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偽りの微笑(モナリザ盗難事件を巡るミステリー)  作者: マーク・ランシット


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モナリザの生還 3

 1913年12月15日 ルーブル美術館


 パリ警視庁のミシェル・デュボア警視正とレオ・ブリュネ警部は、ルーブル美術館の警備責任者マクシム・トマの後について写真部の部屋に向かっていた。ある部屋の横を通り過ぎようとした時、

「すいません」

 デュポアが、トマに声を掛けた。彼は何事かと振り返った。

「ここは倉庫ですか?」

 扉が半開きになっているために、中の様子が見えていた。首だけのものや下半身だけの彫刻が数体床に転がっている。


 トマは首を捻って、

「さて何ですかね・・。ここは 管轄外なのでよくわかりません。ゴミ置き場ってわけでもなさそうですが・・」

「ちょっと覗いてもいいですか?」

 トマは返事をせずにただ首をすくねただけだった。お好きになさったらどうですかという意味だと判断した。

 

 デュポアは、ゆっくりとドアを開けて、一歩だけ体を入れて、中を覗いた。

 何体もの彫刻が無造作に積み上げられている。名札もサインらしきものも何もついていない。ブリュネ警部も同じようにしたが、ただ首をかしげるだけだった。


「他にもこんな部屋はあるんですか?」

 見ると、これまで歩いて来た通路の両側にはいくつもの扉があった。

「どうでしょう?」 

「ここに転がってる彫刻も、それなりに価値のあるものなんですかね?」

 デュポアは、自分でも呆れるような質問をした。このルーブルに保管されている以上、価値のないものなどある筈がない。だとしても、こんな状態で放置されているのを見ると、思わずそんな言葉を発したくなったのだ。

「どうでしょう?、展示されてる彫刻に比べたらほとんど価値はないんじゃないですかね」

 銀行員にとっては、紙幣がただの紙だと思えるのと同じで、彼にとっては貴重な彫刻もただの重たい石なのかも知れない。


 写真部の前でトマ氏に別れを告げると、ブリュネ警部がドアをノックした。

「連絡しているパリ警視庁の者です」

 中から、はーいという声がしてドアが開いた。

 年の頃25歳前後と思える青年が、ニッコリと笑いかけて来た。青のワイシャツに、厚手のグレーのブレザー。髪は長めで軽くウエーブしている。爽やかな雰囲気を纏ったなかなかのイケメンだ。


「お待ちしてました。私は写真部のガブリエル・ベルナールです」

「私が連絡しました警部のブリュネです。こちらは私の上司のデュボア警視正です」

 三人はそれぞれに握手を交わした。


「今回はモナリザの件で色々とご迷惑をお掛けしました。でも、良かったです。無事保護されて・・」

 彼は我々を部屋に招き入れると、事務用の椅子を勧めた。

 部屋はそれほど広くは無かったが、イーゼルや写真機材が何台か置かれていた。

「本来なら、絵画部門の責任者であるルプリュールがお相手しなければならないんでしょうけど、学芸員のほとんどが揃ってフィレンツェに出張中なものですから・・」

 そう言いながらも、彼の顔は笑顔だった。

「いえ、今日はそんな大袈裟な話をしに来たわけじゃありませんので、気にしないで下さい」

 彼の得ている情報では、絵画部門の学芸員の多くがフィレンツェに向かったと聞いていた。イタリアから帰国するモナリザの警護をするために。


 はい。そう言いながら、ベルナールはデュポアの言葉を待った。


「先ほど、警備責任者のトマさんから色々と話を聞かせて貰ったんですが、休館日には結構写真を撮ったりするらしいですね?」

「はい。写真を撮るのは休館日だけではないんですけど、やはり休館日だと人気の絵画でも撮影が自由に出来るんで・・」

「写真は、額から外して取るんですか?」

 デュポアは、部屋を見渡しながら質問した。

「はい、すべて額から外して写真を撮ります。それは、当美術館の目録用です。ただ、モナリザクラスの重要絵画では、贋作防止の為に、さらに色々な部分の写真を撮る事になります」

「確か、今回もモナリザの真偽鑑定の為に、公証人に預けてあった写真等をフィレンツェまで持っていかれたそうですね」

「はい。そのお陰で確実に真偽を確認出来ました」


「その、写真なんですが・・、1か所につき、何枚くらい撮影されるんでしょうか?」

 ベルナールはそこで初めて、真剣な顔になった。もしかして、自分は何かの疑いを掛けられているのだろうか・・。

「なんか、刑事さんらしい質問ですね」

 ブリュネ警部が、警視正・・と言いかけたが、デュポアは彼の膝に手を当てて止めた。ここでは、そんなことなどどうでも良いことだった。


「最低3枚は取りますね」

 彼の表情が明らかに硬くなった。

「ここで現像は出来るんですね?」

「もちろんです。撮影が溜まっていなければ、その日のうちに現像します」

「保管されるのは1枚だけですか?」

 ベルナールの眉間にしわが寄った。

「はい。絵画だけではないので、それだけでも膨大な量になりますからね」

「無駄になった写真とネガフィルムはどうされるんですか?」

 再び、ベルナールの顔が曇った。

「なんか、尋問されてる気分ですね」

 ここで、デュポアは大袈裟に手を振った。

「尋問なんてとんでもない。単なる警官としての興味ですよ。モナリザも戻ってきますし、犯人も逮捕されましたからね。あなたを取り調べる理由なんてありませんよ」


 ベルナールは、確かにと言って小さく頷いた。


「以前なら、特に規定はありませんでしたが、現在は破棄します」

「以前というと・・?」

「モナリザが盗まれる前、つまり前館長のテオフィル・オモルのころです」

「新館長のアンリ・マルセル氏に変わって、管理が厳重になったということですね」

「そうです」

 ここで、デュポアは唇に手を当てて考える仕草をした。

 つまりは、写真部の関係者に悪意があったなら、それらの写真は簡単に外部に流出するということか。


「ここに来る前に、彫刻が転がっている部屋があったんですが、あそこは倉庫なんですか?」

 ベルナールは困った様な顔になった。正直に答えるべきか迷っている様子だった。

「あれでも片付けられた方なんですけど・・、なかなか手が回らないんですよ」

「絵画にもあんな状態の部屋があるんでしょうか?」

 ここでもベルナールは、困ったという表情を作った。

 返答の仕方によっては、絵画部門の責任者に問い詰められると考えているのかも知れなかった。

「もし、僕が尋問を受けているのでは無いとしたら、今日のところはノーコメントで良いでしょうか?」

「もちろんです」

 デュポアは、再びにっこりと笑った。


 つまりは、あるということだ。恐らくは、1ヵ所や2ヵ所ではないのだろう。そこに放置されている絵画にはどれほどの価値があるのだろうか?

 恐らくは、ペルージャの生まれたイタリアの田舎の町なら、一軒家を購入出来るほどの金額に違いない。そしてなによりも、その方が簡単に画商に売り込むことが出来た筈だ。


 彼の頭は益々混乱した。


 ペルージャが単独犯だとして、金が目的ならば、なぜモナリザみたいな世界中をひっくり返す様な作品なんかに手を出したのだろうか? ルーブル中にお宝が眠っているというのに・・。


 フランス人の同僚たちに一泡吹かせたいだと・・?

 デュポアは、鼻で笑った。

 ふざけるな!

 彼は、目の前にあるテーブルの裏側を蹴り上げたい衝動に駆られた。




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