異人館通りの午後
神戸の北野町――
その名前を舞が口にしたとき、僕は「え?神戸?遠くない?」と心の中で「貧乏学生の悲鳴」を上げた。
「異人館って、行ったことある?」
舞が言ったのは、十二月の初めだった。バイトの帰り道、夕方の空気がぐっと冷え込んできた頃、マフラーの端をいじりながら彼女はぽつりとそう言った。
僕たちが付き合い始めてから、もう三ヶ月が過ぎていた。最初の頃の「ドキドキ緊張状態」は薄れて、一緒にいることが「日常の幸せ」になっていた。でも、まだまだお互いのことを知りたいという気持ちは「満タン状態」だった。
舞は最近、少し疲れているように見えた。専門学校の課題が「鬼レベル」で忙しくなり、バイトも増やしていた。醒井の実家からの仕送りだけでは「お財布が泣いてる」状態で、週に四日はケーキ屋でバイトをしていた。そんな中で、異人館に行きたいと言ったのは、きっと「現実逃避」したかったのだろう。
「ううん、ないけど……異人館って、観光のとこやろ?」
「うん。なんか行ってみたくなってん。クリスマスの前の時期、イルミネーションも綺麗らしいで」
専門学校のクラスメイトが話していたのを聞いて、ずっと気になっていたのだという。製菓の勉強をしていると、西洋のお菓子の文化にも興味が湧いてくる。異人館はそんな文化の名残りを感じられる場所だった。
「フランスのお菓子とか、ドイツのお菓子とか、どんな風に日本に入ってきたんか知りたいねん」と、舞は目を「キラキラ」させて言った。
その言葉を聞いて、僕はすぐに「行こうか」と返事をした。心の中では「交通費が痛い」と思いながらも、舞の「キラキラ顔」には勝てなかった。
「でも、神戸までちゃんと行けるかな?」
「大丈夫やって。阪急で三宮まで行けばいいだけやし」
舞は地図を見るのが苦手で、いつも「迷子の女王」状態になる。この前も、梅田で待ち合わせたとき、全然違う出口から出てきて、三十分も「プチ遭難」していた。でも、そんなところも僕には「萌えポイント」だった。
「優くん、方向音痴の私を見捨てんといてな」と、いつも困ったような顔で言う舞を見ていると、「騎士様モード」が発動してしまう。
その日から一週間後の日曜日、僕たちは神戸に向かうことになった。
待ち合わせは梅田の阪急百貨店前。日曜日の午前中ということもあって、人で「大混雑」していた。クリスマスが近いこともあり、ショッピングを楽しむカップルや家族連れが「ウジャウジャ」いた。
約束の時間の五分前に僕が着くと、舞はもう来ていた。いつもより少し早く来るのが彼女の「律儀な癖」だった。深いグリーンのマフラーが首もとに巻かれていて、顔がいっそう小さく見えた。普段の「大学生カジュアル」とは違って、どこか「お嬢様モード」だった。
「今日は、ちょっと寒いなぁ」
そう言いながら、僕の隣に並ぶ彼女の横顔が、やけに「美少女アニメ」みたいだった。
「そのコート、初めて見るな」
「お母さんが送ってくれたん。『大阪は寒いから』って」
醒井の実家を思い出しているのか、舞の表情が少し「ホームシック顔」になった。「お母さん、心配してくれてるんやって。一人暮らしするとき、『体だけは壊したらあかん』って、『お母さんの十戒』みたいに言うてた」
阪急で西宮北口まで行き、神戸線に乗り換えて三宮へ。電車の中では、舞は窓の外を「じーっ」と見ていた。
「何見てるん?」
「景色が変わってくるなあって思って。大阪とは違う感じになってきた」
確かに、西宮を過ぎる頃から、風景に「変身」が見えてきた。山が近くに見えて、海の匂いが「フワ〜」と強くなってくる。
三宮の駅を出ると、大阪とは違う空気を感じた。港町特有の湿った空気と、どこか「セレブっぽい」雰囲気が混じっている。
「神戸って、やっぱり大阪と雰囲気違うなあ」
「うん、なんか『お上品やん』な感じ」
センター街を歩いていても、店の作りや街の雰囲気が、大阪とは明らかに違った。看板のデザインひとつ取っても、どこか「インテリ風」な感じがする。
センター街を抜けて、北野坂を上り始めた。
北野の坂道は急で、息を切らしながら歩く僕に対して、舞は「スタスタ」と平気な顔で歩いていた。
「体力ないなあ、優くん」
「うるさいな、こっちは毎日バイトと学校で『ヘトヘト状態』やねん」
「うちもやけどなあ」
