなのよ。その一種じゃないかって」
不思議……ってどういうこと? 別に何も聞かないけど……。
「ごく最近だけど、いろいろあるわよ? たとえば……成績優秀だった生徒が急に不調になって赤点取ったとか、逆にいつも赤点だったのがトップ10に来たとか、引っこみ思案な1年の男子生徒がいきなり大胆になって衆人環視の中で女の子に告ったとか……それにさ、このクラス……最近欠席多いじゃない? それもこれらの1つじゃないかって」
ふーん……知らなかった。そんなことあったんだ。
でも……まあ、不思議っちゃ不思議だけど……どれも偶然でありそうなことじゃない? 体調崩したとか、ヤマが当たったとか、悪いもの食べたとか……いくらでも理由浮かぶし。まあ、全部いっぺんに起こってるのはちょっとミステリアスかもだけど……。
「まあ、あくまで噂だしね……私も深く考えるつもりはないよ。気になっただけ」
「そっか、うん、ありがと」
そろそろ始業ということで、そんな感じで会話を切り上げて、すみれも私も席に戻った。
何の気なしに教室を見回してみると、持ち主を伴っていない机が、1……2……3……全部で8つ。その内、あそことあそこは遅刻常習犯の吉備野と佐津間だから省いて……6人欠席か、確かに多いかも。
ふと、視線が窓際の席に座る琴子を捕らえる。
3日前は失意に沈んでいたその表情は……今は嬉しさを隠そうともしない満面の笑みに変わっていて……と、目が合った。それに気付いた琴子は、穏やかに私に笑いかけ、私も反射的に笑みでそれに返した。
……考えすぎよね……。あの陸上バカの琴子がドラッグなんて。あーあーやめたやめた、下らない。考えるだけ無駄! どうせ考えるなら……あいつのレギュラー復帰をどうお祝いしてやるか考えよ。
「さて……と、それじゃあ、今日の放課後にお祝いにアイスでもおごってあげますか」
「おや? 景気がいい話だね、何かいいことでもあったのかな?」
「えっ!? あ、白樺先生!? い、いつから……」
見ると目の前には、いつの間にか、我らが2-1担任・白樺先生が出席簿片手に立っていた。
と、とっくに教室入ってたんだ……てか、今のモノローグのつもりだったのに、声に出てたっぽい……うわ、はずかし……。
しかしやはりそこは白樺先生、特に怒ったり、不機嫌になった様子はなく、白衣と同じようなピッカピカの笑顔で、
「ふふっ、友達思いなのは大いに結構だけど、できればちゃんとホームルームでは先生の話を聞いてほしいんだけどな」
「は、はい……」
反省します……。
教壇に移った先生に一礼しつつ、私は気を取り直してその話に耳を傾けることにした。