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偽りの微笑(モナリザ盗難事件を巡るミステリー)  作者: マーク・ランシット


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検証 1


 1914年3月7日 ルーブル美術館


 トマス・ゲランは、公務で忙しいミシェル・デュポアに代わってルーブル美術館を訪れていた。

 サロン・カレに入ると、数人が写生を行っている。

 

 トマス・ゲランは、まず初めに入り口近くにいた学生風の男性に近づいた。

 どこかの美術生かと思ったが、描かれている絵はあまりにも稚拙だった。

 

「お話を聞かせて貰ってもいいですか?」

 ゲランはすかさずインターポールの身分証明書を見せる。期限は切れているが、その部分を巧みに指で隠して、インターポールの文字と写真を際立たせる。

 目の前にインターポールの証明書を出された男性は、驚いた表情と共に従順な表情を見せる。


「ここでの写生はいつ頃からですか?」

「まだ、一か月くらいです」

 ならば、用はない。ありがとう、結構です。と言って、次の人間に向かって歩き出す。

 聞かれた男性は、なんだったのかと、呆然とした顔でゲランの背中を目で追った。 

 数人に聞いた。みな新しい人間たちであった。


 サロン・カレの中央で、一心不乱に筆を走らせている30歳過ぎの男性に近づく。

 ベレー帽を被り、筆の使い方も手慣れている。服装が何ともみすぼらしい。アマチュアではなく、何かしら絵を生活の糧にしている雰囲気を醸し出している。キャンバスを見ると、どれかの一つの作品を模写しているのではなく、サロン・カレの一画を、壁に掛けられた絵画と一緒に自分のタッチで描いていた。


「お上手ですね」

 ゲランの言葉に男が振り返る。歓迎するのとは真逆な表情で、ゲランの顔を見た。

「何?」

 言葉には出さなかったが、不機嫌さが表情に現れている。

 素人に褒められても嬉しくなんて無いぞ、舐めるなよという事だろうか。


 余裕の無い男だな、とゲランは思った。

 恐らくは売れない画家。家賃の支払いにでも窮して焦っているのかも知れない。

 この手の男は、警察に反感を持っている可能性が高い。インターポールの身分証明書は逆効果かも知れない。


「人を探してまして・・」

 ゲランは財布から10フランを抜き取って、男に見せた。まだ渡すつもりはない。

 安アパートなら、月の家賃は15フラン辺りだろう。


 男の表情が一変する。10フランを睨みつけ、ゴクリと唾を飲み込んだ。その後、ゲランの顔を見た。

「どんな人ですか?」

 言葉使いが変わった。


「いつも、ここで写生をしているんですか?」

 ゲランは情報収集に入る。

「はい。ずっと、ここでモナリザをモチーフにした作品を描いてます」

「どれくらい前から?」

「そうですね。2年半くらい前からですかね」

 ゲランが、そうなんだ・・、と残念そうな表情を作る。

 モナリザが盗まれたのは1911年の8月。およそ2年と7,8か月前。

 贋作師がここを訪れたのは、もっと前だったに違いない。


「えっ・・」

 男は、ゲランの顔を見て、直ぐに右手の10フランに視線を移す。

 もっと前じゃなきゃダメなのか?


「仕事の邪魔をしてすいませんでした」

 ゲランは、言うと10フランをポケットにしまって、別の人の方に歩き出した。


「ちょっと・・」

 ゲランの肩を、男が掴んだ。ゲランは、えっと言って振り返った。

 そこには必死な表情の男の顔。

「いつ頃前なら、いいんですか?」


 ゲランは、ちょっと遣り過ぎたかと後悔した。

 ただ、何の情報も無しで、金を渡す訳にはいかない。


「3年前ぐらいですかね・・」

 申し訳なさそうに答えた。


 男は、右上を見つめて、何かを思い出そうと唇を噛んだ。

 よく見ると、白い袖口の辺りに、スープか何かのシミが付いている。

 身繕いにも金が回せないのだろう・・。

 ゲランはさらに後悔の念に駆られる。いっそ、5フランくらい渡してしまおうか・・。


「オ、オーレ夫人ならそれ以上前からいた筈です・・」

 男は、真剣な眼差しでゲランを見つめる。嘘をついている顔ではない。

「オーレ夫人・・。どの人ですか?」

 ゲランは周辺を見渡す。

「今日は来ていません」

 男がキッパリと言った。


 改めて彼の話を聞くと、こうだった。

 彼がここで写生を始めた頃から、オーレ夫人はサロン・カレで模写をしていた。

 彼女の目当てはニコラ・プッサンの自画像。仲良くなって聞いてみると、その絵に1年以上取り組んでいるらしかった。彼より1年以上前からとなれば、モナリザの贋作師を見ている可能性はある。


「そのオーレ夫人には、いつ来れば会えますかね?」

「それが・・。2か月ほど前から見てないんです・・」

「・・・・」

「確か、グルネル通りのアパルトマンに一人住まいだと聞いた事があります」

「行ったことは無いんですね?」

「ええ」

 男は、それじゃダメですかねと、物欲しそうに10フランを仕舞った方のポケット見つめた。


 ゲランは考え込んだ。

 恐らく彼の言うことは本当だろう。ただ、そのオーレ夫人とやらのアパルトマンを調べ出す事が出来るのだろうか?


「ちょっと、他の人にも聞いて見てもいいですか?」

「それなら、僕がお手伝いしましょう。みんな顔見知りですから」


 結局、その場にいた人たちの中で、それほど前から通っている人はいなかった。


 ゲランは、迷った挙句、男に10フランを渡した。

 また、何か協力して貰う事があるかも知れないと思ったからだった。


 その日のお昼、ゲランはミシェル・デュポアと近くのカフェで待ち合わせた。


「グルネル通りのアパルトマンですか・・」

 ミシェル・デュポアは手帳にメモをする。

「周辺が担当の警官に調べさせてみましょう」

 

 

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