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可憐な可憐に殴られる!  作者: 真田宗治
シーズン1 天津うさぎの話
1/10

可憐な可憐は二度叫ぶ!





 これで、なにもかも終わり。

 携帯端末の画面に表示されたアイコンを、ひとつひとつ消してゆく。アプリケーションも全て消した。写真も、動画情報も。もう、なんの意味もないから。最後に残ったのは、管理画面の私の名前だけだ。

 天津うさぎ──。

 中秋の名月に生まれたから、両親はそう名付けたらしい。管理画面も消去できれば良いのにな。なんて、ぼんやり考える。たった一七年の人生だったけど、もう沢山だ。これで良いのだ。

 ふと目を落とす。手が、震えていた。

 弱虫。

 内心、自分を叱りつけて顔を上げる。目の前には陰鬱な顔をした人達が、ずらっと顔を並べていた。

 間もなく、青白い顔をした女が、紙袋を手に私の元へとやって来る。私は袋の中に財布と携帯端末を放り込んだ。袋は後で燃やされるらしい。これでもう、私は何者でもない。

 私は、今日、人生を終える。

 このつぶれたファミリーレストランを訪れた理由は、自殺サイトで知り合った七人の人々と共に、練炭自殺をする為だった。


「では、始めましょうか」


 主催者が、かすれた声で呼び掛ける。店内はブラインドが下りて薄暗い。私達は一言も発さずに、円形のテーブルを囲んでいる。私を含め、店内に居る八人全員が自殺志願者である。


「皆、言い残すことはないですね」


 再び、主催者が問う。見たところ、彼は身なりの良い成人男性である。年齢は三○歳といったところだろうか。背が高くスマートで、爽やかな外見をしている。女性受けもよさそうだ。そんな彼が、どんな理由で死を選び、皆に呼び掛けたのかは分からない。そんな事はどうでもよかった。ここに居る全員がそうだろう。年齢も体型もちぐはぐな私達に共通しているのは、今日、同じ場所で死ぬ、という事だけだ。だが、それだけ分かっていれば充分だ。

 誰も口を開かなかった。それを確認して、主催者は練炭に火をつけた。


 とても、静かだった。

 煉炭から、薄い煙の筋が伸びてゆく。それは薄められ、一酸化炭素を部屋中に拡散する。あと数分で、私達は気を失うだろう。そして二度と目覚めることはない。これで全てを終わりにできる。それなのに、どうしてだか手の震えが止まらない。怖くなんかない筈なのに。今更、込み上げるこの気持ちは何なのだろう。

 淋しさ。否、郷愁か。

 乾いた気持ちを押し込めて、静かに目を閉じる。

 その時だった。

 突然、ガシャン! と、何かが割れる音が響き渡る。

 私はビクリと身体を震わせて、目を開ける。大窓が割れ、ガラスが床に散乱していた。外からコンクリートブロックを投げ入れられたらしい。


「はい、ちょっとお邪魔しますね」


 と、穏やかな声がする。その男は、割れ窓の外からレストランへと侵入してきた。彼は真っ直ぐテーブルへと歩み寄り、手にしたペットボトルの液体を練炭に振りかけて、消火した。


「な、なにをするんだ!」


 主催者の男が声を上げる。


「いや、たまたま近くを通りかかっただけで悪いとは思ったんだけど、うちの子がどうしてもって聞かないし、僕も見過ごす訳にもいかないし」


 謎の男が、頭をぽりぽり掻きながら答える。なんというか、少し不健康そうな優男だった。やや猫背気味で、目元には薄い隈がある。よれよれのカッターシャツは身体に張り付くようにタイトで、華奢な体型を際立たせている。首元には綺麗なループタイが光っていた。その藍色は、白いシャツによく合っている。顔立ちは中性的で、一見すると女性のようにも見える。だが、声は男性の物だった。

 パキリと、ガラスを踏み割る音がした。

 そちらに目をやると、男の背後から、セーラー服姿の女の子が現れた。女の子は窓を乗り越え、店内へと飛び降りる。年齢は一三歳ぐらいだろうか? 小柄で、とても可愛らしい女の子だった。


「じゃ……邪魔するなよ!」


 自殺志願者の一人が怒りを口にする。


「そうだ、そうだ。余計な事するな。何も知らないくせに!」


 自殺志願者が口々に、罵声を浴びせはじめる。


「だ、駄目だよ! 死んだら絶対にダメ。こんな死に方したら、地獄に落ちるか地縛霊になっちゃう!」


 セーラー服の女の子が、声を張り上げる。

 少女は日没間際の光を纏い、背後には、割れ残った窓硝子が、まるで天使の翼のように添えられていた。黒髪のポニーテールがさらりと風に靡き、薄く、シャンプーの香りが漂ってくる。ぱっちりとした優し気な瞳と、一見、気が弱そうな物腰。それでいて、眼差しは真っすぐで穢れを知らない。私は思わず、目を逸らしてしまいたい衝動に駆られた。


