贋作 1
1914年1月10日 エコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)
パリのエコール・デ・ボザールは、セーヌ川を挟んでルーブル美術館のちょうど反対側にあった。
ミシェル・デュボアはレオ・ブリュネ警部を伴って、パリ警視庁を出た。
新年を迎えてから、パリの気温は一層下がっていた。
セーヌ川を渡る風は凍るほど冷たい。屈強なブリュネ警部でさえ、その寒さに悲鳴を上げた。
自動車を使うことも出来たが、デュポアは、あえて歩こうと思った。
家族を包む状況は新年を迎えても一向に改善する気配を見せなかったが、その現状をも霞ませるほどの暗雲がフランス全土に広がろうとしていた。
モナリザ盗難の直前に起こった第二次モロッコ事件(アガディール事件)。
実質的にフランスが納めていたモロッコでベルベル人が大きな反乱を起こした。ドイツはそこに居住するドイツ人の保護を名目として軍艦を派遣した。それは明らかにドイツによる侵略の兆しだった。フランスはイギリスと軍事協定を締結し、ドイツに対抗した。双方が対立するなか、妥協案としてフランス領コンゴの一部であったノイカメルーンを譲渡することでこの事件は漸く決着した。
しかし、ドイツの野心はそんなことで収まる筈はない。
ドイツがフランスに侵攻するための準備をしているという情報は、フランス内務省や軍部にも入っていた。だが、不運なことにその当時のフランスには十分な戦費の蓄えが無かった。
そこにそれを貸し付けてくれるという大資本家が登場した。
ロスチャイルド、ロックフェラーと並ぶアメリカの大富豪、J.J.メーソンである。
その情報は新聞によって透っ破抜かれ、拡散された。当然のことながら、ドイツの軍部もその為の戦略を練り直して行くことになり、両国間の緊張はさらに高まっていった。
残念な事に、そのJ.J.メーソンは昨年の3月にローマグランドホテルで死去したが、その意思は息子のメーソンJrに引き継がれた。
その記事は、ヨーロッパ全土に新たな戦争の訪れを予感させた。
一階の受付で訪問の理由を告げると、中年の事務員が二人を2階の部屋に案内してくれた。
そこは何かの講義が行われる教室なのだろう、十数脚の椅子が並んでいた。最前列の椅子の前には丸いテーブルが置かれていて、事務員は、そこの席に着くように右手で誘った。
「教授は今、講義中です。10分もすれば終わりますので、ここでしばらくお待ち下さい。コートは後ろの椅子にでも置いて下さい」
直ぐにコーヒーをお持ちします。
そう言い残して、事務員の女性は部屋を出て行った。
運ばれて来たコーヒーは、冷え切った二人の身体を、芯から温めてくれた。
しばらくすると、ドアが開いて、白髪の紳士然とした人物が入って来た。こげ茶のフレームの眼鏡を掛け、こげ茶色のスーツにベスト、青の蝶ネクタイを結んでいる。二人は椅子から立ち上がった。
「ポール・マルタンです。ようこそエコール・デ・ボザールへ」
「パリ警視庁のミシェル・デュボアです。彼は部下のレオ・ブリュネ警部、本日はお忙しいところお邪魔して申し訳ありません」
マルタンは二人に座るように促し、自分は円形のテーブルを挟んだ一人掛けの椅子に座った。
「贋作に興味がおありだとか・・、何かの事件の調査ですか?」
彼は、モナリザ以外の贋作に関する事件なのかと勘違いしている様だった。
「いえ、どちらかと言えば、今後の参考の為に教授のお話を聞かせて頂けないかと思いまして・・」
「なるほど・・」
彼はデュポアの顔を見つめた後、次にブリュネの顔を見た。
「私の研究がパリ警視庁の捜査に役立つのなら、大変光栄なことですな」
そう言った後、失礼といって内ポケットから煙草を取り出して火を付けた。
マルタンが美味しそうにタバコを吸って、煙を吐き出したタイミングでデュボアが聞いた。
「贋作師というのは、そもそもどの様にして絵を作成するのでしょうか? 写真からですか?」
