過去と未来の衝突(クラッシュ)
I. ゼロ秒の決闘
国立星嶺英雄学園A組。
新入生を歓迎するはずの教室は、火野キリシマの超高熱プラズマによって、既に戦場と化していた。
ミナトの足元で、大理石の床がジュウ、と音を立てて溶け始める。キリシマの怒り(エゴ)が高まるにつれて、その能力の出力は際限なく上昇していく。
「面白いことを言うな、九条ミナト!」
キリシマの口角が吊り上がった。それは歓喜の笑みだ。彼はこの学園で、誰もが彼の未来予知を超えることはないと信じきっていた。
「テメェが俺の計算を狂わせる**『不確定要素』**だというのなら、今ここで、その不確定をゼロにしてやる!」
キリシマの右手が、太陽を凝縮したかのように白く輝いた。熱波が教室全体を襲い、生徒たちの肌を焼く。
「キリシマくん、待って! ここは教室よ!」
鈴見屋リサが制止しようとするが、キリシマのプラズマの壁は、彼女の微弱な『摩擦ゼロ』の能力すら弾き飛ばす。
教師はまだ到着していない。このA組では、入学直後の「力試し」は半ば伝統と化している。
ミナトは動けなかった。
動くという選択肢が、彼の脳内で無限にシミュレートされ、すべてが**「死」**という結果でクラッシュする。
(0.5秒のラグ……0.5秒の遅延が僕の武器だ。だが、キリシマは『マイナス秒』、つまり0.1秒後の未来が見えている。僕が動く0.1秒前に、彼は僕の未来の座標にプラズマを置く!回避は不可能だ!)
キリシマは既に、攻撃の軌道を計算し終えていた。
プラズマの炎が、唸りを上げる。
「終わりだ、九条。テメェが右に動く未来を、俺はマイナス0.1秒前に見た!」
キリシマの右掌から、直径20センチのプラズマ熱線が放たれた。それは光速であり、回避は人間業ではない。キリシマの計算通り、ミナトの右胸の座標へと、正確無比に突き進む。
その刹那。
ミナトの顔面から、全ての血の気が引いた。死の予感は、彼の能力を極限までブーストさせた。
――警告:局所演算領域、限界値を超過。
――システム応答速度、ゼロへ。
――**【事象の実行】を、【事象の確定】**から分離します。
ミナトは、動かなかった。
恐怖で足が動かなかったのではない。
「動く」という【事象の実行】を、現実世界から切り離したのだ。
プラズマ熱線は、ミナトの右胸を貫いた。
しかし、血飛沫は上がらない。貫かれたミナトの姿は、まるで低解像度のホログラムのように、熱線が通過しても揺らぐだけだった。
「な……!?」
キリシマの目が大きく見開かれる。
プラズマは、ミナトの体に何の物理的干渉も起こさず、そのまま背後の窓を吹き飛ばし、学園の空へと消えていった。
そして、0.5秒後。
ミナトは、その場に立っているのに、彼の体の右半分が微かに右にズレた。
それは、本来プラズマが当たるはずだった『過去の座標』へ、ミナトの身体の『実行結果』が、0.5秒遅れて同期したかのようだった。
II. 歪む世界
教室は完全な沈黙に包まれた。
生徒たちは、目の前で起こった現象を理解できない。
「今……九条が、プラズマを受けた……?」
「いや、受けたはずなのに、無傷だぞ?」
「待て、あれは**『無敵時間』**か? 違う、空間が九条の周りだけ歪んでやがる!」
ミナトの頬を、一筋の冷や汗が流れた。
(危なかった……! 僕自身が、自分の座標の**『更新』を0.5秒停止させた**んだ。プラズマが通過したのは、0.5秒前の僕が立っていた『過去の空間』だ!)
