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蛹の夢  作者: 楢弓
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令嬢編②:話し合い

裏庭で出会ってからというもの、オリアスは偶然を装って毎日のように私の前に現れた。

ある時は同級生のいる授業終わりの教室で。

またある時は教師もいる昼休みの食堂で。

時間や場所、周りに人がいることなどお構いなしに彼は私へ話しかけてきた。

変な噂が立つからせめて野次馬がいない所にしてほしいと思いつつ、不思議な優越感があった。

ウォーカー辺境伯といえばこの国でも有数の実力者で広大な領地を与えられている。オリアスも嫡男ではないとはいえ、将来的に与えられる地位や領地はそこら辺にいる御曹司たちとは比べ物にはならないはずだ。そんな彼とお近づきになりたい人間はこの学園には沢山いるだろうし、虎視眈々と正妻の座を奪い取ろうとする女性も多い。

しかし、そういった注目の浴び方はオリアスの自尊心を酷く傷つけ、周囲へ壁を作ることになった。家名など関係なく平等に誰とでも話はするし、困っている人がいれば自分が傷つくことも厭わず助け、施しを受ければ必ず数倍にして返すが、その人との関係がある一定の距離まで達すると、それ以上は近づけようとはしなかった。自分に近づいてくる人間はオリアス・ウォーカーという個人ではなく、ウォーカー家という権力しか興味がない人間ばかりだったから。

「成人もしていない、まだ何者にも成れていない若造なんだから当たり前だけどね」

自身の身の上話を一通りした後、彼は自嘲気味に吐き捨てた。私は自然と彼の手の甲に自分の手を重ねた。

「心が酷く苦しいのでしょうね。ですが、それはご自分の家名に驕らず、ご自身の存在意義を求めて抗っている証拠。オリアス様が勇敢であるがゆえの苦しみですわ」

「勇敢か……。そんなふうに僕を励ましてくれたのは君が初めてだよ、クリス」

彼がもう一方の手を私の手の甲へと重ねた。私がオリアスをそんな言葉を贈ったのは、憐れんだり気の毒に思ったからだけではない。私も同じ悩みを抱えていたからだ。

私の家は父が十数年前の戦争で名を挙げたことで准貴族へと成り上がった騎士の家系だ。父は更に高い爵位を得ようとしたが、戦うことしか知らない人間には謀略渦巻く貴族社会を渡り歩くことなど出来るわけがなかった。その結果、私の八歳年上の兄を厳しく鍛え、戦いで戦果を上げようとしたのだけれど、数年前の隣国とのいざこざで兄は還らぬ人となってしまった。オーエンス家に残されたのは年老いた父と幼い頃に亡くなった母に似た容姿を持つ私だけだった。

八方塞がりになった父は大金をはたいて私をこのパブリックスクールへと送り込んだ。美人だった母によく似た私ならば、この学園に通う御曹司と婚約しオーエンスの血を存続させることが出来るのではないかと考えたからだ。

父の思惑通り、この学園の豪奢なドレスに身を包んだ他の令嬢たちの中にいても私の容姿は人目を引いた。よく分からない喩えばかりの詩を贈られたり、けばけばしいけれど質の良いドレスが届けられたこともある。

でも、所詮私は貴族もどきだ。読み書きだってこの学園に来るまでは全く出来なかったし、未だにマナーはおろかカーテンシーも上手く出来ない。落ちこぼれの私を周りは珍獣を見るような目を向けてくるし、そんな私に身分の高い貴族の令息が近寄っていくのが気に食わない令嬢たちは、人形のように見た目は良いけれど誰かに指示されないと何も出来ない『ドール』と私のことを呼んだ。

褒められる時も貶される時も、いつも私の人となりではなく容姿が先行される。誰も私の内面を見てくれない。そんな悶々とした思いを常に抱えていたからこそ、オリアスの思いに深く共感したのだと思う。

いや、共感しただけだと説明するのは不充分だ。

正直に言うと、オリアスと逢瀬を重ねるうちに、私は自分の心の中である感情が大きくなっていくのを感じた。与えられる安らぎと喪失への不安。その二つがごちゃまぜになった、今まで抱いたことのない気持ち。

思えば初めて出会った時からその兆候はあった。彼の優しげな瞳で見られたり、彼の手から伝わる体温を感じるだけで、胸の鼓動は早鐘を打つように激しくビートを刻んでいたのだから、きっとその時点から私の中にはその感情が芽生えていたのだろう。

