推理 2
1914年2月20日 パリ郊外ナンテール
トマス・ゲランの自宅
「実は私も、ペルージャの単独犯という事には納得していません。デュボアさんが、改めて事件を洗い直そうとしているのならば、微力ながらお手伝いさせて下さい」
「ありがとうございます」
デュボアは心からの感謝を述べた。正直、一人で推理を展開しても、ぐるぐると同じ地点を廻るだけだった。その欠点や見過ごした点を指摘してくれる相手が必要だと感じていたのだ。
「ただ、予め申し上げて置きますが、これはパリ警視庁の警視正としての仕事ではありません。あくまでも、私個人の、自分を納得させる為の作業なんです・・」
ゲランはそれは理解しています、という風に何度か頷いて見せた。
「確か、パリ警視庁はモナリザ盗難事件の捜査本部を解散したと聞きました・・」
「ええ。共犯者とされていたランチェロッティーとフランソワーズ・セグノの自供を引き出す事が出来ずに、パリ警視庁での捜査は終了となってしまいました」
デュボアは唇を噛みしめて、悔しさを滲ませた。
「二人への尋問が難航したのは、やはり証拠が不十分だったせいですか?」
「はい。根拠となったのがペルージャの自供だけでしたし、共犯を裏付ける証拠品は全く発見できませんでしたから・・」
「事件発生から2年以上過ぎてましたからね・・」
「唯一の証拠らしいものとしては、二人の預金口座でした。事件後に二人の口座に大金が入金されていました」
「ほお・・」
「ランチェロッティーの口座には3000フラン。セグノの口座には600フランです」
「確かランチェロッティーの職業は大工でしたね・・」
「しかも日雇いに近い仕事です。3000フランと言えばパリの一般市民の2年分の収入ですから、とてもそんなまとまった金を手に入れる事は不可能です」
「二人は何と・・」
「競馬で大穴を当てたと言うんです」
「ほお、競馬で、二人ともですか?」
「確認すると、事件前日のロンシャン競馬場で、確かに大穴馬券が出ていました・・」
「当然別々の取り調べですよね」
「ええ、ですが、まるで口裏を合わせたみたいに、馬券番号と掛け金をはっきりと口にするんです。もちろん、大金を手にした馬券ですからはっきり覚えていても不思議はありませんがね・・」
デュボアは、二人がラ・サンテ刑務所に移送される前に、ニクロス副総監の単独での取り調べを受けた事については話さなかった。不思議な事に、逮捕直後の二人の怯え切った表情が、移送時の車の中では決意に満ちた表情に変わっていたのだ。まるで、尋問への対抗策を叩き込まれた様に・・。
「二人は、よくロンシャン競馬場には行ってたんですか?」
そこでデュボアは、ゲランの目をジッと見ながら笑った。
「初めて行ったらしいんですよ、二人とも。しかも、買ったのが大当たりのレースだけだったと・・」
それにはゲランも腹を抱えて笑った。
「さすがに私も切れてしまいました。ランチェロッティーの胸ぐらを掴んで殴ろうとしたんですが、同席をした部下に止められてしまいました・・」
ひとしきり笑いあった後、デュボアは、テーブルに置いた手帳を開いて見せた。彼の仮説を書いたところであった。「あなたのご意見をお聞きしたいのですが・・」
仮説1.首謀者:ペルージャ。 共犯者:アンチェロッティ、フランソワーズ・セグノ。
仮説2.首謀者:X。 実行者: ペルージャ、アンチェロッティ、フランソワーズ・セグノ。
仮説3.首謀者:X。 実行者: ペルージャ、アンチェロッティ、フランソワーズ・セグノ。
贋作師:Y。
それらの仮説をジックリと見た後、ゲランが口を開いた。
「まず初めに、この中にはありませんが、ペルージャの単独犯行について私の見解を話したいと思います。貴重絵画保護の為のシャドウボックスは、非常に頑丈で重かったと聞いています・・」
デュボアは、コクリと頷いた。
「その重いシャドウボックスに入れられたモナリザをサロン・カレから一人で運び出すのは、さすがに怪しまれる可能性が高いと思います。世界一の絵画を引き摺る様に運んでいては、不審に思われて当然でしょう。さらに、そのシャドウボックスから、パネルを取り出す作業も、一人では難しい・・」
デュボアは、その通りだと頷く。
「そこで仮説1ですが、犯行には最低でも2人の人間が必要だというのは同意見です。さらに、モナリザを一時的に隠して置ける安全な場所の提供者もどうしても必要です。それがアンチェロッティだったとしても一応は可能な訳ですが、彼の恋人であれば、さらに安全性は高くなります。その点では仮説1は理に適っていると言えるでしょう。ただ、その為にはセグノ女史にそれなりの金を渡す必要がある。タダでお手伝いしてくれるお人好しなパリジェンヌなんて、聞いたことがありませんからね・・。つまり、貧乏人のペルージャの計画では、協力する人間は現れません。従って仮説1は、却下です」
さらに・・。ゲランは笑いながら言った。
「私がアンチェロッティかセグノなら、多少の小遣い銭での仕事ならキャンセルします。前日に大穴馬券で大金を手にしているなら、危険を冒す必要はありませんからね・・」
デュボアも、確かに、と言って笑った。
「次に仮説2ですが、モナリザ盗難事件発覚時の私の描いた仮説も同様なものでした。ただし、構造は若干違います。①モナリザの購入者(発注者)、②計画立案者(プロの請負人)、③プロの実行者。
仮説1にも仮説2にも購入者は入っていませんが、入っていると解釈して話を進めます・・」
ゲランはデュポアの顔を見る。デュポアは黙って頷いた。
「私の予想した①購入者はアメリカ人の
「残念ならが、現実にはプロの実行者ではなく、まったく素人の犯行でした。恐らくこれは全ての捜査関係者にとって、予想外の結果だっと思います。事件当初から素人の犯行を主張する捜査官がいたとしたら、完全に無視されたでしょう。しかし、現実は違った・・」
「つまり、今回の事件が奇妙な点は、モナリザが盗まれたにも拘わらず、誰の手にも渡らずに無事に戻って来たと言う点につきます」
「ゲランさんの推論でいうところの、①モナリザの購入者(発注者)の不在という事ですね」
はい。ゲランが頷く。
「私の仮説2。もしこれが事件の真の構造だった場合、現実の結果(モナリザが無事に戻ったこと)には、どんな理由が考えられるでしょう?」
「①購入者(発注者)の心変わり。②受注者が複数だった場合の仲間割れ、裏切り。といったところでしょうか・・」
「実行犯側の裏切りという事は考えられませんか?」
デュポアの質問に、ゲランは笑った。
「彼らの立場は、親鳥から餌を待つだけのひな鳥ですよ。金さえ貰えれば、何でも聞きますよ」
「ということは、ゲランさんのおっしゃった①購入者(発注者)の心変わりか②受注者が複数だった場合の仲間割れ、裏切りが原因という事ですね?」
その質問に、ゲランは即答はしなかった。デュポアの視線を避けて床に視線を落とした。しばらく考えた後に、首を振った。
「なにか、不自然な感じがします。もし、購入者が破格の大金を提示しているなら、請負人はペルージャたちみたいな素人など使う筈はありません。完璧なプロを雇う筈です・・」
そうですね。デュポアもそう言って頷いた。
「そう考えて見ると、実行犯に素人を使った事自体に、事件の真相が隠れている気がして来ました」
「もしかして、首謀者は初めからモナリザを誰かに売るつもりは無かったのかもしれませんね・・」




