見えざる参観者
「―――であるからして、この場合は遺伝子Aは連鎖によって双方に形質を発現させる可能性が出てくるわけだ。その可能性を表す式は、前回教えた通り―――」
…………あー…………ねむ…………
宿題で夜更かしして、そして1時間目からのこの生物の授業はきっついわ……。興味ないし、わかんないし……私にとってこの科目はほとんどお経同然なのよね……。ていうか、私そもそも文系だし~……。
せめて森本先生(定年間際、堅物)じゃなく、ピンチヒッターでたまに来る白樺先生あたりだったらまだもう少しは集中してられるのに……。
一応形だけノートを取りながら(内容はもちろん入ってこない)、私は全然別のことを考えていた。今日はあいつはどこに買い物に行く気なんだろうな~とか、琴子そろそろ立ち直ったかな~とか、今日の晩御飯何にしようかな~とか……。
なんて感じで視線を空中に泳がせてると、
「この問題を……よし、常盤、お前答えてみろ」
「え゛っ!?」
やばっ、さ……指されたっ!? うそ……もう練習問題行った!? あーもう早い!
えっと、練習問題練習問題……あった! なになに……『血友病の病因遺伝子A(劣勢)はX染色体上にのみ存在する。このとき、陰性の病因遺伝子保有者である母親と同遺伝子を保有しない父親の間に生まれた子供は』ってわかるかぁ!! 何よコレ!? 病気とか子供とか……これ保健体育の問題じゃないの!? 何のパーセンテージを言えってのよ!?
助けを求めて琴子の方に視線を向けるけど……あ、ダメだ。琴子も『わかんない、無理』ってボディランゲージで返してきた。
くぅ……仕方ない、ちょっとはずかしいけど、ここは素直に『わかりません』で……
「あー、少し難しい問題だからな、時間かけてかまわんぞ? ゆっくり考えろ」
……言いづらくなった……。くぅ……そんなこと言われたって、話聞いてなかったんだからそんな時方からしてわからないわけで……っていうかしかも難しいんかい。
でも、そんなこと正直に言ったら『しばらく立ってろ』確定だろうし……
と、どうしたもんかと悩んでいると、
「男性50%、女性0%ですよ、若葉さん」
「え!?」
突然そんな声が響いて……え!? 何、今の!? 何か、答えみたいな……
「? 常盤、どうかしたか?」
「あ、いえ! 男性50%、女性0%です! ……あれ?」
「おー、よく解けたな、正解だ」
え?
思わず口走ってしまった今の謎の声の復唱に、先生が『正解』という返答を返し、クラスから『おぉー』という感嘆の声が上がった。あれ……何かよくわかんないけど、助かった? いや、それはよかったんだけど……
……今の声は……明らかに……
嫌な予感がするのをひしひしと感じつつ、ゆっくりと視線を上に向けた私は……
すぐにその視線を下に戻し、ノートの白紙ページに大きく文字を書きなぐった。
『何してんのよアンタは?』
「あ、はい。ちょっと見学を」
忍者よろしく天井に垂直に張り付いている……というかご丁寧なことに天井に正座して座っている八雲は、八雲自身からすれば『見上げる』姿勢で私を『見下ろし』つつそう言った。……だから、それは何のつもりでか、って聞いてんのよっ!!
何あんた勝手に人の学校の中にまで顔出してんの!? いくら透明になれるからって、こんな人が多いところじゃ何があるかわかんないでしょーがっ!
ていうかアンタそんなことできたんだ? わーすごい。もしかしてその膝の下に敷いてる『G』って書いてある座布団に関係あるの? ひょっとしてそれ『Gravity』のG?
聞けば、
「えっと、やっぱりこの時代の学校の授業風景ってものも拝見しておきたいな~、と思いまして、馳せ参じさせていただきました」
私にしか聞こえない特殊な(?)音声でそう言ってくる八雲。
で、今日1日、私の授業を観察します……ってか? 姿消したままで、そのテンションで。……はぁ……。父兄参観の100倍疲れそうね、その未来人参観……。
「とりあえず、先ほどからこの授業の録画をさせていただいてます」
『録画? カメラとか持ってないみたいだけど?』
声を聞かれて怪しまれないように筆談で八雲に問いかける私。すると八雲は、なぜか今現在自分が欠けているメガネをちょいちょいと指差して、
「ああ、このメガネなんですけど……録画機能も内蔵されてるので、カメラ代わりになるんですよ」
マジッすか。
そう言われれば……何かさっきから微妙にピコピコ電子音が聞こえるような……(この音も他の人には聞こえないんだろうな……)。そのメガネ、そんな高性能用品だったんだ。しかも、録画機能『も』って言った? 他にもあるの?
まあ、別に録画でも隠し撮りでもすればいいじゃない、私は別に困らな……
………………まてよ?
瞬間……私の頭にある考えが浮かんだ。
今こいつは、『この授業を録画してる』……そう言った。
録画……ねえ……なかなかいい響きじゃない?
『八雲、その録画したVTR……後で私に見せてもらえる?』
「? 構いませんけど……なぜ?」
『授業の復習がしたいの。ほら、予習・実践・復習って大事でしょ?』
「ああ、そういうことなら、はい。全然OKですよ」
そう言ってばっちりOKサインを出してくる八雲。よし……上手く行った。
未来の技術を持つこいつのことだ。映像も音声も、相当な高音質・高画質だろう。わからなくて困ることはあるまい。
『そうと決まれば、あんたは私なんか見てないで、授業のに集中してなさい、録画がするんでしょ?』
「あ、はい、そうですね!」
今、私と話したことでちょっとの間だけ八雲の視点(=メガネ(カメラ)の視点)がずれちゃったけど、まあちょっとくらいなら大丈夫でしょ。
八雲の視線が黒板と森本先生に戻ったのを確信して……と、OK。
よし、復習のめどもたったし、これで……
「………………zzz…………」
これで……昨日削った分の睡眠時間取り戻せる……。
森本先生は出席番号順にしか指さないという理論を知っている私は、教科書できっちりバリアを作り、安心して机に突っ伏した。