探偵助手編②:聞き込み、そして動き出す犯人
事故として処理されていた江良さんの夫、久遠理さんが亡くなられた件の報告書を警察から受け取り、僕と修吾は関係者への聞き込みを始めることにした。関係者は全部で三人。いずれもそれなりに地位のある人間で、簡単に尻尾は掴ませないはず。気を引き締めてかからないと。
一人目、重道亜嵐は大手製薬会社から仕事を請け負っているOEMメーカーの社長で、先の事件で江良さんに殺された阿笠来助の学生の頃からの友人だった。
「友人と言っても過去の話ですよ。定期的に会って食事をしていましたがもっぱら彼の自慢話で聞かされるだけで、あの時も私や久遠さんを含む四人はうんざりしていました」
応接間で僕らと相対している重道さんは迷惑そうな素振りを見せながらそう答えた。修吾は気にせず質問を続ける。
「五人で食事をした一時間後に久遠理さんは運転していた車ごと崖から落ちて亡くなっています。遺体からアルコールが検出されたことから飲酒運転による事故だと警察は判断しました。ですが、食事を終えて料亭から出てきた所を目撃した人の証言によれば、その時の久遠理さんはまるで立ったまま眠っているかのようで、誰かが肩を貸さなければ歩くことも出来ないくらいフラフラしていたそうです。どうしてそんな状態の久遠理さんがわざわざ自宅からも距離のある山中で車に乗っていたのか、貴方はご存知ありませんか?」
左腕にしている腕時計を見ながら重道さんは面倒くさそうに言った。
「それについては散々警察にも聞かれて答えましたよ。何も知りませんとね。そもそも、久遠さんは阿笠が連れてきた方で事故のあった日が初対面だったんですよ? 話もロクにしていませんし、どんな人物なのかも知りません。それなのに、どうして私が彼の事故について知っていると思ったんですか? これ以上のことは警察へ確認してもらえますか? これから先方との大事な打ち合わせがあるもので」
そう告げられると同時に警備員を呼ばれ、有無を言わさず僕らは会社から追い出されてしまった。何も収穫を得られないまま、僕と修吾は次の関係者がいる場所へと向かった。
経営コンサルタントの古楠飛偉留は阿笠来助が専務を務めていた会社へ出入りしていた時期があり、その縁もあってか重道亜嵐と同じく食事会に誘われていたそうだ。
「こういった仕事柄、コネクションは何よりも大事ですからね。それに僕としてもそこから得た情報が他の場所で役に立つかもしれませんから、一回十数万なんて必要経費ですよ」
胡散臭い笑みを顔に貼り付けながら古楠さんは店員が運んできたコーヒーを飲んだ。僕は隣で呆れている修吾に肘鉄を食らわせつつ、食事会での理さんの様子を尋ねてみた。
「久遠さんですか? うーん、正直印象が薄くて覚えていないんですよね。数回僕から話しかけてみましたけど、返答がいかにも社畜……いえ、職務を全うするサラリーマンって感じで面白みがなかったものですから。その直後に事故にあったと聞いて驚きましたよ。あんな真面目そうな人が飲酒運転をするなんて僕の観察眼もまだまだだと反省しっぱなしです」
そこからは探偵という仕事に興味を持った古楠さんに修吾が質問攻めにあい、こちらの聞きたいことの半分も聞けず時間が来てしまった。古楠さんがコーヒー代を奢ろうとしてくるので丁重にお断りしながら、最後の関係者がよく通っていると聞くボートレース場へと車を走らせた。
これまでの二人と異なり、小臼亭自由は大学に通っている学生だ。学生と言ってもほとんどキャンパスへは行っておらず、毎日どこかで遊び歩いているはずというのが同級生の弁だ。
「社会人になる前に残された最後にして最大の時間を将来役に立つかも分かんない勉強なんかに費やすなんてバカバカしいっしょ? 君たちもそう思わない?」
そう言いながら手にしているのが舟券なのだから、ただ勉強したくない言い訳にしか聞こえない。予想が外れたのか舟券をゴツゴツした手で握りつぶしている小臼亭さんに修吾は気を遣いながら話しかけた。
「貴方は亡くなられた阿笠来助さんから連絡を受けて、定期的に食事会へ参加していますよね? しかも、普通の学生には到底払えないような高額な店ばかり。貴方と阿笠さんたちはどういった関係だったんですか?」
「警察にも聞かれたけど、ただの飲み友達だよ。ああいう成功した人間からしたら俺みたいな堕落した人間に餌を与えて観察するのが楽しいんじゃないか? おかげで俺はタダ飯にありつけるから文句を言うつもりはないけどな。久遠理? さぁ? 飯と酒の方が大事で誰がいたかなんて覚えてないな」
次のレースの投票があるからと言って、小臼亭さんは人混みの中へと消えて行き、そのまま戻ってくることはなかった。
ファミレスで食事をしながら、僕と修吾は今日の聞き込みの成果を確認した。
「重道さんは理さんが店を出るときにフラフラだったのを否定しなかった。一方で小臼亭さんは理さんのことを覚えていないと言っていたけど、その場にいる人間で一番体格の良い彼が理さんに肩を貸したと考えるのが筋のはずだ。食事中は集中して顔や名前を見ていなかったとしても、店を出てから手を貸した人間の事をそんな簡単に忘れるなんてあまりにも都合が良すぎる。それに古楠さんも最初は覚えていないなんて言っていたのに、真面目そうで飲酒運転なんてしそうに無い人物だと明言していた。
