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偽りの微笑(モナリザ盗難事件を巡るミステリー)  作者: マーク・ランシット


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贋作 3


 1914年2月10日 モンパルナス


 その日、ミシェル・デュポアはパリ警視庁を11時過ぎに出た。

 3日前にポール・マルタン教授に連絡を取った。

「教授、先日はお忙しいにもかかわらず色々と教えて頂き、ありがとうございました」

「どういたしまして、またいつでもお越しになって下さい。たまには芸術関係者以外の人とお話しするのも楽しいですから・・」


 デュポアは、きっと教授とは長い付き合いになると思っていた。

 モナリザ盗難事件の真相に迫るには、どうしても絵画に関する基礎知識、さらには美術業界の常識や裏事情についても情報を集めておかなければならないと感じた。


「先日のお礼もかねて、食事をご一緒出来ませんか?」

「ほお・・」

 教授は意外だと感じたのか、そんな声を発した。

「では、遠慮なく・・。ただし、場所は私に任せて下さい」


 そして、教授が指定したのが、どちらかと言えば労働者たちが多く暮らす地区。モンパルナスにある安レストラン、クレープリーズ・ジョスランだった。


 デュポアがモンパルナス通りのクレープ街に到着したのは、丁度お昼前だった。赤いテントに金色の文字でクレープリーズ・ジョスランと書かれている。温かい時期なら、通りにテーブルと椅子を並べて食事をするのだろうが、この寒さではそういう訳にはいかなかった。


 チリンチリンという音を鳴らしてドアを開けると、予想した通り、店内は労働者らしい出で立ちの連中でいっぱいだった。部下たちに聞いたところ、この店はブルターニュ地方でとれたそば粉を使ったガレット(クレープ)が名物らしかった。確かに、店内の装飾はブルターニュ地方の民家を意識した作りになっている。見渡すと、奥の壁側の席で教授がこちらを手を振っていた。


「この店は初めてですか?」

 コートを横に置いて教授の顔を見ると、聞かれた。

「はい。妻とは早い時期に結婚したので、もっぱら手料理で済ませて来ました・・、それと妻と食事に出かける時は、もっと別の場所が多かったものですから・・」

 教授は柔らかな笑顔で何度も小さく頷いた。

「この地区はどちらかと言えば、貧民街ですからね・・」

 デュポアは、いえいえと手を振って否定しようとしたが、教授は気にした様子は見せなかった。

「そば粉のガレットでよろしいですか?」

 デュポアは、ええと言って頷いた。ご馳走するのは自分だが、何を食べるかは教授に優先権があった。

「飲み物ですが、ブルターニュ地方の定番は、シードル(リンゴ酒)なんです。お付き合い頂けますか?」

「もちろんです」

 

 教授はウエイターを呼ぶと、

「卵とハムとチーズのガレットに、ブルット(辛口のシードル)を二つ」

 と、手慣れた様子でオーダーした。


「教授は、この店にはよく来られるんですか?」

「それほど頻繁では無いですが・・、時折」

 教授は、真っ白な口髭を触りながら、何かを思い出す様に天井を見た。

「学生の頃には、よく来ていました」

「教授もエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)のご出身なんですか?」

 教授は、返事の代わりにニコリと頷いた。

「ここには労働者以外にも、貧乏な美術家たちが沢山たむろしてたんですよ。いや、今もそうですね」

「なるほど、教授にとっては原点とも言える場所なんですね」

「あの頃の自分は、純粋に絵画の魅力に取り付かれていました。自分にどれほどの力があるのか分かりませんでしたが、ただただ巨匠たちの作品に圧倒され、何とか近づきたいともがいていたんです」

 デュボアは、運ばれて来たリンゴ酒の入った陶器製の器で乾杯し、口を付けた。ドライシェリーに似た味がした。


「ここには、ヨーロッパ中の画家の卵たちが集まって来ています。みんな、祖国では古典的な絵画を学んで来たんです。だから、ルーブルや他の美術館で先人たちの絵画を模倣し、その技術を学ぼうと写生に励むんです」

 シードルのせいか、はたまた若き日の郷愁の成せる業か、今日の教授は饒舌だった。

「古典的な作品に飽き足らなくなった彼らは、やがて斬新的な画風に挑戦して行きます。この店だけではなく、モンパルナス界隈のカフェやビストロには、そんな連中が集まって、熱い議論を繰り返しているんですよ」

「つまり、教授はそんな若き画家たちの話を聞くために、時よりここを訪れるんですね」

 その通りです。教授はそう言って濃い口のシードルを一口あおった。


 食事が済み、何杯目かのシードルを口にしながら、デュボアはさりげなく聞いた。

 雑談の様な気持ちだった。


「そもそも贋作というのは、世界中にどれほど存在しているんでしょうか?」

「それは、美術館にという意味ですか?」

 えっ、とデュボアは声を上げた。そんな意味では無かった。

 しかし、教授の目は真剣だった。

「具体的な数は知りませんが、世界中という意味では、相当数存在しているでしょうね」

 まさか、とデュボアは思った。

「絵画に限りませんが、需要のある限り、贋作は無数に創造されるものだと私は思っています」

 専門ではないデュボアは、まさかと言う風に首を振った。


「絵画を売るには、いわゆる専門家とか、鑑定家というプロの洗礼を受けなければならないんですよね」

「フランス、イタリヤ、イギリスという芸術先進国、さらにはヨーロッパ諸国の専門家のレベルは非常に高くて優秀です。しかし、他の国、例えば北米、南米ではいわゆる西洋絵画の歴史が浅い分、そのレベルはそれほど高くありません。さらに、その鑑定士たちがその鑑定に依って得られる手数料も僅かなものなのです」

「つまり・・」

「贋作師たちは、彼らに多額の報酬を払って認定証を出させるのです」

 えっ、デュボアは、声を詰まらせた。


「私も一度だけですが南米の幾つかの美術館を回ったことがあります。確かにその国を代表する様な美術館の展示品は素晴らしかったのですが、市立や個人レベルの美術館では、当時の私の目から見ても、首を傾げる様な絵画が何点か展示されていました・・」

「本当ですか?」

「先ほど言いましたが、需要のある限り、贋作は無数に創造されるものなんです。美術館でもそうなんですから、個人のコレクションに至っては、途方もない数の贋作が紛れ込んでいると言って間違いないでしょうね。特に北米や南米の成金たちはヨーロッパの美術品に目がないですから・・」

「贋作師にとってはそれが商売ですから仕方ないですが、鑑定士たちには罪悪感というか、罪の意識は無いんでしょうか?」

 デュボアの質問に、教授は周りで食事をしている作業着姿の人たちを見た。そして、ポツリと呟いた。

「この業界は一見とても華やかですが、その華やかさを享受しているのは、一握りの大金持ちや権力者たちだけなんですよ。鑑定士と言えども食っていかなければなりませんからね・・」

 その声はとても小さくて、デュボアの耳には、店の喧騒に紛れてあまり良く聞こえなかった。




 



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