雪の日に
映画の鑑賞会があるというので、ユキは行ってみることにした。
娘の通っていた、「ポーラ八日木大学」。雪の日。
時計台のような高い棟からなる一棟、その下辺りに隆として続く横長の建物。
雪が降り積もっていないのは、正門の屋根が掛かっている所の下、くらいか。
天気予報は外れた。
気象はこのところ、変わりやすいというのもある。
娘はマキといった。
同じく八日木大学に通うクロエとは、懇意にしていたというがそれ以上のことは、ユキにはあまり分からない。
今も分からないまま。
そして大学に勤めている夫のユメジからも、まず仕事の話はよく聞かない。
一応、地震に関する論文の発表だったり。
香港やアメリカなんかの海外進出で目覚ましく売れたロックバンドが、ここの出、とか。
有名女優がここの出だ、など。
そういうので話題になることが多い。その他研究の資本金でうんぬん。
ただ夫も娘も大学に関わっている・いたとはいえ、ユキ自身はひたすら自分のことに忙しかった。
パートの仕事、近隣との集まりでの役割。
別段、家族関係が悪いとかそういうことではない。
ただ家族間の表情が更に薄れたとユキ自身も、眼に見えて感じたのは、マキの死以降だった。
事故だという。道路にて。
ちょうど、論文執筆時期で、その日も雪の多い日だった。
今日もまた雪だというのも、自分の名前がユキだというのも、彼女にとってみれば皮肉でしかない。
雪の多い日だ。
構内でも数名、雪をかいてはいるのだが、雪かき跡が凍結する。
ユキはそこを避けながら、といっても積雪に足を突っ込むのには変わらないのだが。
「鑑賞会」とペラペラお粗末に看板の出ている一棟の、靴脱ぎ場に着いた。
ここまでで例えば、雪の上に犯人の足跡が残らないとかいう話に、近い現象が起きたら。
実際、そんなことは起きない。
愉快犯を扱った映画だという。
ユキの趣味ではないが、なんでも生前のマキの造形を多く取り扱っているということ。
ユメジともその話になった。
彼は構内に居ても来るかは分からない。
しかしユキは、観に来るしかないと思った。
犯罪ものねえ……。
と一人、靴を脱ぎながら思う。
普段はただの来賓用出入口なのだろうが、今日は一帯に靴が溢れているという印象だった。
造形を多く取り扱う?
ユキにはよく分からなかったが、一家の中ではユメジは教授、マキはそこそこ有名人という立場で通っていた。
マキの死を悼んでくれた名の通った人も、少なくなかった。
マキの造形をどこに、どう使うのか?
ヒロインに、らしい。
抜擢されたのはクロエである。
クロエもまた、香港やアメリカと、活躍の場を広げている女優として。
マキは、生前そこまでには及ばなかった。
鑑賞していてユキに理解出来たのは、多くがCG加工であるということだった。
時間にして二時間もの。
クロエの女優としての実力は、確かにあるのだろう。が。
人も結構入っているのに、ユキは観ながら途中眠りこけ、トイレにも立った。
洗面台で見比べてみる。
生前のマキ、そしてクロエが撮った一枚。
プライベートにはあまり立ち入らなかったものの、マキの仲良しとしての存在。
その思い出が、母であるユキのスマホにも一応、保存されていて。
スクリーンに映っていたクロエの顔形は、マキそのものだった。
CG加工とはいえ、よく表情の変化を追って加工出来るものだなあと。
ユキは、映画の内容そっちのけで思ったりしていた。
女優の表情の作り方。
スマホに映っているクロエの顔。そしてマキの顔。
スクリーンで見たマキの顔。
実際のクロエの目鼻立ちは、欧州の血を引いているためもあって、マキとは似ても似つかない。
声も似ていた気がする。あれも、加工なのだろうか?
ハンカチで手を拭きつつ、トイレを出た。
映画は今、どのあたりまでいったろう。
観ていたのだが、結局途中抜けたせいもあって。
愉快犯が最期あっけなく自ら命を絶った、という衝撃しか、ユキには残らなかった。
明るくなった舞台に並んだ俳優陣。
実際に今日、八日木大学構内へ来ていることになる。
客席は歓喜に沸いた。
一人、ユキだけは空気について行かれない。
ペルシャ猫は、マキの好きな猫でもあった。実際に映画にも登場。
シンボルマークとしてか、「顔のアップ写真」として舞台へ上がっている。
舞台上にあがっているクロエ。
マキの死から数年。
スクリーンでのマキの顔は、ユキのスマホの写真と瓜二つ。
二重、高い鼻、薄い瞳の色。
今日のクロエの顔は、ユキが見える限り、更に美しくなっているように見えた。
女優として成功している自信が、彼女をそう見せているのかもしれない。
拍手が起こる。
ユキが気になったのは、トイレから出たあとだった。
確かに、映画にペルシャ猫は出ていたが。
トイレから出たユキは一声、猫の鳴き声を聞いた。
棟の造りだと、講堂での大音量はあまり外に漏れない。
映画の音も同じだろうと、ユキは思っていたので気になったのである。
多くの人が自分の靴を探しに引返す中、ユキは反対の道を辿った。
入口とは逆。
続く廊下。
裏へ出た。
もう一人、逆の方向に進む人影が見えた。
裏から続く白い光沢。
違う棟へ移る。といっても一瞬、外に出るだけだった。
積雪。
もう一人が逆というのは、同じ扉から複数人出てきて、ユキの方へ向かって来たからだった。
先程舞台上で見た、俳優陣。二人。ずっと背が高く、眼の前。
電話を掛けているようで一人だけ、二人と逆の方へ行った。
扉に貼り紙がしてある。
下の方に、「クロエ様」の文字。
仮の待機所のような扱いだろうか。
とユキは思う。
クロエ?
声はどうだろう?
ユキは何故か、背中、後ろ姿を追っていた。
ペルシャ猫? の声はしない。
舞台で聞いた、クロエの声のようで。
「じゃあ、またあとで、ユメジさん」
言った彼女。
ユキの存在に気が付いていない。
辺りをちょっと見回し、トイレではなくて適当に、というのだろうか。
開いているドアを開けて、そこへ入り。閉め切らない。
その時、猫の鳴き声がした。
クロエの入った同じ部屋、ドアの向こうからである。
なんだかユキには、辺りの白い光沢が化学研究室。
または実験室のように、思えてならなかった。
大学なのだから、そうなのかもしれない。
もしかして鳴き声は、クロエの電話から……?
ユキはそっと、ドアの隙間から見る。
壁に義手のようなものが掛かっている。
一枚壁を埋め尽くす、大きな鏡。
クロエが居た。
鏡の前、後ろ姿。
その他小道具、舞台道具の、部屋……?
と思うユキ。
クロエはスマホを見て、クスクス笑っている様子。
さっき、「ユメジさん」と言った。
旦那と会う予定だろうか。
鏡の中のクロエの顔。
うっすら微笑んでいる。
化粧を取る、というより顔から手から、皮膚のようなものを剥しているのが、ユキにも見てとれた。
紛れもない、死んだマキの姿そのものが、そこに居た。