からかうような口調に、つい笑ってしまう。
「滋賀の『山ガール』は違うわ」
「山ガールって言うな」
舞が軽く僕の腕を「ペシッ」と叩いた。そんな「いちゃいちゃ」をしながら坂を上がっていると、だんだん景色が「外国風」に変わってきた。
「あ、あれ異人館ちゃう?」舞が指さした先に、レンガ造りの洋館が見えた。
通りに着くと、空気が「タイムスリップ」した。西洋風の洋館が並び、「ハイカラさん」の香りが漂っていた。観光客も多かったが、どこか「レトロ映画」のような静けさを感じさせる町だった。
「うわあ、ほんまに『外国やん』」
舞が目を「キラキラ」させて周りを見回している。
最初に入ったのは萌黄の館だった。明治時代に建てられた洋館で、内部は当時の生活を「完全再現」していた。舞は特にダイニングルームに「釘付け」状態。
「こんなとこで、毎日『優雅にティータイム』してたんかなあ」
美しい食器が並べられたテーブルを見ながら、舞は「妄想モード」全開だった。
「きっと、『マダム』みたいなお菓子も食べてたんやろうな」
「どんなお菓子やったんやろう。ケーキとかクッキーとか」
西洋菓子への憧れが、彼女の将来の夢に「直結」しているのがよく分かった。
次に風見鶏の館を見学した。ドイツ人貿易商の住宅だった建物で、重厚な作りが「超インパクト」だった。
「この模様とか、ケーキのデコレーションに使えそう」
「そんなこと考えながら見てるんや」
「職業病やなあ」
そう言って笑う舞の表情が、とても「プロフェッショナル」していた。
二階から見下ろす神戸の街並みも美しかった。遠くに港が見えて、大きなクレーンが「ゆ〜らゆ〜ら」と動いている。
「サンタの格好した人、おるで」
通りの角で、サンタクロースの格好をした中年の男性が、子どもにカレンダーを配っていた。完全に「季節労働者」だった。
「今年のもんやけど、飾ったら『インスタ映え』しそう」
僕はそれを受け取り、しばらく手にして歩いた。でも、すぐに「荷物になるなあ」と思った。
異人館を一通り見た後、僕たちは北野の街を「ブラブラ」歩いた。舞は小さなアクセサリーショップで、髪留めを買った。
「これ、かわいいやん」
小さな薔薇の形をした髪留めだった。値段を見て、僕は「プチ高級品やん」と思った。
「似合うと思う?」
「うん、めっちゃ『お嬢様』っぽい」
店の鏡の前で、舞が髪留めをつけてみる。鏡に映った彼女は、いつもより「セレブ」っぽく見えた。
途中、喫茶店で休むことにした。新神戸の近くにある、小さなレトロな喫茶。木の椅子が「ギシギシ」軋む音が、やけに耳に残る。
店内は薄暗く、ジャズが「ムーディー」に流れていた。年配のマスターが一人で切り盛りしている、「昭和レトロ」な喫茶店だった。
舞はミルクティー、僕はブレンドを頼んだ。値段を見て「高っ!」と思ったが、「デート代」だと自分に言い聞かせた。
「こんなとこ、よう知ってるな」
「この前、学校の先生が『神戸の喫茶店は、タイムマシン』って言うててん」
カップを両手で包むように持った彼女の指先が少し赤くなっていて、寒さがようやく「解除」されたようだった。
「優くんって、どこか行ってみたいとこ、ある?」
舞が突然そんなことを聞いた。
「どこって?」
「旅行で。まだ行ったことないとこ」
「うーん…沖縄とか、行ってみたいかな。青い海、見てみたい」
「いいなあ、沖縄。私は京都かな」
「京都なら、『近場やん』」
「でも、ちゃんと『観光』したことないねん。お寺とか、庭園とか」
「今度は、醒井に行ってみたいなあ」
「え?」
「舞の実家のあるとこ。梅花藻、見てみたい」
「ほんまに? 何もない『ド田舎』やで」
「それでも『癒やし系』でええよ。舞が育ったとこ、見てみたいもん」
そう言うと、舞の頬が「トマト色」になった。
喫茶店を出ると、空は薄い群青に「チェンジ」していた。
「神戸ポートタワー、行ってみる?」
「うん、行こうか」
異人館から下りて、三宮から歩いてメリケンパークへ。僕の足は既に「限界寸前」だった。
港に近づくにつれて、海の匂いが「モワ〜」と強くなってきた。そして、神戸ポートタワーが「ドドーン」と目の前に現れた。
神戸ポートタワーの展望フロアに上がったとき、遠くに広がる光の粒が「チカチカ」明滅していた。
「……綺麗やな」
