光速の特異点:観測者のパラドックス
I. 光の揺らぎ(フラクチュエーション)
音響因果律のエコー事件から数日後。九条ミナトは、以前にも増して神経を尖らせていた。
彼の体内の**『量子流動』は、鈴見屋リサの『ゼロ・フロー・システム』**によって安定している。しかし、エコーが残した言葉が、ミナトの心に影を落としていた。
「『光』や『情報』の周波数が、君のラグが通用しない『特異点』になる」
その予言は、すぐに現実となった。
ネオ東京の主要な通信インフラが、次々と機能不全に陥っていた。原因は、データセンター内部の光ファイバーケーブルが、瞬時に**「光速を超える情報伝達」**に耐えられず、溶解していることだった。
会議室には、星嶺学園のミナト、リサ、サヤ、そしてアルゴリズム学園の綾小路レイが揃っていた。
「犯人は、コードネーム**『フォトン』。能力は『局所光速操作(ローカル・ライトスピード・マニピュレーション)』**」
綾小路は、冷静にホログラムを操作する。画面には、光がまるで水のように歪んでいる、異常な映像が映っていた。
「フォトンは、自身の周囲の空間の光速を、意図的に加速、あるいは減速させる。加速させれば、情報過負荷でケーブルが融解する。減速させれば、観測者の感覚を極端に遅延させる」
綾小路は、ミナトに冷たい視線を向けた。
「九条ミナト。君の**『ラグ』は、『時間座標の遅延』だ。だが、この敵は、『情報伝達の速度』そのものを操作する。君が相手を視認する情報が遅延すれば、君の『ラグ発動の意図』**すら、敵の能力より遅れることになる」
それは、ミナトの能力の根源に関わる問題だった。
ミナトのラグは、『認識した後に発生する』。しかし、認識そのものが遅延すれば、ラグは発動しようがない。
「つまり、**『観測者のパラドックス』**だ」
北斗サヤが鋭く指摘した。
「観測しなければ、能力は発動できない。だが、観測すれば、その情報自体が歪められる。君の**『乱数』は、情報過負荷で『ノイズ』**にすらなれない」
II. 感覚の断絶
フォトンは、ネオ東京の金融システムを支える、最大級のデータセンター**『ミレニアム・コア』**を標的にしていた。
ミナト、リサ、サヤ、そして綾小路と彼の戦闘要員は、データセンターの巨大なサーバー室に突入した。
サーバー室の空気は、常識では考えられないほど澄んでいた。光が、まるでガラスの破片のように、不規則に反射している。
「フォトン、発見!」
サーバーラックの上に、フードを深く被ったフォトンが座っていた。彼の手のひらから、微細な光の粒が空間に散布されている。
フォトンは、声を発さず、静かに能力を解放した。
その瞬間、ミナトの感覚が断絶した。
視界が一瞬、暗転したように感じた。そして、次に視界が戻ったとき、フォトンがミナトに向かって、既に光の刃を振り下ろしている姿が見えた。
(しまった! 見えた時には、もう遅い!)