おそらく彼も同じ感情を抱いているはずだ。表情や言動を見ていればすぐに分かる。彼と私は同じように互いを求め、互いを愛していた。

でも、この気持ちを口に出すわけにはいかない。なぜなら、彼は実力者の息子であり、私は後ろ盾のない没落寸前の家の娘だからだ。貴族の令息令嬢として同じ学園に通ってはいるけれど、彼と私ではその地位に大きな隔たりがある。自由恋愛をするには、彼の背負っている物はあまりにも大きすぎるのだ。

それに、彼には幼少の頃から定められた許嫁がいる。シンプソン侯爵家の娘、ビクトリア・シンプソン。常に優雅な振る舞いなのに周囲の人間を圧倒するような威圧感を放ち、税制や政治など男性だけが学ぶ学問ついても広い見識を持っている、オリアスも含めてこの学園の全員から畏怖の対象として見られているご令嬢。オリアスの隣を狙っている令嬢たちが表立って動かないのは、ビクトリアに目をつけられるのを恐れているからに他ならない。そんな怪物のような女性と敵対する勇気なんて、私は持ち合わせていなかった。

なので、この想いは胸に秘め、彼とふたりきりでいられる時間を享受する。それだけで良かった。幸福だった。

しかし、そんな時間は長くは続かない。彼と私のことについて、ビクトリアの耳へと届いてしまったのだ。


ある日、私は授業終わりに教室から出ようとした際に一人の男性から呼び止められた。恭しく挨拶をすると自身の主人が私を呼んでいると言って、付いてくるように依頼してきた。丁重にお断りすれば良かったのだけれど、スキのないウエアの着こなしや折り目正しい態度などを見て、誰の従者なのか直感的に理解し、言うとおりに後ろについて校舎内を歩き回った。

なんて申し開きをしよう。いや、どうせ何を言った所で言い訳にしかならないのだから、正直に話をするしかない。その結果、この学園にいられなくなったとして、自分の気持ちを偽るよりもよっぽど良い。

そんなことを考えながら歩いていると、従者がある部屋の前で歩みを止めた。彼が意匠の凝ったノッカーを掴むと、中で待っているであろう主人へ到着を告げる。女性の少しくぐもった声が中から聞こえてきた。

「中までお連れして」

その声に従って、従者がドアノブに手をかけた。そのままドアを押し開けると、後ろにいた私に中へ入るよう促した。深呼吸を一つしてから、私は意を決して部屋へと足を踏み入れた。

部屋の中は学園の中とは思えないほど豪華な造りになっていた。テーブルや本棚、キャビネットやマントルピースまで部屋の中の調度品はゴシック様式で統一されている。天井には立派なシャンデリアが吊るされており、大きな窓から差し込む光が反射してキラキラと輝いている。

そして、部屋の奥、テーブルの向こうのソファに私をここまで呼びつけた張本人が座して待っていた。赤を基調としたドレスに黒檀の髪が映える。切れ長の目にツンと尖った鼻。学生や一部の教師からも恐れられている存在。ビクトリア・シンプソンその人だ。

「ごめんあそばせ。貴重な時間を奪ってしまって、申し訳ないわ」

少しかすれた低い声からはお世辞にも申し訳無さは見えなかった。むしろ、彼女に呼ばれたのだから来て当然という圧力すら感じた。部屋へ入る前に決意を新たにしたはずなのに、既にその意思が揺らいでしまいそうだ。

「ボーッと立ってなんかいないで、どうぞお座りになって。紅茶はいかが? 海外から良い茶葉を届いた所なのよ。セバス、オーエンス嬢にお茶を用意なさい」

ドアを閉めて待機していた従者はビクトリアの命令を受けて、キャビネットからティーセットを取り出した。ここまで来たのだから、私もじっとしてままではいられない。覚悟を決めて部屋の主人に近づくと、真正面にあるソファへと座った。この学園にあるどの椅子よりも座り心地が良かった。

「良い感触でしょう? 私の家からここまで運ばせたのよ。そのソファだけでなく、この部屋にある家具は全てね。何せ、使用されていない一室を借りたは良いけれど、あまりにもデザインに品がなかったんですもの。全て撤去して、私の慣れ親しんだインテリアを持ち込ませて貰ったわ。おかげでこんなに素敵な部屋へと様変わり。この学園で唯一、私がリラックス出来る部屋よ」

