贋作 2
「教授、降参です。答えを教えてください」
ミシェル・デュポアは情けない表情で教授に助けを求めた。二人は既に15分ほど、2枚の絵と格闘していた。
「わかりました」
教授はゆっくりと立ち上がると、左側のイーゼルの横に回った。
「こちらが本物です。今なら恐らく6万フラン以上で売れるでしょうね」
まるでマジックを見せられた後の様に呆然としている二人には、彼の言葉は耳に残らなかった。
「どうぞ、席にお戻りください」
二人は促されるままに椅子に座った。
再び、教授の講義がスタートする。
「実は、右側の贋作は私が描いたものです。生徒たちに贋作を見分けさせる訓練をさせるためです。もちろん、画商や個人のコレクターに売ったりはしませんよ」
教授は、二人に小さくウインクして微笑んだ。彼にして見れば二人を和ませる為のジョークだったが、今の二人には、笑う気にもなれなかった。
「普段、生徒たちには贋作のみを見せます。今日、お二人に本物も見て頂いたのは、優秀な贋作を見分ける事がいかに難しいかという事を知って貰うためです」
流石にこの言葉には納得した。
「生徒たちは、ファン・ゴッホの作品の履歴を調べ、どの時期にどこに居て、どの様な画材を使用していたのかを確認します。そして、私の作成した贋作の隅々を調べて結論を出すのです。その為に、この贋作には、彼が使用していなかった画材をあえて使用しているのです」
そう言う事か・・。デュポアは納得した様に頷いた。しかし・・、と思った。それにしても、贋作というものがこれほど精巧に制作されている事には愕然とするしかなかった。
「先ほど、ファン・ゴッホという画家の残した作品について話をしました。油絵が約860点、水彩画が約150点、素描が約1030点。これは、ファン・ゴッホの作品を管理していた弟であるテオドルス・ファン・ゴッホの資料によるものです。しかし、そのテオも兄の後を追うようにして翌年に亡くなってしまいました」
教授はそこで言葉を切った。今は生徒の立場である二人は、ただ、彼の言葉を待った。
「ファン・ゴッホの作品の8割の履歴(現在誰が所有しているか)ははっきりとしています。しかし、残りの2割については明確ではないのです。つまり・・。油絵だけでも、およそ170点の所有先が分かっていません。贋作師にとってこれほど美味しい話はありません・・」
「6万フランが170点も・・・」
アワワワワ・・。ブリュネ警部がまたもや不思議な声を上げた。
「先ほども話したように、アメリカ人のコレクターの間でも、ファン・ゴッホの作品は注目を集め出しています。その証拠に、ニューヨークで展示会やオークションが開催され始めているのです」
二人はそうですか、と何気に聞いていたが、教授はその鈍感さに少し苛立った表情をした。
「アメリカにはとんでもない金持ちがゴロゴロいます。彼らの興味はただ、あり余った金でヨーロッパの名画を自分の手元に置くこと。それらを誰かに見せて自慢するなんて事さえせずに、だだ金庫にしまっておくだけというコレクターが沢山いるんですよ」
「勿体ない・・」
ブリュネ警部がため息をついた。
「私は、芸術を愛する者として、こんな連中が許せないんです。断じて・・。本物の芸術とは、人間の心を、生活を豊かにするものです。その為には、多くの人々の前に公開されなければならないのです」
ミシェル・デュポアは教授の思いに共感して深く頷いた。
モナリザこそは、その最たるものかもしれない。
モナリザが行方不明の間、新聞は根拠のないデマ話を書きなぐっていた。
曰く、
今頃はどこかの大金持ちの寝室で、その一人の為に微笑んでる・・。
本物が無事戻って来たのだから、もうその心配は無い。
しかし、もしペルージャではなく、本当の首謀者が誰かに売り渡していたとしたら・・。
買い取った人間は、誰にも知られない場所に隠し持つことになるだろう。
例え、それがどんな大富豪だったとしても、自分が所持しているなどと表明出来る筈がないのだ。
ノックの音がした。
事務員の女性が入って来て、教授、そろそろ時間ですと告げた。
「もうそんな時間ですか・・」
教授はそう言って立ち上がった。
「またいつでもお出で下さい」
教授は、二人に握手すると、ドアに向かって歩き出した。
「昨年の12月31日から、ここでモナリザの最終調査が行われたと聞いています。教授はその調査に参加されたのですか?」
ミシェル・デュポアの質問に、教授の足がピタリと止まった。
彼はゆっくりと振り返った。
「正式なメンバーではありませんでしたが、助言者という立場で参加しました」
再びドアに向かおうとして、教授は自分がまだミシェル・デュポアの質問に答えていない事に気が付いた。
「紛うことなき、本物でしたよ」
教授は、真っ白なカイゼル髭に触れながら、満面の笑みを浮かべた。




