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偽りの微笑(モナリザ盗難事件を巡るミステリー)  作者: マーク・ランシット


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不穏 3


 1914年3月3日 パリ警視庁


 メーソンJr氏の不遜で不可解な行動は、ルーブル美術館とパリ警視庁の内部に激しい憤りと不信感を巻き起こしていた。


 パリ警視庁内部ではフランス人の誇りを踏み躙った態度に厳しい非難が集中した。そしてルーブル美術館内部には、モナリザの真贋を嘲笑う様な行為に対して、無礼な野蛮人という声が噴出した。その怒りから、真贋の調査を遣り直すべきだという声が上がったが、それらの声は、フランス内務省の強力な圧力で揉み消されてしまった。


「君たちの怒りは理解出来る。しかし、この国の防衛を死守するという使命の下では、取るに足らない一時的な感情に過ぎない・・」

 内務省幹部の発言は、裏を返せば今のフランスは、経済力においても軍事力においても、アメリカには到底歯が立たないことを、暗に認めろという事だった。


 メーソンJr氏のルーブル美術館訪問には新聞社の同行は無かった。

 しかし、彼の無礼千万な行動はどこからかリークされ、各紙の一面を飾った。


”メーソンJr氏、ルーブル美術館で蛮行。館長のアンリ・マルセルに非礼の限りを尽くす”


”メーソンJr氏、札束でアンリ・マルセルに平手打ち”


 各紙のコメンテーターたちは、こぞってメーソンJrを金儲け上手の野蛮人とこけ下した。

 その記事は一日では終わらず、連日続けられた。

 暗いニュースだけが続く中、いつしかメーソンJrを叩くことが市民の不満のはけ口の一つになって行った。


 ただ、モナリザの真贋に関する情報だけは漏らされる事は無かった。

 やっと解決し、平穏が保たれている状況に改めて波風を立てる事は、ルーブル美術館側にとっても、パリ警視庁にとっても好ましい事とは言えなかったからである。


 やがて、この年の7月にドイツとの対戦が始まり、フランス側に多大の犠牲者が出始めると、メーソンJrの肩書に、「死の商人」と言う冠が付け加えられる事になる。



 1914年3月6日 パリ郊外ナンテール


 ミシェル・デュポアは、再びトマス・ゲランの家を訪れていた。

 ゲラン夫人からのラブコールだった。

「美味しいアップルパイがあるんです。是非、お越し下さい。主人も首を長くして待っていますので・・」


 デュボアは、ナンテール近くで起きた大掛かりな詐欺事件の調査を兼ねてゲラン家を訪問した。


「メーソンJrという人物は、知的で理性的だと聞いていたんですがね・・」

 トマス・ゲランは首を傾げながら言った。

「知的で理性的・・?」

 デュボアは、ゲランの顔を見た。少なくとも彼の目の前にいた人物はそうは見えなかった。

 デュボアの怪訝そうな表情に、ゲランは、いやいやと打ち消す様に両方の手のひらを振った。


「仕事上、ロックフェラー家、デュポン家、メーソン家と言ったアメリカの大富豪たちの情報も集めていました。その内、メーソン家は何と言っても先代のJ・J・メーソンがとんでもない化け物でした。父親から受け継いだ中堅だった家業を、一代で世界に冠たる大企業に押し上げたんですから・・」

 デュポアは黙って耳を傾ける。フランスの事しか知らない自分にとって、ゲランの情報は新鮮で興味深かった。


「ただ、その為には、強引で、時には詐欺まがいの買収や乗っ取りもあった様です。特に彼の勢力を最大に押し上げたのが、南北戦争での北軍への軍事物資の供給でした」

 デュポアの頭に、新聞の記事が蘇る。”メーソンJr氏、アメリカの化学会社マーロン社を買収”

 父親から引き継いだ手法だったのか・・。


「彼には3人の子供がいましたが、みな大人しい性格だったと聞いています。次男と長女は音楽や芸術の道に進んでいますし、長男のメーソンJrは、ハーバード大学で法律を学び、その道を目指していた様です。しかし、そんな我儘は許されなかった・・」

「無理やり頭首の椅子に座らされた訳ですか・・」

「しかも、世界一とも言われる大企業です。そのプレッシャーたるや、生半可なものでは無かったでしょうね」


 デュポアの脳裏に、メーソンJrの青白い神経質そうな顔が蘇る。

 モナリザの前で見せた、一瞬の狂気じみた表情。

 世界一と評される絵画に対して、挑戦的とも、嘲りとも取れる不敵な笑み。

 世界一の企業のトップに掛かるプレッシャーとは、果たしてどれほどのものなのだろうか?


「難しそうなお顔ですね・・」

 ゲラン夫人が、取り分けたアップルパイの皿をデュポアの前に置いた。

「暖かい内に召し上がって下さいね」


 ゲラン夫人が部屋を出て行くと、デュポアは制作中のポール・マルタン教授の贋作の話を持ち出した。

 

「4月の初めには完成予定らしいんですよ。ご一緒にどうですか?」

 ゲラン氏が戸惑いの表情を見せる。

「私みたいな部外者が見てもいいんですか?」

「ゲランさんが部外者なんてとんでもないですよ。是非、感想を聞かせて下さい」

「そうでしたね。仮想4の共同作成者ですからね」


「その仮想4の事なんですが、先日ちょっと気になる事が思い浮かんだんです・・」

「何ですか?」

「犯行の時系列の項目の中に、2.ショドロンに依る贋作の作成。原板は1枚。ルーブルでの写生は必須。と書かれていましたよね?」

 

 ゲラン氏の質問に、デュポアは手帳を取り出して確認した。

「確かに・・」、そう言った後に、デュポアは、ハッと息を呑んだ。


「そうなんですよ。犯人が誰であれ、あの仮説4を検証する為には、ルーブル美術館で模写をしていた人間の存在を確かめる必要があるんです・・」


 デュポアは、自分の愚かさを思い知らされた。

 なんでそんな事に頭が回らなかったのだろうか?

 そう思った瞬間、ルーブルで写生していた人の言葉が蘇って来た。


「3年くらい通ってるけど、こんなに上手い模写は初めてだよ・・」


 デュポアは、部屋の時計を見た。既にルーブルは閉館していた。

 




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