「確かに、校舎内にあるどの備品よりも向こうに置いてある燭台の方が高価そうですね」

「あら、金満家に映ったかしら? 別にそんなつもりはないのよ。良い生活を送るために良い物を収集していたら、いつの間にかこうなってしまった。ただ、それだけのことよ。実際、古い家具も多いからメンテナンスも大変なの」

嫌味で言ったわけではなかったのだけれど、どうやらそう捉えられてしまったので訂正しようとしたが、私が口を開くより先にセバスと呼ばれた従者が声を発した。

「さもご自分で手入れをされているような言い方をなさっていますが、いつもその役目を担うのは私ですよね? お嬢様はただ作業が終わるまでの間、読書に耽っているだけではありませんか?」

「適材適所という言葉を知らないのかしら? セバスが実作業に優れているように、私は手入れの必要な家具を見抜く観察力に長けているのよ。それに貴方が汗水流して作業している間、私は隣国の航海記録や発見された大陸に関する書物を読むという頭脳労働をしているのよ? 働き方は違うとはいえ、その量は同等ではなくて?」

「お嬢様こそ、物は言いようという言葉をご存知ではないのですか? それに読まれている書物について調査だなんだと仰られていますが、ただ単純に外の世界に興味があるから読んでいるだけでしょう?」

慇懃無礼な態度で主人を非難しながら、その従者は私とビクトリアへお茶を給仕した。ビクトリアは切れ長の目を細めてセバスを見ていたが、反論するのを諦めたようで、目の前に出されたテーカップへと手を伸ばした。

「オーエンス嬢、貴方も冷めないうちにお飲みになって。砂糖やミルクはご自由にどうぞ」

どうぞと言われても、テーブルマナーの一貫としてこの学園で空のカップをいじったことがある位で、実際に紅茶を飲んだことなど一度もない。受け皿ごと手に取るべきなのか、それともカップだけを持つべきなのかどちらが正しいマナーだっただろうか。

「もしかして、正しい手順を思い出そうとしているのかしら? 別に気にせずとも良いわ。ここには形式ばかり気にする頭の固い教師や揚げ足取りばかりの失礼な学生もいないのだから、貴方が飲みやすいようにお飲みになって」

「はぁ……そうですか……。それではお言葉に甘えて……」

私は恐る恐るカップを手に取った。少し焼きすぎた焼き菓子のような色の液体から湯気が立っており、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。カップを握りしめながら、ゆっくりと縁に口をつけて紅茶を口へと流し込む。独特の苦味があり、思わず私は顔をしかめた。

「苦手なら無理をすることはないわよ?」

「いえ、平気です。ちゃんと飲みます」

「そう? 砂糖ならそのシュガーポットに入っているから、好きなだけ使ってちょうだい」

子供っぽい対抗意識などお見通しのように、真正面にいるビクトリアはテーブルの小さな陶器を指差すと優雅に香りを楽しみながら紅茶を飲み始めた。私も負けるわけにはいかず、そのまま何も入れずに紅茶を口へと運んだ。部屋には私がお茶を啜る音だけが響いた。

「ごちそうさま。美味しかったわ。貴方はどうだった? もし良ければおかわりもあるけれど?」

「大丈夫です。遠慮しておきます」

「あら残念。でもそうね。こうしていたずらに時間を消費するより、さっさと本題に話を移しましょうか」

セバスにアイコンタクトでティーセットを下げるよう指示しながら、ビクトリアはそう囁きにも似た声でそう言った。いよいよだ。私は両手を握りしめた。

「そんな敵対心をむき出しにしないで。別に貴方と口論をしたくてここへ呼んだわけではないの。ただ、貴方の気持ちや考えを確認したいの」

「……それは一体何に関することですか?」

「しらばっくれても無駄よ。貴方がオリアス・ウォーカー辺境伯子息と仲睦まじく話をしているのは知っていますからね。と言うよりも、あんな公衆の面前でやり取りをしていて、私が知らないとでも思っていたの?」

それについては彼女の言う通りだと私も思う。隠れるのであればもっと人目のつかない場所を選ぶべきだった。ただ、そんな小さなことを気にするような彼ではないのだ。

「一人の淑女としてアドバイスをさせてもらうけれど、大勢の人がいる食堂やあんな誰が見ているかも分からないような裏庭で愛を語り合うのはやめた方が良いわ。異性交友を誰かに見せびらかすなんて恥ずかしいわよ?」