ミナトは、必死に**『ラグ』を起動しようとした。しかし、脳が発する『能力起動の意図』すら、ミナト自身の『感覚遅延』**によって、体に伝達されない。
リサが叫んだ。
「九条くん! あなたの**『視覚情報』**が、0.8秒遅延しているわ! あなたが見ているのは、0.8秒前のフォトンよ!」
フォトンが放つ光の刃は、既にミナトの首筋の座標を通過し、背後のサーバーラックに深い亀裂を入れた。
「ミナト!」
サヤが、とっさに重力障壁をミナトの背後に構築し、光の刃の威力を吸収した。
フォトンが冷たく言い放つ。
「君の**『時間のズレ』は、僕の『光のズレ』の前では無意味だ。君は、自分の視界が、常に『過去の残像』**であることを、意識するがいい」
ミナトは恐怖で動けない。彼は、自分の能力が、『観測』という人間の限界に依存していることを、痛感した。
III. 盲目の演算
綾小路は、フォトンが放った光の刃の軌跡を、瞬時に解析していた。しかし、彼の演算にも、明確なエラーが生じている。
「私の**『最適ベクトル収束』の計算精度が、50%以下に低下した! フォトンは、光速を不規則に操作しているため、『情報伝達の速度』**という基本変数が、予測不能だ!」
綾小路は、初めて苛立ちを見せた。彼の**『絶対アルゴリズム』**が、根底から揺るがされている。
「九条ミナト! 私の指示に従え! 君は、**『観測』**を止めろ!」
綾小路は、自分のスマートグラスを外し、目を閉じた。
「何を……? 綾小路、まさか!」サヤが驚愕する。
「この空間では、視覚情報が**『最大のノイズ源』だ。ならば、我々は視覚を捨て、『非観測領域』で戦う! 九条! 君のラグは、『意図』で発動する。ならば、『視覚を無視した意図』**で、ラグをかけろ!」
それは、**『デバッガー』であるリサの教えと同じ、『信頼』**に基づく戦術だった。しかし、それを最も論理的な綾小路が提案したことに、ミナトは戦慄した。
「鈴見屋リサ! 君の**『ゼロ・フロー』で、九条の『聴覚と触覚』**の感度を極限まで上げろ! 視覚情報に頼らず、**音と振動の『時間軸』**を把握させるのだ!」
「了解!」リサは、ミナトの手首に触れ、**『ゼロ・フロー』**を起動させた。
ミナトは、意を決して、目を閉じた。
視覚情報が遮断された瞬間、周囲の微細な振動と、サーバーの電子音が、驚くほどの**『情報量』**となってミナトの脳に流れ込んできた。
フォトンが、静かにサーバーラックを伝ってミナトの背後に移動する**『微細な音』**を、ミナトの耳は捉えた。
(来る……! 今、僕が聞いている**『音の到達時間』は、0.003秒。これが、フォトンが仕掛ける『光の遅延』**の影響を受けていない、真の座標だ!)
IV. ノイズの収束
フォトンは、ミナトが目を閉じ、防御を怠ったと判断し、光速を極限まで加速させた光の刃で、ミナトの背中を貫こうとした。
その光の刃は、**ミナトの『過去の座標』**目掛けて一直線に突き進む。
ミナトは、視覚による**『過去の残像』ではなく、聴覚と触覚が捉えた『現在の座標』に、全力を込めた『ラグ』**をかけた。
「ラグ! 対象:光の刃の『実行結果』!」
ミナトがラグを発動した瞬間、フォトンが振り下ろした光の刃は、ミナトの背中を0.5秒間、静止したまま貫こうとし続けるという、奇妙な状態に陥った。
「な、なぜだ!? 君は、僕の**『光の遅延』**で、僕の動きを認識できていないはず!」
フォトンは驚愕した。
ミナトは、目を閉じたまま、荒い息で言った。
「残念だが、フォトン。僕の**『ラグ』は、『観測情報』で発動するんじゃない……『能力発動の意図』が、『非観測領域』で、『絶対的な信頼』を得た時、『数式を超えた結果』**を出す!」
ミナトは、フォトンが静止している間に、目を閉じたまま、彼の**『音の発生源』**目掛けて、ゼロ・フローの無限のエネルギーを込めた、渾身の一撃を放った。
ドスッ!
フォトンは、ミナトのパンチを直撃で受け、サーバーラックを突き破った。
ミナトは、勝利を確信し、目をゆっくりと開けた。視界は正常に戻っている。
倒れたフォトンは、拘束された。
綾小路は、目を閉じ、スマートグラスを装着し直した。彼の演算には、新たなデータが記録されていた。
「九条ミナト……君の勝利確率は、私が**『観測を停止』**することで、**98%に収束した。君の能力は、『乱数』ではない。それは、『観測に依存しない演算領域』**だ」
綾小路は、ミナトに一歩近づいた。
「これより、君の能力を**『非観測領域演算』として、私のアルゴリズムに組み込む。君の『バグ』は、世界の『物理法則の穴』を埋める、『絶対座標』**となった」
ミナトは、リサと目を合わせ、静かに微笑んだ。彼の**『ハッタリ』が、また一つ、『世界の真実』**として、天才たちに認められた瞬間だった。




