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偽りの微笑(モナリザ盗難事件を巡るミステリー)  作者: マーク・ランシット


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モナリザの生還 2

 1913年12月15日 パリ警視庁 


 ”モナリザは本物”


 フィガロ紙の朝刊には、ルーブル美術館絵画部門の責任者であるルプリュールのコメントが掲載されていた。曰く・・。

「額縁交換時に、モナリザの鑑定資料を多数収集していました。具体的には、実物大の写真。細部についての拡大写真およびチェックリスト。絵画の裏側の写真等です。それらを基に慎重に確認した結果、このモナリザは本物であるという結論に達しました。これらの資料は、完璧に封印された上で公証人に預けられていました。贋作者に利用されないための処置です」


 この発表によって、新聞と市民は歓喜した。しかし、フランスの2大警察組織、フランス内務省、フランス文化省の方向性は一致していた。当たらず触らず・・。世間の関心が消えていくのを静観するのみ。


 にも拘わらず、ミシェル・デュボア警視正は、フィレンツェ警察の責任者と頻繁にやり取りを続けていた。逮捕された時は激しく抵抗を見せたペルージャも、現在は落ち着いていて、素直に取り調べに応じているらしかった。


「共謀者はいるのでしょうか?」

「現在のところ単独犯を主張しています」

「動機については?」

「ルーブル美術館で働いている時に、数多くのイタリア絵画が展示されている事に憤慨した様です。仕事の面でも、フランスの職人たちとの待遇の差に不満を感じていて、いつかこいつらに一泡吹かせたいと思っていた様です」

「動機はフランスへの復讐という事ですか?」

「本人の言葉を借りれば、ナポレオンに奪われた絵画をイタリアに取り戻すためだと・・」

「それでモナリザを?」

「何と言っても、世界で一番有名な絵画ですからね」


 ・・・モナリザはナポレオンによって奪われた訳ではない。フランソワ一世の招待を受けたダ・ビンチがフランス滞在中に死亡し、その弟子に相続された。そのモナリザをフランソワ一世が当時としては破格な金額で買い取ったのである。


「ルーブルで働いている間に計画を練っていた訳ですか?」

「そう、主張しています」

「単独で、ですか?」

「はい。今のところは・・」


 さらに、デュボアは、どの様な方法で犯行が行われたのかについても聞いた。

 その内容を自分自身の目で検証するために、ルーブル美術館に向かうことを決めた。

 今後は部下だけに任せるのではなく、自分の目で、足で確認することだ。

 同伴するのは、ペルージャの尋問を担当したレオ・ブリュネ警部だった。


 パリ警視庁の玄関を出た途端、寒風がデュボアの体に襲い掛かって来た。それは、まさに彼の置かれている状況そのものだった。彼は左手で厚手の紺色のコートの襟を立て、右手で山高帽が飛ばされないように押さえた。少し前かがみになって歩く。門を過ぎると、正面にはノートルダム大聖堂の双頭がそそり立っていた。シテ通りを左折してコルス通りも左折した。さらにオルロージュ通りからヌフ橋を渡ってルーブルに入った。


 今日は月曜日でルーブル美術館は休館日であった。

 入り口で警備員に警察証を見せると、直ぐに通してくれた。

 館内では何人もの作業着姿の人間たちが働いている。


 ルーブル美術館の警備責任者マクシム・トマが二人を待っていた。ブリュネ警部が事前に連絡していたからである。トマの顔には緊張感はなく、本物のモナリザが無傷で戻ったことを心から喜び、安心している様子だった。ちなみにモナリザ盗難時の警備責任者であったピケは懲戒処分を受けて解雇されていた。

 

 フィレンツェ警察の取り調べで、ペルージャは犯行の大まかな経緯を白状していた。

 それによると、彼は1911年8月20日の日曜日、閉館間際の午後3時前にドゥノン門からルーブルに入った。そして閉館時間の4時になる寸前にドゥシャテルの間の中にある小さな倉庫に隠れて、翌日の清掃の日を待ったのだった。

 月曜日は朝6時半にゲートが開き、配管工、電気技師、大工、ガラス工、運搬人たちが白い作業着に身を包んでぞろぞろと入って来る。同じく白い作業着姿のペルージャは、易々とその人間たちに紛れ込んで強盗に及んだのだ。


「モナリザがなくなっていれば、直ぐに分かったんじゃないんですか?」

 その質問に、警備責任者のトマは困ったような顔をした。

「月曜日には補修をはじめ、写真撮影などで多くの展示品が色んな場所に運ばれて行きます。それぞれの作業者は自分に与えられた仕事にしか興味がないんですよ。現在は警備員を増やすことで若干の改善を図っていますが・・」

「つまり、あの場所にモナリザが無くても、当時は誰も不思議には思わなかったんですね?」

 はい。トマはきっぱりと頷いた。

「額縁は外されていたわけですが、どこに隠してあったんですか?」

 勿論、デュボアは調書を見てその場所のことは知っていた。しかし、今日は自分の目で確認しておきたかった。

「はい。今からそこにお連れします」

 そう言うと、トマは二人をその場所へと案内した。


 彼は、モナリザが展示されていたサロン・カレからグランド・ギャラリーに向かって歩きだした。そしてセット・メールの間を通り過ぎると、職員専用階段のドアの前で立ち止まった。

「ここです」

 トマはそのドアを開けて二人を階段の踊り場に通した。そこは薄暗く、踊り場の先には狭い下へと続く階段があった。

「この踊り場の暗がりに残されていました」

 なるほど・・。と、デュボアは思った。忙しく働きまわっている作業員たちにすれば、こんな暗がりに転がされている物になんて興味も湧かないだろう。


 こうしてみると、間抜けそうに見えるペルージャにもそれなりの才能があったのかも知れないなと改めて思った。


「ドゥシャテルの間にある倉庫も見たいんですが・・」


 トマは少し首を傾げながら頷いた。彼はペルージャがそこに隠れていたことはまだ知らなかった。

 ドゥシャテルの間に着くと、ここですと言って、一枚の絵を指さした。

 デュボアが、えっ、という顔をすると、「扉に描かれただまし絵です」と言って、ドアを開けた。

 中には、イーゼルや書き掛けの絵、絵具や筆のセットなどが雑然と置かれていた。


「何ですか、これは」

「ここで写生をしている連中の道具ですよ。いちいち持ち帰ったりするのが大変だと言う人間の為に、貸している場所です」

 あまり絵に関心のないデュポアは、ルーブル美術館の中で写生が許可されているという事を知らなかった。中に入ると、狭くはあったが、一晩くらい隠れている事は出来そうだった。


「もしかして、ペルージャの野郎、ここに隠れてたんですか?」

 警備責任者のトマが驚いた顔で聞いた。デュポアが頷くと、彼は腕組みした。

「今後は、閉館前にすべての倉庫を確認する様に指示を出しますよ」


 トマは真剣な顔でそう言ったが、デュポアは呆れた。

 世界一の美術館、ルーブル。そこに展示されている美術品の資産価値はどれほどのものになるのだろうか? ホンのちょっと調査しただけで、その警備はあまりにも杜撰に思えた。大袈裟ではなく、めまいを感じるほどに・・。この後、彼は学芸員に会って話を聞くつもりだった。今は、彼らこそはしっかりしていて欲しいと祈るだけだった。






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