可憐かれん


 猫背の男が少女に声をかける。

 可憐と呼ばれたセーラー服の女の子は、周囲を見回してから、目を閉じた。そして数秒の後、そのあどけない目を開ける。


「あの人だよ」


 可憐かれんちゃんは、主催者の男を指さした。主催者は、何がなんだか解らないといった面持ちである。私を含め、自殺志願者の全員がそうだが。

 困惑していると、猫背の男がパチリと両手を鳴らす。


「はい。じゃあ、説明しまあす」


 一同が、猫背の男に注目する。


「ええと、皆さんは騙されています。騙しているのは、そこにいる主催者? の人です。はい。じゃあ、解散」


 猫背男が言った。私には、彼が何を言ってるのか分からなかった。すると、今度は別の、自殺志願者の女性が立ち上がる。


「いきなり来て、ふざけた事いってるんじゃないわよ! 一体、あんた達はなんなのよ!」


 女性は剣幕を露わに言うが、猫背男は涼しい顔で欠伸あくびまでしている。


「だって本当のことだし。多分、ここに居る人は皆、その主催者の人からこう言われたんでしょう。『一緒に天国に旅立ちましょう。大丈夫。皆一緒だから寂しくないし、苦しまないように楽にしてあげるから』。みたいな?」

「そ、そうよ。それの何が悪いの?」

「それ、嘘だからね。その主催者? の人は、死ぬつもりなんか更々ないよ。彼は自殺志願者を集めて大量自殺させて、その金品財産を丸ごと奪う犯行を繰り返している、こすっからい強盗サイコパス野郎だからね」


 と、猫背男が指を挿す。一同の視線が主催者の男に集まった。


「嘘だ。な、何を証拠にそんな事を──」


 主催者が言い終わる前に、猫背男は主催者へと歩み出す。そして、主催者の足元にあったリュックサックをひっ掴み、そこから酸素ボンベ付きのガスマスクを取り出した。


「はい、証拠」

「なっ! なんでわかっ──」

「──いい趣味してるよね。皆が苦しんで死んでいくのを嘲笑いながら眺めるのが大好きで、金も入る。趣味と実益を兼ねたアルバイトか。でもね、自殺教唆じさつきょうさは立派な犯罪だよ。警察には連絡しておいたから、残りの人生は塀の中で楽しく暮らしなよ。ああ、一生出てこなくて構わないから」


 猫背男が証明を終了し、薄ら笑いを浮かべる。そこには冷徹な、軽蔑の色が浮かんでいた。


「……最低。信じられない」


 と、私はやっと状況を理解して、主催者を睨みつける。


「ち、違うんだ! 皆、聞いてくれ。私は……私は!」


 取り繕う主催者に、自殺志願者達の罵声が一斉に浴びせられる。『クズ』だの『詐欺師』だの『サイコ野郎』だの。


「くそ、台無しじゃないか。くそおおお!」


 追い詰められた主催者は、椅子の陰から異様に大きな鉈を取り出した。鉈には薄く、血痕のような物がこびり付いている。一体、何の血だ。

 主催者は、うおおっ! と、怒声を上げながら、猫背男へと襲い掛かった。

 空気を切り裂く音がして、大鉈が振り抜かれる。


「ちょ、たんまっ、ひい!」


 と、猫背男は、まるでオカマみたいな仕草で身をかわし、後ずさる。それを主催者は追いかけて、怒りの形相で大鉈を振り回す。猫背男は、ひい、ひい、と逃げ惑い、ついには壁際まで追い詰められてしまった。


「ボクサツ君!」


 可憐ちゃんが叫ぶ。ボクサツ君……とは、たぶん猫背男の愛称なのだろう。やたら物騒なニックネームではある。ボクサツされそうになっているのは、彼自身だが。


「殺す、殺す! 主義に反するが、お前だけは、この手で殺してやるよ!」


 主催者が怒声を発し、袈裟斬りに、ボクサツ君目掛けて大鉈を振り抜いた。


「やめ、うわあ!」


 ボクサツ君は、つんのめるようにしてギリギリ鉈を潜る。そのまま足がもつれ、主催者に体当たりを食らわすみたいな格好となった。二人は転び、ボクサツ君は這うようにして逃げ出す。

 主催者はすぐに立ち上がり、ボクサツ君を追う。ボクサツ君は、今度は藁をも掴むといった感じで椅子の背に手を伸ばした。が、椅子が倒れ、ボクサツ君ごと転がる。

 ずし。と、鈍い音がした。

 転げた椅子の足が、カウンター気味に主催者の鳩尾に突き刺さったのだ。

 主催者が、苦悶の声を上げてうずくまる。かなり効いているみたいだ。偶然? というには出来過ぎている。あのボクサツ君とかいう男、相当、悪運が強いらしい。


「必殺っ、超加速ボクサツゥ!」


 突然、可憐ちゃんが駆け出して、主催者にストレートパンチを繰り出した。

 無謀だ。いくら好機チャンスでも、あんな細腕で大人の男を殴り倒せる筈がない。怒らせるだけだ。可憐ちゃんが危ない!