以上のことを踏まえると、三人のうち古楠さんと小臼亭さんが怪しいと思うのだけれど、僕の推理はどうだい?」
「え? うん? まぁ良いところを突いているんじゃないの?」
「……僕の推理なんかよりも興味を惹かれる事象が目の前にあったみたいだね? 当ててみせようか? ちょうど横を通り過ぎた店員さんの短いスカート丈に目を奪われたんだろう? 全く、勘弁してくれよ。真面目に真犯人を突き止めるつもりはあるのかい?」
僕からの軽い叱責に身を縮こませつつ、修吾は反論してきた。
「しょうがないじゃない、男の子なんだもの。それにあんな扇情的な衣装を着ていたら、誰だって目で追っちゃうって。アレをユニフォームに採用しているこの店が悪いよ。俺はただの被害者。オーケー?」
「ノー。修吾のその言い分って痴漢で捕まった癖にみっともなく相手に責任転嫁しようとしている犯罪者とそっくりだよ。変態の素質でもあるんじゃない?」
「やめろって。そんな褒めてもここの料金しか奢ってやらないぞ?」
「褒めてないし、小学生から道徳を学び直して欲しい。でも、伝票に関しては修吾に渡しておくからお願いね」
僕はスプーンで支えながらフォークで巻き取ってカルボナーラを頬張った。
修吾にはああ言ったけれど、確かにこの店のユニフォームは青少年の教育には宜しくない。あんなに肌を晒して恥ずかしく、いや寒くはないのだろうか?
「案外慣れるんじゃないか? 雪国の女子学生とか冬場でも生脚で登校してるらしいし」
「今どきの学生はちゃんとハイソックスやレッグウォーマーを履いてるよ。価値観の古いフィクションしか見てないから情報が古いままになってるんじゃない? それに寒いものはちゃんと寒いよ。ただみんな我慢しているだけさ」
「言うねぇ。まぁ、ファッションのために体調を崩すなんて本末転倒な結果になるよりはちゃんと着込んでくれた方が周りも安心するだろうな。お前はちょっと着込みすぎだけど。いつも長袖にズボンで逆に暑くないのか?」
余計なお世話だ。僕がどんな服を着ていようが修吾には関係ない。いや、それは少し違うか。修にいが僕の近くにいるからこそ、絶対に肌は見せられない。
不意に僕は江良さんのあの必死な形相を思い出した。
「ねぇ? 修吾は江良さんについてどう思う?」
「どう思うって?」
質問に質問で返さないでほしい。そんなに分かりづらい質問だっただろうか?
「だから、江良さんの復讐について修吾は賛成? 反対?」
「そんなの反対に決まっているだろ? 日本は法治国家なのよ? どんな理由があっても私刑が許されるわけない」
「それは法律家の論法だよ。人間は感情のある生き物なんだ。それを無視することなんて出来ないはずだと僕は思う」
論理と感情は一般的には論理に従うべきだと言われている。でも、そもそも論理とは環境や場所、時代、そして感情によって大きく変化する。
例えば、ふぐ。ふぐは毒を持っているけれど、古くから日本では食されてきた魚だ。だけれど調理方法が確立されていなかったせいで江戸時代にはふぐ食の禁止令が出されている。その後、明治時代に味が美味しいという理由で一部の地域で解禁されるようになり、今では免許を取れば調理して良いことになっている。でも、それだって都道府県によって試験方法が異なるから難易度が違うし、今でも毎年ふぐによる食中毒が発生している。論理に従うなら市の危険性があるふぐは食べるべきではないのにそうしない。
「でも、そういうのって店とかじゃなくて自宅で調理した件数が過半数なんだろ? そういう人たちは毒があることを理解した上で食べているんだから、別にそれで病院に運ばれようが自己責任で納得してるんじゃないか?」
「僕が話したいのはふぐ食が認められるべきかどうかじゃなくて、それだけ人間は論理を自分に都合のよく解釈して捻じ曲げているってこと。そんな不安定なものを土台にして否定出来るほど、江良さんの気持ちはちっぽけな物じゃないよ?」
江良さんにとってそれほど理さんが大切だった。だから法律や倫理を投げ捨てて、自分の人生を犠牲にしてでも復讐に走ったのだ。
「修吾は誰かに対してそんな想いを抱いたことはあるかい?」
「どうでしょうねぇ? 一つ言えるのは、そんな相手がいたらお前とこうやって食事はしてないだろうな」
その言葉が僕の胸に重くのしかかった。そりゃそうだ。何を期待していたんだか。
「……僕は江良さんの気持ちをほんの少しだけど理解出来るよ。僕の両親を殺した犯人をおじさんが捕まえていなかったら、きっとどんな手を使っても見つけ出してこの手で報復したと思う」
「バカなこと言うな。お前ちょっとおかしいぞ? なにかあったのか?」
「さあね? こないだ助手席で寝てたときに見た夢のせいかな?」
愛のために自分の気持ちを犠牲にする女性。夢の中だというのに、僕はその女性の生き方を見て心が痛くなった。今僕が胸に秘めているこの想い。彼女が矛盾に苦しんだこの想いを僕はどう折り合いをつけていけば良いのだろう?