能力を極限まで使った結果、ミナトは現実世界に存在しながら、自身の物理判定を『オフライン』状態にできたのだ。
キリシマは激昂した。彼の『未来予知』は、ミナトの存在を正確に捉え、攻撃を放った。それなのに、結果は『失敗』。
「ふざけるな……! 演算ミスだと!? 俺の『未来』に、テメェの座標は存在していたはずだ!」
「残念だったな、火野」
ミナトは虚勢を張る。彼の心臓は、警報機のように鳴り響いていたが、それを表情に出してはならない。
「君の未来は、僕のタスクマネージャーが処理する『過去』のデータに過ぎない。僕は、君の計算よりも先に、自分自身を**『非実在化』**させたんだよ」
非実在化。またも適当なハッタリだ。だが、キリシマにはそれが、常識を超越した能力の専門用語に聞こえた。
「くそっ、このバグ野郎が……!」
キリシマは全身から湯気を立て、最大出力のプラズマを放とうと身構えた。今度こそ、ミナトの全身座標を過去から未来まで全て焼き尽くすつもりだ。
その時、地を這うような低い声が教室に響いた。
「そこまでだ、火野キリシマ君」
教室のドアから、一人の男性が入ってきた。
スーツ姿だが、その体躯はアスリートのように引き締まっており、何よりもそのオーラが違う。彼の入場と同時に、教室の熱波が一瞬にして鎮火した。
担任教師、九頭竜シン。
元A級ヒーローであり、その能力は『エントロピーの強制収束』。つまり、あらゆる物理現象の『結果』を強制的に収束させる、因果律の監視役だ。
「始業式早々、学園の備品を破壊するとは。キリシマ君、君には早速、懲罰清掃の『未来』が見えたはずだがね」
九頭竜の目は、キリシマを一瞥する。
キリシマは歯噛みしたが、担任教師の能力は、自身のプラズマのように不安定なものではない。彼は、有無を言わせぬ絶対的な『結果』を扱う。
キリシマは舌打ちし、プラズマを収束させた。
「覚えておけよ、九条ミナト。テメェのバグは、必ず俺の**『完全なる未来』**で修正してやる」
彼はそう言い残し、自席へと戻った。
III. 鈴見屋リサの輝き
緊張が去り、生徒たちが一斉にざわめき始める。
九頭竜先生は、ミナトの方を一瞬だけ見た。
その視線は鋭く、ミナトの『ラグ』の本質を見抜いているのではないかと、ミナトを恐怖させた。
だが、九頭竜は何も言わなかった。ただ、涼しい顔で教壇へと向かった。
「……さて。改めて、A組の諸君、入学おめでとう。私は君たちの担任、九頭竜シンだ」
九頭竜が話している間も、ミナトの心臓は収まらない。
(マジで危なかった。もう二度と、こんなハッタリは使いたくない……)
ミナトがドッと疲れて座り込むと、隣の席の鈴見屋リサが、興奮冷めやらぬ様子でミナトの腕を掴んだ。
「九条くん! すごい! すごすぎるわ!『非実在化』! 空間に自分を重ねて、攻撃を無効化するなんて……!」
ミナトは、彼女の興奮した顔を見て、罪悪感に苛まれた。彼女は、ミナトの嘘を純粋に信じている。
「あ、いや……鈴見屋さんも、無事でよかった」
「ええ。ありがとう、九条くん。でも、私……」
リサは俯いた。その小さな拳が、スカートの上でギュッと握られている。
「私、摩擦ゼロなんて地味な能力で、このA組にいていいのかなって、不安だったの。でも、九条くんが言ったわよね。『僕の能力は、運任せ(ギャンブル)だ』って」
ミナトの目が、リサの言葉に引きつけられた。
「九条くんの『非実在化』は最強かもしれないけど、出力が不安定で制御できていない。でも、私の**『摩擦ゼロ』は、地味だけど確実よ。鉄壁の防御も、地面との摩擦を消せば滑らせて無力化できる。私は、あなたの『不安定性』を『確実性』でサポートできる。そう、私はあなたの『デバッガー』**になれるわ!」
リサの瞳が、決意の光を放った。
ミナトは、まるで目の前に輝く未来が見えたような気がした。
自分はただのバグだと思っていた。しかし、この真面目すぎる優等生は、彼の嘘を信じ、その欠陥を補う完璧な**『チームメイト』**になることを宣言してくれたのだ。
(デバッガー……。僕のクソ能力を、デバッグしてくれるのか)
ミナトは、リサの熱意に押され、初めてこの学園で、少しだけ希望を感じた。
「……鈴見屋さん。助かる。頼む」
こうして、学園最強の**『未来予知』を打ち破った『バグ』と、彼を信じる『摩擦ゼロ』の『デバッガー』**の、コンビが誕生した。
彼らの学園生活は、まだ始まったばかりだ。