 と、思いかけたのだが、主催者の男はパンチを顔面に受けるなり、フィギュアスケートの選手みたいに一回転して倒れ伏した。

 もう、主催者はピクリとも動かなかった。完全に気絶している。白目まで剥いている。

 何故?

 疑問と共に可憐ちゃんに視線を移す。すると、可憐ちゃんの手には、銀色の頑丈そうなメリケンサックが装着されていた。


「……必殺、超加速ボクサツぅ!」


 何故か再び、可憐ちゃんが叫ぶ。彼女はビシッと決めポーズを作り、ふっ。とニヒルに微笑んだ。そこにいる全員の顔に困惑が浮かぶ。


「二回も叫ばなくていいからね」


 ボクサツ君が可憐ちゃんを窘めて、そっと頭を撫でた。


 ★ ★ ★


 廃レストランには、間もなく警察官が駆け付けた。主催者は逮捕され、パトカーへと押し込まれた。自殺の会はうやむやとなり、お開きとなった。私もなんだか馬鹿馬鹿しくなって、今日は死ぬのをやめることにした。


「じゃあ、皆さんお元気で。自殺したら地獄行きは確定みたいだから、くれぐれも早まった真似をしないようにね」


 ボクサツ君は言い残し、可憐ちゃんを連れて潰れたファミリーレストランを後にする。


「ま、待って!」


 私はレストランを飛び出して、二人に声をかけた。二人は振り向いて、やや怪訝な表情を浮かべる。


「どうして、わかったの?」

「わかったって、何が?」


 ボクサツ君は惚けて頭をポリポリやる。


「だって、そうでしょ。私達が死のうとしている事だって、主催者の企みや正体だって、レストランの前を通りかかっただけじゃ分からない。シャーロック・ホームズだってそんな推理出来ないわよ。何をどうしたら、あんな風に出来るの?」


 疑問をぶちまける。すると二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。


「可憐ちゃんはね、霊能力者なんだ。人の心が読めて幽霊だって見える。今回は、可憐の霊能力が役に立ったのさ。って言ったら、信じる?」

「霊能力者?」

「あ。誰にも言わないでね?」


 と、ボクサツ君は微笑みを残して歩き出す。可憐ちゃんも私に小さく手を振って、ボクサツ君の後を追いかけてゆく。沈み行く夕日に、二人の後ろ姿が溶け込んでゆく。私は逆光に目を細めながら、いつまでも見送っていた。


 ★ ★ ★


 夜になり、私は自宅へと戻った。疲れ切っていて、家族にただいまも言わなかった。

 二階の自室に入り、机の上に学生鞄の中身をぶちまける。学生鞄の中から出て来る物は、当然、教科書やノートの類である。だが、それらには『死ね』とか『消えろ』とか『学校に来るな』とか、そういった文言が書きなぐられていた。いくつかの頁は破り捨てられている。

 私がやった訳じゃない。

 私は何度も溜息を吐きながら、セロテープで教科書を補修する。次に、ノートも開く。ノートには、私の物ではない筆跡の文字で、こう書かれていた。


『ゴキブリ女』


 私は消しゴムで悪口を消して、数学の宿題に手を付けた。

 突然、どおん! と壁が鳴った。続けて、母の叫び声がする。隣の、弟の部屋からだった。

 弟は、もう半年も部屋に引き籠っている。それだけならまだ良いのだが、毎日こうして暴れている。父も母も、恐れて何も言えずにいる。両親は、まるで腫物を扱うように弟に接しているが、弟は、ほんの些細な事で機嫌を損ね、家族に暴力を振るうのだ。たまに、自分自身をも傷つけてしまう事がある。今日も、何か気に食わない事があったのだろう。


ようちゃん、やめて! ママが悪かったから。お願いだから、そんな事しないで」


 母の懇願が空しく響く。ガラスのコップが壁に叩きつけられ、割れる音がする。そして、常軌を逸した弟の怒鳴り声。怒鳴り散らし過ぎていて、何を言っているかも聞き取れない。

 私は耳を塞ぎ、頭を抱えた。

 先刻、ボクサツ君は言った。


『自殺をしたら地獄行きが確定する』。と。


 でも、私は充分に地獄を生きている。あの人がいう地獄とこの地獄、どちらがマシなのだろう? 私は死を経験した事がないから、或いは、本物の地獄を甘くみているだけなのかもしれない。だけど、ここから逃げ出せるのなら、それが何処でも構わない。そう思って然るべき状況に自分が居る事を、私は自覚している。


「……どうしろっていうのよ」


 私は机に突っ伏して、声を殺して泣いた。



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