探偵助手編③:記憶、そして結末へ
両親が死んで君津家のお世話になり始めた直後、僕は部屋に閉じこもっていた。怪我の影響で安静にしているように言われたせいもあるけれど、やっぱり目の前で両親が命を落とす瞬間を見てしまったことが僕の心に暗い影を落としていた。目に見える傷よりも目に見えない傷の方が悪化しやすく、そして治療しにくいのだ。
そんな僕をおじさんとおばさんは気にかけてくれていたし、僕も迷惑は掛けたくなくてなるべく気丈に振る舞うようにしたけれど、二人が出ていって一人きりになった部屋の中では溢れてくる涙を止めることが出来なかった。
ある日、僕が部屋で両親の事を思い出しながら泣いていると急にドアが開いた。おじさんやおばさんは必ず部屋に入る前にドアを叩いて知らせてくれる。一体誰が、と思って涙でぐちゃぐちゃの顔のまま扉の方へと顔を向けると、小さな男の子が心配そうにこちらを見つめていた。おじさんにこの家に連れてこられた時、自分の息子だと紹介された気がする。
「大丈夫? ドアの向こうから泣いている声が聞こえたけど?」
「私は大丈夫……です。心配ありがとうございます……」
自分のことを私と呼んでいたその当時の僕は近くにあったタオルで顔を隠しながら涙を拭いた。メソメソ泣いているなんて思われたくなかったし、誰にも泣き顔は見られたくなかった。
「でも、泣いていたよね? どこか痛いの? 包帯を交換してもらうよう母さんに言おうか?」
「泣いてないです。痛くもないです。私は大丈夫だから、ほっといてください」
早くドアを閉めて何処かに行ってほしい。そう願っているのに、男の子は部屋に一歩踏み入れると、ソロソロと私に近づいてきた。私は睨みつけるように男の子を見た。
「本当に大丈夫ですから。私に構わないでください」
「そう言われても、父さんたちにキミと仲良くするようにって言われているんだ。それに、誰かが泣いているならその人のそばに居てあげなさいとも言われているし」
「だから、泣いてないです。さっきは顔に水がかかっただけです」
「嘘だね。他の人たちは騙せても名探偵の僕は騙せないよ」
私の直ぐ側にまでやって来て、男の子はそう言った。
「目が赤くなっているし、体も小さく震えてる。それに水がかかったならキミの周りも濡れていないとおかしい。そこから導き出される答えはキミが泣いていたということだ。どう? 当たってる?」
推理ごっこが出来て嬉しかったのか、男の子の顔には笑みが浮かんでいた。小さい子のすることで悪気があった訳ではないし、別に私の事を笑った訳でもないのだけれど、その時の私もまた幼く、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
「出てって! 一人にしてよ!」
大きな声を出したことで一旦落ち着いた感情が再び大きく揺れ動き、目から涙がこぼれ落ちた。一度傾いてしまった気持ちは簡単には戻すことが出来ず、私は声を上げて泣き出してしまった。
突然怒りをぶつけ、そして勝手に泣き出してしまった私にさっきまで笑顔だった男の子は困惑し、どうすれば良いのかとアタフタしている。色々話しかけたり、ジェスチャーをしてみせるけれど、泣きじゃくる私には全くの無意味だった。男の子も次第に不安に駆られ始め、気がつくと私と一緒に泣き声を上げ始めた。二人の子供が泣いている声は心配して駆けつけたおばさんが部屋へとやって来るまで家中に鳴り響いた。
これが僕が記憶している修にいとの最初の出来事。
後頭部に痛みが走り、僕の意識が覚醒した。古い思い出を懐かしむ余裕はない。僕の両腕と両足がロープで拘束されていたからだ。
僕が意識を取り戻したことに気がついたらしく、立って話をしていた三人が一斉にこちらを向いた。重道がニヤつきながら僕のそばへとやって来る。
「ようやくお目覚めか。気分はどうかな、凪ちゃん?」
僕を見るその目つきが気持ち悪い。無視してその後ろにいる二人に話しかけた。
「古楠さんと小臼亭さんのどちらかが怪しいと睨んでいましたけど、まさかその両方が犯人だったとはね。でも、考えてみれば当然か。四人組で頻繁に集まっていたのなら、その中の誰かではなく全員が共犯であると考えた方が自然だったね」