舞が小さくつぶやいた。僕も「うん」と答えたが、心の中では「入場料高かったなあ」と思っていた。
「こんな景色、醒井では見られへんなあ」舞がぽつりと言った。
「でも、醒井には醒井の『田舎の良さ』があるやろ?」
「そうやけど……でも、やっぱり都会に『憧れちゃう』わ」
「優くんって、将来はどうしたいん?」
突然の「人生相談モード」だった。
「どうって?」
「歯科技工士になって、その後は?」
「うーん…いつかは独立したいなあ。自分の技工所持って『社長』になる」
「すごいやん。私もいつかは、自分のケーキ屋さん持ちたい」
「きっとできるよ。舞のケーキ、めっちゃ『プロ級』やもん」
「でも、お金もいるし、技術もまだまだ『ヒヨッコ』やし…」
本当は、ここでキスをしようかと、何度も思った。でも、できなかった。周りに観光客がいっぱいいたし、なんだか「恥ずかしい」気がした。
代わりに、僕は彼女の手を握った。舞は驚いたように僕を見たが、すぐに微笑んで握り返してくれた。
「寒いやろ?」僕が聞くと、舞は首を振った。
「大丈夫。優くんと一緒やから『ポカポカ』」
その言葉が、胸に「ズキュン」と響いた。
帰りの電車では、舞は少しだけ僕の肩にもたれかかって眠った。
そのあいだずっと、僕は「肩が痛い」と思いながらも、動けずにいた。舞の寝顔を見ていると、「天使やん」と思った。
電車が大阪に近づくにつれて、舞は目を覚ました。
「あ、寝てもうた」
「疲れてたんやろ」
「ごめん、優くんの肩、『凝り固まって』なかった?」
「全然大丈夫やよ」
実際には、腕が「完全に痺れて」いたけれど、舞の寝顔を見ていられて「幸せMAX」だった。
# クリスマスケーキ騒動
年末が近づくにつれ、街のあちこちにイルミネーションが「ピカピカ」し始めた。舞のバイト先のケーキ屋も、クリスマスに向けて「戦場状態」になっていた。
そんなある日、舞から電話があった。
「ねえ、クリスマス前なんだけど……今度ケーキ、作るんだ。学校の課題で」
「ケーキ?」
「うん。ブッシュ・ド・ノエルっていうクリスマスケーキ、切り株の形したやつ。ちゃんと持って行くから、食べてね」
電話の向こうの舞の声が、なんだか「プレッシャー満載」だった。
「楽しみにしてる」
「ほんまに? 『大失敗』したらごめんな」
数日後、舞はケーキの箱を手に、僕の下宿を訪ねてきた。外は雪が「チラチラ」していて、舞のコートには小さな雪の粒がついていた。
「がんばって作ったんよ。……形、『グチャグチャ』になってないか心配やわ」
箱を開けると、そこには小さな切り株の形をしたチョコレートケーキがあった。表面は丁寧にしぼったバタークリームで覆われ、まるで「本物の切り株」みたいだった。
「すごいな……これ、『売り物レベル』やん」
「うん。時間かかった。『徹夜』で頑張った」
舞はそう言って笑ったが、その笑顔の奥に、どこか「クマ」のようなものが滲んでいた。
「ありがとう。すごく嬉しい」
「よかった。クリスマスやし、ちゃんとした『本格派』ケーキ作りたかってん」
その日は長く話すこともなく、ケーキだけを置いて、舞は「フラフラ」と帰っていった。
僕はその夜、ケーキをひとりでは食べず、下宿の先輩たちと一緒に食べた。
「これ、すごいな。『百貨店』で売ってるやつより美味い」
「もったいないな、切るの」
そう言いながらナイフを入れると、中はふわっとしたチョコレートロール。甘すぎず、でも「幸せの味」がした。
その味を、僕は今でも覚えている。そして、その後に続く「ハプニング」も――。
クリスマスイブの夜、僕は舞に会いに行った。でも、彼女は体調を崩していて、ベッドで「グッタリ」横になっていた。
「ごめん、急に熱が『ガーン』と出てもうて」
「大丈夫? 病院行った?」
「薬飲んでるから、大丈夫…多分」
でも、舞の顔は青白くて、明らかに「ヤバい」状態だった。
「今日は帰るわ。ゆっくり休んで」
「せっかくクリスマスイブやのに…『最悪やん』」
「そんなん、気にせんでええよ」
僕は舞の額に手を当てた。熱があって、「アチアチ」だった。
「また今度、二人で『リベンジクリスマス』しよう」
「うん…ありがとう」
それが、僕たちの最後のクリスマスになるとは、その時は「夢にも思って」いなかった。
(この「ドタバタ恋愛劇」、まだまだ波乱万丈は続く…)