贋作 5
1914年2月17日 パリ警視庁
教授との食事から一週間が経った。
ミシェル・デュポアは、いつもの様に部下たちからの調書に目を通していた。ドイツの不穏な動きにパリ市民の財布の紐は硬くなり、景気が低迷し、詐欺や強盗といった金銭を巡る事件が多くなっていた。
この日、教授から連絡があった。
「デュボアさん、漸く大学から贋作作成の許可がおりましたよ」
「ご尽力に感謝します・・」
「久しぶりにルーブルに通ってみる事にします」
「えっ、ルーブルへですか・・?」
「写生から始めるんですよ」
「・・・・?」
「それがお望みなんでしょう・・」
ミシェル・デュポアは言葉を失った。教授には自分の考えなど全てお見通しだったのだ。
「作品は、ラ・ベル・フェロ二エール(美しきフェロ二エール)にしました」
「ダ、ダ・ビンチの作品ですね」
「それも警視正のご希望かと思いまして・・」
「・・・・」
「モナリザに比べて、63x44センチと少し小ぶりですが、絵具のひび割れもありますしね」
そうなのだ。私が知りたかったのは・・。
贋作者はどの様にして、ひび割れを作り出すのだろう・・?
「ただ、モナリザの基底材はポプラですが、ラ・ベル・フェロ二エールの基底材はクルミの板です。・・まあ、その辺りは特に問題にはならないでしょう・・」
「あの・・、もしかして画材も全て同じものを使われるのですか?」
確か、先日の話では、贋作であるという証拠を残す為に、画材は変えると言っていた様な気がした。
「その方が、リアリティーがあると思いませんか?」
「そ、それはそうなんですが・・」
「もちろん、板の裏側にエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)の印を押しますので、ご心配には及びませんよ」
取りあえずご報告まで・・。そう言って電話は切れた。
何もかにも、全て見抜かれていた。
自分が、戻って来たモナリザの真贋の判定に疑いを抱いている・・、少なくとも、それが可能かという事を確認したいと思っている事を・・。
「紛うことなき、本物でしたよ」
先日の教授のキッパリとした発言はこの耳に焼き付いている。
それでもなお、その言葉を覆す程のトリックが存在する可能性を模索したかったのだ。
それにしても・・。と、ミシェル・デュポアは思った。
なぜ教授は、事件解決に失敗し、それでも未練がましくその事件の事を穿り返そうとしている、そんな自分に協力してくれるのだろうか?
デュボアは、机の引き出しからこげ茶色のカバーの手帳を取り出した。
事件の真相、と題した自分のメモを見る。
モナリザ盗難事件の中で最も不思議な点は、なぜ首謀者が、盗んだモナリザを放置したのかという点である。
仮説1.首謀者:ペルージャ。 共犯者:アンチェロッティ、フランソワーズ・セグノ。
モナリザをセグノの部屋に隠した理由。
事件発覚後、国境は閉鎖され、全ての手荷物を検査されたため、しばらくの間は動かす事が出来なかった。また、ペルージャはルーブルでの勤務経験があったため、家宅捜索を受ける可能性があった。
疑問1.ペルージャが首謀者であった場合、彼自身にそれを察知するだけの洞察力はあったのか?
疑問2.友達の恋人だけという関係のフランソワーズ・セグノが、ペルージアの為に、なぜ無償で
そんな危険な橋を渡る必要があったのか?
疑問3.事件からおよそ2年4か月後に、なぜ突如、ペルージアはフィレンツェの画商に接触したのだ
ろうか? これだけ時間が経てば、検問も緩くなると踏んだのだろうか?
疑問4.ペルージャの単独犯だとして、2年4か月の間に、もっと確実な交渉相手を探ることは出来な
かったのだろうか? それが出来ないとすれば、そもそもこの犯行は無理筋だと言える。
仮説2.首謀者:X。 実行者: ペルージャ、アンチェロッティ、フランソワーズ・セグノ。
利点: 首謀者が経験豊富な犯罪者であった場合、あらゆる事態を考慮して計画を練ることが出来る。
実行犯を雇うことで、自分の身の安全を確保出来る。
実行犯たちは、危険を犯す代わりに多額の報酬を得ることが出来る。
犯行理由:世界一有名な絵画を手に入れたいというコレクターに接触し、関係を築いておく。
盗難に成功した後、1年ほどが経って、検問等が緩くなった時期にモナリザをコレクターに
届ける。購入する人物も同罪なので、事件が発覚することは無い。
ペルージャが黙ってモナリザを保管していたのは、売り手が見つかった時、新たな多額の報
酬が貰えるとの約束が有ったに違いない。
経緯1.計画の途中で、首謀者が何かしらの事故に遭って、モナリザを回収することが出来なかった。
経緯2.売り込み先のコレクターが、世間の反響に驚いて関係を絶った。別のコレクターに話を持ち掛
けたが、やはり上手く行かなかった。
経緯3.交渉相手から警察に通報すると脅され、逃亡した。
この場合、首謀者がペルージャに再接触することは非常に危険である。従って、関係はそのま
ま立ち消えとなった。ペルージャたちは痺れを切らして、単独でモナリザを売ろうと動いた。
仮説3.首謀者:X。 実行者: ペルージャ、アンチェロッティ、フランソワーズ・セグノ。
贋作師:Y。
・・・・・・・・・・。
手帳のメモは空白だった。
しかし、共犯者に贋作師(それも、とりわけ優秀な贋作師)を入れることで、この事件は別の側面を見せてくれる様な気がした。刑事の勘と言えばそれまでだったが、そこにこの事件の真実に迫るブレイクスルーが存在する様に思えてならなかったのだ。
教授の贋作作成にはかなりの時間を要するだろう。
その時間に自分は何をするべきだろう?
そう考えて、ミシェル・デュポアは、その手帳の中のアドレス帳を捲った。
「あっ、ゲランさんですか? 私、パリ警視庁のミシェル・デュポアです。覚えていらっしゃいますか?」
「勿論です。モナリザの件は、イタリア側に取られて残念でしたね・・」
「情けないですよ。自分の力不足でした」
そんなこともありますよ。電話の相手は同じ職業の経験者だ。
「今はもう引退されたと聞きましたが、お元気ですか?」
「ええ。元気ではいますが、インターポールに勤めていたせいで、家族との時間が持てませんでね。折角時間が出来たのに、妻にも子供たちにも愛想をつかされて、暇を持て余してますよ」
「パリにお住まいでしたよね。一度、お会い出来ませんか?」
「勿論、構いませんよ」
ミシェル・デュポアは、手帳の日程表に時間を書き込んだ。
電話の相手、トマス・ゲランは元インターポールの優秀な職員だった。彼の専門は詐欺事件。
電話で話していた様に、彼は国際的な詐欺事件を担当していて、世界中を飛び回っていた。
ペルージャやランチェロッティーは唯の捨て駒に過ぎない。彼らの様な小者にとってはモナリザは巨大過ぎるのだ。その巨大な怪物を相手にするのは、それに見劣りしないほどの豪胆な人物でなければならない。ある程度の財力があり、国際的経験や繋がりを持つ人物。それは単なる思い付きではない。世の中というものは、そんな風に動いている・・。小者には小者なりの事件。大事件の裏には、必ずや傑出した人物が存在する。それが、自分がこれまでの警察人生で学んだ事だった。




