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偽りの微笑(モナリザ盗難事件を巡るミステリー)  作者: マーク・ランシット


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検証 2


 1914年3月8日 グルネル通りのアパルトマン


 トマス・ゲランは、ミシェル・デュポアに告げられたアパルトマンの玄関口に立った。

 グルネル通りは一方通行の狭い道で、そこを自動車や馬車、そして時にはバスがゆっくりと走り過ぎて行く。昨夜からの雨で、石畳は黒く濡れていた。ちょっとした坂道で、革靴のせいか時折足を滑らせた。


 三段ほどの階段の上で、濡れた傘をたたんで雨粒を払った。黒いコートの肩口にも水滴が浮かんでいた。ゲランは、革製の手袋でその水滴を軽く払った。


 白いドアを開けて中に入る。左右に1階の住人たちの使う廊下が、そして正面には黒塗りの重厚な階段が有った。3階か・・。ゲランはそう呟いて、ゆっくりとした足取りで階段の方に進んだ。

 コツコツと、乾いた靴音が静かな廊下に響いた。各部屋のドアの重厚さからも、安いアパルトマンではないことが分かる。


 ゲランは、メモに書かれた部屋の前で立ち止まり、扉をノックした。

 しばらく待ったが返事が無い。仕方なく、もう一度ノックをする。

 すると、ガチャガチャという金属音の後に、扉が開いた。

 チェーンロックのせいで、扉は15センチほどしか開かなかった。

 金髪の初老の女性の顔が見えた。痩せていて、少し神経質そうな印象を持った。


「突然、申し訳ありません。ちょっとお聞きしたいことが有ってお訪ねしました・・」

 ゲランは、申し訳なさそうに頭を下げた。

「どんなご用件ですか?」

 当然だが、警戒するような表情だった。

「ルーブル美術館で、ルイ・ブルーさんからお聞きしたんですが、3年くらい前からオーレさんも模写を遣っていらっしゃったとお聞きしまして・・」

 ルイ・ブルーという名前を聞いて、オーレ夫人の表情が少し緩んだ。

「失礼ですが、あなたは?」

 

 ゲランは、ポケットからインターポールの身分証明書を取り出して見せた。

 いつもの様に、有効期限の一部は指で隠している。


「トマス・ゲランと申します」

 彼は、身分証明書をポケットに戻そうとした。すると・・。

「ちょっと、待って下さい」

 オーレ夫人は、身分証明書の有効期限を隠していた指を、彼女の人差し指で押し退けた。

 あっ、とゲランは心の中で叫んだ。

 オーレ夫人は、少し首を捻った後、得意げな笑みを浮かべた。

 ゲランは、終わったと思った。きっとドアは閉められると・・。

 しかし、そうはならなかった。


「少し期限が過ぎているみたいですね、ゲランさん・・」

 彼女の笑みは、さらに大きくなっていた。

「申し訳ありません。2年前にインターポールを定年退職しました、今は隠居中の身です・・」


 少し、沈黙の時間が流れた。

 何かを考えている風に見えたが、ブルーの瞳はずっと開かれたままだった。


「どういう事なんでしょうか?」

 その声に、怒りや恐怖は感じられない。むしろ、興味や好奇心を感じた。

 ゲランは、参ったなと思った。同時に、不思議な女性だとも思った。


「実は、ある友人と二人で、今回のモナリザの盗難事件についてある仮説を立てたんです。その為の裏付けを調査しているんです・・」

 ゲランは正直に答えた。ここで嘘をつけば、事態はさらに悪化する様に思えた。


「まぁ・・」

 オーレ夫人からそんな声が漏れた。瞳が輝き、口が開いて、好奇心が噴出している。

 そして彼女は、視線を下に向けて何かを考える様に瞳を左右に動かした。


「ゲランさん。身分証明書をもう一度見せて貰えますか?」

 ゲランが見せた身分証明書を、彼女は引っ手繰る様に取った。えっ、ゲランが声を出す。


「これは人質です。しばらくお待ちください」

 ドアが、閉まった。


 時間にして、ほんの1,2分だっただろうか、チェーンを外す音がして、ドアが開いた。


「どうぞお入りください」

 オーレ夫人はそう言ったが、ゲランは中に入ろうとはしなかった。


「簡単な質問なので、ここで十分です・・」

「いえ、そうは行きませんよ。お二人の仮説と言うのを、ジックリ聞かせて頂きます」

 彼女は、ゲランのコートの袖を掴むと、強引に引っ張った。

 ゲランはそれでも抵抗する。とんでもない女性に引っ掛かったと後悔した。

「ゲランさん。どうしても中に入らないと言うなら、大声を出しますよ・・」

 ゲランは、ハッとして彼女の顔を見た。彼女の瞳が嘘では無いと言っていた。


 傘を玄関に置いて中に入ると、暖かかった。

 通されたソファーの横の暖炉には火が焚かれていた。

 ゲランはコートを脱ぐ、少し濡れているのでどこに置こうかと戸惑っていると、オーレ夫人がハンガーを持って来て近くのハンガースタンドに掛けてくれた。


「コーヒーを入れて来ますので、ソファーに座っていて下さい」

 彼女はそう言って、隣の部屋に向かった。


 こうなってしまった以上、ゲランに選択の余地はない。

 ソファーに座って、部屋を見渡す。

 窓の向こうに、アンヴァリッド廃兵院の金色のドームが見えた。ナポレオンの眠る場所だ。

 暖炉に目をやると、ルイ・ブルーが言っていた、オーレ夫人が時間を掛けて完成させたというニコラ・プッサンの自画像が掛けられていた。言っては悪いが、いかにも素人の描いた絵だった。


 光沢のあるこげ茶のテーブルの上には一冊の本。

 『黄色い部屋の秘密』 著者ガストン・ルルー。 本の中ほどに白い付箋が挟まれている。


 ガストン・ルルーか・・。

 ゲランの口元が緩んだ。彼も大好きなミステリー作家だ。

 ルルーは、モーリス・ルブランと人気を二分するミステリー小説の雄であった。

 ルルーの代表作が『オペラ座の怪人』、ルブランの代表作が「アルセーヌ・ルパン」シリーズである。


 なるほど・・。

 お二人の仮説と言うのを、ジックリ聞かせて頂きます・・。

 恐らくオーレ夫人は、大のミステリーファンなのだろう・・。

 

 彼女のご機嫌を窺うには、少しばかり時間が掛かるかも知れないなとゲランは覚悟した。


 

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