「ご指摘ありがとうございます。ですが、彼と私は清い関係ですのでご心配には及びません。それにプライベートな時間まで他人の目を気にするなんてまっぴらゴメンです」

私が反論すると、ビクトリアは片方の眉を吊り上げて、小さくため息をついた。

「私的な時間を楽しみたいのなら、ちゃんと空間も整えなさい。貴方たちにとってはふたりきりの時間でも、それを見ている人がいる以上、何を思われたって文句は言えないわ。最近、学園内で貴方がなんて言われているのかご存知? 色香で男を惑わしたセックスドールと言われているのよ?」

貴方がその噂を流したんじゃないんですか、という暴言が口元まででかかったがなんとか止めることが出来た。私にわざわざ忠告してくれているのに、そんな事をするとは思えない。それに、彼女の振る舞いや言動から、そういった陰口の類を嫌っているタイプのように見えた。

「別に貴方を侮辱したくて言ったわけではないの。でも、事実として貴方を取り巻く環境は日に日に悪くなっていっているわ。だからこそ聞いておきたいの。彼のことを本気で愛しているの?」

直球の質問に私は思わず面食らってしまった。彼や私の口からもまだ言ったことがないその言葉を、目の前の女性は何の躊躇もなく口に出した。

「もしウォーカー辺境伯の地位を利用するためならば、悪いことは言わないから諦めなさい。そんな軽い気持ちで手を出して良いほど、辺境伯の爵位は軽い物ではないわ。それに、彼自身も……」

「違います! そんな邪な考えで彼と一緒にいるんじゃありません! 本気で彼の事を……」

「そうかしら? その先の言葉を言う前に一度よく考えて御覧なさい? 本気で彼と付き合うということはまずウォーカー家とシンプソン家の縁談を破談にするということよ? その結果、どれだけの人間に被害が及ぶか理解していて? 軽いいざこざで済めば良いけれど、最悪の場合内紛に発展する可能性だってあるのよ? それに、貴方自身もそう。嫡男ではないとはいえ、辺境伯の家へ嫁ぐということは、貴方の行動にもそれなりの力と責任がつきまとうことになるわ。お世辞にも器量が良いとは言えない貴方に正しい選択が出来るのかしら?」

そんなの、きっと彼ならばなんとかしてくれる、なんて楽観視するほど盲目ではない。ビクトリアの言う通り、家同士の縁談が潰れたとなればその仲が悪化するのは当然で、メンツを気にする貴族社会では互いに責任を押し付け合い、口だけではなく剣で争うことになるだろう。

私の素質についてもそうだ。ウォーカー辺境伯の領地がどこなのかすら知らない、学園の落ちこぼれである私が伯爵夫人として振る舞うことが出来るだろうか。

「どうかしら? 考えはまとまった? 聞かせてもらえる? 貴方の答えを」

私の事を曇りのない目でまっすぐと見据えながら、ビクトリアが問いかけてくる。冷静になればなるほど、なんと答えるべきなのか一目瞭然だ。そもそも、彼への気持ちは胸に秘めると決めていたはずだ。

夢を見る時間は終わった。それだけのことだ。

それだけのことなのだが……

「ビッキー‼ ここにいるのか‼」

突然の大声が聞こえたと思いきや、急に部屋の扉が勢いよく開いた。入り口には息を切らせて立っているオリアスがいた。

ビクトリアが首を左右に小さく振ると、立ち上がってスカートを軽く摘み上げ挨拶をした。

「こんにちは、オリアス様。ご機嫌麗しゅう。レディの部屋へノックも無しに入ってくるなんて、礼儀がなっていませんよ?」

「そ、そんなことはどうでも良い‼ 君の従者がクリスをどこかに連れて行ったと友人から聞いたが本当か? 彼女になにかしてみろ‼ 父上へ話を……」

家具に隠れていた私の姿が目に入ったようで、オリアスは喋るのを止めると飛ぶように私のそばへとやってきて両手を掴んだ。

「クリス‼ 大丈夫だったかい? 酷いことを言われたりしていないだろうね?」

「オーエンス嬢とはお喋りしていただけですよ。内容については確かに楽しいものではありませんでしたが」

「き、君には言っていない‼ 一体何を吹き込んだんだ? 大方、自分の地位が奪われるのを防ぐために、有る事無い事を言って彼女を脅したんだろう‼」

オリアスは大声でビクトリアを責めながら、私の腕を引っ張って立ち上がらせた。私からもなにか言うべきなのだろうけれど、こんなに感情を露わにしているオリアスを見るのは初めてでつい彼の腕の中で固まってしまっていた。