「見事な推理ですね。ですが残念。僕たちに捕まる前に気づけていれば良かったのでしょうが、貴方は今や拘束されてパートナーに連絡することも他の誰かに助けを呼ぶことも出来ません。悔しいでしょうね?」
「あぁ、悔しいね。君たちみたいな三下の犯罪者に遅れを取るなんて一生の恥だ。もっとも、僕でさえ気づけたんだから優秀な相棒なら既に三人を捕まえるために動いているだろうけど。それが怖くて僕を誘拐したんだろう? 交渉材料にでもしようという訳だ。そっちこそ残念だったね。僕なんかのために犯罪者を見逃すほど相棒は甘くないよ。今頃警察と一緒に君たちを追っているはずさ」
半分は強がり、もう半分は自嘲だ。修吾の性格なら人質の心配はしつつも犯人を捕まえることに全力をあげるだろう。その人質がたとえ僕だったとしても、だ。犯罪捜査を生業としている以上、そのような犠牲は覚悟しているはずだし、一緒に行動している僕も了承している。今の僕に出来ることは相手を挑発して、修吾や警察が連中を捕まえられるようにミステイクを誘発させることだ。
「素晴らしい信頼関係ですが、貴方の予想は外れていますよ。先程、貴方のスマホをお借りして連絡を取らせてもらいました。探偵さんはとても焦っておいでで、一人でここまで来るようお願いすると二つ返事で承諾してくれました。おそらく、もうそろそろ到着するんじゃないでしょうか?」
「まさか、本当に一人で来ると信じているのかい? そんな自殺行為、するはずないじゃないか」
僕なんかのために、という言葉はなんとか飲み込んだ。こんな時に何を言おうとしているのだろう。修吾が僕のことをただの同居人か良く見積もっても妹程度にしか思っていないことを僕自身がよく知っているはずじゃないか。それなのにどうして、僕のために必死になってくれているかもと期待しているのか。
修吾はここまでやって来るのは間違いない。でも、罠が待ち構えていると分かっていて飛び込むほど、修吾は向こう見ずな性格はしていない。必ずなにか手を売っているはずだ。
「何二人だけで話をしているのかな? おじさんとも楽しくお喋りしようね?」
重道が僕の視界へと割って入ってきた。僕の体を舐め回すような下卑た視線に生理的な拒否反応が出る。
僕は目の前の男から顔をそらして部屋の様子を伺った。部屋の壁はボロボロで窓ガラスにもヒビが入っていることから誰かが住んでいるわけではないようだが、部屋に設置されている監視モニターや壁に掛けられている数々の拷問器具を見るに、どうやらここが彼らの根城らしい。外から微かに波の音が聞こえるので、海が近いのだろう。実際、窓から見える景色には暗い海岸が映っており、それに沿って車一台が通れそうな道がただ一本だけ伸びている。空には薄く赤色を帯びており、日の出が近いらしいことを告げている。
「おっさん、無視されてんじゃん。カワイソー」
「うるせぇな、黙ってろ。おい。人と話す時は目を見て話せって学校で習わなかったのか?」
重道が僕の顔を鷲掴みにして自身の方へと向かせてくる。少し抵抗したけれど、顔を触られるよりはマシかと思って素直に従った。重道と向かい合いながら、僕は相手の感情を逆撫でしようと言葉をぶつける。
「言葉喋れたんだ? 鼻息があまりにも荒いから豚かなにかだと思ったよ」
「全く生意気なガキだ。だが、そういう反抗的な態度を力で屈服させるのも楽しみの一つだから今は許してやろう」
「その割には抵抗できないように手足を縛っているんだね? まさか、反撃が怖くて拘束した相手じゃないと手を出すことが出来ないのかな? 随分情けない調教師だね」
目の前の顔がサッと赤くなると、右腕が振り上げられ、次の瞬間僕の左頬に鋭い痛みが走った。僕は痛みに耐えながらなんともないような顔をして正面に向き直ったが、重道の言葉に簡単にポーカーフェイスが崩れた。
「あんまり調子に乗るなよ。お前のその醜い体を抱いてやろうつってんだから、むしろ泣いて喜べ」
「なんでその事を……。まさか見たの?」
僕の余裕が無くなったのを感じ取った重道は愉快そうに口元を歪める。