違うんだ、修にい。僕が言いたかったのはそれほど両親を愛していたということ。そして、今はその想いの向かう先はいつも僕の隣にいる人間だということ。
「……ちょっと頭を冷やしたいから歩いて帰る。お腹すいてたら僕が残したパスタ、食べていいよ」
「ちょ、待てって……」
立ち上がって出口に向かおうとする僕の右手を修にいが慌てて掴んできた。服の袖が少し捲れて腕が外気に触れる。僕は修にいの手を振りほどくと指が隠れるほど袖を引っ張った。
「……見た?」
「? 何が?」
「分からないなら良い。それじゃあ。追ってこないでよ?」
背後でなにかを言っている修にいを振り切って、僕は店から飛び出ると歩道を走った。
バレなかっただろうか?
大丈夫だ。あの場で気を遣えるほど修にいは機転の利く性格をしていない。
僕は息が苦しくなるまでひたすら走った。そして、限界を迎えて足を止めると、いつの間にやら狭い路地にいた。建物に手をつきながら呼吸を整える。汗が体中が流れ出て、全身を覆う衣類に染み込んで、嫌な肌触りを与える。腕をまくろうかと少し考えたけれど、急に誰かがやって来るかもしれないのでやめた。日も暮れているし、こんな薄暗い場所ならきっと凝視しない限り気付かれはしないだろうけど、僕自身も自分の醜い肌を視界に入れたくなかった。
それにしても、あの逃げ方は正直駄目だろう。まるで追ってくることを期待しているような捨て台詞まで吐いてしまったし。家に帰ったらどんな顔で接すれば良いのだろう。最悪ネカフェで一夜明かしてからの方がいいかもしれない。そうだ。そうしよう。僕はスマホを取り出した。
「君、こんな所に一人で大丈夫?」
急に声をかけられて僕はびっくりして体が飛び跳ねた。声のした方を見ると、建物の影に隠れて誰かがいる。人がいたなんて気が付かなかった。一体いつからいたのだろう?
「え、えぇ、大丈夫です。ちょっと走って疲れただけで、もう落ち着きましたから」
「本当ですよ。追いかける方の身にもなってください」
「え?」
背後からの声に振り返ろうとしたが、頭に衝撃が走って僕は地面へと崩れ落ちた。少し遅れて後頭部に鈍い痛みを感じた。
やられた。スマホを握りしめながら薄れていく意識の中、頭上での会話がぼんやりと耳に届く。
「おい。やりすぎじゃないのか? こんな所に証拠は残すなよ?」
「大丈夫ですよ。血も流していないでしょう? ただ気絶させただけです」
「所持品を確認させてもらいますよっと。学生証があるな。女子大? なんだ。やけに華奢な体つきしてるなと思ったら、コイツ女か」
「へぇ。確かによく見ると可愛らしい顔してるな。お前ら、この娘は俺がもらっていいか?」
「別に構いませんけど、ちゃんとあの邪魔な探偵を処分してからにしてくださいね。ほら、所持品は僕がチェックしますから、キミはその人質を車まで運んでください……」
ちょうど今日聞いたばかりの三人の声をスマホで録音し終えて、僕の意識は完全に闇へと墜ちていった。
こぼれ話と言うなの設定開示
件名:二つ星ホテル殺人事件
被害者:阿笠来助
犯人:久遠江良
分類:密室
状況:部屋と廊下を繋ぐドアには監視カメラで窓は外倒し窓
トリック:外倒し窓が取り外せるように細工しており、非常階段から窓を取り外して侵入。被害者を殺害後は逆の手順で現場から去った。犯人は死亡推定時刻に非常階段の清掃を担当していた