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偽りの微笑(モナリザ盗難事件を巡るミステリー)  作者: マーク・ランシット


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共犯者 1

1914年1月15日 パリ警視庁


 ミシェル・デュポアはデスクに座って、昨日提出されたファイルの中の調書に目を通していた。モナリザ盗難に関する調査は一件も無かった。残りの調書が数枚になったところで壁に掛かっている時計を見た。既に午前11時を過ぎている。

 ファイルの横には、いつもの様にフィガロ紙が置かれていた。


 新年からルーブル美術館でのモナリザの展示が再開されると、10万人を超す人々が連日列を成した。

 その熱狂もどうやら落ち着き、普段通りの日常がパリに戻って来つつあった。


 次第にモナリザに関する記事が一面を飾ることは無くなっていた。

 それに取って代わったのが、周辺国の政治情勢に関する記事だった。


 イギリスとフランスに対抗する為に、ドイツはオーストリアと同盟を組んでいた。そのオーストリアが嘗てオスマントルコに支配されていたボスニア・ヘルツェゴビナを突然併合した。それは隣国であるセルビアとの摩擦を引き起こした。セルビアがロシアとの同盟国であったため、オーストリアとセルビアの争いは、すなわちドイツとロシアの戦いを意味していた。

 

 万が一、両国間に紛争が勃発すると、ロシアと同盟を結んでいるフランスも参戦を余儀なくされた。フランス国民の間に、不安の黒雲が広がりつつあった。 


 後少しだと気合を入れた時に、デスクの上の電話が鳴った。

 交換手がフィレンツェ警察からです、と告げた。

 電話の相手はフィレンツェ警察のバレッラ警部だった。


「おはようございます、警部。午後にでもお電話しようかと思っていたんですよ・・」

 デュポアが言い終わる前に、警部が嬉しそうな声で言った。

「何ですって! 本当ですか?」

 ミシェル・デュボアは思わず叫んだ。

「ランチェロッティー・・。ヴィンチェント・ランチェロッティーですね。住所がビシャ通り57番地・・」

 ディボアはメモを書きながら、再度確認した。血が沸き立っているのが、自分でも分かった。


 ついに、ペルージャが共犯者の存在を自供したのだ。

 メルシーボクー。電話を切ると、デュポアはドアに向かって走った。

 署内を見渡すと、多くの署員たちは出払っていた。


「レオ、ヤニス、直ぐに来い!」

 同僚と話していた二人が、ビックリした表情で振り返った。


 部屋に飛び込んで来た二人は、何事かとデュポアの顔を見た。彼はニヤリと笑った。

「ペルージャの奴、ついに吐きやがった。こいつが共犯者だ。今すぐしょっ引いて来い」

 えっ、本当ですか?

 興奮した表情のレオ・ブリュネ警部とヤニス・ベルナール警部補は、メモを受け取ると、脱兎のごとく部屋を飛び出して行った。


「警官を2,3人連れて行け」

 ディボアは二人の背中に向かって言い放った。


 ビシャ通りのアパートは不在だった。

 大家からクリシー通りの勤め先を聞き出す。警官二人を残して、二人は仕事場に向かった。

 そこも既に退社した後だった。数人の大工たちに容疑者の居場所を聞いた。彼らは、恐らくと言って北イタリアからの労働者たちがよく集まるというレストランの名前を告げた。

 オウ・ボン・クリュ。パリ11区。


 レオ・ブリュネ警部がガラス張りのこげ茶色のドアを開けると、取り付けられていたドアベルがチリン、チリンと大きな音を鳴らした。店内は広くて明るかった。赤と白のギンガム(テーブルクロス)。ベージュ色の壁には黒い額に入れられた風景画。黒板に書かれた手書きの本日のおすすめ書きが同じく壁に立て掛けられている。まだ夕暮れ前だというのに、大勢の客で賑わっていた。


 近くにいたウエイトレスに男の名前を告げたが、彼女は首を振って肩を竦めた。仕方なく、近くのテーブルに座っている作業服姿の男たちに質問する。何組かに当たったところで、あいつらなら知ってるかもしれませんと指を刺された。


 店のほぼ中央のテーブルに座っている3人組。

 二人はゆっくりと近づいて行く。

 テーブルの上にはわずかな野菜を除いて食い尽くされた白い皿、バケットには2切れのパン、ピッチャーの中に半分ほど残されている白ワイン。彼らが話していたのは、明日の賭けボクシングの事だった。


「ヴィンチェント・ランチェロッティーという男を探しているんですが・・」

 警察証を見せると、手前にいた痩せこけた男が驚いた顔で、えっ、という顔をした。

「あいつ、何かやらかしたんですか?」

 聞いたのは、奥に居た前歯の折れた間抜け面の男だった。もう40を過ぎているだろうか。

「いえ、ただちょっと聞きたい事がありまして・・」

 3人が顔を見合わせる。

「たぶん今夜は女とのデートだと思うぜ、なんせ一張羅に着替えて出かけたからね」

 言ったのは右手に座っている小太りの男だった。

「どこに行ったか分かりませんか?」

 彼らが教えてくれたのは、10区、ラ・ファイエット通りのこじゃれたビストロだった。


 その店に到着したのは、日が暮れかけて来た午後5時ころだった。

 店に入って、白いワイシャツに黒の蝶ネクタイをしたウエイターに事情を説明した。

 ウエイターが、後ろを振り向いて、奥のテーブルに座っている二人の男女を指さした。

 見ると、カーキ色の中折れ帽を被った男が、小太りの中年女性と向き合っている。


 ありがとう。ウエイターに礼を言うと、二人は高鳴る胸を押さえながらテーブルに近寄って行った。

「失礼ですが、ヴィンチェント・ランチェロッティーさんでしょうか?」

 男は、ワインに酔っているのだろうか、赤ら顔をこちらに向けた。

「何よ、あんたたち。二人の邪魔をしないでくれる」

 下町のフランス言葉で、女が血相を変えて怒鳴った。

 レオ・ブリュネ警部が警察証を見せると、女は目を見開いて、口を閉じた。

 男は泣きそうな顔で、女を見た。


「少しお話を聞きたいので、ご同行をお願いします」

 レオ・ブリュネ警部の言葉に、男はテーブルにつかまるようにふらつきながらゆっくりと立ち上がった。





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