マルタンは、ちょっと頷いて、タバコを灰皿に置いた。
「写真は全体の構図を取るためにはとても重要です。ただ、色合いや実物の筆遣いを真似るためには実物を観察することが必須ですね」
当時はまだ、モノクロの写真しかなかった時代だった。
他の質問をしようとしたデュボアを、マルタンは右手を挙げて制した。
「申し訳ありませんが、1時間後にまた講義があります。今日のところは、私の話に付き合ってください」
彼は立ち上がると、近くに置かれているイーゼルに向かった。
白い布を被せられた2脚のイーゼルの前に立つと、手前のイーゼルに掛けられていた布を捲った。
額に入っていない、恐らくはキャンバス地の絵が現れた。
「オランダ出身のファン・ゴッホという画家の作品です。お二人はご存じですか?」
デュボアとブリュネは首を振った。
「24年前に若くして亡くたった画家です。ごらんの通り、非常に独特の画風の絵ですよね」
二人は、コクリと頷いた。
「生前、彼の描いた絵はほとんど売れませんでした。売れたのはたったの一枚、『赤い葡萄畑』という名の絵です。金額は400フランでした」
なかなかの金額ですね。ブリュネ警部が感心した様に頷いた。
モンマルトルの安アパートなら、一年間の家賃が150フランといったところだろう。
「そう、思われますか?」
教授は、首を傾げる仕草でブリュネ警部の顔を見た。恐らく警部は麻薬の様に魅力的な絵画の世界の相場を知らないのだろう。
デュボアは何気に立ち上がると、イーゼルの上の絵をまじまじと見詰めた。
絵心のない彼には、あまり関心の持てる作品ではなかった。
「ところが彼の死後、10年が過ぎたころから急速に評価が上がり始めました。最近ではアメリカ人のコレクターも興味を持ち始めています」
デュポアは目の前の教授が、何を言わんとしているのかよく分からなかった。
「現時点で、彼の作品の多くは5万フラン以上で取引されています」
えっ! 隣のブリュネ警部が驚きの声を上げた。
「400フランの絵が、たった20年で5万フランですか!」
いままで無関心だったブリュネ警部の変化に、教授はニヤリと笑った。
警部が驚くのも当然だった。1万フランあれば、パリ郊外に一軒家を買える金額だったのだから。
「もちろん、個々の作品ごとに評価は変わります。ただ、彼の作品の取引価格がさらに上がっていくことは間違いありません」
「2,3倍ですか?」
ブリュネ警部が恐る恐る聞いた。それでも、彼にとっては思い切った価格であった。
「10倍、作品に依っては30倍くらいになるかも知れません」
アワワワワ。ブリュネ警部は不思議な声を上げた。とても老練な警部の上げる声ではなかった。
「現在、彼の残した作品は、油絵が約860点、水彩画が約150点、素描が約1030点と言われています。あくまでも現時点の数字ですが・・」
教授の言葉に、デュポアはただ頷くしかなかった。
「この絵は・・」
教授は改めて、作品の方を向いた。
「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)と題した作品で、1888年の4月に描かれた物です」
価格を聞いた後、二人の作品を見る目が変わった。
これが5万フラン?
教授は、キャンバスの後ろに回って、隣のキャンバスに掛けられていた白い布を捲った。
えっ!!
そこには、まったく同じ絵が掛けられていた。
戸惑う二人に、教授は言った。
「二つのうち、一つは本物で、一つは贋作です。どうぞ、ジックリと見て、見極めてみて下さい」
教授はそう言うと、椅子にゆっくりと腰を下ろした。そして足を組むと、膝の上で両手を組んで二人の様子を楽しそうに見つめた。
「どこをどう見ても違いは無いように見えますが・・」
ブリュネ警部が悲鳴に似た声を上げた。
「違いを見極められなければ、あなたは贋作を掴まされることになってしまいますよ」
教授は美味しそうに煙草を吸った。