言われっぱなしのビクトリアはというと、止めに入ろうとしたセバスを手で制し、私へと向けたのと同じ視線をオリアスへと送った。

「ちょうど良いのでオリアス様にもお聞きしておきましょう。貴方、オーエンス嬢との関係はどうなさるおつもりですか?」

「ど、どうって、何がだ?」

「お二人共とぼけるのがお好きなようね。どうって、私を捨てて彼女を選ぶか、彼女との関係を精算して今まで通り私と形ばかりの婚約者を続けるかどうかに決まっているでしょう? あなた方の話は既に学園の外にまで広まり始めているのですよ? 早めに決断をしていただかなければ、ウォーカー辺境伯や私の父がこの学園へと乗り込んできてしまいます。まさか、そんなことも分からずにオーエンス嬢とお付き合いしていた訳ではないでしょう?」

ビクトリアの言葉にオリアスは顔を下に向けた。私の体を抱きしめている彼の腕が震えていることに気がついた。彼も分かっているのだ。このまま関係を続けても何も良いことがないと。それまで黙っていたのに、つい口が開いた。

「どうぞ私を振ってください。貴方の口から別れを切り出してくれれば、私も気持ちの整理をつけることが出来ます」

オリアスは息を呑み、ビクトリアは呆れたように息を吐いた。

「だそうですよ? どうされるんですか? 純粋無垢な乙女にここまで言わせて、恥ずかしくはないのですか? それとも、お父上に相談しなければ決断することも出来ませんか?」

その言葉がオリアスの逆鱗に触れたようだ。彼の腕の震えが止まり、代わりに体全体がワナワナと振動している。

「もう、我慢出来ない‼ 君の、その小馬鹿にした態度、ずっと嫌いだった‼ 家同士の約束なんて、知ったことか‼ 自分の、隣に立つ女性は、自分で決める‼ 君はふさわしくない‼ 僕の伴侶はクリスだ‼」

学園中に届きそうなオリアスの怒声が部屋に響き、そして静寂が訪れた。私は彼に強く抱きしめられているせいで身動きができない。頭だけを動かして、オリアス、ビクトリアの顔を交互に見た。

オリアスの顔にはまだ怒りが見られたけれど、どこか清々しさがある。おそらく、ずっと彼女に不満を抱えていたが、面と向かって言うのは怖かったのだろう。怒りに任せて、今までの鬱憤を晴らすことが出来、さわやかな気持ちに包まれているようだ。

対するビクトリアはあまり表情の変化がない。ただ眉間にシワを寄せて、私たち二人を見つめていた。

十分とも一時間とも感じられるその沈黙を破ったのは、それまで黙っていた人物だった。

「お嬢様。もうそろそろ出発のお時間です」

こんなときに何を言っているのかと疑いたい気持ちになったけれど、言われた張本人はその言葉でなにかを思い出したようだ。ビクトリアはわざとらしく表情を明るくすると、声を発した。

「お二人共お聞きになって? 私、この後外出しなければなりませんの。結論も出ましたし、お話はこれにてお仕舞いといたしましょう。オリアス様、幼少の頃からのお付き合いでしたが、このような形で終りとなり残念です。どうぞお幸せに。オーエンス嬢、先程お伝えした話はあくまで悪い方向へと進んだ場合ですから、あまり深くお考えにはならないで。これから困難も待ち構えているかと思いますけど、自分の出来る精一杯を尽くせば、きっと上手くいきますから頑張ってくださいね。それでは、片付けをしなければならないので、部屋から退出してくださるかしら?」

オリアスの体がまた震えだした。顔が青ざめている。自分の決断を今更後悔しているのだろうか。私が口を開こうとしたが、彼は私の手を引いて、逃げるようにその場から立ち去った。

部屋のドアが閉まる寸前、振り返って中を覗くと、ビクトリアの瞳から一筋の光が流れ落ちたように見えた。

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