「そんな色気のない服を着ているのが気になってな。まさか体中に火傷の痕があるとは思わなかったが」
「可哀想に。若々しい女性の肌が台無しになっていましたよ」
「あぁ。そんな気持ち悪い体じゃ隠したくなっても仕方ねぇよな」
三人が口々に僕の体に残った両親と共に巻き込まれた交通事故の痕について言及する。両手が拘束されている僕は耳をふさぐことが出来ず、全て頭に入ってきてしまう。
やめて。
言わないで。
そんなこと僕が一番よく分かっている。
今まで僕の体を見た人たちの反応が頭の中に蘇る。醜い物を見るような蔑んだ瞳。見てはいけない、関わってはいけないように背ける顔。そして、憐れんで優しくする人々。そのどれもがこの傷が異常な物であると僕に意識させ、僕自身が異常な人間であるかのように錯覚させた。だからこそ、この火傷痕だけは絶対に修吾には見せたくなかった。修にいにそんな風に扱われてしまったら、きっと僕は一生自分を愛せなくなると思ったから。
俯いてショックを受けている僕に加虐心をくすぐられたのか、重道が古楠に話しかけた。
「なぁ、先に始めちゃ駄目なのか。もう我慢出来ねぇよ」
「彼女には探偵への最後のひと押しで目の前で助けを求める役割があります。それまで生かしておけるなら構いませんけど、どうせ貴方のことですから絶頂と共に殺してしまうでしょう?」
「大丈夫だって。そこらへんは上手く調整するからよ」
物騒なワードが飛び出してきて、私の目は自然と古楠へと移った。共通点のないメンバーだと思っていたけれど、まさか……
「えぇ、ご想像の通りです。ここにいる三人、いや、亡くなってしまった阿笠さんも含めた四人は人殺しが趣味なんですよ」
「趣味じゃなくて個性だよ。人が誰かからの愛に飢えているように、俺たちは誰かを殺したくてたまらない。原始の時代から繰り返されている殺し殺される関係。俺たちはそれに魅了され、支配されているんだ」
「お前みたいな戦闘狂と一緒にするな。俺はただか弱い存在を嬲り、その命を陵辱したいだけだし、ソイツだって死の間際の後悔や懺悔を肴に一杯やりたいだけだろ」
まるで自分は違うと言わんばかりに不機嫌そうな顔をしているが、言っていることは異常者そのものだ。彼らは頭のネジが数本外れている。
「自分に理解出来ない感性を否定したい気持ちは分からなくはないですが、今は多様性の時代ですよ? 人種や性別、宗教と同じように、僕らの個性も認めてもらわないと」
「認められる訳ないだろ? アンタらのそれは異常だ!」
「同性間の恋愛も昔は異常とされていましたが、時代が追いついて今は同性婚が認知されてきています。いずれ僕らの考えも認められる時代が来ますよ」
人を愛する行為と人を殺める行為を同一の価値観で論じられるわけがない。そんな当たり前のことが理解出来ないほど、目の前にいる三人は現代社会という枠組みから大きくはみ出た思想を持っていた。
何を言っても通じる気がしないなか、窓の外で一筋の光が海岸沿いの道路を照らしているのが目に入った。当然、僕以外の三人もそれに気がつく。
「どうやら来たみたいですね。さて、お話は探偵さんを始末してからにしましょうか」
そう告げる古楠の手には黒く無機質な物体が握られていた。気がつくと重道や小臼亭も手に同じ物を持っている。
「おいおい。大層なことを言っておいて結局銃なんかに頼るのかい? そんなんじゃアンタらの言っていたことも所詮体の良い言い訳にしか聞こえないぞ?」
「仕事とプライベートはキッチリ分ける主義なんですよ。僕たちの邪魔をする存在は確実に始末する。あのつまらないサラリーマンのようにね。心配せずとも普段はどうしているのか、重道さんが貴方の体を使ってたっぷりと教えてあげますよ」
「そういう事だ。さて、足の拘束を解くが逃げようなんて考えるなよ? 銃口はお前にも向いているんだからな。大人しく歩いてもらうぞ」
「歩くってどこに?」
僕の問いかけに小臼亭が楽しそうに答えた。
「物語のクライマックスは崖に決まってるでしょ?」
こぼれ話
犯人四人組は古典推理小説の作家から
ちなみに、令嬢編の登場人物オリアスとビクトリアはそれぞれoblivious,victimから