赤い笑顔と希望のジュース
こんこん
『どちらさまですかー?』
「私よ、青葉」
『あ、姉ちゃん? いいよ、入ってー』
がらっ
仲に入ると、入院してから丁度1週間目の我が弟は、相変わらずの赤い顔でベッドから上体を起こしていた。
短めに切りそろえられた黒髪に、精悍な顔立ち。よく『姉弟そっくりね!』なんて言われる私の弟。アレか、私とこいつの差は身長(165cmと157cm)と髪型(ショートヘアとセミロング)だけかい。
それはそうと、顔色を見る限り……今日も今日とて、何か病状がよくなった気配はなし……か。それでも、形式的な意味で聞いておく。
「それで? どうよ調子は?」
「んー……とりあえず、俺が感じる限りは……良くも悪くも変化は無し、かな」
「あっそ……あ、リンゴ食べる? 買ってきたんだけど」
「むいてくれるなら食べるかも」
「はいはい」
全く……相変わらずなんだから。
中学生にもなって卵も満足に割れないこの弟。まあ、食事とかその他諸々全部病院で見ててくれるからそんなに心配はいらないかもだけど……それでも心配なわけよ、姉としては。
父さんも母さんも仕事で夜遅いから、私以外に来れるような人もいない。それに、そのせいで普段から日の出てるうちは私が家主みたいなもんで、ほとんど私と青葉の2人暮らしみたいな感じだったから……一応、こいつと1番長く一緒にいたの私なのよね。
その愛着(?)もあって、ここに来てこいつの顔を見て、何か話したりしてると、落ち着くのよ。家に帰っても……私1人しかいないから、母さん達が帰るまで超静かだし。
いっそ私ここに泊まろうか? とか言ったら、『いいって!』って全力で拒否されたっけ。全く……あんたは恥ずかしがりすぎなのよ。病人なんだから、別にお姉ちゃんに甘えても誰も責めないってのに。
と、青葉がこんなことを言い出した。
「あー……でもリンゴより、この前姉ちゃんに貰ったあのジュースの方がいいな……」
「は?」
ジュース? そんなの持ってきたっけ?
「ほら、おれがまだ入院する前の、コップに入ってた……」
「入院する前……ああ、アレか! ……ってアレは貰ったんじゃなくて、コップについで私が飲もうとしてたジュースをあんたが勝手に飲んだんでしょうが!」
8日前のこと。夕食後に私はジュースを飲もうと、缶ジュースの中身をコップに出した後、少しの間席を外していた。すると、その間にこの弟、あろうことかその中身を半分ほど飲んでたのである。
「だからあれは、姉ちゃんてっきり飲まずに残したんだと思ったんだって!」
「私に好き嫌いがないこと、食事は食べきれる分しか作らないことを知っててそう勘違いできたっての? ん?」
「うるさいな……悪かったってば。しかし……まさか残りの半分、姉ちゃんが飲むとは思わなかったよ。関節キスだぜ?」
「おあいにくさま、私は弟との関節キスごとき気にするようなか細い神経しちゃいないのよ。誰があんたのおねしょした布団の始末してたと思ってんの? 母さんに内緒で」
「ばっ……今それ関係ないだろ!? 5歳の頃の話だぞ!」
顔を真っ赤にしてそう反論してくる弟……ああ、元から赤いんだっけ。
でも……
「そんだけ減らず口叩けるんなら問題なさそうね。よかった」
今の舌戦で、弟の調子がいつも通りだということを改めて認識する。うん、やっぱり悪いのは顔色だけだ、これなら大丈夫だろう。自分に言い聞かせる意味でも、今のを頭の中で復唱する。
「当たり前だよ。すぐに治して家に帰るって」
「そうしなさい。帰ったら……そうね、あんたの好きなドライカレー作ったげるわ」
「おおっ! マジ!?」
「マジよマジ。だから早く直しな。なんなら……あんたが絶賛してるあのジュースも貰っといてあげよっか?」
「おおーっ……ってあれ? あのジュース貰いもんだったの?」
「うん」
そのジュース、実は何を隠そう、あの日に手伝いのお礼に……って白樺先生にもらったジュースなのでした。
一時は、こいつの病気の原因はあのジュースなんじゃ!? と思ったりもしたけど……ほぼ同じ分量を飲んだ私がなんともないんだし、それはないでしょうね。アレルギーもなければ、賞味期限も大丈夫だった。仮にそうだったとしても、胃袋の丈夫さなら、私よりこいつのほうが上のはずだし。
まあ、確かにあれ美味しかったし……今度、どこで売ってるのか聞いておこうっと。こいつの快気祝いのためにもね。
「ともかく、さっさと病院食と縁を切ってお姉ちゃん特製フルコースが食べたかったら、一刻も早く我が家に帰ってらっしゃい」
「上等! 明日にでも退院してふあ~ぁ」
ちょ、何よこのタイミングであくびって? しまらないわね。
「んあ……ゴメン、眠くて」
「眠い? まだ8時過ぎよ?」
家にいた頃は、深夜アニメハシゴで見るくらい夜更かしが得意だったこいつが?
もしかしたら……病気が治りかけで、体力消費する時期なのかもね。だったらまあ……ここは私はおいとましたほうがいいかな? なんかあくびのみならず、心なしかまぶたまで重そうな感じするし……。
「そうしてくれると助かるかも。たっぷり寝てさっさと治したいからさ」
「了解。じゃ、また明日ね」
なら、後は青葉の自己治癒力を尊重するのがいいわね。今日はもう寝かせたげましょ。
私は青葉に軽く手を振って『じゃね』とだけ言うと、お土産以外の荷物を持って病室を出た。
ふぅ、あの分なら大丈夫ね。さすがは私の弟、体の丈夫さも私と同じってわけか。となると……退院も近そうね。材料そろえとこっかな。
下手したらホントに明日退院するかもね、なんて考えて吹き出しそうになりつつ、私は夜道を歩いて家を目指した。
……この考えが、甘いにも程があるものだったということを私が知るのは、もう少し後のことである……。